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魔女とシャリヴァリ

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今、社会史の流派がどのようになってるのか知りません。
私が学生の頃流行したアナール派の社会史は、ちょっとだけ私の心を揺さぶりました。

「アナール論文選」の4巻まで買いましたが、その後、この本の続刊が出たのか、あるいは出なかったのかも知りません。
この人達の明らかにしようとしたのは、その当時の人がどのように考えていたかだったと思います。
現代の目から見たらおかしな行動であっても、当時の人にとってはおかしな行動でない場合もあるのです。

非常に合理性を欠く行動だからと言って批判しても仕方ないのです。
もし、合理主義者達が言うように、歴史は人間が合理的になっていく過程だとすれば、過去に遡るほど合理的でない慣習が存在したはずです。
そう言うのを集めてその時代の精神を考えるというのは一つの学問として成立するような気がします。

中世ヨーロッパに行われていた「シャリヴァリ」と言う儀式はその点、非常に奇抜でおもしろい風習だったと思います。
どうやら、男女間の不釣り合いな関係に対して行われるようなのですが、例えば、70歳になるジジイが18歳の女性を妻に持った場合、未婚の結婚適齢男性諸君が立ち上がります。
手に手に鍋や釜を持ち、そのジジイの家の周りに押し掛けて、大騒ぎをするのです。
この「シャリヴァリ」と言う儀式が行われている場合には、公権力は介入できません。
ひたすら被害者は耐えるか、金を差し出して「シャリヴァリ」をやめてもらうしかないのです。

場合によっては1週間騒ぎ続けるときもあって、それはなかなか楽しい光景だったのではないかと推測されますが、やられた方はたまったものではなかったでしょう。
でも、70のジジイが18の娘と結婚するのは社会慣習としては不釣り合いなので、「シャリヴァリ」をやる方も止まりません。
行きすぎてジジイを殺してしまう場合もあったようです。

ところが、「シャリヴァリ」は世俗を超越した儀式なので、その儀式で殺人が行われても、犯罪に問えなかったのです。
どうやら、共同体の意識を守るために暗黙に「シャリヴァリ」が機能していたようです。

こうした、主に中世の人たちの共同心性みたいなのを読み解くのがなかなかおもしろいのです。

今では正確に覚えてませんけど、日本でも似たような考えがありました。
平安期に礫(つぶて)は神の意志という意味合いがあったようなのです。
例えば、貴族の牛車に向けられて投げられた礫は、貴族に命中したとしても礫を投げた人間を裁けなかったような記憶があります。
手から離れた時点で人間の意志を超え、神の意志になったはずです。

「シャリヴァリ」にしても「礫」にしても今で考えたら犯罪です。
しかし、その当時の人には犯罪だとは考えられておらず、かえって、その行為によってある意味、社会がうまく機能するような存在だったのです。

そう言うのを研究するのは楽しいなあと思うのです。
今、この分野はどうなったんでしょうか?

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