風来梨のブログ

別サイトに記載した景勝地ガイドを小出しに載せていきます。

路線の思い出 1〜50

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凡例 駅名のみの記載、駅名の前の数字は掲載回を表す、廃止駅は赤文字休止駅は青文字

JR北海道 管内
7壮瞥、11広尾、15振内・日高町、16鷹泊、34上ノ国・江差、36厚内、37唐松、41中興部・上興部
43萩ヶ岡・清水谷、45厚賀、46沢木・元沢木(仮)、49北浜

JR東日本 管内
8野辺山、17伊東、19熱塩、22会津西方、23黒沢・吉沢、24小国、25犬吠・戸川、29小坂
33津軽中里・芦野公園、35岩手和井内・押角、39沢辺、42中山平、44足滝

JR東海 管内
3大矢、5比津・伊勢奥津、13木知原、20三島、26池ノ浦シーサイド(臨)

JR西日本 管内
1大阪、6頸城大野、9信楽、12広島、14米原、18作木口、28平端、31漆山、38備後落合、
47勝原・越前下山、48伊賀神戸・桑町

JR四国 管内
4深田、10下宇和、30大田口、40高松桟橋

JR九州 管内
2山内、21北里・肥後小国、27大隈、32中森・高森、50加津佐



路線の思い出  第50回  島原鉄道・加津佐駅  〔長崎県〕
 
イメージ 1
最後の最後で足跡を残せたよ
女島展望台より
 
《路線データ》
    営業区間と営業キロ                     ’08年・運行本数 
 諫早〜島原外港 43.2km   諫早〜島原外港 下り14本・上り13本(内 下り4本・上り9本 急行)
                    本諫早〜島原外海 下り2本・上り4本
                    諫早〜南島原 下り13本・上り12本(内 下り4本急行)
                    諫早〜本諫早 下り14本・上り13本
 
      廃止区間と営業キロ    廃止年月日     廃止時運行本数      転換処置
   島原外港〜加津佐 35.3km  ’08・ 4・ 1       諫早〜加津佐      島原鉄道バス
                                   下り11本・上り13本


イメージ 11
路線が廃止された今でも撤去されずに
残って(放置されて?)いる加津佐駅舎


加津佐駅(かづさえき)は、長崎県南島原市加津佐町水下津にあった島原鉄道の駅である。
同線の終着駅であった。 単式ホーム1面1線を有する駅で、駅の奥には車止めがあった。
駅の構内には側線が2本あり、滞泊車両の留置に使用されていたが、車両留置機能のみで給油や検修の為の設備はなかった。

駅前には小さな広場があり、この広場を介して国道251号線と接している。
諫早方面へのバス停は、この国道に面して設けられている。 駅舎の反対側は海岸に通じていて夏季には海水浴場となる。 当該路線の廃止に伴って当駅も廃駅となるが、駅舎は撤去されずにそのまま残っている。 だが、構内のレールは外されて、枕木が積まれている。

当駅は車両留置機能のみで、給油や検修の為の設備はなかったが、1993年4月から1997年3月まで雲仙普賢岳の噴火・土石流災害によって島原外港〜深江間が不通となっていた間は、不通区間の南側(深江〜加津佐)で運行する車両の給油・検修は当駅構内で行われた・・との事。

給油にはタンクローリーが用いられた他、駅構内にもドラム缶を利用した仮設の給油設備を設け、全般検査時期を迎えた車両についてはクレーン車で車体を上げて台車やエンジン等の下回り機器を取り外し、南島原の車両基地へ陸送した上で整備する事で対応した・・との事。
仕業検査・月検査や、全般検査時の車体関係の整備は当駅構内で行われたが、ピットや点検台もなく困難を伴う中での作業となった・・との事である。


 
島原鉄道は私鉄だったので、鉄道をメインで追っかけていた少年期は見向きもしなかった。
これは同じ九州の南薩鉄道(鹿児島交通)や青森の南部縦貫鉄道と並んで、若き日の『偏食』による私の大失態である。 特に南薩と南部縦貫は、足跡を残すべく目の前まで立ち寄っておきながら、偏屈な性格による『偏食』の誓い!?を立てて、本当に一枚も撮らなかった。 結果は、当然今になって後悔する『後の祭り』である。
 
でも、この島原鉄道だけは、何とか足跡を残す事が叶ったのだ。 それは、この路線の先端区間の廃止年(’08年)に、九州の滝めぐりを目的とした小旅行をした事で救われたのである。
早速、旅のメインの目的である九州の百名滝・行縢ノ滝に立ち寄ったのだが、行縢ノ滝の近くを通った災害廃止線・高千穂鉄道の残骸が放置プレイされており、それを目にして『廃止間近の鉄道めぐり』に火がついたのである。
 
そこで、島原鉄道の事を思い出し、予定を変更して熊本から有明海フェリーに乗って島原へ繰り出したのである。 ちなみにこの時はレンタカーを借りていたが、有明海を跨ぐだけの短区間とはいえレンタカーでカーフェリーに乗るとは夢にも思わなんだ。 でも、そんなに航送料金が高くなくて(3500円ほど)助かった。 万を超えるようなら、多分諦めていただろうし。
 
・・で、夜に島原外港に着いたものの、島原鉄道の撮影は予定外の事なので、何の計画も下調べもないままの撮影となるのである。 このまま何の情報もなく撮影するのもマズいので、○鉄全盛期だった少年時代の記憶を必死に思い返す。
 
イメージ 5
駅裏の展望台より
加津佐駅でひと息をつく気動車を望む
 
そう・・、それは、過去に見た鉄道雑誌などのルポで島原鉄道が取り上げられた時の掲載写真やら、雲仙普賢岳の噴火に伴って長い間路線が不通になった歴史やら、以前は国鉄型に似せた気動車があって、急行列車と併結運転で博多まで運行されていた事とか・・である。
 
このように島原鉄道の路線の有り様を思い返していくと、明日に控える撮り鉄に際しての作戦的な構想が思い浮かぶのである。 例えば、普賢岳をバックに入れるのもいいかな?とか、確か海べを走る区間の写真があったし、それで狙ってみるか・・などである。

取り合えず、まだ未乗の島原鉄道に乗るべく、終点の加津佐まで車を走らせる。
加津佐駅に着いた時はもうどっぷり日も暮れていて、着いた時に運良く加津佐駅に止まっていた列車に、発車時刻も確認せずに飛び乗る。 この列車は最終列車だったようで、これに乗って廃止区間の端である島原外港駅まで乗ってしまうと加津佐に戻れなくなるので、最初の交換駅の原城駅で降りて、折り返しの列車で加津佐に戻らざるを得なくなってしまったのである。

コレで、廃止区間の完乗はならず終いとなっちまったよ。 まぁ、島原をめぐる自体が今回の旅では予定外だから仕方ないとは言え、帰ってから悔しい思いが残るだろうなぁ。 加津佐に戻ってから、寝床となる『道の駅・ふかえ』に戻る。
 
こういった事のお蔭で、『道の駅・ふかえ』では空想や構想が膨らんで眠る事ができず、たまらず夜中に線路に沿って車を走らせて事前偵察を敢行する。  車を走らせてみたら、構想の成否が明らかになってくる。

沿線を通じてのほとんどが線路は海側、道路は山側で、どうやら普賢岳バックは国道が間に入ってしまって今イチのようだ・・と解る。 なら、海に面した所は・・というと、これが北海道の廃止線のように海際を走っている・・というような感じではなく、線路はコンクリートの護岸の上に敷かれているのである。 これも、風景鉄道的には今イチである。
 
ならば船着き場のそばを通る区間でもないものか・・と思ったが、道路を走っているとそれは発見できなかった。 船着き場につながれた漁船をアテにするアングルの撮れる撮影地は、どうやら廃止されずに残る区間側にあるようである。
 
イメージ 4
廃止告知に埋もれた名所案内を見て「ここだ!」と思ったよ
女島展望台より加津佐の街を俯瞰して
 
このように、コレといった撮影場所を見つけれぬままに、終点の加津佐にたどり着く。
取り敢えず、先程慌てて列車に飛び乗ったが為に、全く目に入っていなかった駅舎の中の掲示物に目を向ける。

駅舎内の掲示板には3月末をもって島原外港〜加津佐の区間が路線廃止となる旨の張り紙がデカデカと掲げられていたが、その脇の小さなスペースに駅周辺の名所案内が掲げられてあって、加津佐の街を一望できる好展望地・女島の事が掲示されていた。 これを目にして、「撮影地はここだ!」と決まったのである。
 
イメージ 7さて、撮影地が決まったなら、その場所へ向かわねばならない。
 
加津佐駅の周辺は海水浴場となっていて、バンカロー村やコテージ施設があり、その奥の標高100m足らずの陸地の盛り上がりが、女島のようである。
 
この頂上が、街を一望できる展望台との事である。
 
コテージ村と海水浴場という事で、車を駐車するスペースは心配ない(いくらなんでも『撮り鉄』する目的で駅前に駐車しておくのはちょっと・・)。
 
で、早速、女島展望台へと上がってみる。 だが不思議な事に、女島展望台への案内が皆無なのだ。
 
これを不思議に思いながら進んでいくと、何と土砂崩れで通行止になっていたのである。
 
 
 
 
←展望台からの「キメ写真」のハズ
  だったのだが・・
 
どうやら、土砂崩れの後に復旧せずに放置されたまま通行止となっているらしいのである。
どうりで、案内がなかった訳である。 案内が取っ払われている所をみると、近々に復旧する気はないみたいである。
 
さて、その土砂崩れは身長大の大岩がダダ崩れとなって通路を防いでいたのだが、これ位ならよじ登って潜り抜ける事はできそうである。 なんだかんだ言っても、こんな土砂崩れよりも修羅場を山で経験してきているので、これを抜けるのは造作もない事である。 でも、通行止のゼブラロープをかい潜った先でコケたなら、地方新聞ネタとなり警察の詰所でキツイお小言付で有名人となるだろうが。
 
イメージ 2
あっ 点景になっちった・・
 
で・・、夜明けの30分位前に女島頂上の展望台に着く。 この上からは街を一望できる素晴らしい展望が広がっていた。 早速、日の出時にやってくる加津佐行きの始発列車を狙う。
・・が、これは、ワテの最も失敗するパターンの『点景』(列車が小さくなりすぎて点景となる失敗)に終わった。
 
でも、列車の速度が遅く、余裕でレンズを望遠に変えて、やや光量不足なものの構わず海沿いの砂浜を渡る列車を狙ってみる。 どうやら、これが今回の一番星になったようである。
 
イメージ 3
ちょっと、雰囲気的にいいかな なんて・・
まぁ、鉄道写真としては「被写体流れ」の失敗作だが・・
 
その後も陽が昇って明るくなるまで、駅の俯瞰を交えたり、朝日を海に煌めかせたり、街の全景を撮ったりしながら、楽しい時を過ごす。 でも、街を俯瞰して、これほどの規模の町でも鉄道はやっていけない現実も目の当たりにしたのである。
 
イメージ 6
決して人里稀な突端地ではないのだが・・
それでも鉄道経営は立ち行かずに
路線廃止となってしまう
 
さて、陽も完全に上がって、さすがにひと所で撮り続けるのも飽きてきて、俯瞰していた砂浜へと繰り出す事にする。 砂浜に出て、思ったのは『波と列車のアングル』である。
でも、線路と砂浜と海が結構離れていて、意図通りにはいかなかったようである。
ちなみに撮った列車は、美味しい事にJRから払い下げられた国鉄型のキハ20であった。
 
イメージ 8
砂浜の幅がデカ過ぎて
イメージ通りにはいかなかったね・・
 
イメージ 9
海に突き出た岩に寝そべって撮っていたのだが・・
 
後は、昨日からほとんど寝ていない事もあって、岩礁に寝そべって時折ウツラウツラしながら撮っていると、潮が満ちてきて岩礁が沈みそうになった中に取り残されたオチャメ(大失態)をキッチリ決めて、島原鉄道の撮影の思い出を終える。 でも、沈みかけた岩礁に取り残されたのはヤバかった。
岩礁から海岸べりへの幅飛びは、もしかして生涯初めての3m超えを記録したかもしれない。
 
イメージ 10
見る見るうちに潮が満ちて
取り残された上に沈みかけてたりして
 
 
   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『島原鉄道』を御覧下さい。
 
 
路線の思い出  第49回  釧網本線・北浜駅  〔北海道〕
 
イメージ 1
浮かぶ薄氷を見て貨物列車がゆく
 
《路線データ》
         営業区間と営業キロ             輸送密度 / 営業係数(’83)
       網走〜東釧路 166.2km             1036  /    543
 
運行本数(’13)
網走〜釧路     5往復(内 快速1往復)
網走〜知床斜里  4往復(内 2往復はトロッコ列車〔ノロッコ号〕として運転)
網走〜 緑      2往復 , 知床斜里〜 緑 上り 1本 , 川湯〜釧路  下り2本・上り1本
摩周〜釧路     下り1本・上り2本 , 標茶〜釧路  2往復
 
 
今回取り上げる釧網本線の『路線の思い出』は、路線随一のベタな駅・北浜だ。
立ち寄った思惑は、もちろん流氷である。 だが、流氷は生き物の如く・・で、ちょっと春めいた風が吹くと一気に沖へ流されてしまう。 訪れたこの時は流氷が沖に流された直後で、当時は少年ながらがっかりしたものだ。
 
正直いうと、この駅で流氷がないと『縁起きっぷ』で有名な広尾線の幸福や愛国同様の観光駅で、駅舎の中は訪れた旅行者が貼り付けた切符や定期券が壁の全面に盛られている。
これを例えるなら、山での『汚いキバナシャクナゲ』が当てはまるだろう。
その『汚いキバナシャクナゲ』とは、山での用便で使用済のトイレットペーパーの残骸である。
 
当時は少年ながら、この紙で埋もれた汚らしい光景を見た瞬間に、拒絶反応から即効駅舎を出たのを憶えている。 もちろん、駅に降りた『足跡』写真も撮る気が起きなかった。
この時は天気が良かった事もあり、落ち着くヒマもない駅舎をすぐに出て列車撮影に向う。
 
イメージ 2
遠く知床連峰を見て・・
 
流氷はないとはいえ、やはりここは海を入れて撮る撮影場所である。 また、『流氷の欠片』ともいえる薄氷が点在していて、撮りようによっては『この路線のオリジナル』な写真が撮れるのである。
まぁ、当時小僧の筆者に、そこまで見通す力はなかったのは言うまでもないが。
 
海に沿って国道を藻琴方向に歩いていくと、薄らと知床の山なみも見える。
点在する薄氷をアテに撮っていると、ふと貨物列車がやってくる。 今も・・であるが、貨物列車の運行時刻など全く知らないので焦ったよ。 でも、焦った割には、良く撮れてるよ。
鉄道写真にはタブーの『編成切れ』のアングルではあるが。
 
イメージ 3
長い編成を無理矢理入れると小さくなるので
これでいいのだ・・
 
その他、上手くいったのか、果て差てただの『黒潰れ』なのかよく判らん写真が上がったり・・と、なかなか興味深い写真が撮れたこの路線であった。
 
イメージ 4
キハ22がシャドーに光る
単なる黒潰れとみるか、なかなかジャン!とみるか
 
・・まだ先の事であるが、今年の年末から年始にかけて、久々に釧網本線を撮りに行こうか・・と考えている。 年末年始はまだ流氷には早いので、釧路口の薄氷浮かぶ釧路川で狙ってみようかと。
上手く撮れたなら、来年の『路線の思い出』のネタに挙げようか。←でも、上手くいかない可能性が半々にあったりして。
 
 
    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『釧網本線』を御覧下さい。
 
 
 
 
 

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路線の思い出  第48回  近鉄〔現 伊賀鉄道〕伊賀線・伊賀神戸駅、桑町駅  〔三重県〕
 
イメージ 1
『駅撮り』から巣立つ契機となった路線
・・でも、きっちり、保険(駅撮り)もかけてます
 
《路線データ》
          営業区間と営業キロ                     移管時運行本数
     伊賀神戸〜伊賀上野 16.6km   伊賀神戸〜上野市・上野市〜伊賀上野で分割運行
   ’07・10・1より伊賀鉄道に経営移管   いずれも、30〜60分毎の運行
 
筆者が初めて一眼レフのカメラを持ったのは、中学に入りたての春だった。
カメラは、前回で経緯を暴露した親父のカメラの私物化であった。 その一眼レフで初めて駅撮り以外を志した路線が、近鉄大阪線と伊賀線であった。 まぁ、ほとんどの目的は大阪線を走る近鉄特急であって、伊賀線を撮るなどの想定は全くなかったのであるが。
 
イメージ 2
上手いじゃん・・ 厨房なりたての私
 
最初は本線格の大阪線を快走する電車を望遠のカーブ構図で撮る事に熱中していたが、撮っている内に飽きを感じてきたのだった。 それは、「このアングルって、皆が撮ってるのと変わらねえよな・・」っていう思いからきたのだった。 要するにこのタワケ(筆者)は、小僧であったその当時から偏屈だったのである。
 
イメージ 3
種別板付きの急行
筆者写真史上で最も優秀なデキ
今、「コレ撮れ」と云われてもムリ・・
 
でも、この時に撮った『望遠カーブ構図』の写真は四半世紀以上の時を経て、筆者写真史上で最も優秀なデキとなっているから不思議である。 まぁ、とどのつまりは、「この時が撮影のウデがピークで、後は年を追うごとにウデが退化してる・・」って事なのであるが。
 
ヨタ話は置いといて、飽きを感じて暫く撮るのをやめて呆けてブラブラと歩きまわっていると、伊賀線のボロ電がモーターの唸り音を上げて鉄橋を通過していくのを目にしたのである。
始めは撮る気は全くなく、ふとカメラでそれを覗いてみる。 これを覗いてみて、筆者の抱く『撮り鉄の世界観』が変わったのだった。
 
「望遠で撮るよりずっといいジャン」・・、そして「こういうのが撮りたい」と瞬く間に思考が変わってしまったのである。 後は『かかり気味』に、この鉄橋をターゲットに伊賀神戸駅から折り返してくるボロ電を待つ。
 
イメージ 4
他愛無いけど・・
私の『ターニングポイント』となった写真です
 
その上がった写真は、従来の中一の小僧の持つ嗜好とはかけ離れたモノであったが、周りと違ったモノを好む偏屈な筆者の『お気に入り』となり、そして撮る手法も、これを契機に徐々に現在の『風景鉄道』に目覚めていったのである。
 
折り返しのボロ電を撮ってからは『望遠カーブ構図』一辺倒に狙うのはやめ、標準レンズ(当時持っていたレンズは、例の100〜200mmの『シグマズームカッパー』と標準の2本のみ)を中心にアングルを構築していく。
 
イメージ 5
信号と木の架線電柱 味あるなぁ・・
望遠から標準レンズに切り替えて
 
そして、その時にある事に気づく。 それは「望遠に比べてピント合わせが楽でいいや」という、小僧の頃より『ズボラウイルス熱』に冒された筆者にうってつけの、物臭さに有利な退廃嗜好であった。
それ以来は広角に目覚めて、ほとんどピント合わせ不要の28mm広角をメインレンズにしているのである。
 
そしてこの時は、一度ハマると結構行く所まで突っ込む資質の筆者の性格も手伝って、撮影対象を大阪線から伊賀線へと変え、撮影地も伊賀線内へと繰り出すようになる。
・・で、その伊賀線の撮影場所として初めて降りた無人駅が桑町駅である。
 
撮影構図の思考としては、漫然とではあるが「電車だけでなく周囲の景色も入れたい」という、広角レンズ主体の構想を抱いて、刈田が広がる田園地帯に目をつけて降りたのがこの駅だった。
でも、撮った写真は、小僧故に頭に描いた『風景鉄道』とは程遠い『正面激写系』である。
だがこの写真が、『風景鉄道』の取っ掛かりとなった『貴重な一枚』でもある。
 
イメージ 6
これより『風景鉄道』の高みを目指していく
その第一歩の写真
 
・・最近、伊賀に所要があってついでに桑町駅に立ち寄ったのだが、周囲の田んぼは全て宅地となり、マンションが乱立してあの時とは別風景となっていた。 電車もラッピング塗装されたステンレスの車両で、さすがにこれを目にして「撮りに来たいな」との気持ちにはなれなかった。
でも、駅舎だけは当時からの木造掘立て小屋で、それが残っていた事を嬉しく・・懐かしく感じたのを憶えている。
 
 
     ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『近鉄伊賀』を御覧下さい。
 
 
 
 
路線の思い出  第47回  越美北線・勝原駅、越前下山駅  〔福井県〕
 
イメージ 1
越前下山駅よりキハ23を狙う
この駅で人生のボタンの掛け違えの
第一歩を踏み出したのであった
 
 
《路線データ》
    営業区間と営業キロ       輸送密度 / 営業係数(’83)          運行本数         
 福井〜九頭竜湖 55.1km      1036  /   470          福井〜九頭竜湖 4往復
                                           福井〜越前大野 5往復
                                          越前大野〜九頭竜湖 1往復
 
今回取り上げる越美北線は、私の『撮り鉄』におけるターニングポイントとなった路線として大きな思い出がある路線だ。 まずは越前下山駅。 私の旅の『アブノーマル』は、ここから始まった・・と言ってもいいだろうと思う。
 
それは、自らの貯金10万円を叩いてキャノンAE-1+Pとレンズ2本を手にした事から始まる。
それまでは親父所有の PENTAX ME Super を使っていた。 ちなみに『親父所有のカメラ』であるが、これは『青天の霹靂』とも言えるモノで、中学に入る少し前に何を血迷うたのか、親父は写真を一切撮らんくせに PENTAX ME Super をオートワインダー付で買ってきたのだった。
 
これが何故に『青天の霹靂』かというと、、息子の為に父親が買ってくれたもの・・と読み手は捉えるだろうが、ウチのオヤジに限ってはそんな事は一切しない人間なのである。 なぜなら、競馬で万馬券が当たって80万が入っても、自らの十数万のブーツは買えども、家には一切いれないオッサンだったからである。
 
イメージ 2
イメージ 3
分断された越美南北線が
今回の物語!?の顛末となった
 
しかし、当時のペンタックスはレンズラインナップでキャノンに遅れを取っていて、80〜200mm F4.5の中望遠レンズが9万円もしたのである。 中学生がこれに手を出せる訳はなく、小遣いで買えるシグマの叩き売り《ズームカッパー》を使っていた。
 
そこに、以前から『シャッタースピード優先』や『プログラム』で先端を行く憧れのキャノンが、小僧の届く範囲ギリギリの微妙な価格(もちろん、安売りカメラ屋限定)で、70〜210mm F4を売り出したのだ。
浅はかな小僧は見事にそれに釣られ、キャノンAE-1+Pとこのレンズと35mmの広角レンズをいわゆる『大人買い』したのであった。
 
・・で、そのカメラの『処女航海の地』が、越美南北線の撮り鉄という訳である。
だが、当時はまだ中学生で何の下調べもせずに来たものだから、途端越美南線を撮り終えて北線へ移動する時に行き詰ってしまう。
 
イメージ 4
越美北線・九頭竜湖駅発行の硬券と
競馬ファンの夢を乗せた国鉄バス乗車券
 
※バスは臨時運行だったが
この切符は縁起がいいので
常時売られていた・・らしい
 
それは、鉄道雑誌の路線追跡特集ルポで「越美南北線の間に国鉄バスが運行している」と知り、時刻表で調べる事もなくやってきたのだった。 美濃白鳥の駅からの国鉄バスは、乗客がほぼ皆無の為に前年度で廃止となっていたのである。 要するに、この浅はかなる自爆小僧が、今も『オチャメ』を連発するタワケ(筆者)の前身なのである。
 
イメージ 5
道の駅が併設される前の九頭竜湖駅
とっても殺風景
 
で・・、途端に行き詰ったがラッキーな事に、この小僧と同じくバスの運行を見込んで当てがハズれた鉄のおじさんがいたのである。 おじさんが「タクシーに乗る」というのでちゃっかり便乗し、九頭竜湖までタダで送ってもらい、なおかつちょっと早い夕食もゴチになるなど、鉄面皮さもこの頃から兼ね備わっていたのである。 でも、さすがに宿泊までは・・という事で、おじさんとは越前大野で食事をゴチになった後に別れる。
 
だが、この後の事は、浅はかな小僧故に何も考えてはいなかった。 当然、成り行きで駅寝デビューとなるのである。 今日、おじさんと九頭竜湖から越前大野の間を列車に乗車したが、その車窓から越前下山駅が駅のすぐそばに橋梁があって周囲も雪があり良かったので、ここを明日の撮影地と決めていて『初めてのアコム・・じゃなかった、初めての駅寝駅』もこの駅と安易に決めたのだった。
 
イメージ 6
普通ならこの町で安い宿でも探そうとするのだろうが
タワケの前身は『駅寝』を発想する
 
しかし、待っていたのは、浅はかな判断からくる過酷な『駅寝デビュー』であった。
まず、小僧は浅はかな故、シュラフなどのグッズを一切持ってきていなかった。
そして、その環境は待合室の扉は鉄板の引き戸であったが、錆びていて閉まりきらず10cm位の隙間が開き、折からのみぞれ雪が待合室内に吹き込む状況であった。 唯一の救いは、待合室内の椅子は木製の長椅子で、座布団が置かれてあったのである。
 
小僧は浅はかなれど、こういう状況に陥った場合にはゴキブリ並の力を示すのである。
座布団をきっちり布団代わりに被り、見事一夜を耐え忍んだのである。
こうして前述の如く、『アブノーマルな人生へのボタンの掛け違え』の序曲が奏で始めたのであった。
まぁ、撮影に関しては「中坊という事で・・」である。
 
イメージ 7
コレ、AE−1+Pのデビュー作
あの頃の方が上手いジャン!
 
イメージ 8
残雪残る奥越の『風景鉄道』情景
 
イメージ 10
 
次に勝原であるが、これは撮り鉄から離れてしまう『撮り鉄末期』の時に訪れたのである。
 
北海道の廃止ローカル線が淘汰されて『撮り鉄』の目標を失いかけた時に、この路線を訪れたのである。 『撮り鉄』のヤル気が殺がれた時に訪れたものだから、何というか気迫というか、粘りを全く感じる事ができない撮影行であった。
 
それは、勝原駅でテントを張って寝ていたが、始発に合わせて撮影するつもりだったが、寝過ごしたのである。
 
で、当時4往復しか運行のなかった朝の1往復を撮り逃したのである。
 
そして、次の便の10時までダラダラと時を無駄にし、10時台は近くの鉄橋で済まして、その折り返しに乗って帰路についてしまったのである。
 
←九頭竜川を渡る列車を適当に・・
 
イメージ 9
今思えば
もうちょっと工夫して撮ればよかったなぁ
 
これ以降、この地には付近にそびえる荒島岳の登山の時や近くの名瀑・仏御前ノ滝の撮影には訪れたが、撮り鉄には訪れていない。 キハ58の運行でブームになった時も冷めた気持ちが心に漂っていて、ついつい撮りそびれてしまった。
 
その内に魅力のないレールバス型の気動車に置き換えられ、増々気持ちが遠のいてしまうのだが、細々とはいえ『撮り鉄』を再開したからには、それを防止すべく「近直に撮り鉄しに行かねばならんなぁ・・」と思っている次第である。
 
 
    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『越美北線』を御覧下さい。
 
 
 
 

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