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西郷隆盛宿陣跡資料館(青空テーマ館)は
延岡市北川町にあります。
明治10年に西南戦争が勃発し、西郷隆盛率いる薩軍と
政府軍との間で攻防戦が続きましたが、 少数の薩軍では勝ち目はなく、
和田越の戦いに敗れた薩軍は北川町へと敗走し
この地に宿陣しました。 桐野利秋や村田新八などの軍幹部を集めて最後の軍議を開き、
兵士たちの労をねぎらい、薩軍を解散しました。
そのさい陸軍大将の軍服を裏庭で焼いたと言われます。
その後、可愛岳突破を敢行し、鹿児島に辿り着いた西郷は
城山で自決し、薩軍は崩壊しました。 当時、宿陣として使われた児玉熊四郎邸は
資料館として整備され 西郷の遺品や戦争資料が展示されています。
西郷隆盛宿陣跡資料館のすぐ側には
ニニギノミコトの陵墓参考地があります。 |
宮崎県
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愛宕山は延岡市の中心部にある標高251mの山で、
頂上にある展望台からは市街地を一望することができます。
晴れた日は四国を見ることができます。
「日本夜景遺産」にも認定されています。
愛宕山は古代は海に突き出た半島で、 笠江岬や笠沙山と呼ばれていました。
天孫ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメがこの地で出会い
結婚したという伝説があり、
神話にちなんだモニュメントが設置され、
デートスポットとしても人気を集めています。
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宮崎県東臼杵郡北川町可愛岳にある円墳は、
ニニギノミコトの御陵に推定されています。 ニニギノミコトは皇祖神アマテラスの孫で、
アマテラスの命を受けて「筑紫の日向の高千穗」に
降臨したと伝えられています。
ニニギノミコトは現地の豪族の娘 「コノハナサクヤ姫」をめとり
ニニギノミコトの3代あとに狹野尊(サヌノミコト)が
宮崎県都城で生まれます。 サヌノミコトは宮崎市内に王国を築いていましたが、 45歳の時に東征の旅に出て、大和の橿原で大和朝廷を開き 初代天皇「神武」となります。
ニニギノミコトは崩御したあと、
「筑紫の日向の可愛の山稜」に葬られたとありますが、
「可愛の山稜」の候補地は宮崎県と鹿児島県にいくつかあり、
宮崎県東臼杵郡北川町可愛岳にある円墳は
有力な候補地のひとつです。 |
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ごくまれですが、新田原基地にサイレンを鳴らした救急車が
入って来ることがあります。 ほぼ同時に「あおぞら」と機体に書かれた
ヘリが飛んで来て着陸。
救急車に乗せられていた病人がヘリに乗せられ、
ヘリは再び飛び立ちます。 設備の整った大病院に病人を搬送するのでしょう。
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金ヶ浜海水浴場はサーフィン場として
全国的に知られています。
高い波を求めて全国各地からサーファーが訪れます。
8月には医科歯科大学サーフィン大会も行われます。
国道10号線沿いにあり、近くには、コンビニ、レストラン、
民宿、サーフショップなどがあるので便利です。 キムタク夫婦も何度か訪れているそうです。
(別荘があるという噂も)
金ヶ浜いったいは日豊海岸国定公園に指定され、
風光明媚な観光名所がたくさんあります。 |




