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さて、信長の熱田神宮からの進軍経路ですが、次に寄ったのが善照寺砦。 しかし、なぜ善照寺砦だったのか? 敵に奪取された鳴海城と善照寺砦は、本当に目と鼻の先にあります。距離にして約600m。 ちょっとヤバクないですか?取り掛かられて足止めを食らったらそれでオシマイです。 でも現場を見ると良く分かりますが、鳴海城からこの砦は見えませんし、 古鳴海を通過してくれば城から道程を捕捉されることもありません。 また、それ以上北側を迂回しようにも山であり、速やかな進軍は困難。 やはり桶狭間方面への通過ポイントとして善照寺砦が使い勝手よいわけです。 しかも善照寺砦は南西部への見通しが良い場所。 つまり、桶狭間地区に突入するにはまさに重要地点といえるのです。 ちなみにこれは勝手な推測ですが、善照寺砦は鳴海城に対する付城というよりも、 むしろ、この突撃のための最前線基地としての機能ありきだったようにも思われます。 だって鳴海城の様子も見えないですし、道路封鎖するにもよい場所とはいえないですしね。 最後に中島砦が出てきます。これは善照寺砦を下った500mくらい先。 川を利用した平地の砦で、桶狭間まであと約3Kmの地点。 ここまできたら敵に捕捉されるリスクも高まりますから、 一気に敵本陣めがけて突入したのではないでしょうか。 もし迂回作戦を取るとしたら、ここには入らず善照寺砦あたりから迂回していったのではないかと思われますし。 また桶狭間という場所は、今川義元が三河方面から進軍してきて、大高城か鳴海城いずれかに 進むための分かれ目に位置します。しかもそのいずれかに入城されると、そこから先は清洲までは ほぼ平野となり、大軍を討つチャンスは失せてしまいます。 (新幹線に乗っていくと良く分かります。東京方面から来て名古屋の手前で平野が開ける辺り がちょうど大高です) だから義元がどちらの城に入るか事前に分かっていないのであれば「そこ」で討つしかない。 もちろんそれより西は、今川の勢力範囲内。 まさに桶狭間とは、「そこしかない」地点といえるわけです。 この合戦を前回述べたように、『信長の計画的犯行』と見做すならばこのように、その犯行現場も、 通過点も、かなり周到に練られたものだったと考えたほうが自然ですよね。 ところで。 最近では今川義元の進軍は上洛目的ではなかったと言われています。当たり前ですよね。 そして、これが織田家に対する示威的行動だとすれば、圧倒的な戦力で緒戦で主要な出城を奪い、 丸裸にしてしまえば、一族内での争いもあり離反者も続々出てくるだろう。 そうなれば織田家崩壊近し。そういう計算であり、犠牲の多い本隊同士の衝突は想定していなかったのではないでしょうか。 油断というより、虚を突かれた感じですかね。 PS;実家には、落雷で倒れた善照寺砦の老松で作られた棗(なつめ)があります。いつか奪取しよう(笑)。
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歴史小説大好きで・・・特に織田信長の大フアンなんですよ・・・一度言ってみたいですね・・・桶狭間、関が原、小牧、川中島・・・・・。
2007/1/22(月) 午前 9:03