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長崎孔子廟は、儒教の創始者である孔子を祀った建物です。
明治26年(1893年)に建設されています。
孔子は紀元前551年、現在の山東省にあった魯国の
武家の二男として生まれました。
2歳のとき父を失い、生活は困窮を極めたといわれています。
幼いころから優秀で「吾十五にして学に志す」の言葉の通り、
学問の道で身を立てることを決意し、勉学に励み、
その才能はまたたく間に世に知られることとなりました。
孔子というと「論語」が有名ですが、論語は孔子の著作ではなく、
孔子の死後、弟子達が生前孔子が語ったことをまとめたものです。
長崎孔子廟は世界大戦末期、崩壊寸前まで荒廃しましたが、
戦後何度も修理が行われ、
1982年(昭和53年)中国政府と山東省孔子廟の協力を得て、
現在の色鮮やかな孔子廟が完成しました。
孔子廟に配置されている孔子像や72賢人像などの石像は、
すべて中国から取り寄せたものだそうです。 1983年(昭和54年)、本殿奥に「中国歴代博物館」が新設され、
故宮博物館と中国歴史博物館の収蔵品が展示されています。
参考資料 ウィキペディア
そういえば最近、韓国人は「孔子は実は韓国人」という説を
大真面目で主張しています。
孔子を祭る式典「祭孔大典」を、
世界文化遺産に申請準備中とのこと。
それ以外にも漢字の発明、中国医学、活字印刷技術、
剣道、柔道、合気道、日本刀なども韓国起源と主張しています。
サザエさんも韓国人だって。
もちろん大ウソです
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長崎県
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ハウステンボスは夜、ライトアップされていて奇麗です。
こんな、お城に住んでみたいですね〜
というか、こんなお城に住む、お嬢様と
お友達になりたいですね
はい、もちろん無理です
ハウステンボス内のホテル。
リーズナブルになり、人気再燃です。
ドムトールン。
高さ105メートルの美しいタワー キングコングが登って行きそうですね
5階、地上80メートルの展望台からは、
ハウステンボスの全景を眺めることができます。 ロマンチックな街並みですね
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ハウステンボスの港には、17世紀に日本に漂着したオランダの帆船、
デ・リーフデ号が停泊しています。
オランダの造船所で復元制作されたものです。
船上では衣装の無料貸し出しもあり、大航海時代の気分を味わえます。
1588年、スペインから独立を果たしたオランダは、
太平洋の新しい航路の開拓と、東洋貿易の開拓に力を入れました。
1598年、五隻の商船団が編成されロッテルダムを出航しました。
船にはそれぞれホーペ(希望)、リーフデ(愛)、ヘーロフ(信仰)、トローウ(誠実)、
プライデ・ボートスハップ(歓しき使)という名前が付けられていました。
その名前から、航海にかける熱い思いが伝わってきますが、
実際の航海は苦難に満ちたものでした。
悪天候と寒さ、食糧不足、疫病に悩まされ、
多くの乗組員を失ったヘーロフ号は航海を断念し帰国。
トローウ号はポルトガル船と戦闘になり撃沈。
プライデ・ボートスハップ号はスペイン艦隊に拿捕。
ホープ号とリーフデ号はセント・マリア島で島民の反発を受け
多数の船員が虐殺され、命からがら島を抜け出しました。
その後ホープ号は嵐で消息を絶ち、
1600年、リーフデ号だけが日本にたどり着きました。
大西洋を南下して南米大陸の南端マゼラン海峡を回り、チリーを経て、
太平洋を横断して日本にたどり着くという、実に22ヵ月の長い航海でした。
リーフデ号が漂着したところは、大分県の南部、
佐志生という小さな漁村の沖にある黒島で、
出航時110人いた乗組員のうち生存者は24人で、
漂着後、数日で6人が死に、生き残ったのはわずか18人でした。
オランダの船が、佐志生に漂着したという連絡を受けた徳川家康は、
代表を江戸に来させるよう命令し、
江戸に向いました。
リーフデ号は三浦半島の浦賀に曳航されますが、
修繕不能となるまで破損が進み、浦賀で廃船となりました。
そのためリーフデ号は現存しませんが、リーフデ号の船尾に 飾られていたエラスムスの木像は現存しています。
(東京国立博物館所蔵。国指定重要文化財)
家康に面会した二人は、祖国(イギリス・オランダ) との貿易の有利さを進言しました。
これにより日本とイギリス・オランダの間で本格的な貿易が始まりました。 二人は家康から重用され、家臣として向えられました。
二人は家康に世界の情勢や天文学まで教えたと伝えられています。
アダムスは後に三浦按針と改名。
ヤン・ヨーステンが居住した場所は八重洲と呼ばれるようになりました。
家康は二人に、日本のどの港でも貿易してよいという許可書を出しましたが、
家康の死後、二代将軍、秀忠の時代になると貿易港は制限され、
長崎の平戸のみに限定されました。
イギリス・オランダは平戸に商館を開いて、日本との貿易を競いましたが、
オランダが遂にイギリスを押え 明治維新まで長崎で交易していました。
家康の死によって希望を失った按針は、平戸に移住し
死後、平戸の外人墓地に葬られました。
参考資料 ウィキペディア
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グラバー邸には登り口が二つあります。
小さなモノレールで上まで行けるグラバースカイロードが便利です。
展望はすばらしく、長崎の街が一望に見渡せます。
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その昔、南山手一帯は、出島や東山手とともに外国人の居留地として発展し、
グラバー邸やリンガー邸、オルト邸などが点在していました。
グラバー邸はその中でも、ひときわ広い敷地を持っていました。
文久3年(1863)に建てられた建物で、日本で最も古い木造洋風建築です。
グラバーさんはスコットランドの出身で、21歳の時に長崎に来て、
グラバー商会を設立しました。武器商人です。
当時グラバー邸には、坂本龍馬や伊藤俊輔、井上聞多など、
幕末の志士達がたくさん出入りしていました。
江戸時代末期、長州藩は幕府から睨まれ、
外国から最新の武器を購入することができず、追いつめられていました。
坂本龍馬は薩摩藩名義で、グラバー商会から武器を購入し
長州藩に横流ししました。最新銃4300丁と旧式銃3000丁。
この銃が第二次長州征伐などで大活躍し、
長州藩を勝利に導き、明治維新が成し遂げられました。
グラバーさんは明治維新の立役者の一人ともいえます。
グラバー邸は高台の斜面にあり、とても眺めの良い所です。
長崎湾や市街地を一望することができます。
グラバー邸周辺にはその後、市内に点在していた6棟の洋館が移築され、
計9棟の洋館が現存し、当時の面影を今に伝えています。
参考資料 グラバー邸案内板、パンフレット
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