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以前、韓国の高校の教科書をご紹介したことがあります。 この教科書を見て驚いたのは、日本で教えられている古代史と韓国の古代史のあまりの違いです。 いったい、どの辺からこういう違いが出てくるのかちょっと不安になって、高校の教科書より小学校の教科書の方がわかりやすい、と言うか、率直に書かれてあるだろうと思って買ってみました。 2枚目の写真を見たらやはり愕然とします。 古朝鮮の建国 国をたてた人 壇君王倹 国がたてられたとき 紀元前2333年 都 阿斯達 国を治めた精神 広く人間を有益にする「弘益人間」の精神 だそうです。 最初に国を建てたのですから、そもそも国の名前が「古朝鮮」ではおかしいと言うことに気がつかないのでしょうか? いくら何でも、自分の国の名前をわざわざ「古」という言葉で始めたりしません。 例えば、「古日本」という国家はなかったでしょう。 どの国も、どの権力も自分の基盤が最新のものであると考えていたはずです。 だから、「古朝鮮」と言われるところで、すでに、誰かが歴史を改ざんしていた事が明白です。 そもそも、この「古朝鮮」という国の存在が登場するのは『三国遺事』と言う書物が最初なのです。 と言うより、朝鮮半島には『三国史記』と『三国遺事』くらいしか古文書がないのです。 『三国遺事』は西暦1270年から1280年あたりにかけて、高麗の一然と言う坊さんが編纂したものなのです。 普通に考えたら、『三国遺事』が書かれた時代から3500年も昔の事を文章にするのには、よほど正確な資料がなければなりませんが、現在朝鮮半島には『三国遺事』が資料としたであろう文書は何一つ残されていません。 現代の最高の考古学を持ってしても、4000年前の国家の成立を何年だと確定するのは容易ではありません。 それなのに、わずかにこの『三国遺事』に1つだけ書かれていた伝説を元に「古朝鮮」を描き出すにはよほど国内の事情があっただろう事が予想されます。 「古朝鮮」は建国の年は分かっていますが、滅亡した年は分かっていません。 なぜでしょうか? 『三国遺事』によれば、壇君王倹は王位について1500年の間君臨し続け、1908歳で死んだとされていますが、そう言うことが実際にあるはずありません。 日本の『古事記』や『日本書紀』でさえ、古代の天皇は200歳までは生きませんでしたので、この『三国遺事』の記事がいかにでたらめであるかと言うことが明らかです。 にも関わらず、この『三国遺事』の記述をそのまま信用して、いや、拡大解釈してことさらに歴史を言い立てるのは少し狂信的だと言わざるをえません。 資料が全くなく、遺跡やその他、「古朝鮮」に関する傍証的な物が一切ないのにもかかわらず、2枚目の写真に出ているように「古朝鮮の勢力範囲」はものすごく広大だったことになっています。 これでは、日本人と韓国の人の間で共通理解が生まれるはずがありません。 本当に日韓で共通理解を得たいのであれば、こう言ったでたらめな歴史記述をあらためなければならないと思います。 |
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2010年04月11日
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