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名峰次選の山々 第119回 『118 ペテガリ岳』 その2 act 2 北海道
日高山系(日高山脈襟裳国定公園) 1736m コース難度 ★★★★ 体力度 ★★★★★
ペテガリ岳西尾根ルート 行程図
行程表 ※ 実際にかかった時間ですが何か? 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 浦河町・荻伏より車 (1:00)→シュオマナイ沢渡渉点〔登山ルート始点〕 (2:00)→標高680mの分水嶺となる峠 (0:50)→ベッピリガイ沢出合
(0:50)→ペテガリ山荘
《2日目》 ペテガリ山荘 (2:50)→1293m展望所 (2:30)→1230mコル (2:10)→ペテガリ岳 (1:30)→1230mコル (2:30)→1293m展望所 (2:30)→ペテガリ山荘 《3日目》 ペテガリ山荘 (1:00)→ベッピリガイ沢出合 (1:30)→標高680mの分水嶺となる峠 (2:00)→シュオマナイ沢渡渉点より元浦川林道を車 (1:00)→浦河町・荻伏 ※ 前回『名峰次選の山々 第118回 ペテガリ岳 その2 act 1』からの続きです。
《2日目》 ペテガリへ・・ そして『オチャメ』に・・
さて、ペテガリ岳の西尾根ルートは往復に長時間かかるのはこの山に登りにきた者なら周知の事で、皆夜が明けやらぬ3時前よりゴソゴソと出発準備を始めていた。 この早出の流れに乗りそびれて、出発したのは5時半前。 この遅れが、結果として14時間後に『本年度最大のオチャメ』となってしまったのだが・・。 山荘を出ると少しの間沢沿い(この沢が『ベートベン(運命)の沢』だったりして・・)に辿るが、すぐに沢から離れて樹林帯の中に分け入っていく。 この樹林帯に入ってからは散乱した倒木によって道が判り辛く、道に迷ってここでも30分位の時間ロスをする。
この道が何故に迷いやすいのかというと、『ショートカット』と称して、無理矢理に樹林帯を縦に突き進む為である。 正式のルートは沢をもう少し上まで進んで、明確な登山道に合流しているのである。 そして、この『ショートカット』ルートで短縮できる時間は10分程であり、冷静に考えると正規ルートを行った方が良いのかもしれない。 でも、「頂上まで6時間も7時間もかかる」との触れ込みがあると、「10分でも短縮したい」と思うようになるのである。 この樹林帯を縦に突っ込むようにショートカットすると、沢沿いを迂回していた正規の登山道の上に出る。 でも、暗くなる帰りは、この『ショートカットルート』との分岐点を見つける事は困難であろう。 正規の登山道に入ると途端に歩き良くなるが、ジグザグを切っているとはいえ標高1050mの尾根上にあるコブまで高低差600mの登りとなる。 僅か1000mの標高に着くまで、2時間近く登っていかねばならない。 あの尖峰はもしかして目指すペテガリ岳!?
「 この時はまだ絶好調でした この樹林帯の登りは、《標高1050mのコブ》が斜め上に見え始めると樹林帯を抜けて終わりとなる。
ここからこのコブの頂を越えて、続く1293mのコブまで大きくたわんだ尾根の上を伝っていく。
この辺りから、秘峰1839峰やヤオロマッフ岳が見え始める。
疲れ加減といい、朝の爽快さといい、この辺りがこの山行ルートにおける『スイートスポット』みたいである。 そして、バテにバテて帰りにロスタイム際の『オチャメ』をやらかした筆者は、『見れるレベルの写真』はこの辺りでしか撮れてなかったりするのは藪の中に。
でも雲は怪しげな筋雲がたなびき始め・・ 1050mのコブから1293mのコブに連なる草原状の尾根は優しい情景を魅せるが、実際はペテガリ沢とサッピチャリ沢を隔てた屏風状の両側が切り立った痩せ尾根だ。
この情景は1293mのコブに近づくにつれて、草原状の緑の尾根がイッキに800m下へ落ちているのが確認できるだろう。 この1293mのコブに上がると、目指すペテガリ岳が姿を魅せ始める。
ここまでは、所要3時間で体力的な余裕もまだ残っている。 だが、ここからが『消耗戦』となるのだ。 なぜなら、実際はまだ半分もいってないからである。 そして、まだ通算すると標高差にして800mの登りが残っているからだ。
1050mのコブ越しに神威岳方向を望む
ここからは、クマザサの落葉に埋もれる広めの尾根道を2度ほどアップダウンを繰り返す。
どのアップダウンも高低差は100mそこそこあり、距離の割には時間を食う道だ。
この広い尾根道は、《1301m展望所》と呼ばれるコブまで続いており、このコブからはガレたルンゼ状の急坂を一気に150m近く急下降する。
なお、この展望所からは、ペテガリ岳の『最後の雄姿』が望めるらしいが、私の時は曇って何も見えなかった。 そして、何故に『最後の雄姿』なのかは、これからの登り道の状況が端的な説明となろう。
展望所から標高1200mを切る辺りまで急激に下降して、名の無いコルの上に立つ。 このコルから、ササ藪に埋もれたルンゼ状の急坂を500m以上登っていかねばならないのだ。
クマザサはブッシュとなって前進を妨害し、その落ち葉は泥濘んで滑り易くなり、視界はクマザサに覆われて皆無だし、そして蒸し暑い・・の4重苦だ。
なぜなら、最後の詰めで500m以上のイッキ登りが待ち受けているのである。
先程に『最後の雄姿』と述べたのは、今のメタボッティな状況ではこの登りでヘバってしまって『山の雄姿』どころではなくなるからだ。
ドス黒く曇った空が今のヘタレ(筆者)の心境ですね この登りは、空身でもヘバってしまう位にキツイ。 ハイマツの丘となるペテガリ岳の頂上丘に出るまでに標高差400mあるが、これを喘ぎ登りきった瞬間に、周囲の情景も相俟って「意識が飛んだか」と思ったよ。 それは、ガスに巻かれて上方が全く見えず、なおかつハイマツの急坂がまだ延々と続いているからだ。
要するに、「意識が飛んでしまったか!?」と錯覚する程に白霧の世界が視界を覆っていたのである。 この情景には音を上げそうになったよ。
ハイマツと白霧で『クタびれ儲け』な情景だった 暫くすると、先行登山者の折り返しとすれ違うが、皆揃ってクタびれ果てている様子だった。
恐らくこの人たちも頂上での展望は白霧で、『クタびれ儲け』だけだったのだろう。
このハイマツの丘の急坂を30分ほど(感覚でこれ位かかったと思う)登りつめると、横に長い板にコミカルに『ペテガリ岳』と書かれた頂上標のあるペテガリ岳 1736メートル の頂上に着く。
只今12:30過ぎ・・。 山荘から7時間10分という時間をかけて、ようやく「遥かなる山」の頂に立つ。
でも、この山の標高は、中央高地の山々の登山口程度の標高なのだね。
だが沢を渡り、分水嶺の峠を越え、建設放棄された林道を伝い、繰り返しのアップダウンで獲得標高差がこの山の標高に達する程に登らねばならないこの山は、真に「遥かなる山」なのだ。
あまりにも「遥かなる山」だったペテガリ岳頂上にて・・ 辿り着いたペテガリ岳の頂からは、先程すれ違った先行の登山者と同じく『白霧の世界』で展望は皆無だったし、時間もかかり過ぎてすぐに折り返して下り始めねばマズいのは解っていたが、それでも頂上で何をするでもなく呆然とたたずむ。 なぜなら、こんなシンドい山をすぐに引き返しては、「シンドかった元が取れない!」という下心に支配されたからである。 そして、帰りに「JR北海道の特急車両キハ183系と同じハメとなる『オチャメ』」に遭う・・という流れに陥るのであるが。
約45分近く呆然と佇み、13:15に下山を開始する。 でも、この下り始めの時間は、「登りで7時間かかったし、下りが特別遅い筆者 じぶん ならば、確実に日没に間に合わないようになるな」と直感したよ。 要するに、「JR北海道の特急車両キハ183系と同じハメとなる『オチャメ』」に遭う・・という『フラグ』がはためいたのである。 ハイマツの頂上丘を下り、あのクマザサに覆われた400mのルンゼの急坂下りを下っていくが、ここで殿で登ってきた登山者2名とすれ違う。 それはこれよりの道程の『五里霧中』を端的に表していた この方たちは水持参で、頂上丘でテントを張って泊まるらしい。 正直言うと、ヘタったワテならば無理に日帰りなどせずに、この方式を取れば良かったよ。 テント担ぎならば、これより3時間遅れて頂上に着いてもまだ日没前なのだし。 でも、水3.5リットル=3.5kgと幕営用具一式担がねばならないね。
しかし、頂上から2時間半も先の水のある《ペテガリCカール》までは無理かな。 頂上からの500m以上の急下降を『ヘバった後の惰性』で乗り切り、最低点のコルに着く。 ここもテント場としては使えそうだが、生憎空身でビバークグッズを持ち合わせていない。
なので、これより2度のアップダウンを含めた上り300m、下り1100mの試練が待ち受けている。
取り敢えず、最後のジグザクの下りまでの稜線上は日のある内に越しておきたい。
できれば、薄暗い中でもほんのりと残照のある内に山荘に戻り着きたい。
その時刻は、恐らく19時前だろう。 「頂上から6時間足らず・・か」、「下りが特別遅いワテでは、頂上での45分はチト無謀だったか」とブッブツ念じながら歩いていく。
・・で、1293mのコブまで休憩も取らずにゆくが、時間も『休憩』を取ってくれずに刻々と過ぎて、このコブに着いたのは17時前。 頂上から4時間近く歩きづめでさすがにクタびれて、水筒の水を口にする。 水は2リットル持ってきたが、まだ500cc余ってる。 こんなキツい行程だったが、不思議に水の消費は少なかったようだ。
ここからたわんだ尾根を伝って1050mのコブを越えて、許容限度である「日没までに尾根を越す」というリミットはクリアできた。 でも、これは最低限度であり、これからの650mの下りで確実に日没時間を越えてしまうだろう。
案の定、この下りの2/3を下った辺りで日は落ちて、薄暗くなってきた。 そして、行きに『ショートカット』で樹林帯の土手を直登した所は暗くなってその分岐点が発見できずに、正規の登山道を直進する事になる。 でも、この『行き』でも迷った『ショートカット』に入り込む方が危なかっただろう。 それは、「真っ暗闇での不明瞭な急傾斜の森の中・・」を行くなんて、思いっきり自殺行為だからである。
・・で、この正規の登山道を伝って、運命の山荘に向かって流れる沢沿いに出る。
カンテラを着けて浅瀬の小川のような沢を登山靴のままで4〜5回渡っていくが、運命の4回目の渡渉で同じく遅れた登山者の照らすカンテラの光が目に入った瞬間、その光に「山荘はもうすぐだ!」と喜びいきり立った瞬間・・、柔道の『出足払い』を受けた様に身体が真横に飛んだよ。
でも、置かれた状況は真にコレでした ハイ・・ その『出足払い』を仕掛けたモノはまろやかにツルツルに磨かれた沢の一枚岩であったが、この『出足払い』で真横に浮いた身体は約1mの高さから、このまろやかな一枚岩にモロに叩きつけられたのであった。 『出足払い』が決まった瞬間、息が止まったのを実感したよ。 かなり痛かったがすぐに起き上がり、先程の先行者のカンテラの光を追って歩き始める。 追い始めると、程なくカンテラの光が動かなくなった。 なぜなら、この現場から山荘までは、僅か2〜300mほどしかなかったからである。 ・・19:20。 真っ暗闇の森に、煌々と灯かりを灯すペテガリ山荘に何とか辿り着く。
最初くらいは山の余韻を・・ 《3日目〜帰路》 『オチャメ』を負いながらの沢下りと輪をかけて『オチャメ』な帰路
山荘に着いてからだが、始めはさほど痛くはなかった。 明日登る予定の宿泊者が暗闇となってから戻り着いたワテに、「そんなにかかるのですか?」などとコース概要の質問をしてきたが、それに答える余裕もあった。 だが、時間が過ぎて就寝時間となって寝転がる段階となると、脇腹を絞られるような痛みが始まった。 その痛みは、数学でいうX軸を経過時間とした『放物線』のように増していって寝転がる事ができなかったのである。 もう、山荘の居間の壁にもたれ掛かるのが精一杯だった。
そして、冷たい汗が大量に噴き出て来た。 どうやら、「折れてるみたい」である。
※ グーグル画像より拝借
もう、暑くて寝れないので外に出て、山荘のテラスにゴザを敷いて転がる。 シュラフを下に敷くと、何とか寝転がれたのである。 でも寝れない。 当然か。 今、真に今年の春に起ったJR北海道の特急車両キハ183系のエンジンと同じく、『腹から火を噴いている』のであるから。 キハ183のコレに例える事ができるでしょう
※ グーグル画像より拝借
・・で、今日登る為に出発準備する者のガサゴソ音がコダマする時間帯となるが、一睡もできなかった。 でも、昨日に頂上を極めたのだから、このヒト達に付き合う必要はない。
このヒト達が薄暗い内に発ってから、7時位までウトウトする。 3時間ほど寝れたみたいだ。
そして、7時過ぎ。 これより重大な決断を迫られる。
それは確実に折れて火を噴いている状況での今後の方策である。 一つは、今から沢を下っていく登山者に「ケガ人一丁!」の言づけをして、山荘で沈殿して救護ヘリを待つという『泣き』を入れるか、それとも頑張って腹から火を噴いたまま、沢を下って自力生還するか・・である。
ここで考える。 もし、「ヘリを呼んだ」なら、北海道なのでヘリの費用はタダだ。 これは一度経験しているので知ってるし。 だが、シュオマナイ沢の前に置いてきたレンタカーは返却不能=自走不能の事故扱いで免責5万円、へりで病院直行で入院しようものなら、医療費はウン万円。 そして、入院沙汰になったら、盆休み明けの仕事は長期休暇を余儀なくされて肩身が狭くなるし。 下手すりゃクビだね。 そして、笑いモノになるのは必定。
一方、「沢を下って自力生還」であるが、辛く苦しいだろうねぇ、骨折れたまま沢下るのは・・。 あの分水嶺の土手を越えれるかねぇ。 ロープ持って、身体を引きずりあげなけりゃならんし・・。
でも、レンタカーの違約金と医療費は払わないで済むし、仕事もこの事を隠し覆せば笑われずに済むし、最悪の『クビ』もない・・などと、真剣に状況比較するこのタワケ(筆者)であった。
そうこうしている内に、出発と設定した時刻の8時が近づいてきた。 そして、『言づけを頼むべくの下山者』も早々に山荘を発っていったので、なし崩し的に「ヘリを呼んで・・」案は却下となり、「根性の自力生還」案の採用となる。 でも、3時間近くウトウトしたのが良かったみたい。 ペッピリガイ沢までの4.5kmの砂利道は、何とか普通に歩けた。 う〜ん、池口岳とかキツい所をこなしてきたから、体力ついたのかも・・。
でも、あの『奇跡の体力』には遠く及ばないが。
・・で、これより、『勝負』の分水嶺越えである。 心配は先述のように、分水嶺の上に這い上がる際にロープをつかんで身体を持ち上げる事だ。 ズリ落ちたらかなりのダメージをもらうし、ロープを手繰った時に腹から火を噴いたら確実にズリ落ちるのである。 要するに、失敗は許されないのである。
※ グーグル画像より拝借 そんなしょうもない事を妄想していると、分水嶺へ向かうの沢筋自体を間違えて、ズリ落ちる以前に流木のブッシュが激しくなって前に進めなくなったよ。 これで、腹から火を噴いた状態には更に「痛い」約45分のロスとなる。
先程に「痛い」と言った如く、このロスはかなり具合が悪い事なのだが、この筆者はドツボにハマればハマる程に冷静になれる特典があった。 ・・というより、普段は何の問題のない所でも慌てふためいて必ず『オチャメ』るのに、一度『オチャメ』ると冷静さを取り戻すのである。 まぁ、あれ程・・、中には『死亡フラグ』モノの『オチャメ』を数多くカマしながら、のほほんと反省もなく過ごしている点から鑑みてもそうだと思う。 でも、反省がないから、前回の記憶が抜けきらぬ内に再び同じ『オチャメ』をカマシて、『遭難フラグ』や『死亡フラグ』を乱立させてるけど。
この入り込む沢筋の間違いで最もキビしかったのは、引き戻す際に跨ぐ流木のブッシュだったよ。 なぜなら、流木の枝を掻い潜る時に『JR北海道183系の如く火を噴いた脇腹』を捩らねばならないからだ。 この時解ったよ。 ブッシュの通過は、上り時より下り時の方が身体を屈めなけりゃならん・・という事を。 真に、「体験は知識の源」ですな、アッハッハ・・(悶)
退き戻って、正規のルートを分水嶺の土手まで登りつめていく。 この分水嶺の土手の登りは正直言うと知床岬の観音岩の崖より厄介(垂らされたロープが短いし、足場がネトネトの粘土質)なのだが、今回主役の『JR北海道183系の如く火を噴いた脇腹』は先程のブッシュ潜りで体験した痛みで学習したのか、このロープを手繰り登っていく崖ではさほど「太鼓を打ち鳴らさなかった」のである。 先程のブッシュの掻い潜りに比べたら、かなりマシだったのである。
この事で、この沢筋の入り間違いも「痛みを理解する」という役に立ったのだから「ヨシ!」とする自分のミスにトコトンまで寛容なワテであった。
この分水嶺を越えると、そろそろにこれからペテガリ山荘に向かう登山者のトップ集団とすれ違う。 これよりペテガリ山荘に向かう方達は『上り』で、ワテは下りである。 そして、ワテは下りの技術がヘタ極まるのに加えて、脇腹が「熱く燃え盛っている」状況である。 ここで考えたのは、滑り落ちたりしてこの人達と接触してしまうと、腹が捩れて「盛大な大太鼓が響き渡る」って事だ。
そうなると当然に『ノタ打ちまわる』事となって、その『ノタ打ちまわる』醜態を晒したならば、接触した当事者は元よりすれ違う他の登山者も騒ぎ出して、「レンタカー代や入院費をケチるべく、ヘリを呼ぶのを回避した努力が水泡に帰してしまう」という事だ。 筆者(
分水嶺の土手を乗り越えて沢筋に降り着くと、道標リボンも段違いに増えてきて道に迷う心配は小さくなる。 それでも、行きに歩いた「林道建設の飯場ではないか?」と記した平坦な丘状の台地でも進路を見失いかけて迷って彷徨うのが、この筆者( ・ ・で、最後の本沢を渡って、車を置く林道に戻り着く。 時間は12:30。 「JR北海道183系の如く火を噴いた脇腹」での沢下りの所要時間は4時間半と、登る沢筋を間違えた時間ロスを差し引けば下手すりゃ行きの健常時より早かったりして。 まぁ、標準コースタイムは3時間半らしいけど。
〔名峰次選〕の最大の難関峰を踏破できました 車に戻って、沢装備から「一応」列車に乗れる姿に着替えた後に、レンタカーを返すべく苫小牧に向かう。 途中で「背負う荷物を郵送で送って空身で帰ろう」と思いついて静内の郵便局に入るが、ここでも墓穴を掘ったよ。
シュラフやザック、着替え、雨具、食器と渡渉靴は受け入れてもらえたが、カメラ一式・ガスコンロ・燃料ボンベ、鍋と「本当に送りたかった重量物」は『危険物&壊れモノ』として郵送物受入れを拒絶されたのである。 これで、手提げ袋に入れたカメラ一式など重さ約10kgを提げて帰らねばならなくなったのである。 こんな事なら、背負えるザックの方が良かったかも・・である。
何とか車を16時前の予約終了時間ギリギリで返却し、『JR北海道183系の如く火を噴いた脇腹』を見てもらうべく苫小牧市内の総合病院を当たる。 でも、15時でお終いだって。 まぁ、世の中が総休暇の『盆休み』だから仕方ないか。 これで『判決確定』は、自宅に帰ってからの持ち越しとなった。
後は札幌で22時発の急行【はまなす】に乗って帰るだけだが、健常な身体なら札幌で打ち上げでもするのだが、この『JR北海道183系の如く火を噴いた脇腹』ではそれも叶わず、苫小牧近くのスーパー銭湯でフロに入り(浮力がついて気持ちよかった)、急行【はまなす】発車の30分前に札幌へ。 でも、「自由席は寝苦しくてイヤ」というヘタレ思考に慄いて、行きの時点で指定席買っといて良かったよ。 自由席なら立ち席で死ぬか、それを防ぐ為に2時間以上前から札幌に向かって『火の噴いた腹』で列車待ちで並ばねばならなかっただろうし。
帰路に向かうワテは真にこの状況だね ※ グーグル画像より拝借 さぁ、これより魚雷が炸裂して火を噴く脇腹で、先程に述べた重さ約10kgの手提げ袋を提げて列車を乗り継ぐ『荒行』が開始されるのである。 この荒行を実行した理由は、もちろん現在手に持つ『普通列車専用切符』を放棄してシンカンセンに乗る金を惜しんで・・である。 そして、この『荒行』のミッション最大の難関は、翌朝に通過する盛岡駅である。 この駅はシンカンセンのお陰で、見事に在来線が第三セクターの別会社として分断されているのだ。
それは、新幹線の開業以来別会社となって完全に改札口が隔離された『いわて銀河鉄道』の乗場より、階段を昇ってJRのコンコースに上がり、JRの改札を通って東北本線の在来線ホームに降りて接続する北上方面の普通列車に乗り継ぐのだが、この乗り継ぎは先着100名様位までが座席をゲットできるのである。 乗客は約120名位か・・。 従って、20数名が『残念』となるのである。 最初から戦意のない爺やん婆やんは別として・・というより、大抵の爺やん婆やんは『試合放棄』して新幹線に乗り込むので、「ほぼいない」といっていいだろう。 そして乗り継ぎ者の大半は、『普通列車線専用切符』使いの『鉄』なのである。 ワテのように、山登りに『普通列車専用切符』を使う奇特なのはいないだろうね。
ここは、腹から火を噴いている関係上、何とか上位100位までには入りたいと目論む。 まぁ、敗者の20人の内のほとんどが2〜3駅間の利用者なので、長距離乗車の『普通列車専用切符』使いでの敗者は、言葉を言い換えれば『Lost of Lost』、即ち『敗者の中の特別な敗者』と同様なのである。 例えれば、年賀状の『お年玉くじ』で3等・切手シートの当り、はたまた高校入試に落ちて高校浪人する位のアホと同等の敗者に相当するのである。←こういう事には必死となる
そして、その乗り換え列車でのワテの対面には、重メタボスーツ・機種名『ニクジュ・ヴァン MarkⅡ』で身を完全武装した明らかに鉄オタな奴がいた。 もう首は特殊装甲でガードされて肩とつながり、首の攻撃耐性が著しく強化された新型『ニクジュ・ヴァン』の装着主であった。 また、背中には三脚を括りつけたザック型カメラバックを担ぎ、その肩バンドからはち切れんばかりの肉がはみ出していたのである。 これを目にして、ワテは思ったよ。 「この状態(脇腹ズンドコ状態)でも、コイツには勝てる!」と。
だが、いざ試合開始となると、この『ニクジュ・ヴァン』に追いつけない。 階段を昇る一歩一歩で、腹の太鼓が盛大に音頭を取ってくる。 昨日はこの状態で沢を下ってもさほど痛くなかったのに、今は許されるならのたうち回りたいほど痛い。 でも、駅コンコースでのたうち回ると『救急車沙汰→現地病院搬送→入院沙汰となると長期欠勤→ヤバイ』となるので精一杯堪える。 まぁ、骨折れたまま沢下ったのも、この一連のルーチンを回避する為だったのだから。
だが、諦める訳にはいかない。 いい展開に差し掛かるまで、この『ニクジュ・バァン』に着いていく。 そして予想通りに、この『ニクジュ・ヴァン』も後方好位置(即ち、ケツから数えて何番目・・って位置)につけていて、展開では最後の階段下りで一気に差し切るつもりだったが、階段下りは下から上に突き上げる『稲妻バージョン』に太鼓の音頭が変わって、さらに痛みが増して失速してしまったよ。 ・・で、ついに、敗北。 座席を勝ち取った『ニクジュ・バァン』は、肩で勝利の祝いを奏でる息をしていた。 それはもう、マゾヒスティック的な息遣いであった。 その横で敗者は、同じくズンドコ鳴り響く腹の太鼓を沈める事(椅子に座って安静にする事)もできずに、苦悶のまま2時間半つり革・手すりのお世話となる。 長かったよ、骨折れたまま立つ列車の中での2時間半。 この時に僅かながらあった体力的な自信は、木っ端微塵に打ち砕かれたのである。
笑いを取る為とはいえ、度重なる無礼をお赦し下さい ・・で、この後は、更に輪をかけて『オチャメ』を上塗りする「時刻表の読み間違い」も判明し、仙台から郡山まで禁断の果実・シンカンセンにも乗るハメとなって、根性出したのに・・、ヘタレが渾身の根性を出したのに・・、『オチャメ』の笑いを磨く結果に終わってしまったよ。 結局、山行前に立てた予定通りに行ったのは、東京・八重洲口からの高速バスの乗車のみだったし。
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名峰次選・北海道
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名峰次選の山々 第118回 『118 ペテガリ岳』 その2 act 1 北海道
日高山系(日高山脈襟裳国定公園) 1736m コース難度 ★★★★ 体力度 ★★★★★
今回はオチャメったので
これがペテガリ岳の唯一まともな写真だったりする 行程表 ※ 実際にかかった時間ですが何か? 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 浦河町・荻伏より車 (1:00)→シュオマナイ沢渡渉点〔登山ルート始点〕 (2:00)→標高680mの分水嶺となる峠 (0:50)→ベッピリガイ沢出合
(0:50)→ペテガリ山荘
《2日目》 ペテガリ山荘 (2:50)→1293m展望所 (2:30)→1230mコル (2:10)→ペテガリ岳 (1:30)→1230mコル (2:30)→1293m展望所 (2:30)→ペテガリ山荘 《3日目》 ペテガリ山荘 (1:00)→ベッピリガイ沢出合 (1:30)→標高680mの分水嶺となる峠 (2:00)→シュオマナイ沢渡渉点より元浦川林道を車 (1:00)→浦河町・荻伏 《1日目》 シュオマナイ沢を遡ってペテガリ山荘へ
今回アタックする南日高・ペテガリ岳は、「遥かなる山」という別称を抱いている山だ。 それは、登頂する事が困難を極める事から・・、そしてそれが起因となって日高の山域を志す岳人にとっての「憧れの山」であるからだ。 そして、その「遥かなる山」は、道行政の無駄と怠慢によって更に登頂が困難な山となってしまったのだ。 それは、このペテガリ岳の登山起点となるペテガリ山荘に連なる『道道101号静内中札内線』・・いわゆる《中部日高横断道路》が政争の具となって工事中断凍結となってしまうという壮大なるムダを引き起こしたからである。 建設放棄された『日高横断道路』
左翼指向の歴代知事によって 無駄と国益毀損が繰り返されたのだ 多額の建設費を投じたこの道路の建設工事中断から工事凍結、そして道路そのものを放棄した事を一般道民に知られて批判を浴びる事を恐れた道行政は、「通行の危険がある」という理由付けでこの道路そのものを封鎖する処置を取ったのである。 要するに、一般利用者を締め出す事で政争の具となった失態を隠蔽したのである。 この事によってペテガリ山荘へ向かう道路が閉ざされ、代替手段として山向うの別系統の沢から分水嶺を越えてこの封鎖された林道に到達する方法が取られたのである。 そう・・、この事によって、沢遡行と泥炭層で構成された滑り易い分水嶺越えが必須となってしまったのである。 即ち、延々たる沢遡行と不明瞭で滑り易い泥炭層の急傾斜である分水嶺越え、そして林道歩きと、登山起点であるペテガリ山荘にたどり着くまでさえ一つの山を登る以上の苦難が待ち受けているのである。
シュオマナイ沢は最初に水流の多い本流沢を渡る
※ グーグル画像より拝借 もちろんこの沢道中は、山荘で数日(最低2日間は必要)分の食糧と寝袋や雨具、そして登山靴と渡渉靴の2種類の靴を担ぎ運ばねばならないのである。 その上で、早朝日の出と共にに出発しても山荘に戻り着くのは日没前後という、「遥かなる山」の呼称通りのハード山行が待ち受けているのである。
だが、恐れ戦いているだけでは、永遠に「憧れの山」でしかないのである。 そう・・、『憧れ』は『夢』と違って、困難ではあるものの実現が可能な事なのだ。
今回は、実現に困難が伴う『憧れ』を己の力の限りで突破して、みなぎる『自信』と貴重な『体験』、そして『憧れ』を実現した高揚感を味わおうではないか。 それでは困難を克服する力強い意志を抱いて、この難関峰・ペテガリ岳に登ってみよう。 さて、この登山ルートの起点となる《シュオマナイ沢渡渉点》は、海岸沿いにある国道や集落より約40kmも山奥に入った所にある。 従って、車は必須である。 要するに、海沿いの集落街から酪農の牧草地帯を越えて、道路が林道となってその行き止まりとなる所までの山奥に入っていかねばならないのである。
そして、この元浦川林道はかなりの悪路なのであるが、日高の『いぶし銀』たる峰に例えられる神威岳の登山やその登山基点として利用可能な神威山荘があり、またこのペテガリ岳の《シュオマナイ沢》へのアプローチ路である事から、登山目的の車が結構通行するのである。
だから、ダートの砂利がかなり掘られてより一層の悪路となる状況だ。
道床が掘られて窪み落ちて通常では通行不能に陥る所だが、どうやら日高支庁の観光課がブルトーザーでマメに道床を圧延しているようで、キャタピラの痕跡が長々と連なってるのが見られる。 また、片側が川に沿った崖上なので、この道の通行には細心の注意が必要だろう。
特に作業中のブルトーザーと遭遇したなら、離合はかなり困難となろう。
ペテガリ山荘へのルート・シュオマナイ沢への分岐
ちなみに右は神威山荘への道 ※ グーグル画像より拝借
さて、この林道を終点間際まで進んでいくと、神威岳登山の起点となる神威山荘への道と『行き止まり』に至る沢へ突っ込む道との分岐に差し当たる。 最も、「《シュオマナイ沢渡渉点》に至る沢へ突っ込む道」は文字通り沢で道が途切れる『行き止まり』である。 要するに、この約200m程の『行き止まり』区間が登山者の車の『駐車スペース』である。 切り返しのスペースと考慮すると、駐車可能台数は約10台位って所だろう。 ニシュオマイ沢〜ペッピリガイ沢
分水嶺越えルート行程図 車を止めて、渡渉靴に履き替えて出発する。 道が沢に阻まれて『行き止まり』になっているのだから、いきなり渡渉開始となる。 そして明日はペテガリ岳に登るのだから、登山靴はリュックの上に『積む』ようにパッキングせねばならない。 『荷』として歪な形の登山靴は荷の重心を高く不安定に仕向け、担ぎ心地を著しく悪くするのである。 そういう条件で沢の流れを遡わねばならないのだ。
林道は沢によって途切れている
こうして見るとかなりワイルドな光景ですね ※ グーグル画像より拝借 その沢であるが、道を『行き止まり』にせしめた本沢を最初に渡る。 深さは膝の少し上くらいで、先程の「登山靴を積み上げた」ザックを担いだ身では結構流れに足を取られる。
沢を渡るのに気を取られて沢の写真を撮るの忘れたよ。 でも、帰りにJR北海道の特急車両キハ183系と同じハメとなる『オチャメ』をかましてしまったので、帰りも撮れなかったりしたのは藪の中に。
沢を渡ると再び砂利道が・・
もしかして林道延長計画でもあった!? ※ グーグル画像より拝借
本沢を渡ると、本流に阻まれた林道のような砂利道が奥に延びているが、これはすぐに沢の伏流水が流れ込んで河床となる。 でも、この道床が河床となる光景は、「道を造る意志があった」事を端的に示している。 伏流水が流れ込んだこの道床を2〜300m伝うと再び本沢の前に出て、これを渡って対岸の土手上に登る。
ここは「林道建設の飯場ではないか?」と思われる平坦な丘状の台地で、今は野草が群れる荒地だ。 まぁ、テント場としては使えるかも。 でも、スタート地点から近すぎてテント場としての価値はなさそうだが・・。
この飯場のような丘状の台地を縦断して、再び沢筋に戻る。 戻った沢筋は流木が多く、流れは流木が積み重なってでできた堰で分断されている。 この流木にルートを示す『ピンクリボン』が付けられて、ルートはこの流木を乗り越えていくようだ。 この流木の積み重なりを難儀しながら越えていくと、水量が程よく減じた本流沢に出る。 どうやら、沢の源頭が近づいてきたみたいだ。 なお、途中に高巻きの土手よじ登りを示すリボンがあり、その前にセブラロープで進入を阻んでいる所があるがこれは沢増水時の高巻き道であり、やや右に反れる沢筋を忠実に遡っていくのが正しいルートである。 この沢筋は岩溝状となって水流もこれを滑り落ちてくるので激しくなるが、よく見るとリボンがこの岩溝に沿ってつけられているので見落とさぬようにしよう。 リボンが示すようにこの鉄砲水が流れ落ちるような岩溝を直接登っていく。
もう、胸の辺りにぶち当たる流水を撥ね退けて、突進するような感じて登っていく。
まぁ、幸いな事に、この岩溝の傾斜が階段状となっていて突進し易かったのであるが。
この岩溝をつめると、沢の流れはいくつもに分かれていって細くなってくる。 先程の岩溝での水との格闘が嘘のように水流が細くなって、渡渉靴がなくても濡れずにすむ位ととなっていく。
やがて、左にそれる本流沢から離れて枯れたヌタ沢となった支沢に入っていく。
ヌタ沢はそのまま分水嶺となる峠の高みにぶち当たるように続いていて、やがてこの土手のような峠をよじ登る段階になると水流は完全に枯れてしまう。
ここからは、ヌタヌタの粘土層の土手をノメリ上がっていく。 ゼブラロープの介助はあるが、重い荷を持っている現状ではそれだけでは足りない。 泥床に手をかけ足で蹴り込んで、文字通り「ノメリ」上っていく。 始めの予想では、これほど凄ましい・・とは思わなかったよ。 帰りの『JR北海道のキハ183系と同じハメとなるオチャメ』を負った身では、真しやかに厳しかったよ。
分水嶺の上は樹林帯の草付きだ
ここまではピンクリボンが多い この土手をノメリ上がると、樹林帯の草付の上に出る。 これが行程表で記した『標高680mの分水嶺となる峠』である。 峠の上は樹林が密集しており、ルートをこの樹林を縫うようにつけられているが、木々に道迷いを防止すべく数多くのビニールテープが巻かれてあるので、これを見落とさずに伝っていく。
木々に巻かれたビニールテープの示す通りに伝っていくと、峠の北西側の端に出る。
これより、峠を隔てて全く別の方向に流れるペッピリガイ沢支流の源頭に向かって下っていくのだが、こちらも粘土質のヌタヌタの土手崖下りである。 比べると、先程登った《シュオマナイ沢》側よりも急傾斜のようだ。 ゼブラロープも途中までしかなく、帰りの『JR北海道のキハ183系と同じハメとなるオチャメを負った身』には地獄の仕打ちだったよ。
この急傾斜を滑り落ちぬように四つん這い(筆者で言う『伝家の宝刀』・《クマ下り》)で下っていくと、やがて流水が流れ込んできて沢下りとなる。 そのまま沢を30分程下っていくと、突然人の手の入った伐採地の草原が見えてくる。 沢より歩き良いこの伐採地の草原に上がって、沢を見ながら歩いていく。 草原には『神威山荘⇔ペテガリ山荘』と書かれた道標看板が、沢遡行の苦難を嘲笑うが如く「シレッ」と掲げられてあった。 ペッピリガイ沢を下ると
伐採地の草原に出る
この伐採地の草原はペッピリガイ沢の本流の広い河原の前で途切れて、ルートはこのペッピリガイ沢の本流を渡る。 まぁ、本流といっても広い河原で流れのほとんどが伏流水となっているので、河原の石を伝って難なく渡渉する事ができる。 この本流沢を渡ると、政争の具となって工事中断・放棄された《中部日高横断道路》の支道だ。 最後は建設放棄された高規格林道を4km伝う
もう十数年放置され荒れてきてはいるものの、十分車の通れる規格の砂利道だ。
これを4kmほど歩いていくと、鄙には稀な別荘と見まがうほどに立派なペテガリ山荘に着く。
山荘前の草原はキャンプ場を思わせるような自炊場があり、ペテガリ沢から導水した豊富な水場もある。 まぁ、来たルートと、これ程にミスマッチな立派な山荘は滅多にないだろうね。
この困難なアプローチに対して
ミスマッチも甚だしいペテガリ山荘 明日は、「頂上まで登り6時間とも7時間・・」とも言われる西尾根ルートを伝ってのペテガリ岳アタックだ。 早朝できるだけ早く出発するべく、早めに就寝しよう。 そ・し・て・・、明日に『JR北海道のキハ183系と同じハメとなるオチャメ』が明らかとなる。
続きは、次回の『第119回 ペテガリ岳 その2 act 2』にて・・
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名峰次選の山々 第115回 『120 渡島・駒ケ岳』 その2 〔北海道〕
独立峰(大沼国定公園) 1131m コース難度 ★ 体力度 ★
僅か1000mちょっとの標高とは思えぬ
迫力を魅せる渡島駒ヶ岳
〔名峰次選〕の記事があと6峰を残して止まっている。 それは、去年からの〔名峰次選〕踏破山行で『遭難フラグ』を立てまくって、記事を書く機会を逸したからである。
有り丁寧にいえば、登頂に失敗してのリベンジやオチャメの治癒に加えて台風にも邪魔されて、去年の秋に富士山で達成予定だった〔名峰次選〕の完全踏破が、未だ成し得ていないからである。
その『連発オチャメ』の先駆けとなったのが、この渡島駒ヶ岳と日高・ペテガリ岳の踏破を目論んだ去年の『北海道〔名峰次選〕踏破山行』であった。 他の記事でも書いてある通り、この後のペテガリ岳で華麗なる「ロスタイム終了間際の大逆転トライ」で、同じ年に腹から火を噴いたJR北海道の特急型気動車183系と同じく、このタワケも『腹から火を噴いた』よ。 その顛末に興味ある方はコチラをどうぞ。
この尖った岩塔は
登るのは無理そうだ
でも、この〔名峰次選〕完踏計画を実行してから、行く先々で『遭難フラグ』を立てまくるオチャメかましてるよな。 和名倉山では2回も道迷いで、1回目は『遭難フラグ』モノ。 池口岳では暴風雨に遭い、北海道遠征では腹から火を噴いて、ついでに早戸大滝と常布ノ滝で『遭難フラグ』を乱立して、ついこの前の7/20〜22もラストの広河内岳で『死亡フラグ』に昇華しかねない『遭難フラグ』を立てちまったよ。
こうもオチャメが続くと、記事を書く気が失せてくるのである。 そして、放置したまま気が付けば、山記事を書くのに不適当な冬に入ってしまったのである。 でも、そろそろ書き始めないと「2年越し」になっちまうので、書き記す事にしよう。 まぁ、この盆で、おそらく最後の広河内岳も踏破できると思うしね・・。←筆者(
渡島駒ヶ岳・赤井川ルート 行程図
行程表
JR大沼駅よりタクシー利用 (0:40)→駒ヶ岳6合目登山口 (0:30)→銚子口ルート分岐
(0:50)→馬ノ背 ※ 帰りは往路を戻る 駒ヶ岳6合目登山口まで約1時間
※ 駒ヶ岳6合目より最寄駅の赤井川駅まで約8km、所要3時間 車は所要20分
それでは、渡島駒ヶ岳を踏破してみよう。 この渡島駒ヶ岳は火山活動により今も噴煙を上げていて、頂上は立入禁止となっている山である。 一般登山者に解放されているのは肩に当たる標高900mの《馬ノ背》までで、それより先の頂上岩塔へは道も見当たらないのである。
コチラの砂原岳の方も立入禁止だ
その渡島駒ヶ岳には2つの登山ルートがある。 一つは銚子口からのルートで、もう一つは《駒ヶ岳6合目》からの最短ルートであるが、銚子口からのルートは下の居住区からの長いルートが登山者に敬遠されているのか、道が荒廃して閉鎖となっているようだ。 故に、現在はメインルートの《駒ヶ岳6合目》からのルートのみとなっている。
だが、この《駒ヶ岳6合目》は駒ヶ岳の山腹深くに位置して、車がなければアプローチが至極困難な事が難点である。 最寄駅のJR函館本線・赤井川駅より約8kmあり、徒歩で向かうなら3時間はかかるのである。 このように往復で6時間も取られるとなると、日帰り登山の山としてはタイムオーバーとなってしまうのである。
この山は登山道中より
登山口へのアプローチの方がキビしいな
この事情から、エトランゼの内地の者がこの山に登りにくるとするならば「レンタカーを借りて」となるだろうが、次のペテガリ岳の事を考えると「この山だけでレンタカーを借りる」のは、費用的にも手間の面(レンタカーを函館まで返しに行かねばならない)でも大きな無駄となるのである。
従って、泣く泣く3日分の食費に相当する5000円を叩いてタクシー利用としたのだが。
ちなみに、帰りは何も考えてなかったりして。←コレが筆者(
イワブクロ
何も考えてない純粋無垢な筆者のクオリティを
岩陰に咲く花で表しますた
タクシーで向かった《駒ヶ岳6合目》の駐車場は、やや傾斜のかかった荒地で、降り積もった火山灰土が前日からの雨でヌタ場と化す荒れた光景だった。 観光バスも通る舗装された登山道路を通ってきた目にはギャップの多い光景である。 また、トイレ以外に設備は無く、『あずま屋』もないので荷物をデポる場所がない。
荷物をデポるに適当な場所がない・・という状況に、この後に日高の山の登山を控えて装備一式を担いできたタワケが遭遇すると、自ずとからその解は「担いで登るしかない」となるのである。
でも、この無駄なスタイルが、後々『天からの蜘蛛の糸』となるのだけれど・・。
渡島駒ヶ岳の尖峰と
キャタピラ痕の残る登山道
道は、ブルトーザーで均したのか、キャタピラ跡が残る幅の広い砂礫道が延々と続く。
上方右手には、登る事の出来ない駒ヶ岳最高峰の剣ヶ峰と、肩を並べる《馬ノ背》の稜線がそびえ立っている。
あまり変わり映えのしない情景を30分ほど登っていくと、閉鎖された銚子口への降り口前に出る。
銚子口へのルート降り口を示す看板は、テープでグルグル巻きにされて「亡きモノ」扱いとなっていた。
再び変わり映えしない広い砂礫道をつめていくと、やがて先程見えた剣ヶ峰から続く稜線の上に出る。 ここが一般登山客に開放された登山道の終点《馬ノ背》だ。 周囲には立入禁止を示すロープが張られ、そして眼前にそびえる剣ヶ峰は道が皆無の急峻な岩塔で、登攀道具を準備したその手のエキスパートでもなければ登頂不可能だろう。
一般登山客に開放された
終点の馬ノ背から剣ヶ峰の尖峰を望む
コリャぁ、登るのムリだわ・・
浅間山とか剱の北方稜線とか知床岬とか・・、数度となく立入禁止の所をお邪魔している『不届き至極』なロクデナシの筆者(タワケ)ではあるが、直感的に「コレは無理」と思ったよ。
なので、今回は大人しく、周囲の情景や花を撮って帰る事にする。
まぁ、ここはここで、程よい標高から見下ろす大沼などがいい感じだったし・・。
馬ノ背の程よい標高より
大沼を見下ろして
帰りも、『無駄担ぎ』となった装備一式20kgを担いで降りる。 でも、その一人だけ喘ぐ甲斐甲斐しさが目に留まったのか、他の登山者が声を掛けてくれた。 これが先程述べた『天からの蜘蛛の糸』である。
声を掛けてくれたお兄さんにこの荷物を担いでいる理由と同時に、ボソッと「赤井川の駅まで歩かないけないなぁ」と呟くと、スンマセン・・「釣れたよ」。 それも一本釣り! 「下までボクの車に乗っていきませんか?」という『天の声』が・・。 もちろん、担いだ荷物を投げ出す勢いで、喜んで行為に甘えたよ。
『天の声』が掛った幸運を花で表現してみますた
馬ノ背の砂礫に咲くチシマギキョウ
しかも、このお兄さんは凄く「いいひと」で、重い荷物を担いで更に遅くなったワテが下りきるのを待ってくれたよ。 更に、このお兄さんはワテの今後の計画を考慮してくれて、次の日高に向かうのにベストな駅の特急停車駅の森まで送ってくれたよ。 アリガトウゴザイマスぅ〜。
お陰で、長万部で風呂にも入れたし、この日は順風満帆だった。 でも、これからは坂を転がり落ちるように『オチャメ』が待ち受けているのである。 次のペテガリ岳に向かうのに森駅から乗った特急車両は『腹から火を噴いた』183系だったのは、この先に起り得る事の暗示だったのは藪の中に・・。
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名峰次選の山々 第108回 『116 十勝幌尻岳』 北海道
日高山系(日高山脈襟裳国定公園) 1846m コース難度 ★★ 体力度 ★★★
カムエク・八ノ沢カールより望む
十勝幌尻岳
今回は日高のもう一つの『幌尻岳』を取り上げよう。 一つは、日高山系の最高峰で名実共に盟主たる日高・幌尻岳である。 こちらは日高の山を志すなら、真っ先に目標にする山である。
それに対して、今回取り上げる『幌尻岳』は国境稜線の十勝側にあり、十勝幌尻岳・・通称「カチホロ」と呼ばれている。
そして、『ホロシリ』とはアイヌ語で「大きな山」を意味示していて、盟主の日高・幌尻岳は大きな花の器・カールを幾つも従え、その容姿も盟主として威風堂々と構えている。
もちろん、今回取り上げる「カチホロ」も、大きな山体を中部日高の雄峰・カムイエクウチカウシ山の前にドンと構え、中部日高の山なみを神秘のベールで覆っている。
日高随一の憧れの峰『カムエク』の前に構え立ち、その姿を覆い隠す・・という事は、この峰の頂に立つと中部日高の峰々の展望を欲しいままにできるという事でもあるのだ。
それでは、中部日高を眺める最高の展望の峰に登ってみよう。
十勝幌尻岳 位置図
行程表
《1日目》 中札内村市街より車 (0:40)→戸蔦別ヒュッテ
《2日目》 戸蔦別ヒュッテより車 (0:10)→下の土場・十勝幌尻岳登山口 (1:00)→尾根取付 (2:20)→カチホロの肩 (0:40)→十勝幌尻岳 ※下りは往路を戻る 登山口まで所要3:10
下の土場・十勝幌尻岳登山口より車 (0:40)→中札内村市街
《1日目》 戸蔦別ヒュッテへ
今回登る十勝幌尻岳は、日帰りで行ける山ではあるが標高差は1200mを越えるキツいオーダーで、早朝出発は必須となる。 そして、登山口の奥に戸蔦別ヒュッテという三角屋根の雰囲気の良い小屋があり、この小屋に泊まって日高の山への夢を結び、翌朝にアタックするのがより思い出深い山行になる事だろう。
三角屋根で雰囲気満点のこの小屋で
日高の山へ挑む前夜の夢を紡ごう
なお、この戸蔦別ヒュッテの手前に十勝幌尻岳の登山路であるオビリネップ沢があり、その少し上方が下の土場の登山口である。 そしてそのアプローチであるが、少々道が判り辛い。
それは、アプローチ道である戸蔦別川林道は広大な酪農場である八千代牧場の先にあり、名のない農道が幾重にも延びているからである。
道に迷ったら、最奥の集落の帯広市・拓成を目指すといいだろう。 その先から林道が延びている。
また、林道にはゲートがあるが夏山シーズンなら解放されているので、夏ならば問題はないだろう。
雰囲気満点のこの小屋で、憧れの峰・カムエクの展望台への一夜の夢を紡ごう。
憧れの峰の奏でるオーケストラを
魅せられにいこう
《2日目》 中部日高の展望台へ
展望を欲しいままにできる山頂での滞在時間を含めると所要時間は10時間近くなるので、夜明けとともに小屋の出発が望ましいだろう。 戸蔦別ヒュッテはオビリネップ沢の出合の奥1.5kmにあり、下の土場の登山口までは3km少々で、車で所要は10分程度だ。
登山口の下の土場は広く、50台は駐車ができるだろう。 ここから砂利道を伝うと上の土場を経て、オビリネップ沢に降りる。
沢に降りると赤ペンキで『登山口』と書かれた大岩があり、それに従って沢を桟橋で渡る。
登山口の下の土場→
この後は、沢の右岸の縁に延びる造材道の跡を辿っていく。 造材道跡に従って沢を伝っていくが途中で左岸への飛び石伝いの渡渉があり、少し緊張させられる。 だが、造材道跡なので渡り易い所で渡渉点を切っているようである。 この渡渉点を過ぎると、沢の左岸を沢が二俣に分かれる尾根の取付まで詰める。
前半は美しい沢を伝っていく
美しい沢の流れについカメラを向けて・・ 二俣の沢の支流側である左俣に入ると、程なく沢から離れて尾根に取り付く。 尾根に取り付くと最初はつづらを切って高度を上げていくが、ここはササ原で藪漕ぎとなる。 ササの植生域より高く登るとトドマツの植生域に入り、トドマツの木立の中に切られた一筋の道を文字通り直登していく。
初夏の花 その1
シラネアオイ 花名 不詳
それはトドマツの植生域を越えてダケカンバやミネカエデなどの灌木帯を貫くまでの直登で、頭上の樹林帯の隙間から見える青空まで登るハメとなる。 この登りは標高差700m超のハードなイッキ登りで、憧れの眺めを見る為の試練ともいえるだろう。
初夏の花 その2
いずれも 花名不詳
初夏の花 その3
これも 花名不詳
知ってる方 教えて下さい
これを乗り越えて頭上に光る樹林の隙間の青空が現実の青空となるまで詰めると、カチホロの肩に出る。 ここからは、ダケカンバやミネカエデの涼しげな樹間の尾根歩きとなる。
振り返ると
今までのキツい登りが見渡せる ここまで来るとあと少しだ。 周囲が灌木帯からハイマツ帯に変わり、それをひと登りすれば中部日高の展望台の頂の上に立てる。
←十勝幌尻岳頂上標と十勝の街なみ
中部日高の展望台の峰に立てば、日高の全ての峰々が横一線に並んでいる姿に魅せられるだろう。
北方は『ホロシリ』の盟主である日高・幌尻岳からエサオマントッタベツ、札内岳などの未開の峰々、正面は憧れのカムエクが八ノ沢カールを従えて、ピラミタルな頂を魅せている。
日高随一の展望台に魅せられて・・
憧れの峰・カムエクと八ノ沢カール
威風堂々たる姿がそそる
未開の峰・札内岳
八ノ沢・九ノ沢・十ノ沢・・
カールそろい踏み
広角で中部日高全体を望むのもいい 南方は、『北海道の塩見岳』ともいえる漆黒の兜のような頂をもたげる1839峰がひょっこりと頭を出す。 それは、南の雄峰・ペテガリ岳まで続くのだ。 しばし、そよ風に吹かれながら、日高の山のオーケストラを堪能しよう。
南は1839峰を中心に展開している
1839峰を望遠で引っ張ると
真に北海道版『漆黒の兜』の姿を魅せてくれる
下界・十勝の街なみも乙 いつまでも眺めていたいが、頃合いをみて下山の途に着かねばなるまい。
下りは登り返しが無い分、1200m下降のオーダーにしては所要時間はかからないが、それでも膝にくる急下降であるので注意したい。
いつまでも眺めていたいが・・
立ち去らねばならぬ時は必ずくる
山から下りた後の温泉であるが、日高の十勝側山麓は温泉に乏しいのが『玉にキズ』だろう。
美生にある国民宿舎の鉱泉か、虫類のナウマン温泉くらいしか思い浮かばないのである。
※ 宜しければ、中部日高の憧れの峰・カムエクのガイドも併せてどうぞ。
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名峰次選の山々 第92回 『115 1967峰 その2』 北海道
日高山系(日高山脈襟裳国定公園) 1967m コース難度 ★★★ 体力度 ★★★★
1967峰と北日高国境稜線の山なみ
北日高国境稜線 きたひだかこっきょうりょうせん (日高山脈襟裳国定公園)
未開の山『日高』。 そこに一歩踏み入れると、誰もが虜になる不思議な力を持つ山域『日高』。 だが、この『日高』はアプローチ手段もなく、未開ゆえに満足な登山道もなく、そう易々とは受け入れてはくれない所でもあるのだ。 しかし、その困難なルートを突き破って『国境稜線』に立つと、“憧れ”を思い存分味わう事ができるのである。 氷河遺跡であるカール群、豊富な高山植物、未開の山域でのみ生きる事ができる小動物たち、自然を育む最高の水。 これらに囲まれて、夢の一夜を明かし、空がスペクトルに輝く“生まれたての朝”を望む事は、山を志す者にとって“憧れ”を実感できる至福の瞬間なのである。 さあ、この“憧れ”を体感すべく、しっかりと山の準備をして『日高』の『国境稜線』へチャレンジしてみよう。 北日高国境稜線・伏美登山ルート 行程図
行程表
《1日目》 芽室町市街より車 (0:50)→伏美岳避難小屋 (3:00)→伏美岳 (3:20)→ピパイロ岳 (2:00)→1967峰
《2日目》 1967峰 (1:50)→ピパイロ岳 (3:20)→伏美岳 (2:20)→伏美岳避難小屋より車 (0:50)→芽室町市街
※ 前回『名峰次選 第91回 ピパイロ岳』からの続き
翌日が晴天となって初めて判った事であるが、最後のお花畑の斜面を持つピークこそが通称“1967峰”と呼ばれる無名峰で、その手前の風除けがなくビバークを見送った草付きが地図上の《1753mのコル》との事である。
この時の状況であるが、この荒天ゆえに荷物の濡れ具合が大きく、“引き返し”を検討せねばならなくなる。
当初は水の入手できる七ッ沼カールまでの往復を予定していたが、前日の雨の影響が大きく断念。
この区間のガイドは、『名峰次選 第89回 1967峰 その1』で探勝を実行したので、そちらを参照して頂きたい。
←お花畑の斜面を持つピークが1967峰だった
この日の状況であるが、夜明け時はガスが立ち込めて判断を迷う空模様であった。
昨日の風雨の状況とアクシデント(たまたま一緒に登った人のテントが風で吹き飛ばされて、私のテントに同宿した)から、今回はこの先を進む事は困難と判断し、引き返しを決意したのである。
戸蔦別Aカールと幌尻岳
《2日目》 1967峰より往路を下山 朝、目覚めると、ガスの合間から深い『日高』の山なみがうっすらと望めるまずまずの天候。 テントをたたんで出発の準備をしている合間に、濃いガスが立ち込めていた《戸蔦別川》源流の谷底が明るい光を浴びて輝きだした。 それと同時に、みるみる内にスカイブルーの空と“遙かなる”『日高』の山なみが視界いっぱいに広がってきた。 今日は、またとない晴天となりそうだ。 それでは出発しよう。
今日の行程では、往路で全く語れなかった“花レポート”や山岳風景を中心に述べていこうと思う。
1967m無名峰の頂上にて 荷物を片付けると同時に、早速この岩峰のピークに立とう。 テント設営地点よりピークまで僅か30m。 すぐさまピークに立てるだろう。 このピークには『1967m峰』とある木切れが置いてあり、この時に初めてこのピークが“1967m峰”と判ったのである。 ここからの眺めは、苦労が報われる懐深き眺めであった。 戸蔦別Aカールを“露払い”に
幌尻岳がそびえ立つ
幌尻岳 2052メートル から続く『北日高国境稜線』の山々、そして山と山との間ごとに大きくえぐられた戸蔦別岳のカール群、その背後には中央高地の剱岳を思わせる“憧れの山”・カムイエクウチカウシ山 1979メートル を始めとする『中部日高』の山なみ、これまた南アの塩見岳を思わせる漆黒の兜頭をもたげる1839峰 1842メートル。 カムエク・・、1839峰・・
もう一度立とう、あの憧れの峰に また、逆光に黒光りした岩尾根を伸ばし、正に“台形”の山姿を魅せるピパイロ岳の眺めも感慨深い。 そして、最も感動を抱く情景は、1967峰より連なる大斜面のお花畑と、それを借景に望む懐深き『日高』の山なみである。 お花畑とカール地形と
日高最高峰と・・ 見上げる1967峰は、「これが無名峰なのか・・」と思わず声に出る程に立派な山容を魅せている。
その大斜面を黄色く染め上げるピパイロキンバイの大群落にも、感動で胸が高鳴る事だろう。
往路で全く楽しめなかった分、復路では思い存分に感動を体感しよう。
1967峰の斜面を飾るお花畑
花はピパイロキンバイを中心に、ミヤマリンドウやウサギギク・ウメバチソウなどが大地を飾っている。
どこまでも続く青空の下、憧れて止まぬ“遙かなる”『日高』の山なみ。 自然とフィルムが消費されていく。 そして、少し進んでは立ち止まって撮影に勤しむので、なかなか前に進めない。 斜面一面を染めるピパイロキンバイ
いつまでも眺めていたい憧れの情景 往路で何もできなかった分、その思い入れも倍加する。 往路であんなに厄介であった絡み合うハイマツも、1967峰を引き立てるいい借景となる。 好天だと全てが好意的に感じてしまうのは、私が“能天気”だからであろうか。
ひときわ高く雄大な1967m無名峰
やがて、岩尾根のトラバース帯を越えて、岩のドームが迫り立つピパイロ岳の頂上だ。 頂上からの眺めは、1967峰が勇壮にそびえ立つのが印象的だ。 鬼の角の様相を魅せるピバイロ岳
また、幌尻岳からの国境稜線上の山々が、一列に縦並びして鋭角的に望める。
相変わらず、カムエクや1839峰などの“憧れ”止まぬ山々もはっきりと見渡せる。
往路で果たす事のできなかった“アリバイ写真”もキッチリ撮って、“憧れの山域”『日高』を思う存分に味わおう。
1967峰の斜面と奥日高の山なみ
ピパイロ岳で絶景をじっくりと眺めたなら、ピパイロキンバイとチシマフウロのお花畑の斜面で花の接写を楽しもう。 もう、楽しい事がいっぱいで帰る時間の事など頭の外に飛んでしまいそうになるが、それはそれ・・。 メリハリはきちんと着けよう。
ピパイロキンバイの斜面をゆく
日高国境稜線に咲く花々
ピパイロキンバイ 亜種のウサギギクか・・?
ミヤマリンドウ チシマフウロとピパイロキンバイ このお花畑を過ぎると滑りやすい粘土質の黒土の急下降となり、今までの浮かれ気分から気を入れ直さねばならないだろう。 この下りを乗りきると、樹林帯に視界を遮られた暑く苦しい300mの登り返しがある。 ピパイロ岳のお花畑から気合を入れ直して2時間半踏ん張ると、樹林帯より飛び出して程なく伏美岳山頂に着く。 幾重にも連なる奥深き日高の山なみ
晴天の伏美岳頂上は日帰りの登山客で賑わいを見せ、『日高』では少し場違いの印象を与えられる。
眺めもデーライトがキツくなり、やや山もくすんできたようだ。 初めて『日高』の山なみを目にするなら感動もあろうが、今までに1967峰やピパイロ岳でこれに勝る山景を目にしてきた私には、伏美岳よりの眺めは今ひとつと映ったのであるが・・。 また、『国境稜線』の山なみがピパイロ岳に隠れて見えないのも、感慨を殺ぐ要因ではないだろうか。 しかし、だたっ広い《十勝平野》と《十勝川》は、この伏美岳より望むのがいいだろう。 そう、この山は下界と山をつなぐ風景こそが“売り”なのだ。 それは、これより下山する者の心をキチンと街へ向けさせる情景ではないだろうか。 さらば・・ 美しく気高き日高の嶮峰たちよ
後は、標高差1000m・4kmのバカ下りが待ち受けているだけである。 はしゃぎ過ぎて疲れた体にはコタえる2時間少々だ。 無事下山したなら温泉に入るのは必定な事であるが、日高山脈の《十勝側》は温泉に乏しいのが“玉にキズ”である。 温泉ではないが、近くの国民宿舎で山の汗と疲れを癒そう。 ※ 詳細はメインサイトより『北日高国境稜線〈1〉』を御覧下さい。
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