ブログ〜鵜の目鷹の目,旅の目で

徒然なるままに、旅するようにゆったりと、時折鋭いまなざしで日常をとらえます

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毎日投稿していると、知らないうちに疎まれるおそれがある。しゃーないと開き直って毎日何か書く。

ネットにはあるある書いてある、何だかんだ。フェイスブックは友達の近況を知るには便利だが、リア充自慢がうざいというのが一般的だ。これが原因でアカウントを捨てる人もいる。反対に不幸自慢も嫌われる。政治を語るのも嫌がられるようだが、オヤジが酔った勢いで政治にもの申してると思って、大目に見てほしいね!

勝手に友達をタグづけすること。これ困ったもんだ。自分で選んだものならまだしも、酔って目がとろんとした状態など、公開されたくないものだね。マナー違反はごめんこうむる。

自分の可愛い子供をやたらと出す人も考えものだ。名前まで堂々とのせるのは危機管理上まずいと思う。可愛さは己のなかだけにとどめてほしい。

深夜まで仕事してるアピールもウザいらしい。見る人をイラつかせるようだ。忙しい自分を見せつけてあんたらとは違うんだとアピールするのは考えものだ。

投稿することがないから、自分のリア充を出すのもわかる。かまってほしい、チヤホヤされたいという心理もあるだろう。まっ、自己満足は己だけで完結させよう。

とはいっても、季節は秋。寂しさ余って投稿で甘さ百倍ときたもんだ。人間とはそんなもんなのさ。と、今夜も自己満足の投稿終わり!

(ユリオプス・デージーのように凛として穏やかに静かに生きたい)

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コケたり、コケそうになることがあります。平たい場所でも靴底がゴムでグリップが効いていると、つんのめることだってあります。足腰が弱っていれば転倒につながります。

一番危ないのは、予期しない状態で段差を踏み外す場合です。特に階段は段差が大きいだけに、ないと思っていた上り段があってつまずく、バランスを崩す。足を一歩踏み出したら、ないはずの空間に落ち込む。下り段の最初の一歩だと、階段を転落することになりかねませんから、大ケガにつながります。

数センチの下り段差であったとしても、想定以上に身体が落ちて、腰や膝をひねってしまうこともあります。暗いところ、滑るところ、慣れないところには要注意です。慣れた場所でもいつもと違う状態であれば、思わぬ災難となるのです。

今朝がた5センチほどの窪みに足をとられ、危ういことがあったのですが、幸い何事もなく通りすぎたのでした。

(石蕗(ツワブキ)の季節。亀井氏が徳川から封じられ入植したときに、一面の石蕗の野であったから、津和野と命名したとか)

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風が変わった。秋霜烈日とまではいかないが、朝夕の冷え込みに風邪をひく人がいる。暑さに痛めつけられた身体が急な温度変化に対応できなくて、変調をきたす。風邪ひきさん、どうぞご自愛を!

秋風は秋の季語。秋風って、どうなっていくものだろうか。ふつうは吹くものだ。寂しげな影をまとって吹き抜けていく。

 秋風のふきゆけゆくや人の中 久保田万太郎

強すぎる秋風は噴く。まだ台風の危険は去っていない。雨を噴き、瓦を散らす秋風なとまっぴらだ。この風は悶えるかのように地球を鳴らす。

秋風は香る、春風のように薫る。日だまりの暖かさ。くりくりした日向と影のコントラストを楽しみなさい。

秋風は囁く。冬は近いと耳元で囁いて、寒さに覚悟召されよと、辛い冬でも負けるな、励め。

秋風は装う。着飾って錦繍の見栄えをふる舞うのだ。綺麗になって皆を引き寄せ、拝まれて冬の準備を始めるのさ。

と、ハチャメチャに秋風飲んで飲み過ぎて、含んだツマミにまた酔いつぶれる。

(ハロウィンのカフェラテは、苦い顔をしているが、少し二日酔いの私の腹にほんのり甘く収まっていった)

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様式美を追求した映画であった。『散り椿』はキャメラマンとして大成した木村大作監督の作品だ。画面のひとつ一つが綿密に計算されたものであろう。それぞれの場面が美とともに、緊迫感をもって見る者に迫ってくる。

江戸中期の物語。藩首脳の不正を訴えたがために藩を追われた剣豪・新兵衛(岡田准一)。離れてなお刺客が襲ってくる環境。連れ添った妻(麻生久美子)が病没。死の床で託した最期の願い。故郷に舞い戻り因縁の者たちと対峙。争いが表面化し多くの人を巻き込む。姉を宿したかのように新兵衛を慕う里美(黒木華)・・・。

緊張感いっぱいのストーリーにあって、花も風景も建物も雪の京の街角も故郷の緑も人々も、全てがきりっとした輪郭をもって画面が展開していく。「ゴッドファーザー」のテーマに似たメロディもまた叙情と緊張を高める。

ナレーションは豪華にも豊川悦司。それでいて、物語の説明をセリフで表そうとするから少々無理がある。もったいないと思う。脚本に難があるように思った。刺客たちが人の顔貌(かおかたち)をしていないのも不満があった。小さな藩である。知り合いもいようし、新兵衛に立ち向かうのは恐怖をもつ者もいるはずなのに、ためらいもなく斬りかかり、いとも簡単に殺されていく。まるで仮面ライダーのショッカーのように平板で人間味がない。が、画面の美で補って余りある。

クレジットタイトルの出演者やスタッフの名前は全て自筆だったのに驚いた。自筆は一期一会。活字のように同じ字にはならない。だからこそかけがえのない存在である。武士の生き方の美も一度だけ、二度同じことはない。人生全てが同じこと。凛として覚悟をもって動いていこう。

(椿に似ているが、山茶花が咲く季節となった。これから数ヶ月は目を楽しませてくれる淡いピンクのかわいいヤツ)

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東京電力の旧経営陣が巨大津波を予測する政府機関の調査にしたがって対策工事をしていれば、原発事故を防げたかどうか、いま公判中です。宝塚の女子中学生が一昨年自殺した事件で、市の第三者委員会は報告書の公開を渋っている市教委に対して、いじめがあったことを認めたうえで速やかに開示するよう求めました。私には同根に思えます。

工事をしようとすれば原子炉を停止しなければなりません。莫大な利益が消えるでしょう。電力自由化の影響もひたひたと迫ります。すぐにも起こる、と明快に根拠を示して関係者を説得しなければなりません。

が、地震はいつ起こるかわからない。明日かもしれないし、100年後の可能性もある。だから判断を先送りした。気持ちはわかります。要は【様子を見た】のです。大地震発生という“不運”がなければ事故とはならず、予見や回避は不可能だったとして、裁判では無罪を主張しています。

イジメの第三者委員会の調査報告書。市教委は遺族と未調整を理由に公表していません。遺族は知らされた概要をすでに公にしているんです。理屈にならないですね。業を煮やした第三者委員会は、公表は可能、市は直ちに内容を開示せよ、と求めました。

イジメ行為は認定されました。学校は生徒を守りきれなかった責任があります。当時者は、女子生徒を“激励”し、イジメる生徒にも“指導”してきた。やがて収束して丸く収まるさ、とこちらも【様子を見た】のです。学校当局も市教委も、本人が自死するという“不運”がなければ事件とはならず、自殺は予見不能だったと言い訳しているのでしょう。

決然として行動する時が必要な場合があります。【様子見】に終始すると、生涯後悔し、他人を苦しめる結果になる一例です。

(ハナミズキは後悔しない。決然と花を咲かせ、葉を繁らせ、葉色を染めて、赤い実をつける)

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