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『フランス大革命』

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フランス大革命の研究には必須の1冊と言うか3分冊です。
その名も
『フランス大革命』
なので、間違いようがありません。

「ねえねえ、管理人さん。あなた、一応大学院でルソーを研究したんでしょ?」
「ああ、立場上そうなってるだけで、特にルソーを研究したわけじゃないよ。」
「でも、『社会契約論』とか『人間不平等起源論』とかやったんじゃないんですか?」
「アホか!オレは教育学研究科だ。基本的にそう言うのはやってない。オレのやったのは『エミール』だ。てかさあ、オレって大学院の時は文系の勉強をあんまりしてないような気がするんだ。」
「ですねえ。理学部に入り浸ってましたし(笑)。」
「大学院って便利だよな。どの研究科にいても、お好きな学部の好きな講義を履修できるから。」
「ものすごい無駄遣いをしてたような気もしますよね。担当教官がよく許してくれましたよね。」
「ああ、あの先生はまさに天使のような人だったな。オレが何を履修しようが全然文句を言わなかった。だいたいさあ、オレは大学院に入学した時は心理学専攻だったんだよ。」
「へえ、それは知りませんでした。」
「オレも初めて言ったよ。ある先生に弟子入りするつもりで入学したわけだ。ところがだよ!その先生、オレが入学したら他の大学に行ってしまったんだ(笑)。で、ものすごく困ったわけだ。オレの研究課題を誰も引き受けてくれないんだ。」
「そりゃ困りましたね。」
「だろ?何しに大学院まで行ったのか分からなくなったよ。で、その時助けてくれたのが、オレの担当教官になってくれた先生だ。『君がどんな研究をしようとかまわない。論文でルソーのことを書いてくれたら自由にしていいよ。』って言うんだ。これはまさに天使のささやきだよな。その一言で心理学専攻から教育学専攻に変更だ(笑)。」
「だからと言って、『天文学』だの『分子遺伝学』だのを理学部に履修に行ってよく文句言われませんでしたね。」
「大丈夫だ。『解剖学』もやったし、脳波計の使い方も覚えた。でもさあ、さすが脳波計って医学機器だよな。インクのペン先が1本2万くらいしたぞ?1本折って怒られたよ。」
「どういう使い方したんですか?」
「いや、あれってものすごい早さで動いてるのにちゃんとインクが出るじゃないか。でさ、どんな構造になってるのかなあ?と思ってちょっと持ち上げようとしたら折れた。」
「まったくガキですね。そんなんだから先生達に『ジャン』って呼ばれるんですよ(笑)。」
「あ、それ、懐かしいなあ、『ジャン』だけじゃ意味が分からないよな。『ジャン=ジャック=ルソー』じゃないと分からないだろうな。」
「まさに変人ですね。」
「いいんだよ。どうせ大学院生なんかみんな変人だよ。寝る時と飯食う時とトイレ行く以外は全部研究に時間を費やしてたからなあ。通学も面倒だから院生控え室で寝てたし。」
「だからブクブク太ったんですよ。」
「そう言えば、李さん、今頃どうしてるかな?」
「え?何人ですか?」
「うん、李さんなんだけど、中国の人だよ。ものすごく美人で中国語、韓国語、日本語がほぼ100%完全に同時通訳できるんだよ。大学院に入ってすぐに企業に引き抜かれてしまったけど。」
「そりゃ、きっと大金持ちになってますね。あなたと大違いだ。」
「オレは別に金持ちになりたいわけじゃないからいいんだよ。適当にオークションで落札できたらそれでいい。」
「全然大学院卒という学歴に意味がないですね。」
「失礼な!ちゃんと知性と教養を身につけたぞ?」
「そりゃ『痴性と狂養』じゃないですか?それに、あなたの職場って大学院卒だからと言って給料変わらないじゃないですか(笑)。」
「まあな。オレの職場の給与規定にはそもそも大学院卒の規定がない。だからオレの履歴書には『大卒』と書かれてるよ。」

またもや話しが投げっぱなし。
この本は、なかなか読み応えがあります。
読むとフランスに行きたくなりますよ?
でも、私は行きません。
面倒です。
誰か私の見たいところだけビデオカメラで撮影してきてくれたらうれしいです。

「金日成二巻選集」

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「あなた、また外国に敵を作る気ですか!!」
「いや、別にそう言うわけじゃないけどな。なんせ北朝鮮って何が何だかわからないじゃないか。だからさ、『偉大な領袖』である金日成が何を語っているのかちょっと知りたかったんだよな。ところが、金日成の著作物というのが本当にないんだよ。朝鮮総連とかに聞いたらくれるかも知れないけど、そう言うの、場合によっては命に関わるだろ?だから古本で探したらこれしかなかった。」
「でも、なんでタバコを下に敷いてるんですか?」
「意味ないよ。撮影にちょうどいい角度にしたかっただけだ。どうせならキムチの箱でも置けば良かったか?」
「金日成と言えば『主体思想(チュチェ思想)』ですが、そう言うの出てくるんですか?」
「この本には出てこなかったな。もしかしたら『チュチェ思想』ってのは金日成の太鼓持ちが勝手に命名したんじゃないんだろうか?」
「金日成も息子が日本目がけてミサイルを何本も撃つとは思わなかったでしょうね。」
「そんな事はないだろう。親父が長生きしたらそれはそれでミサイルを撃ってきたと思うよ。」
「で、どうなんですか。金日成の思想が分かりましたか?」
「全然。まるっきり分からない。それどころか、北朝鮮がいったいどういう国家なのかも分からなくなったよ。」
「北朝鮮がどういう国家かを分かっているってのは実際ものすごい事だと思いますが、なんで分からないんですか?」
「だってさあ、中学校の社会なんかでは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)ってのは社会主義圏(共産圏)の一員で社会主義国だと言われていたはずだ。」
「ああ、管理人さんが中学校の頃はまだベルリンの壁も崩れてなかったですからねえ。」
「でさ、金日成の『社会主義労働青年同盟の任務について』というのを読んだわけだ。」
「それってレーニンのパクリですね?」
「だろうな。レーニンのは『共産主義青年同盟の任務について』だったよな。確か。」
「なんでその文章なんですか?」
「そりゃおまえ、簡単だよ。ガキ相手にどういう事を言ってるかを見たらその国のおおよその事は分かるからだ。この文章(演説)は1964年5月15日に出たそうだ。で、さっぱり分からなくなった。」
「どういう風に?」
「まあ、日本帝国主義を打倒たオレは偉いんだぞ?とかそう言うのはあの国では当たり前だからいいんだけど、北朝鮮の国家体制がいったい何なのか説明してないんだよ。実際に引用するとこんな感じだ。」

『こんにち、うつくしく建設され、日ごとに栄えているわが国の都市と農村としあわせな人民の生活のなかには、英雄朝鮮の男女青年のとうとい闘争の業務がひめられている。わが国の青年は、党と人民の真のむすこや娘として、外国の侵略者から祖国をまもり、搾取と抑圧のないあたらしい社会制度を創設する若い革命戦士として、貧しくたちおくれていた祖国をゆたかで強力な先進的な社会主義国家に変えていく若い建設者として、自分に課せられた歴史的使命をりっぱに遂行してきた。』(第二巻:521ページ)

「な?今現在、非常にしあわせな時代なんだけど、まだ社会主義国家になってないぞ。てめえら根性入れて頑張れよ。って事だ。この文章、まともに読んだら意味不明だよ。それだけじゃない。」

『いまわが国の勤労者は、朝鮮労働党第四回大会がしめした綱領的な方針にしたがって社会主義の高峰を占領し、人民生活を画期的に向上させるためにたたかっている。そして、社会主義建設の雄大な綱領である七カ年計画は成功のうちに遂行されている。』(522ページ)

「要するに、まだ社会主義にはなってないんだぞ。どうしてくれる。おまえらの努力が足りないからだ。と怒られてるわけだな。」
「そうですねえ。何だか切羽詰まった何かがあるんでしょうね。こういう雰囲気で迫られたら怪しげな宗教とあんまり変わらないですねえ。」
「でさ、優秀な社会主義のくせに『人民の衣食住の問題はすでに基本的に解決され』なんて事を書いてるから、部分的には貧困で飢餓状態な所も残っていると言ってるわけだ。これでどうやって理解しろって言うんだ?」
「さあ?分かりません。でも、いいじゃないですか。ちょっとは北朝鮮の事も分かったみたいですし。」
「ああ、こんなテンションで走り回っていたらろくな事はやらないだろうな。精神衛生上非常に悪い体制だな。」
「あなたにはもう少しテンションを上げてもらいたいんですけどねえ。」
「無理無理。ここは日本だよ。」

こういう文章を見るとものすごく時代を感じます。
しかも、書かれた年よりずっと昔の感じがするのはどうしたことでしょうか?
ま、マルクス主義的に考えて、朝鮮半島が植民地支配を受けていたのだったら、その生産基盤で社会主義国家に移行することは無理なはずなんですけどねえ。

「朝鮮幽囚記」

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この本の出だしはこうなっています。

「ヤハト船デ・スペルウェール号の生き残った船員と水夫とが、そのヤハト船がコレー(李氏朝鮮)王国の支配下にあるケルバールツ島で一六五三年八月十六日に難破してから、一六六六年九月十四日にその中の八名が脱出して日本の長崎に到着するまでの間にコレーで経験した日誌と国民の習慣および国王の状況について。」

こうした表題の後に

「オランダ領インド総督ヨアン・マーツアイケル閣下および評議員各位。」

と、オランダ領インド総督の元でヘンドリック・ハメルが論述したもののようです。
歴史文書があまり残っていない李氏朝鮮の様子をヨーロッパの人間が記した非常に珍しい文献です。

要するに13年間の間、このハメルらは朝鮮王によって国外に出されることなく、場合によっては奴隷的扱いを受け、ひどい目に会って日本に逃亡したと言う記録です。
風邪をひいて苦しい時にこういう本を読むと非常に自虐的な気分に襲われます。
体力がなくなっていて頭がクラクラする時に読むので、ものすごくこの本の作者ハメルに同情的になります。

この時代、朝鮮の人々は刑罰として「叩く」と言うのが好きなようでした。
日本でも江戸時代には「百叩き」とか言うのがありましたので、もしかしたら東洋一般に行われていた刑罰なのかも知れませんが、日本と違い朝鮮の「叩き」はまさに死刑も同然のようです。
少し長くなりますが、引用します。

「・・・殺人犯人もまた足の裏を数回叩かれた後で、彼の犯した殺人と同じ方法で罰せられます。過失致死犯は次のようにして罰せられます。彼等(朝鮮人)は酢っぱい、濁った、鼻をさすような匂いのする水で死者の全身を洗いますが、彼等はその水をじょうごを使って罪人の喉から流し込めるだけ流し込み、それから胃の所を棒で叩いて破裂させます。当地では盗みに対しては厳重な刑罰が課せられていますが、盗人は非常に沢山います。その刑罰は足の裏を叩いてしだいに死にいたらしめるのです。既婚の婦人と姦通したり、あるいは駆落ちした者は、彼等を辱めるために、両者を裸にし、時には薄い下着だけを身につけさせて顔に石灰を塗り、両者の耳を弓でつなぎ、小さなどらを背中に縛りつけて、それを叩きながら彼等が姦通者であるということを大声でふれながら町中を引き廻し、その後で尻を五、六十回叩いて罰します。・・・国王の、すなわち国家の収入を納めないものは毎月二、三回ずつ脛を叩き、彼等がそれを納めるかまたは死亡するまで続けます。彼が死んだ場合には、親戚が代わってそれを納めなければなりません。したがって国王または国家はその収入をとりそこなうことがありません。普通の罪に対しては尻を裸にして叩いたり、ふくらはぎを叩いたりしますが、彼等はそれを何ら不名誉なこととは考えていません。というのはちょっと何か喋っただけでもその刑を課せられるからです。・・・脛を叩くには次のようにします。まず小椅子にかけさせ、両脚を一緒に縛り、掌の幅ほどの帯で足首の上と膝の下二カ所を縛ります。その帯の間を樫かとねりこの木で作った、腕ぐらいの長さの一端が丸く、指二本ぐらいの幅があり一端がルックスダールデル貨ほどの太さの棒で叩きます。だが一度に三十回以上は叩きません。そして判決に従って三、四時間後にふたたびそれを続けます。このようにして数が満たされるまで続けます。最初から殺そうと思っている者に対しては、三、四フィートの、太さは腕ぐらいの棒で膝に近い所を叩きます。足(の裏)を叩くには次のようにします。まず地面に坐らせ、両足の拇指を一緒に縛り、それを腿の間に立てた木でもち上げます。そして太さは腕ぐらいあり、長さは三、四フィートある丸い棒で、足の裏を判事が満足するまで叩きます。彼等はこのようにして罪人を処罰するのです。尻を叩くのは次のようにします。すなわち彼等にズボンを下げさせて地面に平伏させるか、または台に縛りつけます。婦人は恥ずかしくないように下着を一枚だけつけせさますが、叩きよいようにまずそれを濡らします。そして長さ四、五フィートの一方は丸く、一方は掌ぐらいの幅で、小指ほどの厚さの棒で叩きます。こうして一度に百回も叩くとほとんど半死半生になります。(しかし多くの者は五十回も叩かれないうちに死んでしまいます。)・・・。」(朝鮮幽囚記 ハンドリック・ハメル著 生田滋訳 平凡社 41〜43ページ)

実にひどいというか、叩くのが好きというか、何でも「叩く」で刑罰が統一されていてよく分かりません。
国王に対する反逆だろうが、ちょっと何か喋っただけだろうが、とにかく「叩く」のです。
これほどハメルが鮮明に記憶しているのを見ると、朝鮮ではかなりの頻度で「叩く」という刑罰が行われていたのでしょう。
しかも、相手をほとんどの場合、殺してしまいます。まさに「叩き殺す」のです。
日常生活の中で行き当たりばったりに叩かれてはたまりません。
こういう生活を13年も経験してしまえば、ハメルも朝鮮人に対してろくな感想を持ちません。

「彼等(李氏朝鮮国の人たち)は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。他人に損害を与えることは彼等にとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていません。」(同書 52ページ)

オランダ人は日本との交易は行いましたが、結局李氏朝鮮とは交易しませんでした。
この書物はオランダの人にかなり影響を与えたようです。
叩かれたくないですから。

「中等家事」

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『中等家事』となってますが、この教科書は女生徒向けに書かれているので、たぶん、高等女学校あたりで使われたのではないでしょうか?
昭和19年の2月に発行されてますので、もし使われたとしたら昭和20年度になります。
つまり、日本が戦争に負けた年ですね。

この本は全く使われた形跡がありませんので、もしかしたら、実際に教育の現場でこの教科書は使われなかったのかも知れません。

いろいろと説明があったあとに質問があるという、まあ、ふつうの教科書なんですが、答えがないので、今となっては何が答えなのか分からない問題もあります。
例えば
「わが国の祝祭日は何々ですか。それはどういう意味の日ですか。」
これは今の教育を受けた人にはまるで答えられないのではないでしょうか?

「きまった祝祭日以外に国旗を掲げることがありますか。それはいつですか。」
難問です。今でも祝日には国旗を揚げることになってますが、それ以外にもあったんですね。
誰か答えられる人、いますか?

「郷土の氏神祭の日とその祭神とを知っていますか。」
うちなんか隣に神社がありますが、いつが氏神祭なのか知らないよ?と言うか、今時の人は自分の氏神がどこなのかも知らないと思います。
と言うより、こういう問題のどこが『家事』なのか分かりません。

戦争も敗戦の色が濃くなった昭和20年ですので、教科書もかなりエキセントリックになってます。
この教科書の出だしもすごいです。

「一 わが国の家と女子

(一)わが国の家の美風

 私どもの家では、毎朝宮城を遙拝し、神棚に礼拝をします。また、祝祭日を始め、国家的行事の日には家ごとに国旗を掲げます。これらのことは、私どもの家が、皇室を宗家と仰ぎ奉って、皇運の扶翼(ふよく)にいそしむ家であること、言いかえれば、国と家とが一体であることを示すものであります。・・・かように国と家とが一体であること、また祖先と子孫とが一体であることが、私どもの家の、世界にすぐれて美しい特質でありまして、忠孝一本ということも、ここに成り立っているのであります。即ち、私どもが君国に忠を励むことは、祖先の遺風を顕すものとして、そのまま祖先に孝を尽くすことになり又、私どもが祖先の志を継いで、忠良な子孫をりっぱに育てていくことが、そのまま君国に忠を尽くすことになります。・・・」(原文は旧かな、旧漢字なので改めました)

こんな出だしでは勉強する気が失せるのではないかと思います。

とは言え、さすが『家事』です。
こんな質問もあります。

「背負った幼い子供が眠って、首を折れそうに後ろに倒すことがあります。これを防ぐにはどうすればよいでしょうか。」
「掃除の時に出たほこりや屑物を始末するにはどんな注意がいりますか。衛生・廃物利用・廃品回収の点からも考えてごらんなさい。」
「防空・防火用具はどんな場所に、どう整理しておけばよいでしょうか。」

「防空」というのはちょっといただけませんが、その他の所は今でも十分に通用しそうです。

「障子を張る時、上の方から張るとどんな不都合が起こるでしょうか。」
知りません。

「張った障子を、乾かさないうちにはめるとどうなりますか。」
うちには障子がありません。

「1リットル(約五合五勺)の容器に、米をできるだけ詰めた時と、軽く入れた時とで、重さが幾グラム(匁)違うか、測ってごらんなさい。」
それって、詐欺と違うか?(笑)。

ま、とにかく今では味わえない『家事』がそこにあったのでした。

子供の民俗誌

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昔の子どもの遊びを紹介した本です。

今なんか、日本全国どこに行ってもテレビゲームだのテレビアニメのキャラのゲームだの同じような事をしてますが、さすがに明治時代くらいですと全国一律と言うわけにはいかなかったようです。
それぞれの地域で特徴のある遊びが行われていたみたいです。
ま、昔も今も変わらないのはガキの頃から賭博性の高い遊びをやっていたこと。

私の住んでいる愛媛では

「字かぬか」
と言う遊びがあったらしいです。

「この遊びは明治の初年頃まで流行った正月遊びだという。『字かぬか』という意味は『字かそうでないか』、『字か否か』ということらしい。親があって、それぞれの子が銭(一文銭)や、みかんなどを平等に張る。」

要するに博打そのものです。何だかガキのくせに土場を張ってるみたいですね。

「子が次々に銭(一文銭)をはじかせて字(表)が出たら、親の手元にある金品を全部取る。字(表)が出ないで裏が出たらそのまま親元に積んでおく。だれかに全部取られたら、また割り当てをきめて遊びを続行する。」

これはふつうに丁半博打じゃないでしょうか?(笑)。
愛媛県全域でこういう事がおこなわれていたそうです。
しかも、子どもの遊びと称して『老若男女を問わず農村にも漁村にも広く行われた』とあるので、かなり浮かれていたんではないでしょうか。

娯楽と称して博打をするのは昔からの習慣だったようです。
博打というのは基本的に単純なルールの奴の方がはまってしまうみたいです。
一文銭が表になるか裏になるかだけで戦われるので、単純明快。
おそらく朝から晩までやっていたのだと思われます。

どうせ、一文銭とかみかんとか言いながら、そのうちに今の価値ならなら10万円とかそんな高価なものは賭けられていたに違いありません。
博打というのはどんどん賭け金が上がっていくのが通常です。
知らない間に子どもは身ぐるみ剥がれて、しまいには人身売買にまで至ってしまったのだろうと思います。

なんせ、この「字かぬか」と言う遊び(博打)は日清戦争後賭博的遊技だというので、なんと法律で禁止されたのでした(笑)。
ガキの遊びが法律で禁止されるなんてことはありません。
どう考えても大人の破滅的な博打に決まってます。

もう少し健全な遊びをしましょうね。

6000コメントありがとうございました。
踏んだのは自ら告白されているようにdecoraさんでした。

プレゼントに、1週間以内に、そちらの地方に雨を降らせてあげます。
雨が降ったら私のプレゼントだと思って下さい。

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