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ファシズムというのが支配者から与えられると思ったら大間違いなのです。 大衆に、社会にファシズムを許容する雰囲気なり感情なりがなければ、そう簡単にはファシズム国家にはならないのです。 よく言われるのが、「恐怖支配は闇の中で行われ、国民が知り得なかった。」と言う論法がありますが、それは、ある一定の部分では確かではあるけれど、やはり大筋では間違っています。 日本もドイツも言論統制が行われ、支配者に批判的な文章は出せなくなったと思われがちですが、案外、その当時の新聞は本当の事を書いているのです。 一度、「非国民のように見えた。」とか「売国奴的発言をした。」とか「ユダヤ人っぽく見えた。」と烙印が押されたら最後、どのようにあがいても身の証は立てられなかったのです。 だからといって、その人を裁判した記録が抹殺されると言うことはありませんでした。 むしろ、新聞記事は「非国民」や「売国奴」や「ユダヤ人」を憎しみを込め大きく取り上げられていたのです。 冷静さを失い、感情をむき出しにした国民は、「本当に非国民なのだろうか?」とか「売国奴と言うけど何をしたのか?」と言う判断が出来なかったのです。 警察や国家権力、裁判所まで巻き込んで有罪判決を受けた人を悪人だと思うのは、今現在でもそうですし、ヒトラー政権時代もそうでした。 民主主義だと胸を張っている日本の裁判所でさえ、えん罪は無数に起こっています。 そして、一度えん罪に巻き込まれたら、その人の人生は終わってしまいます。 それがファシズム国家の中でだったら取り返しはつかないのです。 国民が何に熱狂し、陶酔するのか。 私は幸いにしてファシズムを経験したことがありませんが、あれほど負け戦が続き、国土が焼き払われ、敵が目前までやってきているのに日本もドイツも、なぜあれほどまでに頑強に持ちこたえたのでしょうか? 日本の場合ですと「やがて神風が吹く」と言われていましたが、おそらく「神風が吹く」事を本気で信じていた人は少なかったと思います。 にもかかわらず、日本人はほとんど全世界を相手に戦い続けました。 アメリカ軍の上陸に対して竹槍で戦おうと本気で考えていました。 日本もドイツも自民族の優越性を強調し、世界支配の根拠にしていましたが、それだけで国民が国家壊滅の危機に瀕してでさえ国家に忠誠を誓うにはそれなりの理由が必要だったと思います。 もちろん、それが理路整然とした哲学のようなものである必要はありません。 「鬼畜米英」と言う扇動的な言葉もそれなりに国民感情を支配したのだろうと思います。 世界経済が崩壊に向かい、それぞれの帝国主義国家がとった道はいろいろでした。 だから、ある意味では第二次世界大戦は帝国主義国家同士による植民地の再分割戦争でもあったろうと思います。 日本、ドイツ、イタリアはその再分割戦争のためにファシズムに活路を見いだし敗れました。 けれども、再びファシズムに活路を見いだす人、国が出てこないと断言は出来ないでしょう。 その意味で、この本は一読の必要があるのだろうと思います。 当然の事ではありますが、この本も一つの主義主張です。 そこから何を得るのか、失うのかは読み手にかかっていると思います。 |
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2010年05月27日
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