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名峰次選の山々 第120回 『170 富士山』 静岡県・山梨県
独立峰(富士伊豆箱根国立公園) 3776m コース難度 ★ 体力度 ★★
富士はやはり眺めるべき山だ
富士山 ふじさん (富士伊豆箱根国立公園)
富士山の標高は3776m・・。 誰もが知る日本最高峰で、標高の憶え方も“富士山のようにみななろ・3776m”というように、小さい頃から教わったものだ。 富士山は裾野を直径40kmにも広げる典型的なコニーデ型火山で、その秀麗な山容は世界に誇れるものの一つである。 しかし、『登山』に関しての魅力はかなり乏しく、あまり登山意欲の湧かない山である。 なぜなら、この山が比較的新しい山で高山植物がほとんど咲かない事、そして登山客と山頂神社の専横でかなり俗化しているからではなかろうか。
山頂での『県境の線引き』をめぐっての“人間の思惑”による争いが未だに続いている現状に、唖然とするばかりである。 山は“神”が作ったのではない。 ましてや、神社のいう“神”とやらの所有物でもない。 山は、大自然が長い年月を経て創造しえたものである。 俗世間の垢を落とす為に山へ登りに来たというのに、山頂での醜い“人間の思惑”を見せられたらたまったものでない。
この醜い“人間の思惑”が消えない限り、私の中では登山の魅力あふれる“登ってみたい山”とはなりえないであろう。 結論からいって、この山は何らかのキッカケでもなければ、『登る』よりも『眺める』べき対象の山なのであろう。 富士山・吉田口ルート 行程図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 富士吉田駅(現 富士山駅)よりバス (1:00)→富士山五合目・吉田口登山口
(1:20)→七合目・入口 (1:20)→七合目・山荘《東洋館》前
《2日目》 七合目・山荘《東洋館》前 (1:20)→本八合目 (1:00)→九合目 (1:00)→吉田口頂上 (0:40)→富士山・剣ヶ峰 (0:40)→吉田口頂上 (2:20)→七合目・山荘《東洋館》前
(1:00)→七合目・入口 (1:00)→富士山五合目・吉田口登山口よりバス
(1:00)→富士吉田駅(現 富士山駅)
《1日目》 拠所ない事情で八合目手前でビバーク 項目説明でも述べた通り、富士山は高山植物が少なく、また宗教という名の人間の思惑に毒されているなど、登山としての魅力は今イチといっていいだろう。 だが、我が国の山岳の最高峰として、山好きであるならばいずれは登らねばならぬ山なのだ・・とも思う。 かく言う私も、この『我が国の最高峰』は「登るべき意志を抱く山」の最後に登頂を目指すべく想定していた。 そして、天候や身体の都合により最後ではなかったが、「登るべき意志を抱く山」=〔名峰次選〕の『ラス前』の山として登る機会がやってきたのであった。 それでは、この時の登山の出来事を交えて記していこうか。
我が国で最も高い所へ・・
平成25年の6月に文化遺産として世界遺産登録された(私的には山そのモノでなくて、『山のデキモノ=不純物』である宗教構築物が登録されただけ・・と言う時点で、客寄せの道具として以外は無意味だと思うのだが・・)事によって、私の住む関西圏から富士山登山の基点である富士吉田まで直通の夜行バスが定期運行しているのである。
まぁ、この点においては、「世界遺産登録・・様々」な事なのであるが・・。 そして、その富士急線の富士吉田駅は、『富士山』駅に名称変更されていたのである。 でも、駅の名称から大切な自らの市の名前を下ろして『富士山』とした所に、「調子に乗り過ぎ」の感が否めないが。 バスロータリーから望む富士山
これよりあの頂へいくのだ 夜行バスはつづがなく『富士山』駅前のバスロータリーに到着する。 登山口となる《富士山五合目》行きのバスも、このバスロータリーから発車する。 バスの本数は一日5〜6本だ。
夏休みシーズンならば時刻表に乗らない臨時バスの増発で、恐らくこの倍の本数はありそうだ。
バスは1時間程で《富士山五合目》に着くが、かなり込み合うので始発の富士吉田駅(どうも、『富士山』といった調子に乗り過ぎの駅名には抵抗がある)から乗った方が賢明だろう。
バスが着いた《富士山五合目》であるが、「これから登山をする場所」とは到底思えない『都会の観光地』そのものの光景に、気合いが完全に萎えてしまう事だろう。 のっけから気合いを殺がれると長丁場となる登山では著しく不利だが、ここは耐えるより他に策はあるまい。 スバルラインの砂利道より望む
富士五湖の一つ・山中湖 実質の登山ルートの入口となる《泉ヶ滝》は湧水の枯れた「水ナシ滝」で、これは語る程の事もないが、その横にある立て看板は「記された内容を語る必要」があったのである。
それは、「富士山・吉田口ルートの山荘の全てが9/15の敬老の日をもって閉鎖となる」営業終了と登山道の冬季期間閉鎖の告知であった。 でも、9/15とは目を疑ったよ。
下調べを全くせずにやってきた弊害がここに発生したのである。 これで、「本日は山荘に泊まる」という予定は、完全に「ハシゴを外された」のである。 登山道は簡易的にゼブラロープで進入を防いでいたが、日帰りで山頂往復なら通行可の想定なのだろう。 ここで、なぜ「ハシゴを外された」と表現したのかと言うと、山荘への宿泊を見越して幕営用具を持ってこなかったからだ。
幸いな事に自炊用具とシュラフは持って来ていたので、一泊二日の登山行程の継続は可能である。
だがこれは、秋の標高3000mで「ゴザ敷いてゴロ寝」という、浮浪者スタイルでの野宿といった『オチャメ』を経ねばならぬ事が確定した訳である。
10月手前の秋の標高3000mは昼は蒸し暑く、夜は底冷えする「出入りの激しい」気候条件だから、普通の人はマネしない方が身の為だろう。 これを回避するには「今日は営業中の佐藤小屋に泊まって翌朝日帰りで頂上往復する」方法があるが、残念ながら筆者の所持金は「往復ギリギリという持ち合わせ不足」という現実に苛まれていたのである。 従って、この『オチャメ』の回避不能と相成ったのである。 またまた『オチャメ』事の発生で『ガイド』の内容から外れてしまったが、行程を先進めていこう。
《泉ヶ滝》からは登山道然とした道が続くと思いきや、《富士スバルライン》と変わらぬ砂利道が続く。
時折、シェルター状のトンネルや砂利の途切れた石段となるので、馬車は下の《スバルライン》以外は通れないだろう。 約30分程で、シーズン中は登山指導所の建つ《六合目》に着く。
ここからは傾斜は増すものの、ブルドーザーが通れる位の幅の砂利道のつづら折りとなる。 周囲は山腹の崩壊を防ぐ巨大な土堰がグサグサと突き立てられ、見た目にも雰囲気の思わしくない登山道だ。 そして、つづら折りの折り返す地点で山肌が薙っている所では、実際にブルトーザーが作業していた。 どうやら完全に段差を取り払った下り専用のルートを、ブルトーザーが実際に往来しているみたいなのである。
標高に幻惑されたのか
あまり高くは感じない眺めが続く この治山工事帯の中を通るつづら折りの砂利道は、約1時間ほどで通り抜ける事ができる。 上を向けば七合目の山荘街の建物が、斜面に建てられた別荘の如く床下を張り出している。
遠目から見ると、小動物の巣のようだ。 この『動物の巣』が近づいてきて、やがてその前に登り着く。
最初に前を通る山荘《花小屋》の入口や窓は鉄板で封じられ、その鉄板に『ココガ七合目 花小屋』と記されてあった。
山荘街は、今まで登ってきたブルドーザーも通れる程に幅が広かった登路に比べると極端に狭く、路地に群れて建つ長屋のような面持ちだった。 七合目の山荘街はこの路地に5件ほどが密集して建ち、残り2件は見上げる上に建つ赤鳥居の《七合五勺》上にあり、この間は砂利道歩道が続く《富士山・吉田口ルート》では稀な『火山岩の岩コロ登り』という極く普通の登山道となる。
七合目の山荘街を抜けると
やっと登山道らしくなる たが、それは長く続かず、程なく赤鳥居の建つ《七合五勺》に登り着く。
「そろそろ疲れてきたし、山荘の看板に記された標高はそろそろに2900mやら3000mとなってきた事もあるし、この辺りが『オチャメ』処とするのがいいだろう」と、脈絡もなく決め打ちにかかる。 《七合五勺》の赤鳥居に「今夜の乗り切り」を祈願して、更に山荘の土台の石堤となった山肌を脇から石段で登っていくと、七合目最後の山荘である《東洋館》の前に出る。 この山荘も当然にシーズン営業を終えて閉鎖されていたが、山荘の前は木のテラスとなっていて眺望がすごぶる良かった。 方角と位置、そして山容からすると
もしかして笊ヶ岳!? そしてこの木のテラスは、これより『地べたに転がってゴロ寝』をする者にとっては、適度にクッションの効いた『最上級の地べた』なのである。 ここまで書き記すとお解りであろうが、筆者はこの地を『オチャメ』場所と決めたのであった。
時刻は13時過ぎ。 登り始めたのが10時半頃だったので、ここまで2時間半って所だろう。
まだ午後の昼下がりという事で陽も高く時間にも余裕があったが、この先にこれ以上に『上級の地べた』がある保証もないので、ここを今夜の寝床とする。 宿泊地が確定すれば、他にする事と言えば夕飯時までの『昼寝』以外ないだろう。
・・で、建物の隅の風の当たり難い所にゴザとなるシュラフマットを敷き、その上にシュラフを敷いて『ゴロ寝』を味わう。 日のある内は暑い位だったよ。 木のテラスでゴロゴロしていると(このタワケ、浮浪者そのままだな)、時が経って日が陰り始めて『クライマックス』の夕暮れ時を迎える。
雲海のキャンバスがピンク色に染まって
クライマックスの時が近づいてきた その『クライマックス』は、この『オチャメ』事が最大限に幸運な出来事に昇華させてくれた。
木のテラスから望む雲海のキャンパスに描かれた美しい三角錐の山影・・。
そう、富士の山体の背面が斜陽に照らされて、その影が真綿のような雲海のキャンパスに『影富士』として投影されたのである。 その視線を北東に剥けると・・
もちろん、こんな所で『地べたに転がってゴロ寝』を選択するタワケなどいるハズもなく、この標高3000mでの『影富士』のシーンは私一人だけの情景となったのである。
それでは、その最大限の幸運をとくとごろうじろ。
麓で魅たシルエットそのままの影が
ほのかに染まった雲海のキャンパスに・・ 美しき雄大な富士のシルエット 今日は空がかぎろい色に染まる
絶好の山日和だ 《2日目》 我が国最高峰の踏破と下山
昨日は『最大限の幸運』を目にして興奮冷めやらぬまま、落日と共に就寝する。 陽が落ちるとさすがにシュラフに潜り込まねばならぬ程に気温は落ちたが、それでも氷点下まてには至らなかったようで、昼寝したにも関わらず、この『オチャメ』な寝床でも19時から3時前まで8時間近く寝れた。
まぁ・・、こういう所が「ゴキブリ並の生命力」と云われる所以ですな。 でも、3時前に目が覚めた途端、昼寝を併せて通算10.5時間寝たツケで、眼が冴えて寝れなくなってしまった。
眠れぬままシュラフに潜っていると、木のテラスを歩いてくる人影とカンテラの光が・・。
どうやら、いい位置で御来光を拝むべく、深夜に五合目を出発してきた登山者のようである。
そのいでたちは、せいぜい萎んだデーパックのみで、恐らく水のみの完全な空身で登ってきたようである。 それも、1人2人ではなく次々と登ってくるのである。 こうなると『最上級の地べた』の弱点である、木のテラスに寝転がっていると「通り過ぎる登山者の足音が木琴の如くよく響く」という弊害が現れて、寝転がる事が困難となってくる。 なので、寝転がるのを断念して、荷物を袋に入れて寝床となったマットでくるんでシュラフと共に一か所に固めて、これらの通行者と同じ目的を負うべく、カメラ一式と水筒だけ持って出発する。
時間は4時前。
まだ空は暗く、カンテラを照らしながら八合目の山荘街に向かって登っていく。
寝床となった『東洋館』から八合目の山荘街までは普通の登山道然とした『岩コロが転がる砂礫帯』であったが、まだ空が暗い時間帯であるのと、この《富士山・吉田口ルート》においては『難路』に値するようである。 まぁ、深夜に歩く『難路』として、慎重に登っていく事にしよう。
八合目の太子館より望む
富士の頂上丘 この『難路!?』を登りつめて、山荘の石垣につけられた石段に取り付いて登っていくと、八合目山荘街最初の山荘『太子館』の上に出る。 ここのテラスも展望は良さそうだが『東洋館』の木のテラスに比べれば落ちる(東洋館の建物が入る)し、地べたも最悪の砂利敷きで、寝床を『東洋館』の木のテラスに決めた判断は大正解であった。 八合目からは、再び《富士山・吉田口ルート》のスタンダードである幅の広い砂利道のつづら折りとなる。 若干幅が狭まり、砂利コロの質が少し大粒になったようではあるが。 そして下の砂利道と同じく、大きな山崩れ防止の為に突き立てられた土堰が無粋な風景を見せていた。 八合目の山荘は七合目のように密集せず、どの山荘もつづら折りの砂利道を隔てた一定の間隔で建っている。 そして、各山荘ごとに広い敷地を持ち、雰囲気としては八ヶ岳の山荘風であった。 最高の御来光にならなかったが・・ 登っていく毎に空が明るくなってゆき、《八合三勺》の道標と富士浅間神社の境界を示す石柱が建つ《本八合目》に着く。 この《本八合目》に着く前頃が御来光タイムであった。
取り敢えず御来光からは少し過ぎたが、「富士での日の出」をカメラに収める。
でも、この《本八合目》は標高3380mもあるのね。 ここより200m近くも低い北岳の頂に登る方が、断然にキツいんですけど・・。
さて、この《本八合目》で《須走口ルート》を併せて登っていく。 八合目の最奥の山荘である山荘『御来光館』を過ぎると、白い鳥居の建つ山頂結界門をくぐり、ようやく登山道らしい砂礫道となる。
上を見上げると頂上丘に建つ浅間神社の社殿が乗っかっているのが視認でき、右横を見ると溶岩流跡を示す赤土の薙が遥か下まで掘れていて、左横は遥か下に富士五湖が小さく光っていて、下を見下ろせばこれまで登ってきたつづら折りの砂利道と、それと交差する下山道の直線的に切られた道筋が見渡せる。 でも、あの下山道の直線具合は、恐らくブルトーザーで掘り進めて造った証だろうね。
赤土の山肌に砂利道の登山道が
つづら折りに連なっている この結界門から先の登路を登っていると、ようやく登山している気分になったよ。
これまでは、砂利道だの山肌に突き立てられた土堰だの・・と、道の状況や周囲の様子が到底登山道らしくなかったので、尚更に強く感じたよ。 この砂礫の道を登りつめていくと、両側に狛犬が鎮座する浅間神社奥宮の境内に入る。
狛犬が鎮座する
頂上浅間神社奥宮境内の境界線 境内に入ると、2〜30段の石段を登って《吉田口頂上》となる浅間神社(久須志神社)奥宮の本殿前の広場に出る。 ここには長いベンチとテーブルが置かれ、登り終えた登山者の憩いの場となっているようだ。 でも、この光景はシーズンを終えた今だからの事で、シーズン中は人でごった返して足の踏み場もないとの事である。
富士のお鉢めぐりのコース図
※ グーグル画像より拝借 さて、富士山の最高点である剣ヶ峰へは、ここから火口壁を半周伝っていく。
剣ヶ峰まで、40分かかるかかからないか・・って所だろう。 ちなみに、火口壁は右回りでも左回りでも距離はほぼ同じ位だが、左回りは最後は標高差70mの急登となるので、右回りの方が断然お得だ。
吉田口・頂上より覗く
富士山の最高点・剣ヶ峰は月面基地のようだ シャカの割れ石 火口壁に鎮座する雷石
富士山の最高点・剣ヶ峰までもうすぐだ
右回りだと、解放されていない富士山の第二高点である白山岳 3756メートル が眼前にそびえ立つ。 火口壁の対面にそびえる最高峰・剣ヶ峰より高く感じるのは気のせいだろうか。
ここから火口原を望みながら整地された砂利道を半周伝っていくと、対面から見ると富士山観測所のドームなどの構造物で頂らしからぬ異様な眺めを見せていた我が国の最高峰、富士山・剣ヶ峰に頂きに登り着く。 到着は8時ちょっと前であった。
登頂の証
『二等三角点・富士山』 富士山測候所のドーム
頂上では、拠所ない事情によって〔名峰次選〕のファイナル峰とはならなかったが、そのつもり・・を演出すべく奇妙な帳面をかざした姿で『我が国最高峰でのアリバイ写真』を撮る。
頂上からの眺めであるが、富士山の標高が他の山を抜きん出ている事もあってか、アルプスの山は雲海に埋もれるなど山岳風景としては今イチであった。
頂上より下界を
どうやら富士山の風景は、昨日の夕方の『クライマックス』がほぼ全てだったのだろう。
頂上の見どころと言えば、《大内院》と呼ばれる富士山の火口と火口壁くらいだし。
でも、せっかく来たのだから、無意味に1時間ほどタムロする。 『大院内』と呼ばれる富士の爆裂火口
さて、今回は週末の連休にやってきたのだから、今日中に帰路につかねばならない。
今は9時。 そろそろ下山に取り掛かる時間だ。 シーズンも終わって格段に登山者が少なくなった今、敢えて混雑時の対応として設けられた下山ルートを取る必要もない。
まぁ、ゆっくりと下っても2時ごろには下山できるだろう。
さぁ・・下界に向けて降りていこう
ただ一つ怖い事は、何の下調べもしていない為、《吉田口・五合目》での富士吉田行きのバスの時刻を全く知らないからである。 もし、最終バスが2時より前だったら、限りなく「ドボン」である。
「まぁ、シーズンが終わったとはいえ、そこまで減便されてはいないとは思うが・・」 「いや・・、御来光を見る為とはいえ、深夜から登ってきた奴はもうとっくに下り始めているし・・ね」 「バスの最終に乗り遅れたら、タクシー・・は無理 持ち合わせの余裕がないし・・」と、ブツブツと妄想に『ブツブツ念じ』を唱えながら下っていく。
標高差1500mにも及ぶ
富士山の赤土薙 下りは日が高く上がって写真映像的な魅力も減じてきたので、山頂より連なる溶岩流痕の赤土の薙などを数枚撮っただけで、割と下りに集中する。 そして、登りでは散々貶したつづら折りの砂利道も、登りが苦手な筆者にとっては「普通に歩ける」タイムロスの少ない下山道中だった。
・・で、結構早く荷物をデポった今日の寝床の《東洋館》の木のテラス前に戻り着く。
これよりは七合目の長屋状の山荘街を過ぎるとつづら折りの砂利道となるので、下りにそんなには時間はかからないだろう。 つづら折りの砂利道を急ぎ気味に下れば、つづがなく六合目の登山指導所を過ぎて、相変わらずゼブラロープで進入を阻んでいるだけの《泉ヶ滝》の登山道入口に着く。 後は、馬車馬の馬糞が落ちまくって臭い《富士スバルライン》の観光砂利道を伝っていくと、登り始めに「到底、これより登山を始める場所とは思えない」と記した《吉田口・五合目》に下り着く。
今回の富士の思い出は
この情景に凝縮されていた
着いてすぐさまバスの発車時刻を確認すると、16時位までバスの便はあるみたいだ。 まぁ、観光地だからね。
帰路であるが、バス終点の富士吉田(現 富士山)駅のバスロータリーに降りた時に偶然に接続していた御殿場行きの路線バスに乗れたお陰て、大槻から東京周りで帰るより大幅に費用と時間を浮かせる事ができた。 御殿場から乗ったJR御殿場線の車窓から見た夕暮れ空に浮かぶ富士のシルエットを目にして、「今日、あの頂点に立ち、頂点の突起から裾野まで下って来たんだなぁ」とちょっと感傷的になったよ。 御殿場線の車窓から富士のシルエットを魅て
少し感傷的になったよ |
名峰次選・中部山岳
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名峰次選の山々 第117回 『168 霞沢岳』 その2 〔長野県〕
常念山系(中部山岳国立公園) 2646m コース難度 ★★★ 体力度 ★★★
この山行は雨にたたられて
目的の山が左端に僅かに写ったモノしか撮れなんだ この峰に最初に挑んだのは、この年のゴールデンウイークだった。 そのゴールデンウイークでは〔名峰次選〕の未踏峰を3つ片付けるという、脳ミソ薔薇色の空想を抱いていた。 ・・が、その結果は、和名倉山は2度に及ぶ道の間違いで沈没、南アの広河内岳はそのあおりを受けて登る機会を逸して先送りとなった。
そして、この北アの霞沢岳も雪が深く《徳本峠》までしか行けず、しかもその《徳本峠》の山荘への道も間違えて(しかし・・、いくつ間違うんだ? このタワケ)直登してしまって、ジャンクションピークの肩に登ってしまう『オチャメ』をかましてしまったよ。 まぁ、和名倉山を始めとするハード『オチャメ』よりかなりウェィトが軽い(何が軽いの?)ので、ワテ的には『オチャメ』シリーズには挙げなかったけど。
霞沢岳も遠かった
この年のゴールデンウイークは総崩れだったよ
明神岳の鉾を従える
穂高随一の鋭鋒・前穂高岳
奥穂高やジャンダルムは
完全に白銀に覆われていた
前穂から奥穂、ジャンダルム、天狗ノコル、西穂、独標・・
全てが朝日を浴びて白銀に輝いて 霞沢岳登山ルート 行程図
行程記録
《1日目》 沢渡駐車場よりバス (0:35)→上高地バスターミナル (0:50)→明神 (2:20)→徳本峠小屋
※ ちなみに、積雪期は道を間違ったとはいえ、徳本峠小屋まで5時間かかってたりして・・ 《2日目》 徳本峠小屋 (1:00)→ジャンクションピーク (0:40)→小湿地 (2:30)→K1ピーク (0:20)→K2ピーク (0:20)→霞沢岳 (0:40)→K1ピーク (2:10)→ジャンクションピーク
(0:45)→徳本峠小屋 (1:40)→明神 (0:50)→上高地
上高地バスターミナルより※バス (0:35)→沢渡駐車場
※ 恐らく上高地到着は最終バスが発車した後なので、 上高地で宿泊して翌朝の始発のバス便に乗る
背後にずっと穂高連峰がそびえる
徳本峠への登り 《1日目》 上高地より徳本峠へ 「念願成就への試練」といいますか、残り一桁となってからの〔名峰次選〕踏破山行も、毎回の如く『大バテ』or『遭難フラグ』な目に遭ってるね。 もはや、『無訓練山行』が通用しないまでに過去の『貯金』を使い果たしてしまったか。 でも、そうこういってる割には順調に減ってきてはいるね。 偏に、『踏まれて腸が飛び出ても這いずるゴキブリ』のような悪足掻きと、生まれ持った『悪運』がモノを言ってるのだろうか・・。 それでは、北アルプス最後の〔名峰次選〕に登ってみましょうか。
霞沢岳は「北アにしてはギビしい峰」と云われるが、やはり我が国で最も岳人に人気のある《北アルプス》の山である。 アプローチと山中の宿泊施設は、まず問題なくクリアーできる。
ともすれば、初日のアプローチ日は時間が余って仕方がない位である。
上高地までの道が混むので、夜半に上高地の沢渡に着いて仮眠して、翌朝7時半の便で8時に上高地に着く。 このタイムスケジュールは、到底山に登るタイムスケジュールではないよな。
こんなにノタクタしても、昼前後には徳本峠に着く。
上高地も黒点(観光客)さえ入れなきゃ
写真として見れますね 明神までの散策路は退屈以外の何物でもないし、明神からも雪が消えて夏の正規の登山道が現れており、それを通る。 それは完璧に整備された道で、積雪期に直登していった沢は全く通らない。 そして、積雪期には雪渓を直登して稼いでいた標高差は、キチンとジグザグが切られていて苦も無く登っていける。 たぶん、『無訓練山行』というナメたマネに終始するこのタワケが装備一式担いでいても、《徳本峠》まで2時間を切った(1分だけだが、確かに切ったよ)位だ。 そうこうして、正午前には徳本峠小屋前のテント場に着く。
徳本峠道標と
素朴な造りの徳本峠小屋 でも、久しぶりだなぁ。 テント場一番乗りの『設営場所選び放題』の特典付は・・。
最近はいつもヘバってしまって遅く着いて、埋まった石が突出する「あな悪し」な場所しか空いてないケースが殆んどだったし。 後は暑いので設営したテントの外で涼みつつ、徳本峠から眺める槍・穂高の峰々を撮って一日を終える。 明日は、霞沢岳往復と上高地下山のロングランだ。
暮れゆく空と穂高連峰
「この天気なら明日も安心でしょう」と思うよね 駄菓子菓子! 夕暮れが暮れゆく毎に
モアモアと湧き立つ雨雲が・・
・・で、翌日は朝からこんな・・でした
《2日目》 雨の霞沢岳へ
翌朝目覚めると、あれだけ晴れていた昨日と打って変わって、重苦しい曇天だった。 当然、槍・穂高の朝景もナシだ。 小屋の建つ鞍部より小高い丘を越えてジャンクションピークへ取り付く。 雪渓を直登してしまったゴールデンウイークの時は、この辺りに登り着いたのである。
ここよりジャンクションピークまで、標高差300mの急登だ。
でも夏道は適度につづら折りが設けられて、「這い上がる」ような苦労は皆無だ。
まだ出発して間もなくで余裕があるのか、それとも荷物をテントにデポっての空身だからなのか、この登りを1時間を切るペースで乗り切る。
このジャンクションピークの標高は2428m。 「池口岳より高いのね」などと調子漕いでいたのもここまでで、これよりは『時の涙を見るモード』にモード変換されていく。 まずは、地図に《小湿地》とあった所の通過であるが、これが思ったより歩き難く、そしてヤケに長く感じた。 なぜなら、曇天から小雨模様へと天気が悪化して、《小湿地》のぬかるみが余計にヌタヌタとなってきたのと、更に湿気が高まって蒸し暑く不快な状況となったからである。
迷彩となったゼブラロープなんか撮ってないし・・
ヨシ! 花で取り繕るとするか
湿気による汗で不快感を増してこの《小湿地》を抜けるが、今度は更に不快感を増す状況に出くわす事になる。 進路が突然不明瞭となったのである。 それは進路は一つしかないのに、ゼブラロープでその進路が塞がれていたのである。 その先は土砂崩れを起こした崖間際のブッシュとなっていてブッシュをつかんでヘツる事は可能そうだが、そのゼブラロープはその土砂崩れへの進入を制止しているようにも取る事ができたのである。 だが、進路と思しきモノは、このゼブラロープを掻い潜った先しか見当たらなかったのである。
つまり、このゼブラロープは、進路を惑わせる『迷彩』となっていたのである。
進路が判らずウロウロするワテに続いて遅れて来た3名がやってきて、4人揃って『進路の相談』となる。 一人は「ここまで進んで来た『道』自体が間違いだ」と「引き返して道を探す」事を主張し、もう一人は「ゼブラロープを掻い潜ってブッシュをつかんで崖崩れをヘツる」を主張し、残る一人は「周囲のブッシュに道が隠されている」と考えて「周囲のブッシュの強行突破」を提案したのだった。 白い花と黄色の花で
『ゼブラロープ』を暗示しております
取り敢えず、全ての案を一つづつ潰す事にする。 まずは「引き返し」案であるが、10分位戻っても分岐らしきモノは全く見当たらない『一本道』だったのである。 これで「引き返し」案は却下。 2つめの「周囲のブッシュに道が隠されている」だが、今日とて霞沢岳を目指す多くの人が通過している現状から「道が隠されている」ってのはどうも考え難いので却下。
となると「ロープを掻い潜る」以外にはなく、試しにワテがブッシュを手繰って土砂崩れ崖をヘツってみる。 だが、土砂崩れ帯を越えたその先もブッシュで行き詰っていたのである。
これを待つ3人に報告する。
これで本当に行き詰ったのである。 そのまま30分程過ぎた時、夜明け前から出発した先行トップの登山者が先程行き詰った土砂崩れ帯の先のブッシュの上に現れたのである。 これで答えは解った。 このゼブラロープを掻い潜り、ブッシュをつかみながら土砂崩れ帯をヘツって、ぶち当たったブッシュを強行突破すると再び道が現れる・・というのが進路のようである。
しかし、北アの上高地界隈の山で、こんなに迷彩のかかった登山道が存在するとは思わなんだよ。
結局これで、約1時間チョイの時間が無駄となってしまったのである。 この道の不明瞭で1時間以上ロスしたお陰で、帰りにオチャメな目をせねばならぬようになっちまったよ。 まぁ、その内容は話が進む上で語るとしよう。
ゼブラローブによる迷彩の後は
蒸し暑い草付きの急登だった この思いっきりの時間ロスを経ると、道はかなりキツい上り坂となっていく。
ワテを含めた『道に迷った4人』は運命共同体となったのか暗黙の了解で一緒に登っていくようになったのだが、ワテより武装強化した『ニクジュ・バァンneo』な御仁にはこの急坂はかなりコタえていたようである。 で、この方を待つべく、更に時間をロスする。 この草付の急坂を越えると、今度はガレたルンゼ状の急坂となる。
このルンゼのガレ坂は浮石が多く、そして折からの小雨で足場がヌチャヌチャになった上に泥が石に乗って滑りやすくなっていて厄介だ。 それに加えて道迷いで1時間ロスッた為か、霞沢岳から戻って下山に取り掛かる先行の一団とすれ違う事となる。 狭いルンゼの滑りやすい悪場でのすれ違いは、更に時間を食うのである。 すれ違い待ちや下りてくる者が落とす落石でかなり時間をロスしてしまって、先程遅れ始めた『ニクジュ・バァンneo』な方はいつの間にか追いついていたようである。 転がる巨石にペンキで
『K1』とぞんざいに書かれたK1ピーク 下山の一団をやり過ごした頃に漸くこの急坂を登りつめ、稜線上のピークの《K1ピーク》に登り着く。
ここからは稜線を伝っての岩場の登降となるが、この岩場は「鎖は要らないレペルだが、トラバースの技術は多少必要」なレベルで、キツいルンゼを登りつめてヘバってきた身体にはなかなかコタえる登降だ。 地図ではコースタイムで『頂上まで25分』とあるが、絶対に30分以上かかるよ・・コレ。 そう、今のワテが、かつて『奇跡の体力』では無い事を割り引いたとしても・・である。 頂上直下のお花畑より
ハクサンイチゲ
しかも、稜線上のもう一つのピーク《K2ピーク》を越えたあたりから、空が急に『大泣き』をし始めた。 バケツをひっくり返したような猛烈な豪雨に襲われたのである。 もう、呼吸をするべく口を開ければ、雨水が飲み水の如く入ってくる。 でも、鼻呼吸をするものなら、雨水が鼻から入り込んで咽てしまう。 そう、溺れた時と同じ状況となるのだ。 キバナシャクナゲ
これがずっと続くと流石にヤバかったが、この『バケツ豪雨』は10分程で通常な雨に収まり、最後は頂上直下のお花畑を愛でる余裕さえできた。 でも、通常より2時間近く遅れていて、事実上は「頂上直下のお花畑を愛でる余裕」ではなく「もうヤケクソになってる」と言う方が正解だろう。 この「通常より2時間遅れている」というのは元からノーテンキな筆者は別として、真面目な方にとってはかなりのストレスとなるのだ。 なぜなら、土日の休日を使って登りに来ている登山者は、『ごく一部の拠所ない事情』に陥った者(若き日のタワケな筆者は、夏のシーズンがやってくると自ら進んでこの状態になってたりして)を除いて明日は出勤日なので、最終バスの発車時刻までに上高地のバスターミナルに戻り着いていなければならないからだ。 アオノツガザクラ
そこに、上高地発の最終バスに乗る事が絶望的な「2時間の遅れ」は、真面目な人にとっては心を掻きむしられるようなストレスとなるからである。 駄菓子菓子 だがしかし! 筆者は同じく明日は出勤の身でありながら、「最終バスに乗れなければ、貧民労働者の権利『有給』を使えばいいんじゃネ!?」という無責任体質の持ち主であったのである。
ウサギギクかな?
現にこの時は「夜行列車があるさ」と余裕を決め込んでダラダラと下り、下山した駅で災害によって戻る事が可能な列車の運休を知らされて『詰み』=『サボリ確定』となったロクデナシな奴なのである。 その『ロクデナシ』体質を満開にしてにして、雨の中脇目も振らずにお花畑の撮影に入れ込むタワケであった。 ハクサンイチゲ・シナノキンバイ・アオノツガザクラ・キバナシャクナゲと、北アの山にしては豊富な花の園であった。
頂上直下は北アの山には稀な
同種の花の群落を成すお花畑となっていた 道に迷って時間をロスって『運命共同体』となった皆さん・・ ん!? 御三方ともむいなくなってるよ。
どうやらこの御三方、ワテがノーテンキに花の撮影に勤しんでいた間に頂上にタッチして、上高地の最終バスを追っかけるべく急いで下山したようだ。 残されたワテは、この御三方より遅れる事10分位でお花畑の丘を周り込むような判り難い位置にある霞沢岳 2646メートル の頂上にたどり着く。 北アの山では特異なほどに粗末な
霞沢岳頂上標 霞沢岳の頂上はお花畑の草付の丘の上にある小さなサークルで、頂上を示す頂上標はプラカードが差してあるだけの北アの山では『特異』な部類の貧祖な頂上風景だ。 そして、先程の「バケツをひっくり返した」ではないものの、シトシトと降り続く侘しい情景であった。 霞沢岳の頂上ではこういうのを期待したのだが
雨とドス雲の世界だった まぁ、この山の『ウリ』は対峙してそびえる穂高連峰の雄姿を望む事だから、雨でそれがなければ侘しさだけが漂うのである。 その侘しき風情のたたずむ頂上で足を投げ出して「雨の中のひととき」をたたずんだなら、「最終バスに乗る」という無駄な足掻きはやめて、いつもの如くダラダラと下っていく事にしよう。
ゆっくりダラダラと降りていくが、帰りの道中で「駄菓子菓子!」な事が起ったよ。
それは、上高地の最終バスに乗るべく先行した御三方に例の迷彩のかかった『謎のゼブラローブ』の辺りで追いつき、ジャンクションピークの登り返しでは、何とこの御三方を「ブッちぎって」しまったよ。
『奇跡の体力』限定復活か?
御三方ごぼう抜きで登り着いたよ まぁ、この2ヶ月で和名倉山、女峰山、南アの池口岳とこなしているから、多少体力が着いていたのかもしれない。 でも、あの黄金の『奇跡の体力』には遠く及ばないのだが・・。
その上機嫌な気分を取り成すかのように、ジャンクションピークの辺りでは晴れてきて松本側の展望が開けて来たよ。
さっきからの雨雲がさっと去ってゆき・・
そして、ジャンクションピークの下りを終えて徳本峠上の展望台に戻り着くと、視界には「今頃遅いわ(怒)!」の雨上がりの晴天となった空の下で槍穂高の山屏風が展開していたのであった。
『奇跡の体力』がメタボッティに変わって愚痴が多くなったタワケは、この状況を喜びながらもブツブツと『ブツブツ念じ』を唱えながらカメラ片手にシャッターを切りまくる。
一言喚かせて下さい・・
オイ! 今頃良くなるなよ! そう・・この時に例の御三方は、カメラのシャッターを切りながら『ブツブツ念じる』タワケの脇をすり抜けていたのである。 そうなのだ・・、ワテもこの御三方のように真面目に脇目も振れずに上高地の最終バスにターゲットを絞っていたなら、きっと乗れたのだろうね。
『ブツブツ念じ』を唱えるその甘い脇を
御三方に差し返されたよ
・・で、満足がいく程にシャッターを切って『ブツブツ念じ』を唱え終わったなら、徳本峠のテント場に戻る。 あぁ・・、これからテント撤収せなアカンし・・。 先程の『ブツブツ念じ』とこのテント撤収で、上高地最終バスは完全に『詰み』となったようである。
「しかし・・ 何故にこのタワケはここまで余裕ブッ漕いでいるのだろうか?」と訝るだろうが、この時のタワケには、ノーテンキな錯誤があったのである。 それは、「もうシーズンに入ったのだから、乗り遅れ対策で夜の8時位までバスはあるかも・・」という、御都合主義満開の薔薇色に膿んだ脳ミソが抱く思い込みである。
結局、テントを撤収して徳本峠を発ったのが16:30頃、道は整備されて歩き良く、筆者特有の『下り時の(大いなる)掛かり気味』も症状が現れずにスムーズに下っていったものの、明神に着いたのは18時の少し前であった。 いつもはハイカーがタカッている明神の山荘前のテラスは、今は全くもって誰もいない。 この状況を目にしてはさすがにノーテンキなタワケでも、先程の「夜の8時位までバスはあるかも・・」というのが薔薇色に膿んだ妄想である事を悟ったのであった。 「もう、完全に詰みだ」と観念して、腹も空いたので明神の山荘でうどんを食って、更に遅れる。
でも、『遭難フラグ』を立ててしまった時と同じく、『詰んだ』状況に陥ると何故か落ち着くんだよねぇ〜、このタワケは。 『詰まない』ように足掻くのが普通の人の思考なのであるが、このタワケは全く逆なのである。 うどんを食ってから再び上高地の遊歩道を歩き始めたのが日没直前。
上高地に入る頃にはカンテラを出さねばならなくなったりして。
日没直前はここで迎えればよかったかな?
・・で、着いた上高地は当然にバスは18時が最終で、あれ程ウザい位に人が群れてるこの地帯が閉鎖されたテーマパークの如く人っ子一人いない。 こうして、上高地での夜明かしが確定したのであった。 これが、迷彩ゼブラロープに遭遇した時に「話が進む上で語るとしよう」と述べた『オチャメ』である。
上高地での『オチャメ』が確定したのであるが、この手の『オチャメ』は金を出して周囲の旅館に飛び込めば解決するのだが、この時のタワケは帰りのガソリン代と高速代でカツカツの持ち合わせしかなかったのである(バスは往復券購入)。 で、テント場を見ても、もう受付は終了していたようであった。 もう仕方ないので、上高地のビジターセンターの休憩コーナーの床の上にシュラフ敷いてゴロ寝する事にした。
でもコレって、上高地の巡視員に見つかったら『詰所送り』モノだろうね。
だから、心なしかベンチ椅子に隠れる位置にマットを敷いて身を縮め気味にしてたよ、反射的に。
で、グッスリと寝て、朝の5時に旅館に泊まった登山客を装いつつ、朝の始発バスに乗る。 でもバスの始発は7時とかなり遅いね。 上高地の時計は、周囲の旅館に合わせているみたいだね。
『名峰次選 アルプス八千尺制圧作戦!?』の『霞沢岳』を御覧下さい。
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名峰次選の山々 第116回 『183 池口岳』 その2 〔長野県・静岡県〕
赤石南嶺(南アルプス国立公園) 2392m コース難度 ★★★ 体力度 ★★★★
黒薙の大崩壊地から望む
双耳峰・池口岳 「道を2回も間違える」やら「廃道然の道をルートに選ぶ」という『死亡フラグ』につながりかねないオチャメをかましながらも、『二峰踏破』というまずまずの結果に慢心となった筆者は、残る峰で北海道のペテガリに次ぐ難関峰にリトライを目論む。 それは山中に小屋はなくテント必須で、しかも水場がなくて生活水を持参せねばならない南ア・赤石南嶺の池口岳の踏破である。
池口岳登山ルート 行程図
行程記録
《1日目》 『道の駅・遠山郷』より車 (0:35)→池口岳登山口 (2:40)→黒薙 (1:30)→ザラ薙の頭 (0:10)→ザラ薙平〔露営地〕
《2日目》 ザラ薙平〔露営地〕 (1:30)→加加森山ジャンクション (0:40)→池口岳(北峰) (2:00)→ザラ薙平〔露営地〕 (1:20)→黒薙 (2:00)→池口岳登山口より車
(0:35)→『道の駅・遠山郷』
南アルプスの更に奥深く・・
豊かな緑に囲まれた秘峰へ 《1日目》 チロルの里よりザラ薙平露営地へ
前日は、登山口の最寄りの道の駅である『遠山郷』で仮眠する事にしよう。 この『道の駅』は、温泉クアハウスのある「使える」道の駅だ。 ここで行動水の補給など、登山の下準備をして出発。 『道の駅』から《フォッサマグナ縦貫酷道》のR152を行くが、かつて『日本のチロル村』と云われた旧上村(現在は飯田市に編入)地域を行くので、『道の駅』を出てからほんの1km足らずで離合困難の狭隘道路となる。
この地域にとっては《フォッサマグナ酷道》のR152よりも、阿南町方面から延びてR152と交差する《日本三大酷道》のR418の方がメイン道路のようである。 まぁ、R418とて、「落ちたら死ぬ!!」の看板で名を馳せるが如く胡散臭さは同等なれど・・。
そのR152で遠山郷の集落を見下ろすまでに坂を上り、その上りきった所にある1日2本ほどのバス停の前に60°の鋭角の細い曲がり角(遠山郷からだと切り返しをせねば曲がれない)がある。 これが池集落から池口林道への入る道のようである。 後は、かなり状態の悪い林道を20分ほど詰めると『登山口モドキ』な所に出る。
さて、先程に『登山道モドキ』と記したが、周囲を見渡すとこれ以外に登山口はなさそうな位の登山口だった。 頼りないハシゴ階段で土手を登ると、その上に『池口岳登山口』と記された丸太ポールが立っていたし。 まぁ、車の運転席目線だと樹に隠れて見えなかったけど。 車を3台ほど駐車できる小荒地(地面はボコボコに穴が開き、駐車適地とはお世辞にも言えない)の端に車を止め、放置されたトイレで小用を足してから登山開始。 道は予想に反して明快な一本道で続いていて、登りの傾斜度もそれ程にキツくなかった。 まぁ、傾斜が緩い分、頂上までの距離が長いのだろう。
登りが思ったよりキツくないとはいえ、水の入手が難しいので1泊2日の山行を凌ぐ分の水を担ぎ上げねばならないのである。 その水の量は3.5リットル=3.5kgで、水をを含めた荷の重さは23.5kgに達しているのである。 ワテの限界点は25kg(この重量を超えると、身体が拒絶反応を起こす)なので、これを超えないように山行前のパッキングに腐心したのである。 それはもう衣服をカットしたり、食料も軽いパンを選択したり・・と、足掻きまくるのである。
それでも、写真『床』(写真界を席巻するのが写真『家』、その底辺をナメクジのように這いずり回る『床』がワテ)を自負する『カメラ野郎』なので、望遠レンズは持っていったよ。
道は判り易く明快な一本道で、道標のリボンも完備していた。 こんなマイナーな山で道標リボンが『花ざかり』とは、この様子では結構ワテのような『ナンチャッテ』な山ノボラーも多く来るのだろうな。 この山でトラブルに巻き込まれたら、初心者ならヤバいよ。 まぁワテは、数々のオチャメ体験があるのでシブトい(このシブとさを称して『ゴキブリ並の生命力』と云われている)けれど。 森の中の一本道を抜けると
歓声を上げたくなるような明るい草原地帯に出る 森の中の一本道を伝っていくと、徐々に傾斜が増していく。 やがて森林帯を抜け出たのか、周囲は明るい草原地帯になっていく。 黒薙の頂上付近まで登りつめたようだ。 思えば、この山行で最も恵まれた環境の中を過ごした時間帯なのかも。 その通り、これより徐々に雲が漂い始めて、最後は『オチャメ』となる事をこのタワケ(筆者)は知る由もない・・のである。
遥かなる双耳峰・池口岳とスカイライン
これが今回の一番星かも・・ この日差しに輝いて眩いばかりのライトグリーンの草原帯を詰めると、稜線上に出る。
稜線上から望むと見事なまでの非対称な山で、尾根筋の東側は完全無欠に大崩れを起こした薙となっていた。 もちろん、草一つ生えない不毛の薙で、転げ落ちたら底まで行ってしまうだろうな。
標高1837mの黒薙の源頭から
1000m以上の薙を魅せる黒薙の大崩落 そしてその薙の向う側に、逆光に黒光りした池口岳の主峰がそびえたっている。
「まだまだ遠いなぁ」と、汗を拭きつつカメラを取り出してひと休み。 この山行で最も充実したひとときであった。 明日にここで『オチャメ』な目に遭う事は、素晴らしい山岳風景に酔っているタワケには知る由もなかった。
視界に入る山の名が指摘できぬ程に深い山域なのだ
この赤石南嶺は・・ この東側が薙落ちた尾根上を200mほど伝うと、少し草地側に入って黒薙 1837メートル の頂上サークルにたどり着く。 頂上サークル上は樹木に覆われていて、展望は先程の薙となって切れ落ちた尾根上の方が断然良い。 薙った尾根上で思う存分に身体を伸ばしたので、ここはほとんど休憩も取らずに先に進む。
左側は鬱蒼とした森
右側は1000mを越える 大薙の崩壊地形を魅せる黒薙頂上
ここまで信じられない事に、コースタイムの3時間を20分もアンダーでやってきている。
「余裕があるので、少しゆっくりと行こうか」と余裕をかますと、途端に足が遅くなったりして・・。
ある珍しい植物を撮る為に幾度となく立ち止まったとはいえ、次の《ザラ薙平ノ頭》までの1:10のコースタイムを30分もオーバーしちまったよ。
その『ある珍しい植物』とは、ギョリンソウである。 茎から花弁からの全てが透き通った白を魅せていて、怪しい雰囲気満点の植物だ。 まぁ、厳密にいえば菌根を形成する腐生植物で、花というより茸に近いかもしれない。 これを撮るのに、これまた熱中したのである。 それは樹木の隙間よりの木漏れ日に当たって銀色に輝く、この怪しい植物に魅せられたからだ。
背丈が10cm程で、しかもジメっぽい土床からムーミンに出てくる『ニョロニョロ』のように生えているので、荷物を下ろして胡坐をかいて・・でないと撮りきれないのである。 もちろん、マクロレンズ装着で撮る瞬間は『息を止めて』である。 その戦果は以下の掲載写真をごろうじろ。
単体だと「不気味なコマクサ」
と言った所か・・ 群れるとムーミン谷の
ニョロニョロを連想させるね
もはや植物ではなく生物なのかも・・
不可思議な物体・ギョリンソウ ・・で、黒薙よりザラ薙平までのスパンを乗り越え、ほとんど森の中に真新しい看板の立つ《ザラ薙平ノ頭》に着く。 時間は12:40。 23.5kgを担いで登山口から4時間チョイは、今のヘタレには奇跡である。
《ザラ薙平ノ頭》の頂上より少し先に進むと樹林帯を抜け出して、西側が草付で東側がこれまた大きく切れ落ちた薙の尾根上を歩く。 でも、登山道=歩行トレースが薙の縁にピッタリと着くなど、登山者の多い人気の山岳コースでは有得ないデンジャラスさがあるね。 やはり、マイナーな山だからなのだろうね。
味わい深いザラ薙平からの眺め
これよりは尾根の西側に広がる草原帯を見渡して、幕営適地を選定する『仕事』をせねばならない。 出発前に見たガイド本では「《ザラ薙平》は草原地帯で幕営適地である」と記されてあったが、見た感じそんなに草原ぽくなかったのである。 ただの草付。 ガイド本を見て「山上大草原での夢の一夜」を想像していたので、少し期待外れであった。 テント場となるザラ薙平の草原
10分程降りてトレースが薙の縁から少し内側に入ると、ちょっと雰囲気のよさそうな木々に囲まれた草原帯があり、そこを今夜の宿地と決める。 時間は12:56。 23kgを担いだにしては、好タイムでないかい!? でも、こんな完全無欠に何もない所にテントを張るのは久しぶりだねぇ。
記憶を辿ると、南アの蝙蝠岳を攻めた時に《北俣岳分岐》で幕営して以来か。
いや、あの時は他に一張りあったので、完全無欠は日高の《七ッ沼カール》以来12年ぶりだね。
12年ぶり・・という事は、最盛期に近かった頃だね。 「・・ってぇと、今回の水運びのワザは最盛期のワテに通ずる大ワザだったのね」と、無意味に気が大きくなって誇らしげな気分になる頭が花札の『ボタンと蝶々』状態のワテであった。
昼飯に菓子パンを食って、テントの中でひと眠り。 あぁ・・、早く着くと、こんなキツイ山域でも、こんな余裕を持つ事ができるんだね。 先程も記した通り、周囲は『草原』というには物足りないし、薙となっている南方は完璧な崩壊地形だし、山は隠れて眺望は今イチで寝る以外にする事ないのだが。 明日は、いよいよ難関峰の池口岳を踏破する。 山の南面全体が薙となって崩落している
池口岳・南峰 《2日目》 池口岳往復と下山
翌朝、4時に目覚める。 昼寝したのに、良く寝れた。 朝飯は持ってきたコンビニおにぎりで済ませて、5時過ぎには出発。 今日の行程は、頂上まで上りの所要2時間半の池口岳往復に加えてそのままイッキに下山と、『目標達成の為の鍛錬や努力は一切ナシ』のタワケ野郎にはかなりハードルの高い内容である。 そして、その『高いハードル』に追い打ちをかけるように、お天気もグズつき気味だ。 さて、ルートは明瞭な一本道なれど、所々に倒木が転がる微妙な内容だ。 これまでに幾度となく、最近ではほんの2ヶ月程前に道迷いで連続『遭難フラグ』をおっ立てたワテとしては、多少通り難くても間違い様のない『一本道』の方が好ましいのである。
総じて言えば、山小屋皆無で水場もないマイナーな山域にしては登山道の状況は優良である。
岩が割と敷き詰められて歩き易い樹林帯を抜けると、いよいよ池口岳のある南アの深南領域の稜線から派生する尾根の上に出る。 この尾根は両側がすっぱりと切れ落ちた痩せ尾根で、深南嶺の稜線までボコッボコッとコブ峰を2つ持ち上げて連なっている。 もちろん、痩せ尾根なので巻き道などはなく、このコブの頭を忠実に踏み越えていかねばならない。 右手はザラ薙ぎの崩壊地形、左手は深い針葉樹林の崖と、結構高度感のあるこのコブ尾根を伝い登っていく。 痩せ尾根のコブから
薙の崩壊側を見る
尾根上の登山道は右手の「落ちたらヤバい」ザラ薙の崩壊地形をできるだけ避けるように付けられていて、いよいよ通過が難しくなっていくと左手に張り出した針葉樹林の幹に巻きつけられたゼブラロープを手繰って、コブ尾根の岩塊を左から巻くように越えているようだ。 森林のある左手は、木の幹や枝など手足の『取っ掛かり』が多数あるので当然だろう。 でも、尾根コブの岩塊を左巻きに巻くと、ゼブラロープ片手の懸垂下降となるのは、どう見ても一般の山の登山道ではないわなぁ。
一般登山道でない証
・・で、尾根上に見える2つのコブ尾根を「左に巻き付いてゼブラロープで懸垂下降」で越えると、程なくコミカルな文字で『J・P ジャンクションピーク』と書かれた木の道標が巻きつけられた大木が現れる。 どうやら、ここが《加賀森山ジャンクションピーク》のようである。 稜線上への入口
加賀森ジャンクションピーク 《ジャンクションピーク》と言うからには稜線上に出た事を意味するのであろうが、周囲は視界の全くない針葉樹林の森の中で、この山が森林限界より標高の低い山である事を周囲の情景が証明しているようだ。 《ジャンクションピーク》から稜線に上がると、痩せ尾根では右手に見えていたザラ薙の崩壊地形の源頭部を巻くように伝っていく。 一方、稜線の静岡県側は緩やかな草原地形が広がり、浸食によって露骨な非対称地形となっているようだ。
エーデルワイスの別名がある
タカネウスユキソウ
この辺りから、チラホラと花も現れ出してくる。 エーデルワイスのウスユキソウ、ハクサンフウロ、ゴゼンタチバナなどが、崩壊地の源頭部にひっそりと隠れ咲きしている。 これは身を乗り出し気味にせねば撮りづらいが、あまり乗り出し過ぎると薙ぎの崩壊地に転がり落ちて標高差1000m真っ逆さま・・となるので注意しよう。 でも咲いている所は
こんな風にデンジャラス
冗談めかしに記したが、麓まで落ち込む大崩壊地はけっこうそそるモノがあるし、花も崖の岩に隠れ気味に咲いているので、撮影には危険が伴う事は留意頂きたい。
ザラ薙の源頭部の上にあるキレット状の痩せた鞍部を越えると、一転して広い草付きの中に出る。 その草付きの中を斜めに緩やかに登りつめていくと、4等三角点のある池口岳の頂上に着く。
頂上には南アの中央盟主の峰々の頂上にある『頂上標柱』がなく、木に『池口岳』と書かれた板切れかず巻きつけられただけの寂しい頂上風景である。
池口岳の頂上標
貧祖な頂上標がこの山域のマイナーさを物語る もちろん、ワテ以外に誰一人としていない無人の山頂である。
これを目にして、この山域が『南ア』を名乗りながらも、あまり人の寄り付かないマイナーな山域である事を実感したよ。
頂上からの眺望であるが、頂上は適度にスペースがあるものの、周囲は木々が遮って眺望はあまり宜しくない。 だが、双耳峰である池口岳の南峰方向へ50m程出ると、池口岳の南峰がデンと立ちはばかっていて壮観だ。 また、池口岳名物の薙の大崩壊も見事に均一された傾斜で、イッキに頂上から麓まで1300mを落としている。
南峰への1時間半は
今のメタボッティでは無理だな 遠くの静岡側にそびえる山々は、登頂が困難極まる存在なのをひた隠すべく、穏やかな山容を魅せていた。 このまま進んで南峰も踏みたい所だが、タイムオーバーになる恐れに加えて、そもそもに今置かれた立場が現役から退化したメタボーマンである事実は如何ともし難く断念と相成った。
あぁ・・、奇跡の体力があった時は行けたんだろうなぁ、南峰までの往復1時間半。 さて、下りであるが、あの厄介な痩せ尾根の岩峰からの懸垂下降は、下山時には逆に上りとなるので通過は格段に楽となる。 難関峰の頂上を極めた達成感も加わって、上機嫌でザラ薙の源頭部に咲くエーデルワイスを撮りつつ下っていく。
まぁ、和名倉山の道ロストから始まって、徳本峠の雪山(ぢ・つ・わ・・、雪が深くて霞沢岳に行けなかったの・・)、和名倉山リベンジ、女峰山と連発で山行をこなしてきたので、ちょっとは身体があの時の『奇跡』に近づいたのかもしれない。 下りもそんなにキツくなく、テント場の《ザラ薙平》に戻り着く。
テントを撤収して下山に取りかかるが、当初の想定では「バテにバテて、この地で連泊」も最悪のパターンとしていたので、午前10時過ぎに下山準備にかかれるのはすごぶる上出来である。 だが、空が『上出来』ではなくなってきた。 雨が落ちてきたのである。
急いで合羽を着て、テント場を出発。 これより黒薙までは森の中を通るので、あまり雨に打たれる事がなかった。 それ故に雨が降っている感覚がつかみ辛かったのである。
・・が、黒薙に出た途端、状況は一変した。 薙ぎ落ちた黒薙の東面に向かって、暴風雨が吹き荒れていたのである。 そして、この東面が薙ぎ落ちた黒薙を、暴風雨をモロに受けながら通過しなければならなくなったのである。 状況は、薙に下ろす暴風雨に煽られたなら、薙に転がり落ちてしまう・・って寸法だ。
さすがに「これはマズい」と思ったよ。 そして、この暴風雨に幅50cmしかない黒薙のヘツリを越えるのは、5分以上の確率で「薙に吹き飛ばされて転がり落ちる」気がしたのである。 能天気極まるタワケがこう思うのだから、結構「クル」最悪の状況だったのだ。
そこで、困難な目に遭遇すると『ゴキブリなみの足掻き力』を発揮するこの筆者(
・・で、実際にやってみると、思ったほどに急斜面でもなく、思ったほどにブッシュに阻まれる事もなく、暴風雨に当てられる事なく危険地帯を回避できたのである。 でも、通過して安全な草原地帯までくると、さすがにヘタリ込んだよ。 安全な草原地帯に出て、身の安全を確認できるとホッとして、タダ雨に打たれる中で荷物を下ろして胡坐をかき座り休憩・・。 ひと息着いてから再び下り出すが、下っていく毎に雨は弱くなっていき、どうやら暴風雨は黒薙より上だけのようだ。 要するに、山の頂稜部のみに黒雲がドッカリ被って、麓はセミがミンミンと鳴く蒸し暑い夏空ってパターンのようだ。
下りきって面平の平坦部まで降りると、案の定に樹が覆わない所から強烈な夏の日差しが照りつけてきた。 着ていた合羽が見る見るうちに乾いてパリパリのゴアゴアと着心地がすごぶる悪くなったので、溜まらず脱いで丸めてザックの天袋に仕舞う。 でも、ザックの天袋部は黒薙の大雨の水を含んでダボダボなので、パリパリのゴアゴアなのに濡れいて、なおかつ合羽の機能である水を弾く機能皆無の「使えない化学繊維」と化していたよ。
これが2万円だからねぇ。 人の造りだしモノは、到底自然のパワーの前には無力のようだねぇ。
信濃俣や大無間山など
里では拝めぬ山なみを望む奥深き山旅だった ・・で、昼の2時前に、夏の日差しで乾燥して地割れを起こしている車置きスペースの荒地に戻り着く。 車の中はキンキンに熱せられて、ハンドルが握れなくなるほどに熱くなってたよ。
なので、エアコンが利きだすまで、雨の山行の後片付け。 誰もいないのでパンツ一丁になってTシャツなどを着替えて、麓にある『道の駅・遠山郷』へ。 ここで温泉に入り(この道の駅はクアハウス併設である)、この難関峰への山行を終える。
※ 元ネタの旅行記『アルプス八千尺 制圧作戦』は只今製作中でっす。
近日完成予定なので、アップしたらリンクするから見てネ!
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名峰次選の山々 第112回 『166 餓鬼岳』 長野県 常念山系(中部山岳国立公園) 2647m
コース難度 ★★★ 体力度 ★★★★
夕日にほのかに染まる餓鬼岳頂上部
今回は、〔名峰次選〕の第55回で未踏峰の峰として掲載していた餓鬼岳を御紹介しよう。
だが、この餓鬼岳は、標高差や行程内容が今のヘタレた状況ではかなりキビシく、身体が出来た現役時代でないと登頂が難しい峰であった。 なので、今回の記事は内容が著しく不具合である事は、悪しからず御了承下さい。
餓鬼岳・白沢コース 行程図
行程表
《1日目》 JR信濃大町駅よりタクシー (0:30)→白沢登山口 (1:30)→魚止ノ滝 (0:30)→白沢・最終水場 (2:30)→大凪山 (2:30)→餓鬼岳小屋・山頂まで所要5分
《2日目》 餓鬼岳小屋 (2:00)→大凪山 (2:00)→白沢・最終水場 (1:45)→白沢登山口よりタクシー (0:30)→JR信濃大町駅
《1日目》 白沢登山コースより餓鬼岳へ
この項目では、北アルプスの中でも最も標高差が大きく、かなりの健脚向けの峰である餓鬼岳 2647メートル に登ってみよう。 登山口から山頂までのこの山の標高差は1650mにも及び、北アルプス山域の単体の山では断トツの標高差を示している。 数値が示す通り、この峰を極めるにはかなりの体力を要するのである。 ちなみに、最盛期を過ぎて体力が落ちる一方の筆者は足が続かず、休憩を取りまくって登りで10時間、下りで8時間半かかっている。 まぁ、これは筆者の心がけがなってないからなのであるが、それを差し置いてもガイドなどで示すコースタイムの登り6時間半・下り4時間半では難しいコースであろう。 だが見た所、空身で日帰り往復を計画する登山者がかなり多いようだ。 体力があれば何とかなるのかもしれないが、この山で日帰り山行を実行するとなると、上記に挙げた『ガイド等でのコースタイム』を切らねば無理となるのである。 そして、このコースタイムをクリアしたとしても、山頂での滞在時間は10〜15分程度と、何を楽しみに山に登っているのか問いたくなるような内容の山行となってしまうだろう。 山岳風景を愉しみ、ゆとりある山旅を味わうべく、ここは是非とも山中1泊形態の行程で進めていきたいと思う。
それでは、山旅を始めよう。
第一難関の大凪山を正面に見て登高開始
筆者の所要10時間は日頃の鍛錬不足など『心がけ』がなっていない事として差し置くとしても、前述の如くかなりの健脚ルートである。 これは、駅に着いて・・や、マイカーで登山口に着いての引き続きの登山開始では、タイムオーバーとなってしまうのが目に見えているのである。
要するに、所要時間が大きいこのコースでは、早朝の夜明けと同時に登り始める事が必須となるのである。 従って、行程表では『引き続き』のように記してあるが、前夜までに登山口までアプローチしておく必要がある。 だが、登山口には宿泊施設は皆無で、マイカー車内泊かテントを持ち込んでの登山口での幕営となろう。 ちなみに、筆者は後者の前夜登山口でのテント幕営をしたのであるが、これはこの厳しいコースをテント一式担ぎ上げる事が課せられる事となるので、登山口のアプローチ手法に関しては事前に考慮願いたい。 さて、夜明けとともに出発がベストだろう。 筆者の訪れた秋はAM6時頃が夜明け時である。 舗装された車道の終点に車が数台駐車できるスペースがあり、そこが山道への入口となっている。 ここには工事現場などでよく設置される簡易設置トイレが置かれているが、設備はこれだけである。 朝の光が彩る秋を照らしてくれた
山道の入口に入り、数分歩くと案内板の立つ登山道入口に出る。 登山道入口は一見すると行き止まりの袋小路状になっているが、案内板の脇の細いルンゼ状の桟道が下に延びている。 これを下っていくと、程なく清らかな流れを示す白沢の前に出る。 これより、山への取付点まで沢を遡っていく。 最初は沢に架かる桟橋もしっかりしていて難なく沢を伝っていけるが、徐々に切り立った沢の両岸が迫ってきて函状をなしてくる。
やや荒れた沢をいく
最初は桟橋もしっかりしている このようになってくると、沢のヘツリのトラバースや吊りハシゴ(吊り下げてあるだけの不安定なハシゴ)など、沢遡行の様相を呈してくる。 これは行きは体力もまだまだあって問題ないが、帰りはそれなりに疲れて足元が覚束なくなっているだろうから、帰りは通過がかなり厳しいのである。
沢遡行の途中では支沢が流れ込む所が6ヶ所あり、いずれも跨ぎ渡るが、この渡渉点の全てに『水場』表示があり、いずれも水場となっているようだ。 沢をつめていくと百名滝にも
退けを取らない大瀑布が現れる 前述の函状のトラバースと吊りハシゴを越えると、大岩が転がる沢床の荒れた所に出る。
時折大岩を乗り越えたりしながら進んでいくと、落差50m超のストレートの大瀑が滔々と白布を掛けているのが見えてくるだろう。 《魚止ノ滝》である。 滝の姿は、100名滝にも退けを取らない勇壮な滝で、その名の通り沢を遡る魚を止める滝なのであろう。 なお、この滝の手前に《紅葉ノ滝》があるのだが、沢ヘツリの通過に気を取られてハッキリとは確認できなかった。
もっとじっくり撮りたかったが・・
この山の行程ではムリというもの 《魚止ノ滝》の手前まで荒沢状の河原を伝うと、滝の右岸(滝の左側)をつづらを降りながら登っていく。 つづら折りの折り返し点に滝の案内札が掛かり、ここが滝の展望台となってるようだ。
だがこの展望台からは滝の下部が見辛く、この滝を望むなら下の荒れ河原から見上げる方がいいだろう。
《魚止ノ滝》を越えると沢は滑滝状となり、その右岸に架けられた桟橋を伝っていく。
なお、これらの桟橋は、かなり古いタイプのモノで桁の破損が多くあり、通過時には桟橋の桁の踏み外しに注意したい。
沢の右岸を伝っていくと、勢いよく流れ落ちる6つめの支沢を桟橋で渡る。 橋を渡った袂にはテント3張位の土場スペースがあり、桟道の木材を積んでベンチとした休憩場となっている。 ここが『最終水場』である。 標高は1500m、登山口から1/3弱登ってきた事になる。
これより山腹に取り付いて急登していくのだが、ルート上の水場はここが最終となるので、重く感じても水筒に行動水を補給しておく必要がある。 これから大凪山までの600mと、餓鬼岳への500mの強烈な登高が待ち受けているのだから。
さて、水筒への補給を終えたなら、生唾モノの登高開始だ。 樹林帯の中に入って、いきなりに急登が始まる。 それも、急登と感じる割には標高差を稼いだ気が全くしない"嫌な感じ"の急登だ。 この疲れが溜まる急登を小1時間経ると樹林帯より抜け出て、ガレ石がゴロゴロと転がる大規模の土砂崩れ跡の薙ガレ場に出る。
ここは浮石が多く、注意が必要だ。 この薙ガレ場を最上部まで詰めると、再び森林帯に潜り込んで先程以上の猛烈な急登となる。 だが、登っても登っても標高を稼いだ気がしない、相変わらずの"嫌な感じ"の急登である。
大凪山頂上よりタワケ(筆者)が
バテた地点(標高1860m地点)の方が見晴らしが良かったりして 筆者は・・であるが、大凪山まであと標高差150m位の地点でバテてしまって、これよりは少し歩いては大休憩モードに陥ってしまっていた。 こんな調子で、歩いた時間は6時間半位だが、其処ら彼処で休憩した時分が3時間以上となり、所要時間10時間となってしまったのである。
これは筆者自身のなってない『心がけ』が多分に関わった結果であるが、それを差し置いてもこのコースの登高のキツさを感じ取って頂ければ有難いのである。
やがて、森林帯の中の全く展望のない所に『大凪山山頂 2079m』の標柱の立つ大凪山の頂上に出る。 しかし、これ程にキツい登高を強いられた割には感慨を全く持って感じない、割引き感の大きな頂上である。 この頂を越えると急登は終わり、傾斜は緩やかになってくる。 尾根筋は全般的に展望に乏しいが
時折後立山の峰々が望める だが足元は、灌木の根が絡む床地の踏み出し辛い足場である。 この稜線通しの緩い傾斜を2235mピークを越えて詰めていくと、樹々の間から餓鬼岳の山屏風が見えてくるだろう。
さらに詰めて樹林帯より抜け出ると、正面に餓鬼岳のデカい山屏風が立ちはだかる。
やっと目指す餓鬼岳が見えてきた
当然、この立ちはだかったデカい山屏風を越えねば、登頂はないのである。 そのデカい山屏風が立ちはだかる取付点は《百曲り》と呼ばれ、これより標高差400m近くに渡って延々とつづら折りで登っていく。 取付には小屋までの所要時間が『約1:00』と記された道標が置かれていた。
さて、最後も急登につぐ急登なのであるが、つづら折りに切られている分と『これで最後』と思える分、大凪山への登りよりは幾分マシであろうか。 なお、この登りでは、左側は大きく薙ぎ落ちているので近づかないようにしたい。
疲れ切っている重い身体を引きずってのキツイ急登に小1時間耐えると、『小屋までアト10分』のプラカードが道脇に差してあるのが見えるだろう。 疲れ切った身体ではこのプラカード通りに10分で着く事は難しいかもしれないが、このプラカードを見ると大いに心が和む事だろう。 やがてつづら折りの急登は終わり、山屏風の頂稜部をトラバース気味に伝っていくと、餓鬼岳小屋の物置小屋と思しき建物が張り出し気味に建てられているのが見えてくるだろう。 後は、この建物へ向けて歩いていくだけだ。 やがて、先程目にした物置小屋の奥に、頂稜部の狭い敷地に埋まるように建つ餓鬼岳小屋が見えてくる。 宿泊希望なら裏手の入口に周って宿泊手続きを、テント幕営なら同じく宿泊手続きと今晩必要な水を買い求めてから、100mほど燕岳寄りの露営地へ向かうといい。 宿泊に係わるひと通りの手続きを終えて、それぞれの宿泊場所で宿泊の準備を終えると、頂上アタックと山で最も豊かな時を味わう時間がやってくる。 もちろん、『山で最も豊かな時』とは、空がかぎろい色に染まる日暮れのひとときである。
昼過ぎには着けるもの・・とタガを括っていたが
着いたのはヤマが最も美しく輝く夕暮れ時だった 振り返ると
山がいい具合に暮れなずんできた
岩峰は夕暮れのシャドーが最も魅せられる
山頂へは小屋の裏手から登り5分、疲れきった身体でも7〜8分もあればたどり着けるだろう。
なお、頂上からの情景は、翌朝に撮った写真で語りたいと思う。 今語るのは、やはり夕日の情景だ。 夕日は槍などの北アの山々がそびえる方向に落ちる。 その情景の素晴らしさは、いくら言葉で表現しようとしたところでそれが適う事はない。 という訳で、掲載写真にて語る事にしたいと思う。
北ア・とっておきの夕景
針ノ木岳
烏帽子岳
槍ヶ岳
剣ズリ
そしてやってきた・・
ヤマが最も美しく魅せられる瞬間(とき) 夕日の織りなすショータイムを堪能したなら、後は夕食食って寝るだけだ。
今日は身体が疲れ切った分、十分に睡眠を取って疲れを取るようにしたい。
なお、私の訪れた秋は夜となると0℃近くまで気温が下がるので、幕営の方は防寒対策をして頂きたいと思う。 頂上日の出時という最も贅沢な瞬間
《2日目》 往路を下山
喘ぎ喘ぎ、厳しいルートをやってきたのだ。 朝日を拝まねば物足りない事であろう。 従って、朝日の1時間前には起床したいものである。 私の訪れた秋では日の出は6時頃なので、5時には起床せねばなるまい。 30〜40分である程度出発の準備をして、餓鬼岳の頂上へ向かう。
頂上の朝の情景は、夕日同様に言葉では語り尽せない素晴らしい情景だった。 これらの情景も掲載写真で語る事にしよう。
針ノ木岳と奥に鹿島槍
野口五郎岳
唐沢岳と後立山連峰
餓鬼岳頂上
朝日の昇る時
針ノ木岳と後ろに剱
双耳峰を魅せる鹿島槍ヶ岳
餓鬼岳頂上
朝日に照らされて
唐沢岳と後立山の盟主たち
餓鬼岳頂上
夜明けから朝へ
上信越側が朝の景色となってきたなら
下山に取り掛かろう 苦労して登りつめた山頂の風景を十二分に堪能したなら、真に口惜しいが下山に取り掛かろう。
さて、下山であるが、本日中に帰宅するには夕方の4時頃がリミットとなる。
出発時間が7:30だったので、8時間半の持ち時間がある。 これは通常なら十分に余裕のある持ち時間だが、この山に関しては不安がつきまとう。 帰る前にこれだけは撮らねば・・
剣ズリの先には槍の穂先がそびえ立つ
それはヘタリきったとは言え、登りに10時間かかった為である。 それに輪をかけて、元来から筆者は歩行技術が低く、下りは滅法遅いのも不安の要因となっていた。 それ故に当初は東沢岳 2497メートル を経て中房温泉へ下る周回ルートを予定していたが、昨日の最短ルートの登りであまりにも時間がかかり過ぎた為に下山タイムオーバーの懸念が出て断念。 最短ルートの往路を戻る事にした。
百曲りのつづら折れから見上げて・・
徐々に餓鬼岳が遠くなっていく 下り始めのつづら折りはまだ余裕があったが、緩やかな傾斜だが灌木の根が絡まる稜線上でイメージ以上に時間がかかって、途端に気持ちが萎え始める。 そしてトドメは、『薙ガレ場を越えて1時間』のイメージで降りてきたものの、薙ガレ場より《最終水場》までがヤケに長く感じて完全に気持ちが萎えてしまったみたいである。 このガラ薙ぎ場からは所要1:40と、登り以上に時間を食ってしまったようである。
最初は秋晴れを楽しみながら降りていたが・・
こうなると"退化止まらず"で、沢のヘツり通過では足に踏ん張る力がなくなり、足が震えているのを自認できたり、ハシゴの上下にもたついたりして、最終水場から下山を終えるまでの沢下りに3時間の時間を費やしてしまった。 こうして、下山したのがタイムリミットの4時であった。 まぁ、これに懲りて、少しは訓練せねば・・と思うが、筆者自身自堕落な性格ゆえにキチンとできるか不安が大いにあるのである。
なお、下山後の足の事であるが、通常は携帯電話の電波がつながる《最終水場》の土場(この辺りだけ携帯電話の電波がつながる旨を記した看板が土場にあり、小屋でも掲示と周知がなされていた)で携帯でタクシーを呼び、2時間後に下山口で待機しているタクシーに乗るのであるが、私のように沢の下りに3時間もかかってしまうとタクシーも引き返してしまうだろうから、この事を考えても帰着にはかなり厳しい状況だったのである。 ←沢の付近ではヘタりきって足が前に出ず
下りも8時間かかってたりして 日頃の怠惰のツケが、帰着後に足の親指の爪の剥離と4日に及ぶ猛烈な筋肉痛という形で筆者に覆い被さったのである。 という訳で、写真撮影的には満足(所詮は自己満足の域であるが・・)のいく山行であったが、挙行的にはタイムオーバーから帰着不能に陥りかねない危ない綱渡りの問題の残る山行だったのである。
※ 詳しくはメインサイトより『餓鬼岳』を御覧下さい。
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名峰次選の山々 第98回 『178 蝙蝠岳 act 2』 静岡県
塩見山系(南アルプス国立公園) 2865m コース難度 ★★★ 体力度 ★★★
緑豊かでふくよかな蝙蝠岳
前回で南アルプスの主だった山で唯一未踏峰だった蝙蝠岳を踏破する念願が叶った。
今回は、その喜びを胸に下界に戻る『下山及び完結編』です。
塩見岳・蝙蝠岳 登山ルート行程図 行程記録
《1日目》 JR・伊那大島駅よりバス (1:50)→鳥倉登山口 (2:50)→三伏峠
《2日目》 三伏峠 (1:20)→本谷山 (1:50)→塩見小屋 (1:30)→塩見岳 (0:35)→蝙蝠岳分岐 《3日目》 蝙蝠岳分岐より蝙蝠岳往復、所要・片道2時間 (0:45)→塩見岳 (1:05)→塩見小屋 《4日目》 塩見小屋 (1:30)→本谷山 (1:20)→三伏峠 (2:00)→鳥倉登山口よりバス (1:50)→JR・伊那大島駅
※ 前回『名峰次選 第97回 蝙蝠岳 act 1』からの続きです。
カメラをぶら下げて歩いていくと、山がそろそろに秋の様相に衣替えを始めようとしているのが感じられる。 秋を待ちかねて気がせったのか、潅木の1つが赤く紅葉していたり、ナデシコやイワギキョウなどの秋色の花々が勢力を増してきていた。
もう晩夏も過ぎて・・
山は急いで秋の装いへと衣替えをしていく これらにカメラを向けながら、そして振り返ればたおやかな姿を魅せる蝙蝠岳の山容に魅せられながら歩いていく。 すると、幸運にも塩見岳の頂上を覆っていた厚い雲が晴れて塩見岳の全容が望めるようになってきた。
塩見本峰を覆っていたガス雲が晴れてゆき
しかし、この塩見岳って山は、見る角度によってこうまで違うのか。 この角度から塩見岳を見た時、白峰三山からみたズングリムックリの別称『漆黒の鉄冑』のイメージは消し飛んでしまったよ。 この場所から魅せる山容は、頂から伸ばす節々に明るい茶色の縞模様を乗せたスラリとした三角錐の峰であった。 これを初めて目にした時、思わず「荒川三山!?」と思った位だ。
まるで荒川三山のように
スラッとした鋭角の三角錐を示す『裏』塩見岳
荒川三山も姿を魅せてくれた 楽しみながら歩いていくとあっという間に時間は過ぎ去り、往路の時に「帰りはしんどそうな登りだなぁ」と退廃的な思いを抱いたあの砂礫の坂はあっという間に登りきり、両側がスッパリとキレ落ちたあの岩稜地帯まで戻ってくる。
でも、余裕があると、行きにあれだけ「おっかね〜」と思ったナイフリッジが、それ程でもないように思えてくる。 岩間に割くイワギキョウやウスユキソウなどにカメラを向ける程に余裕があった。 蝙蝠岳稜線に咲く花々 その3
チシマギキョウ
エーデルワイス(ウスユキソウ)
やはり、夜明け前と違って『明るい』という事と、往路で一度通った『経験』、そして難所ではあるが『登り』であるという事が心を大きくさせた要因だろう。
という訳で、『復路の懸念』となっていたこの岩稜越えも難なくこなし、10時前にテントをデホった《蝙蝠岳分岐》に着く。 取り敢えずテントを撤収しながら、今日のこの先の行程を考える。 1つは小屋番の兄さんや行き違う人などから「水があるよ」と教えてもらった《雪投沢》に下り、そこで幕営をする案である。
もう一つは、塩見小屋で停泊する事である。
さて、どうしたものか。 《雪投沢》はタダだが、便所と帰りの時間が切羽詰るという不利がある。 小屋泊りは、《雪投沢》の不安要因であるトイレ・水・下山時間を金で買う事で解決できる。 どちらにしようか考えた時、「そういえば、昨日の明け方に《三伏峠》のキャンプ場でして以来、今日にかけて『大』をしてないな」という事が頭に浮かんだ。 そして、昨日の小屋番の兄さんの話の中であった「できるだけ、山を汚さぬように そして、できるなら、山を汚さぬように」という言葉を思い返し、ここはトイレの事を優先して小屋泊まりにしようと決める。
カメラを向けても動じない野鳥
おかげで何枚か撮れた
行先を決めたなら、テントをたたんでザックにパッキングして出発。 まだ10時過ぎ。 「まぁ、塩見の頂上で呆けても1時過ぎには着くな」と、余裕を持って歩いていく。
余裕ができると、周囲がよく見えるものだ。 野鳥が潅木の縁をトコトコと歩いているの見つける。
鳥の名前は解らないが、かなり度胸の坐った奴と見えて、カメラを向けようが動じない。
お陰で何枚か撮れたよ。 このようにダラダラと登っていくと、しんどくはないが時間はあっという間に経ってしまう。
そして、南ア・稜線での『11時』がやってくる。 何でだろうか、いつもこの時間になると急速に曇り始めて、下手すりゃパラパラと来る。
稜線上、しかも岩稜地帯でパラパラ以上に遭遇すると、真に困難な状況となる。
特に雷を伴うと、身の危険を伴う厄介となる。 南ア・稜線『11時』の雲が空に厚く覆い被さった頃、塩見の頂上に着く。 11:10。
往路では気づかなかったが
塩見の頂上は秋色の世界だった
頂上では、高校のW・V部の連中が岩の上でグタっていた。 確かに荷は重そうだったが、私の現役時代より覇気がなさそうな山岳クラブだった。 でも、この連中、私の現役時代では有り得ない事を行程に組み込んでいたのであった。 それは、この後に明らかとなる。
私が塩見の頂上に着いて数分後、案の定パラパラと来たので、岩で寝そべっていたこの連中は飛び起きて、慌て気味に荷物を担ぎ出発した。 パラパラと来たのだから、私もこの連中の後を着いていく事にする。 塩見岳の下りはやや危険な岩稜下りがあるのだが、この連中のモタツキ様といったら、今の私並であった。 悪いけど、全く若さが感じられんかったよ。 先行の高校W・V部が下りでマゴついたお陰で、私自身の『登りより遅い下り』が目立つ事もなく、1時間10分かけて塩見小屋まで降りつく。
今の時間は12時半前。 高校生という若い身体なら、十分《三伏峠》まで下れるはずだ。
それが、この小屋のVIPルームに泊るようなのである。 その為に、予め1棟まるごと宿泊予約を入れていたみたいである。 どうやらこの子達、テント担いでないみたい。 そしてもっと驚きは、水を汲みに行かずに小屋で購入してやがんの。 そして、食事も小屋食を取るみたいである。 いやぁ、時代が変わったからなのか何なのかよく解らんが、私の今までの経験を当てはめるとこの光景は少々パニクったよ。 あの大きな荷物の中身は、お菓子やら、軽食やら・・であったみたいである。
少なくとも、ワテの現役時代は考えられん事だったよ。 ワテの現役時代の山岳クラブは、水は出発地(たぶん、《熊ノ平》だろう)よりの持ち運びだろうし、小屋に泊まる事もないし、この時間帯ならたぶん《三伏峠》まで下ってのテント泊となるだろう。 ましてや、食事は全て自炊だよなぁ。 ちなみに、3時頃から強い夕立が降ってきたので、小屋泊りの選択は大正解だった。 《雪投沢》ならババ濡れになったかも。 雷も稲妻付きでゴロゴロなってたしィ。
空が紺からかぎろいに変わってゆく中
雲海の間より仙丈ケ岳が頂を突き出し始めた 《4日目》 塩見小屋より下山
さて、日の出前に起きて、塩見岳の勇姿を添えての夜明けの情景をカメラに収めよう。 空は昨日の夕立を降らした雲が多く残っているものの、まずまずの天気。 空が明るくなり
贅沢な山のオーケストラが始まる
昨日の雨雲が
山のオーケストラを引き立てていた
雲の切れ間から仙丈や甲斐駒、間ノ岳・北岳が見渡せる。 だが、肝心の塩見岳は頂上付近がガスに覆われて見えない。
上にたなびいてなかなか切れないガスだったが
こうしてみるといい“仕事”してたみたいですね バスの発車時刻の14時までに《鳥倉》に降り着ければいいという事で、時間はたっぷりある。
ここはカメラ片手に、頂の雲が途切れるまで待つ。 日の出から粘り続けて待つ事約20分後、ついに雲が抜けてシャドーの塩見岳と天狗岩が鋭角に突き出すシーンをゲット。 まぁ、その成果は掲載写真をごろうじろ。 ガスに光が当って・・
これがキメ写真かな
朝の“お仕事”が済んだら、次は朝の“お通じ”だろう。 いうなれば、これの為に小屋に泊る決断を下したといってもいい位だったから。 その“お通じ”だが、この小屋の『大』の処理法は、かなり工夫を凝らしたいい方法であった。
その方法とは、トイレの建物の中には洋便座のオマルが置いてあって、それにサニタリー袋をかけて、その中に用を足す。 後は用便袋となったサニタリー袋を付属のビニール紐で縛って、外の用便捨てにポイである。 ん、待てよ。 これって、私がいつぞやに『思いのまま日記』に“山トイレ問題について・・”で書き記した方法と同じではないか。 違うのは、管理者のいる山小屋で実行しているか、管理者がいない野営地かという違いだけだ。
他の宿泊者も皆、口を揃えて「これは、いいアイデアだ」と言っていた。 これを横耳で聞いていた私は“鼻が高い”よ。 是非にも、稜線の野営地でも試みて欲しいと願う。 例えば、この南アルプスでは《雪投沢》が格好の試験候補地となろう。 費用は登山口と伊那から入る登山者の全てが通る《三伏峠》の小屋で、全ての入山者から山中1日当たり1000円を徴収すればいいだろう。 念願だった南ア・最後の峰を踏破して、「できるだけ、山を汚さぬように そして、できるなら、山を汚さぬように」という訓示も守る事もできた・・という事で気分も上々。 後は下っていくのみである。
出発時間は7時過ぎ。
間ノ岳も鶴翼を広げるが如く
長大な稜線を下ろしていた
地図上のコースタイムも6時間弱という事で、バスの時間まで1時間少々の余裕がある。
ここは、カメラ片手にのんびりと行こう。 今日はすごぶるいい天気で、厚い雨雲に覆われたまま、前日までの3日間で一度たりとも拝めながった《荒川三山》が雲一つない完全無欠な姿で見渡す事ができた。 昨日までなかなか望む事のできなかった
荒川三山もハッキリと 途中のミヤマダイコンソウの群落を撮ったりしながら《三伏峠》の小屋へ。
《三伏峠小屋》前到着は9:40と、予想外に早く着く。 でも、早く着き過ぎても、バスの待ち時間が長くなるだけなのだ。 という訳で、小屋前で1時間近くタムロする。
この時、他の登山者を巻き込みかねない危険競技に遭遇したが、文字数制限ゆえに割愛しよう。
この出来事に興味のある方はコチラをどうぞ。
←ミヤマダイコンソウの群落地
この下に旧・三伏沢小屋への分岐があった 好天の今日は眩いばかりの黄色を魅せてくれた
そうこうしている内に《三伏峠小屋》での1時間チョイは過ぎ去り、11:00の出発予定時刻が近づいてくる。 《鳥倉》までの下山路は、前回の『荒川三山』と今回の往路の2度通っていて、“どこに何があるか”をほぼ把握しているので問題はない。
このルートは2時間かからずに下りきって、暑い最中の下界との接点である登山口へ降り着く。
到着は12:50。 後は、バスと鉄道を乗り継いで帰路に着く。
※ 詳細は、メインサイトの『撮影旅行記』より『南ア・最後の未踏区へ その2』を御覧下さい。
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