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古代史ファンには絶対必要な一冊。 「魏志倭人伝」その他です。 「だからさあ、こう言うのって歴史資料集の要約でいいんじゃねえか?」 「管理人さんとしては本物を持っていたいらしいんですよ。」 「オレはよ。もっと膨大な資料かと思ってたよ。いろいろ合わせてしかも解説までついて、200ページないぞ?昔の人は文章を書くのが苦手だったのか?」 「さあ?言われてみたら中国の古典と言われるような書物はそんなに分量はありませんよね。」 「だろ?分量が多いと思ったら注釈だの解説だのがずらずら並んでるだけで本編は短いな。あれって印税の関係か?(笑)。」 「え?印税ってどういう決まりなんですかねえ?」 「そりゃ原稿用紙1枚であの人ならいくらって決め方だろ?だったら分量が多い方が印税も多いはずだ。」 「でも、魏や後漢や宋や隋の時代にはぜったい著作権なんかありませんよ。」 「何言ってるんだよ。中国には今もって著作権なんかねえよ。知らねえのか。」 「あ、ごめんなさい。著作権なんて言った私がバカでした。お願いですから中国ネタはやめて下さいね。」 「しかし、昔の中国は進んでいたんだよな。日本が邪馬台国がどうのこうの言ってる時代にすでに『三国志』の時代だろ?曹操だの劉備だの諸葛孔明だの関羽だのその他諸々の連中がいっぱい中国にはいたわけだ。しかもそれが書物として残っている。それに比べて日本は遅れてるよな。」 「まあ、ある意味仕方ないですよね。日本は僻地ですから。」 「しかし、オレとしてはその僻地ってのがよく分からねえんだよな。考えて見ろ。太平洋に面してるんだぞ?これはある意味ものすごく開けた土地だろ。」 「いや、だから昔の人は海を大きな船で行ったり来たりはしてませんから(笑)。」 「比較の問題だな。おまえ、砂漠を歩きたいか?」 「え?まあ十分な装備と水を準備していれば大丈夫かも。」 「バカか。その砂漠がどれだけ続くか分からないし、その先に何があるのかも分からねえのに十分な装備もクソもねえだろ。だったらオレは海を選ぶね。海水を蒸留させながら釣りをしてたらそのうちどこかに漂着するんだよ。」 「昔の人はそんな事思ってませんよ。世界は1枚の円盤で真ん中に大地があって周りが海なんですよ。で、円盤の最後は海が奈落の底に滝になって落ちていくんですよ。そんな世界観を持ってる人がどうして海に向かって出て行くんですか。」 「そりゃおかしいだろ!そんなに大量の海水が奈落の底に落ちていくんだったら海水はいったいどこから湧いて出るんだよ!」 「そんな事知りませんよ。昔の人に聞いて下さいよ。」 「オレとしてはゾウや亀が世界を支えてる方が納得だな。」 「地球を支えるほど大きなゾウがいると思うのもどうかと思います。しかも亀なんか地球より大きいじゃないですか。」 「だが、おまえ、奈落の底に落ちるより、でかい亀に会いたいと思わなねえか?」 「まあ、会いたいとは少しだけ思いますが、相手は地球よりでかいんですよ?もし、地球をの果てまで行って亀に会ったとして、尻尾だったらどうします?亀さんに『お願いですからこっち向いて下さ。」とか言うんですか?(笑)。で、亀さんが願いを叶えてくれたらどうなると思うんです。地球を支えてる亀が180度回転するんですよ?地球は悪くすると亀から落ちるかもしれないでしょ?」 「もともと亀は宙に浮いてるんだろ?地球は落ちないぜ。安心しろ。」 「宙に浮いてるんだったら支えてる意味がないじゃないですか。絶対に落ちるはずです。」 「じゃあいいぜ。落ちることにしようじゃねえか。で、いったいどこに落ちるんだ?」 「そんな事知りません。昔の人に聞いて下さいよ。」 「同じ事を2回も言うな!」 今だったら笑い話で済むような話しでも、昔の人にはものすごく難しい話しだっただろうし、うかつに話すと命が危なかったりしたんだろうと思います。 さて、『魏志倭人伝』はどこまでが本当の話なんでしょうか? |
私の本棚
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1910年の日韓併合以来、朝鮮半島は朝鮮総督府によって運営されました。 その時に教科書も編纂されました。 この膨大な資料が今回の一品。 「朝鮮総督府編纂教科書1922〜1928年」 です。 これって、復刻版なのですが、全部で66冊あります。 通常この本は揃いで9万円以上するんですが、何を思ったのか、と言うより、明らかに間違った値段で売りに出されていたのを押さえました。 これでいいのか?と思うような値段です。実売価格の10分の1くらいですね。しかも、新品でした。 朝鮮半島で日本帝国主義は朝鮮人の名前も文字も奪ったと韓国では言われています。 「わが民族は日帝の内鮮一体(日本と朝鮮が一体になること)、日鮮同祖論(日本人と朝鮮人は同じ祖先を持っているという考え)、皇国臣民化のような荒唐無稽なスローガンのもとで、わが国の言葉と歴史を学ぶことが出来なかった。また、皇国臣民の誓詞暗誦、宮城遙拝、神社参拝はもちろん、はなはだしくはわれわれの姓名までも日本式に変えるように強制した。日帝はこれを拒否する人に対しては投獄、殺傷までも躊躇せず、このような政策に従わない宗教系統の学校は閉鎖された。」(『韓国の歴史』国定韓国高等学校歴史教科書 397ページ) この引用は、韓国の高校の教科書の翻訳文で、韓国で教えられている歴史です。韓国には国定の教科書が1種類しかありませんので、高校生は全員この教科書で教育されます。 この教科書によると、朝鮮半島の人は日本に支配されていた間は文字も歴史も教えられず、拒否した人にはひどい目に遭わせたと書かれています。 また、日本の教科書にも同じような記述が見えます。 ところがこの教科書(修身:道徳の昔の呼び方)を見ると、文字を奪ったというのはウソだと言うことが分かります。 児童用のふつうの教科書と、教師が使う指導書をお見せします。 5枚目の児童用の写真で明らかなように、上段には日本語で、下段にはハングルで 「ゴミを道に捨てると通る人が迷惑します。」 と書かれています。 韓国の人が声高に「文字を奪われた」と主張する朝鮮総督府支配下の教科書には実は日本語とハングルが併記されていたのでした。 しかも、6枚目の教師用の教科書にも日本語とハングルが併記されています。 教師用に日本語とハングルが併記されているのは、おそらく、朝鮮人の教師にも分かるように配慮されたものだろうと思います。 もし、日本帝国主義が韓国教科書通りに 「日帝は世界史でその類例を見いだせないほど徹底した悪辣な方法でわが民族を抑圧し、収奪した。これによってわが民族は生存権まで脅威にさらされた。」(『韓国の歴史』390ページ) で、あるなら、なぜ朝鮮総督府はハングルを教育に取り入れたのか、あるいはなぜ朝鮮人を教育しようとしたのかが分かりません。 学校に児童を通わせる余裕がある家を指して「生存権の脅威にさらされ」ているとは言いません。 少なくとも、朝鮮半島では朝鮮人を含めて普通学校は義務教育でした。 少し韓国の歴史教科書はおかしいのだろうと思います。 この辺の事が明らかにならないと、本当の意味での日韓友好はないだろうと思うのです。 |
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昭和13年に発行された今で言うところの「歴史資料集」でしょうか? 「帝国書院編集部編 新選 歴史精図 国史之部(新制版)」 です。 昔も今も変わらず帝国書院は使われていたのでした。 多くの中高生をいじめ抜いた(笑)歴史資料集はすでに戦前からあったのでした。 しかし、今と戦前で大きく違ったのは歴史観というか歴史的事実を書くかどうか、と言う点でしょうか? 2枚目の写真は縮小してしまったので見づらいと思いますが、 「国史年代図表」 です。 横にして撮影したので、ますます見づらくなっています。 いろいろ突っ込みどころの多い図表です。 昭和13年ですので、右(上)に皇紀(神武天皇が即位したとされる年)の年代が書かれています。下(左)が西暦です。 神代の時代から続く日本の歴史の正当性を強調したいのは分かりますが、こりゃいくら何でもやりすぎですよ。 この図表には縄文時代も弥生時代もありません。 なんと、その昔は天皇御親政だったのです。 おそらく、縄文土器とか弥生土器を持って天皇陛下が何かを伝えたのだろうと思います。 大きな銅鐸とか銅剣を振りかざして 畔放(あはなち:畔を壊すこと)を見かけたら怒鳴りつけ 溝埋めを見かけたら迷惑なことはやめろと言い 樋放(ひはなち:樋を壊すこと)を見かけたら、せっかく作ったのに何をするのだ!!と教え諭し まあ、そんな事をしながら1日が終わったんだろうと想像したら、それはそれで非常に怖いことなのでした。 でも、やはり、見落としてはいけないのは最後の 「世界五大強国興起」ではないでしょうか? こりゃ、いくら何でも無理。 日本だけ飛び抜けて歴史があるように見えます。 ギリシャ・ローマはどうなった!とか、エジプトはどうした?とか聞いたらダメみたいですね。 まあ、上に「支那諸国興亡」とあるので、大日本帝国も中国には負けているのを認めているのでしょうか? 細かいところをつつけば、日本ではまだ神が直接政治をしてるのに、中国では周という国があって人間が治めているのは不思議だなあ、とか思ったらきっと非国民なんでしょう。 ナショナリズムもあんまり煽るとひどい目に遭うという実例でしょうか? 神は神でそっとしてあげましょうね。 |
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「こりゃまたまるっきり違う分野の本を買いましたねえ。『日々の考古学2』ですか?東海大学文学部考古学研究室の編集になってますね。あなた東海大学と関係あるんですか?」 「ないよ。いいじゃないか。こう言うの好きなんだよ。」 「まあ、いいですけど。でも、考古学に興味があるとは知りませんでした。」 「アホやなあ。人間だったら自分の先祖がどういう生活をしていたかはそれなりに興味があるだろうよ。で、昔の人がどうしていたかを知るには2つの方法がある。一つは古文書を研究する。もう一つは遺跡を実地で調査する。オレとしては実地で調査する方が好きだ。」 「外出るの嫌いなくせに(笑)。」 「例えばだ、お前、『古事記』を知ってるか?」 「失礼な!それくらい知ってますよ。」 「で、中身についてどう思う。」 「どうって、まあ、作り話じゃないんですかねえ?」 「今の時代の人にとってはどう考えてもおかしな所があるよな。例えば、冒頭の「天之御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)なんか、天地が出来ていきなり現れるわけだ。で、現れたはいいんだけど、消えて無くなるわけだ。これっておかしいだろ?天地に一人だけ現れて何の痕跡も残さずにいなくなってしまったわけだ。どうやって証拠を見つける?」 「分かりません。」 「だろ?今の時代の論理では説明不能なわけだ。だがな、少なくとも『古事記』が成立した時代の人にとってはそう言う事を言われてもふつうに受け入れる共通観念みたいなのがあったんだよな。じゃないといくら何でもでっち上げでは見向きもされない。」 「でしょうね。おそらく、その時代の歴史みたいなものを反映していたんでしょうね。」 「じゃあ、なんでその時代の人は理由はともあれ、『古事記』を信用したのかが問題なわけだ。こちらの方は文献では分からない。古代の人たちの生活を再現してそう言う生活のあり方がそう言う意識のあり方を産み出したのだと説明しないとどうしようもないわけだ。」 「あなた、本当に無神論ですね(笑)。」 「だってそうじゃないか。生活実感のまるっきり伴わない伝承なんかすぐに廃れるよ。誰も信用しないからな。ま、『古事記』は権力基盤の証拠みたいなものだから伝承もクソもないけど。」 「まあ、正史ってのはそう言うものなんじゃないですかねえ。」 「だが、民間伝承みたいなのは、絶対にその時代の生活実感を伴ってるはずなんだよ。で、それは実地で調査するしかないんだ。とすれば、考古学は伝承を理性で捉えようとする試みだよな。オレとしてはそう言うのは好きだ。」 「じゃあ、桃太郎なんかどうなんですよ。」 「『昔々、おじいさんとおばあさんが住んでいました。』でかなり時代が特定できるだろ?おじいさんとおばあさんが二人暮らし出来ると言うことは、それなりに生産力が向上していたことを意味してるはずだ。少なくとも縄文時代にはこの発想はない。みんなで生活しているし、おじいさんとおばあさんだけでは生きて行けない。で、『おじいさんは、山に柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に行っていました。』と続くわけだから、社会的分業が成立しているんだよ。柴刈りだけで生きていけないだろ?柴を何かと交換しなければならない。しかも、柴を交換することでおばあさんは家事労働をするゆとりがあるわけだ。これはかなり生産力のある社会だろうと推測されるわけだ。」 「そう言う考え方では昔話はおもしろくないじゃないですか。」 「まあ、いいから聞け。川に洗濯に行っておばあさんは、くそでかい桃を持って帰るわけだ。その桃をどうしようとした?」 「え?割って食べようとしたんじゃないですか?」 「そうだ。鉈か包丁かそんなのはどうでもいいけど、とにかく何らかの金属製品が家にあったわけだ。個人が金属製品を所有できると言うのは実際かなり新しい話しだぞ?平安時代にはちょっと無理っぽいだろ?鎌倉時代でも果たしてじいさんやばあさんに金属製品を与える余裕があったかどうか怪しい。」 「てことは、桃太郎って室町時代に成立したんでしょうかねえ?」 「さあな。そう言うのはオレの本業じゃないからどうでもいいよ。」 「何ですか!聞いて損しましたよ。」 考古学っておもしろいですよね。 こう言うのを一生研究できるのはある意味幸せかも知れません。 でも、一生研究してもまだ研究が足りないと思われるので、それは、死ぬ時に悔しい思いをするのかも知れません。 ま、どっちでもいいですが、この本はおもしろいです。 『日々の考古学2』(東海大学文学部考古学研究室編)六一書房。ISBN987-4-947743-81-7 ちょっと高いですけど、ぜひともあなたの本棚へ。 |
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明治26年に発行された「日本修身書」の第五巻です。 小学生用に書かれた奴ですので、それなりに読みやすいのですが、果たしてこの教科書がどの程度理解されていたのかは不明です。 ちょっと小学生には難しい漢字が出てますので、読めない人も多かったのではないでしょうか? 「第六課 朋友 善をすすめ悪をいましむるは、朋友の道なり。その過悪を見ながら諫めざるは、信なきなり、朋友に交る道にあらず。 板倉重宗、京都にありける時、江戸の友人某、長崎の官吏となり、道すがら京師に立ちよりて、重宗を訪えり。 重宗古き鏡を取り出し、其の人に示して、『是は、元の長崎奉行竹中重興の贈り物なり、後に余重興が、賄いをむさぼり、身をあやまりしをきき、朝夕之を見て自ら戒めとせり、今之を君に贈りて餞にかう、願わくは、君之を亀鑑として潔白なる名を保たれよ、」といましめたり。 朋友相信じ。」 ていう感じなんですが、ちょっと難しいと思います。 私はあんまり人物に詳しくないのですが、「板倉重宗」って明治時代には有名人だったのでしょうか? それより可哀想なのは、やはり「竹中重興」さんですね。 教科書で名指しで贈収賄の罪を書かれたばかりか、バカにされてます。 この時代には時効はなかったようです。 こういう事が修身の教科書に載ると言うことは、この時代にもかなり賄賂がやりとりされていたのを一般庶民が知っていたのでしょうか? でも、よくよく考えて見たら、この内容で『朋友』と言うのはちょっと分かりづらいのではないかと思います。 よっぽど太宰治の『走れメロス』の方がわかりやすい。 もうちょっと情緒溢れる題材を使って欲しかったですね。 たぶん、この題材で試験なんかあったんだと思いますが、いったいどんな問題を出したんでしょうか? 非常に気になります。 「問 朋友相信じとは如何なる事か。思うところを述べよ。」 とかそんな問題だったら困りますよね。 「鏡は人の心も映し出す恐ろしい品物なり。よりて我、これより先、鏡を持つことあたわず。」 などと解答して怒られるかも知れません。 でも、まあ、『善をすすめ、悪をいまし』めるのは、そんなに行けないことではないので、特に問題はないのかも知れません。 と言うか、こんな時代に教育を受けたら、さぞかし倫理的な人間になったと思います。 いつも、心にやましい思いを持ちながら生きるのはつらかっただろうと思います。 |





