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古代史

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古代史ダイジェスト4


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愛宕山

ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメ
出会いの地、日本夜景遺産





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臼杵竹宵 炭焼き長者伝説

用明天皇と般若姫





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内山観音 般若姫像

炭焼き長者伝説のルーツ臼杵・三重町
用明天皇と般若姫




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亀塚古墳 空撮

大分県最大級の前方後円墳



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萬弘寺と深夜の市

用明天皇、聖徳太子の建てた寺




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辻古墳群 

消滅した前方後円墳と円墳 
亀塚古墳と古墳群を形成
出土した石棺





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宗像大社 辺津宮

宗像三女神を祀る 世界遺産登録




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福良天満宮 夜神楽

古事記・日本書紀のスサノオと
出雲国風土記のスサノオの違い


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臼杵の古墳 パンフレット

文化財管理センターで無料配布
臼杵市教育委員会









天照大神は男性?


日本書紀では、天皇家の祖神アマテラス(天照大神)は女性神という事になっていて、伊勢神宮に祀られていますが、「本来は男性神なのではないか?」という説が古くからあります。その根拠は以下。

●古事記ではアマテラスの性別について一切触れていない。

●日本書紀ではただ一ケ所、スサノオがアマテラスに会いに来た時、「姉に会いに来た」と言っているので、アマテラスは女性と解釈する人が多い。

●ところが同じ日本書紀に、アマテラスの別名を大日孁尊(おおひるめのみこと)と書いているところがある。尊という敬称は男性に対して使われる。

●大日孁貴(おおひるめのむち)と書いている所もある。「おおひるめのむち」は「男性太陽神に仕える巫女」という意味。

●アマテラスは太陽神であるが、西洋東洋問わず、太陽は陽で男性神、月は陰で女性神というのが常識で例外はない。アマテラスは男性であるべき。

●世界中の古代の王家で初代の王は必ず男性。初代の王が女性というのは日本だけで不自然。

●天皇家の家系図は基本的に、歴代の天皇の名前と妻と子供の名前が書かれている。しかし皇祖神のアマテラスには子供の名前は書かれているが、配偶者の名前は書かれていない。皇祖神なのに基本的な情報が欠けているのは極めて不自然。

●アマテラスとは1人の人物ではなく、2人の人物の集合体ではないのか?。アマテラス=アマテラス(男)+アマテラス(女)。

●アマテラスが伊勢神宮に祀られるようになる以前、全国に「アマテル」という男性の太陽神を祀る神社がたくさんあった。伊勢神宮にも当初は「男性神アマテル」が祀られていたのではないか?。後になって女性神アマテラスも祀られるようになり、両者が合体したのでは。

●伊勢神宮の内宮の本殿真下にある高さ1mほどの「心の御柱」は「男性器」の象徴で祭神が男神であることを示す。

●「心の御柱」には尊い神が舞い降りてくると考えられている。代表的な神の名は「高木の神」という男性神。

●伊勢神宮に奉納されているアマテラスの衣装は男性用の衣装。

●伊勢神宮および伊勢周辺には「アマテラスは蛇の形をした男性神」という伝承がたくさん残されている。

●アマテラスの性別について伊勢神宮に問うと、「神様には性別がない」という曖昧な答えが返ってくる。男神か女神か断言しないのは不思議。

●スサノオが高天原を訪ねてきたとき、アマテラスは 矢を入れた靭(ゆぎ)を背負い、強弓を手にし四股を踏みスサノオを威嚇した、とあるが女性の姿とは思えない。

●アマテラスが天岩戸にこもったとき、神々は天岩戸の前で宴を開き、女性神アメノウズメが下半身をあらわにして踊り喝采を浴びる。何事かと戸を開け周囲を覗き見たアマテラスを、神々が協力して引きずり出す。アメノウズメの裸踊りに反応するのは、常識的に考えれば男性神。

●アマテラスとスサノオは、宇気比(うけい・・誓約、占い)を行うが、宇気比は本来、男性同士が交わす軍事協定。

●天孫族の家系図には「アマテラス」という名はなく、そこには「天底立命」と言う男性神が記されていて、すべて男系でつながる系譜となっている。女性を祖神として掲げている氏族は皆無。

●由緒ある神社仏閣には「アマテラス」と称する絵画や立像が残されていることがあるが、男性神として制作されているものが多い。

●全国には大日孁尊(おおひるめのみこと)を祀っている神社が多い。大日孁尊はアマテラスの別名で男性の太陽神。

●古い書物に「アマテラス」を描いた絵画があるが、男性神として描かれているものが多い。

●アマテラス「男神説」は荻生徂徠、山片蟠桃、津田左右吉氏、松前健氏、楠戸義昭氏など古くから多くの研究者が唱えてきた。

参考資料 ウィキペディア。


古代史ダイジェスト3


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小亀塚古墳 

亀塚古墳公園内、亀塚古墳の隣り、
家型石棺 海部古墳資料館 







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築山古墳(つきやまこふん)

速吸日女の墓?、亀塚古墳と同時期
亀塚古墳に次ぐ規模






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亀塚古墳

大分県最大の前方後円墳、
亀塚古墳公園、海部古墳資料館







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海部のまつり 

亀塚古墳公園、毎年10月開催、
古代絵巻






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古宮古墳

被葬者は日本書紀にも登場する大分君








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臼塚古墳

墳丘上に臼杵神社
臼杵市最大の前方後円墳、海部氏
石棺2基出土、石甲2基




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下山古墳

組み合わせ式家型石棺、石甲1基








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葛城古墳群? 

キリシタン殉教記念公園の一画にある。








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葛原古墳

駅館川左岸の円墳
宇佐神宮の祭祀者「辛島氏」






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蓬莱山古墳

庄の原丘陵にある前方後円墳、4世紀








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可愛の山陵

ニニギノミコトの御陵候補地、宮崎








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福岡で卑弥呼の墓発見?

全長450メートルの前方後円墳
福岡県赤村



















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生目古墳群

51基の古墳群、地下式横穴墓も発見





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柏木谷遺跡古墳群

南阿蘇、久木野パークゴルフ場内にある
9基の円墳、12基の方墳。






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七ツ森古墳群

竹田市、2基の円墳、4基の前方後円墳、古墳時代、彼岸花の名所









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豊の国の謎
海部の謎
 
亀塚古墳、県下最大の前方後円墳
天皇家と海部氏
 
 
 
 
 

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阿波岐原のみそぎ池
 
イザナギ、イザナミ伝説
イザナギとイジンアシは同一人物?
イザナギは朝鮮半島出身?
半島と列島は共通文化圏
 
 
 
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鵜戸神宮
 
神武の父
ウガヤフキアエズとウガヤ
ウガヤフキアエズは朝鮮半島出身?
半島と列島は共通文化圏
 
 
 
 
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大御神社 
 
日向のお伊勢さま
ニニギノミコト伝説 神武伝説
さざれ石 ドラゴンボール 3匹の亀
 
 
 

 
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岩原古墳群 
熊本県立装飾古墳館

 
 
 
 
 
 


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新田原古墳群

西都原古墳群と隣接
近くに新田原航空自衛隊基地




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塚原古墳群
 
九州最大級の古墳群
敷地の下を高速道が走る





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奴国の丘歴史資料館

奴国の拠点、巨大な青銅器工房
金印をもらった倭王




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百済の里 

南郷村、百済王伝説、西の正倉院



 



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西の正倉院

南郷村、百済の里
 
 
 





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妻垣神社 
創建1250年式年大祭

安心院 神武伝説 足一騰宮







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戸無瀬横穴古墳群

判田地区を代表する古墳群
滝尾百穴横穴古墳群と同時代
もみじ霊園と隣接






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滝尾百穴横穴古墳群

滝尾中学グラウンドに隣接
戸無瀬横穴古墳群と同時代







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霧島神宮

ニニギノミコト降臨地







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神武の館

宮崎県高原町、神武の生誕地







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豊後国分寺 大分市歴史資料館

奈良の東大寺と同時期、七重の塔
大友島津の合戦で焼失





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王ノ瀬天満社 石棺

5世紀の石棺、辻古墳から出土
海部古墳資料館収蔵







 
この記事は「神武天皇の実在性、古事記・日本書紀の史実性4」の続きです。
 
 
神武天皇の実在性は歴史研究家によって意見が分かれています。
実在派。非実在派、双方の意見を取上げ、
神武天皇の実在性を考察してみたいと思います。
「神武天皇は実在の人物ではない派」の意見は赤で、
「神武天皇は実在の人物である派」は青で表記しています。
 
 
3世紀のはじめ、奈良県桜井市の三輪山の麓に、巨大な古代都市が出現する。いわゆる纏向遺跡(まきむくいせき)である。
 
纒向遺跡の範囲は、東西約2km、南北約1,5kmで、総面積は3000m²におよび、同時代の遺跡の中では最大のものである。
 
纏向遺跡には、庶民が生活をするための住居はほとんどなく、あるのは巨大な高床式建築(神殿)ばかりで、祭祀を行うための聖地であったと考えられている。
 
纏向遺跡の回りには古い時代の前方後円墳がたくさん築かれている。前方後円墳は大和王権の象徴である。
 
前方後円墳は、3世紀のはじめ三輪山周辺に初めて造られはじめ、3世紀の終わり頃には巨大化していく。
 
纏向遺跡周辺の古墳群の中には、第10代崇神天皇稜や第11代垂仁天皇稜、第12代景行天皇稜などの前方後円墳がある。
 
以上の事から、大和王権の始まりはこの纏向の地で、3世紀のはじめ頃であり、纏向遺跡の初代の王は崇神天皇である。
 
崇神天皇は古事記・日本書紀では第10代天皇ということになっているが、実際は崇神天皇こそが初代の天皇である。崇神天皇以前の9人の天皇(初代神武天皇から第9代開化天皇)は、天皇家の歴史を古く見せるために、後世作られた架空の天皇であり実在しない。
 
 
纏向遺跡は3世紀のはじめに姿を現し、次第に大きくなり最先端の大都市へと発展していく。当たり前のことだが、そのような都市を作るには高度な技術と文化の蓄積、大きな財力が必要である。
 
ならば纏向およびその周辺には、少なく見積もっても数百年ほど前から、人の集団が住み、纏向遺跡を作りうる技術と文化、財力を蓄積し、3世紀のはじめに纏向遺跡の建設に着手したとみるべきだろう。
 
その集団のトップに立つ人間が、初代神武天皇を始めとする9人の天皇であるとすることに何の矛盾があるだろうか。
 
古事記・日本書紀には歴代の天皇の陵墓の地名が記されている。当然、崇神天皇以前の9人の天皇(初代神武天皇から第9代開化天皇)の陵墓も記載されている。
 
古事記・日本書紀には、672年に起きた「壬申の乱」の際に、大海人皇子が神武天皇陵に使者を送って、挙兵を報告したという記事が残されている。
 
ということはその当時、神武天皇稜が実際にあり、その存在は疑いの無い事実として信じられていたということである。
 
神武天皇稜だけでなく、第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの天皇陵も同様に、当時実在していた可能性が高いと思われる。
 
崇神天皇以前の9人の天皇(初代神武天皇から第9代開化天皇まで)が、後世作られた架空の天皇だとすれば、陵墓も後に作られたと考えなければいけなくなり、不自然。
 
陵墓は別人のものではないかとする説もあるが、ならば誰の陵墓なのか?。陵墓の造営には時間と技術、財力が必要とされる、それこそ天皇クラスの人物でないと作れないものではないのか?。
 
古事記・日本書紀には、第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの諸天皇は、磯城の県主、十市の県主の祖先と婚姻関係を結んだことや、春日の地に葬られたということが記されている。
 
これらの県主の勢力圏や春日の地には、大和の古い形式の古墳が出現し、大和王権との深い関係がうかがえる。以上のことから古事記・日本書紀の伝承には充分な根拠があったと考えられる。崇神天皇以前の9人の天皇は実在である。
 
 
神武天皇の実在性。古事記・日本書紀の史実性6に続く
 
 
参考資料・・・旧皇族が語る天皇の歴史・竹田恒康奉、神武東遷・安本美典
古事記・日本書紀

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