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ま、だいたいにおいて、誰かの全集など買う場合は、その人を尊敬、崇拝、百歩譲って研究している人が多いのですが、私の場合は、あんまり関係ないですね。 ちょっと押さえておきたいなあ、とか言う本は、なかなか手に入らなくて、しかも、書き込んだりしたらひどい目に会うところが多いのですよ。 図書館の本などに書き込んだら、まあ、書き込んだ人間が例えば、キリストとか、親鸞とか、あるいは、聖徳太子とかだったら、価値も出ましょうが、私が書き込んだら犯罪なのです。 だから、買わないといけなくなります。 本来ならこの全集の第1巻だけ欲しかったんですが、そう言うのは古本屋さんは許してくれません。 絶対に全巻そろいで買わされる羽目になるのです。 しかし、思うに中江兆民って人は、知識人なのですが行動と思想が一致してるのかどうなのか疑問な人ではあります。 書き言葉は非常にきっちりとしていて、付け入る隙がありませんが、日常生活においては大丈夫なのかと疑いたくもなります。 さて、必要だと思われたのは第1巻、『民約論』なのですが、これは、ルソーの『社会契約論』の本邦初訳版なのです。 でも、これを読むと、いっそのことフランス語を勉強した方が早いのではないかと思われるくらい現代語とは遠い世界なのでした。 出鼻を書かれている通りに写すとこんな具合です。 『前ニ論ズル所ノ旨意ニ由レバ、唯衆意而巳能ク国資ヲ流注シテ当初ノ目的即チ公共ノ利ニ向ハ令ムルヲ得可シ、何トナレバ本来各箇ノ私利相抵触スルヨリシテ※(そう:てへんに倉)奪衡闘ノ難生ジテ、竟ニ結社ノ要務タルニ至テ乃チ此衆私利ヲ一定シテ社ノ造設ヲ成シ得タレバナリ、…』 こりゃ、すでに現代日本語と言うより古語ですね。 実に読みづらい。 意味は分かるけど、中身が私の中で非常に薄っぺらくなってしまうのでした。 しかも、欧米人の名前を絶対にカタカナ、あるいは平仮名で書きません。 「戎雅屈拉蘇」 こう書いて、ジャン・ジャック・ルソーと読ませるのです。 無理じゃないかな? 「孟得士瓜」 「羅克」 「賓撒母」 「礼弗尼」 「広篤」 とか書かれたら何か分かりませんが、上から 「モンテスキュー」 「ロック」 「ベンサム」 「ライプニッツ」 「カント」 なのでした。 ただ漢字を当てているだけなのか、尊敬してるのかバカにしてるのか、漢字だけからでは分かりません。 おそらく、こう言う当て字を考えているときが楽しかったのだろうと思います。 こう言う文章を人に無理強いさせたかと思えば、日常では実にだらしない。 伊藤大八に宛てた手紙など、これでよく相手が怒らなかったと言うか、呆れるような文面の手紙も残ってます。 現在のように電話がなかったからと言って、手紙にしたら一方通行なのでどうしようもないのです。 明治19年か20年に書かれた手紙。 「伊藤君 中江 近日は飲酒にて非常ニ多忙也 重々失敬 明日中ニ日延被下度奉願候也 二十一日 西原居士 伊藤君」 これはひどい。 こう言う奴と付き合いたくなくなりますよ(笑)。 で、結局、この全集を買って何か身についたことがあるかと言えば、書簡集(第16巻)で人に謝るとか言い訳する事を覚えたことくらいでしょうか? 他にはあんまり思いつきません。 でもまあ、いいんじゃないでしょうか? |
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