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凡例 駅名のみの記載、駅名の前の数字は掲載回を表す、廃止駅は赤文字、休止駅は青文字
JR北海道 管内
204新千歳空港、207生野、209北永山、211幸福駅跡、213札幌、215北見相生駅跡、217十勝三股、
223落合、230北進、238釜谷臼〔現 あいの里公園〕、242増毛、243金華、244仁宇布駅跡、
249東釧路
JR東日本 管内
208久慈、216女鹿、219扇町、220田子倉(夏)、224曲沢、225浅草、227安曇沓掛、229越後湯沢、
236会津塩沢、239驫木、241岩手和井内、246青森
JR東海 管内
214伊那大島、221伊那北、235名古屋〔JR〕
JR西日本 管内
201若桜、202石野、203比津、206飾磨・飾磨港、212大社、228石見川越、232新大阪、233黒部ダム、
234亀嵩、237香淀、245九頭竜湖、248川平、250波並
JR四国 管内
210鳴門、226高松駅桟橋(2)、231坪尻
JR九州 管内
205緒方、218豊後森、222肥後小国、240中松、247佐賀
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路線の思い出 201〜250
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路線の思い出 第250回 のと鉄道・波並駅 〔石川県〕
波並駅跡
路線廃止以来放置されたまま・・
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 廃止年月日 廃止転換処置
穴水〜蛸島 61.1km ’05・ 4・ 1 能登観光開発バス
※JR能登線からの移管路線
廃止時運行本数
穴水〜蛸島 下り6本上り5本、穴水〜牛出津 上り1本
穴水〜珠洲 下り2本上り3本、牛出津〜蛸島 上り1本
珠洲〜蛸島 下り2本上り4本
駅名標にある『鳳至郡三波村』は
1960年の当駅開設以前にあった村名で
1955年に能都町に編入され消滅している
:
その能都町も当路線廃止直前の2005年3月に
周辺町村と合併して現在は鳳珠群能登町となっている
※ ウィキペディア画像を拝借
波並駅(はなみえき)は石川県鳳珠郡能登町波並にあった、のと鉄道能登線の駅である。
2005年4月1日に、能登線の廃止により廃駅となった。 単式ホーム1面1線を有する駅で、無人駅であった。
駅前には国道249号線を挟んで小さな漁港があり、小さな波止場のある駅として鉄道雑誌に度々取り上げられている。 開業当初から駅舎の無い棒線ホームの無人駅で、ホーム上に待合室があるだけの典型的な停留所規格の駅であった。
この路線は第三次特定地方交通線に指定されて、その後にのと鉄道に経営移管された旧国鉄能登線であるが、第三セクターに経営移管されても経営は改善せずに、2005年の4月に廃止される憂き目にあっている。 その廃止が宣告された能登線に、我がライフワークとして製作途中の『日本百景』の掲載項目『奥能登』の取材!?を兼ねて訪れた時の事である。
この能登線は遥か昔の国鉄時に一度乗ったのみで、撮り鉄もこの波並駅を適当に選んで撮ったに過ぎなかった。 その時は荒天であまり撮った手応えがなかったのだが、この路線を訪れたのは追っかけていた廃止線の趨勢が決まった後の事で、撮り応えの無いままそのまま放置で『撮り鉄』から離れていったのである。
撮った当初は”駄作”だったけど
その後に「コレなかなかジャン!」って
思う様になったりして・・
・・で、気がつけば、路線自体が廃止となる直前となっていたのである。 この時は放浪山旅の時代を終えて、休みに細々と山に登り、そのついでに細々と『撮り鉄』を再開し始めた・・、そう『奇跡の体力』が夢散と消えて今のグダグタな状況へと突入する始めの頃であった。
その時の写真を撮る動機が、ライフワークとして今までの山旅などで撮った写真を元に製作・編集をしていた『日本百景』であったのである。 この『日本百景』はこの路線を訪れた前年の’04年にウェブ公開し始めたのだが、公開して1年経ったこの時はまだ3割近くが『未訪地』とした『歯抜け』状態であった。 だから、結構写欲はあったのだ。
その『未訪地』である『奥能登』を編さんするに当たって、やはり掲載ネタとなるのは”かつて取った杵柄”である能登線の路線風景だったのである。 だから、今回は廃止されようとする鉄道を追っかけるというより、むしろ沿線の波止場風景と鉄道情景を合わせて『奥能登』の情景として撮る事に思考が向いていたみたいである。
この波止場で撮った手応えから
波止場での『撮り鉄』がレパートリーに加わった
取り敢えず船との絡みが
どの位置がいいか適当撮りで諮ってみる
それでは、その小さな波止場の『風景鉄道』をごろうじろ。 でも、後で訪れる蛸島駅より、よっぽど廃止を間近に控えた路線の表情が撮れたよ。
陽も射してきていい感じに・・
この時はまだ船をアップに撮る事は
思い浮かばなかったよ
いつもは邪魔に思う俄か撮影者も
廃止直前の路線ならいい味に・・
袂にはバス転換後の
バス待合室があった
漁船の穂先にカモメが・・
個人的にコレが今回の一番星
その後に訪れた蛸島駅では、廃止を見越したのと鉄道が廃止に関わる”思いてグッズ”を2500〜5000円のボッタクリ価格で売っていたし、この頃から廃止に近づくと群れて訪れる『葬式鉄』の傍若無人な言動が地域問題化してきた事もあり、廃止線として能登線の撮影には夢中にはなれなかったのである。
蛸島でおざなりに撮ったモノ
撮った後にこの列車に乗っていた
殿下をつれて即効退散
だから、終点の蛸島では駅に入ってくる列車を1〜2枚撮っただけで、列車が到着して『葬式鉄』が群らがる前に退散したよ。 何でも、旅行会社の『廃止路線めぐりツァー』も企画されていたようで、観光バスが駅前で待機していたしィ。 たぶん、駅に留まっていれば、こういう奴らに蹂躙されていただろうね。
なお、この「ヤル気の全くない」蛸島駅の訪問は、この時に生涯の『初乗り』であった風来茄子マルゥテツⅡ世殿下のお出迎えであったのは藪の中に・・。 殿下をお迎えすると、駅前に停めていた車で立ち去ったよ。
後半戦は船を半分載せる
アングルを試してみる
でも車両をアップにして
『風景鉄道』から外れる悪いクセが・・
殿下をお連れして、再び波並の波止場の前に向かって、殿下と共に波止場の『風景鉄道』を撮る。
だが、午後からは天気が崩れてきて、翌日の能登半島の先端めぐりでは、爆弾低気圧直下の嵐となって、より情緒的な『奥能登』の編集が叶ったよ。
この旅の企画は鉄道より
こういうのが撮りたかったんだよね
荒れた天気だったよ
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路線の思い出 第249回 根室本線、釧網本線・東釧路駅 〔北海道〕
かつては鉄道の要衝駅だった事を物語る
レンガ造りで大きく立派な東釧路駅舎
《路線データ》
根室本線 ※輸送密度と営業係数は帯広〜根室の数値
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
滝川〜根室 446.8km 976 / 424
釧路〜根室 運行本数(’18)
釧路〜根室 6往復(うち下り2本、上り1本 快速)
釧路〜厚岸 2往復
《路線データ》
釧網本線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
網走〜東釧路 166.2km 513 / 582
運行本数(’18)
網走〜釧路 5往復(内 快速1往復)
網走〜知床斜里 下り4本・上り3本(内 2往復はトロッコ列車〔流氷物語号〕として運転)
網走〜 緑 上り1本 , 川湯温泉〜釧路 下り1本
摩周〜釧路 下り1本・上り2本 , 標茶〜釧路 1往復(SLの臨時列車として運転) 東釧路駅(ひがしくしろえき)は北海道釧路市にあるJR北海道の駅で、別保信号場から駅になる際に、釧路市の東方に位置する事から名付けられた。 釧路駅管理下の無人駅である。
’12〜’16年の平均乗車人員は151.8人との事。
当駅の所属線である根室本線と、当駅より分岐する釧網本線の2路線が乗り入れている。
釧網本線は線路名称上は当駅が起点であるが、全列車が根室本線経由で釧路駅まで乗り入れている。 かつては釧路臨港鉄道の接続駅としての役割があった。 また現在は、厚床駅に接続していた標津線が廃止となって、複数の鉄道路線が接続する駅としては日本最東端となっている。
島式ホーム1面2線の駅で、駅舎とホームの間はかつて側線などが敷かれていた為にやや距離があり、通路と構内踏切で結ばれている。 原則として1番のりばが釧網本線、2番のりばが花咲線となるが、両線ともどの方向にも発着できる構造となっている。
かつての駅周辺は太平洋炭礦の関連各社のオフィスや工場が立地していたが、現在は郊外への移転により大型小売店や宅地などへと転換されている。 更に、駅構内の土地のほとんどが国鉄清算事業団の払い下げで、急速に宅地化が進んでいる。
釧路川橋梁は都市郊外で
『風景鉄道』が撮れる絶好の撮影地だ
この駅を取り上げたのは、釧路川橋梁での撮影の思い出を語る為である。
この釧路川橋梁は釧路〜東釧路にあり、『路線の思い出』としては降りた事のある釧路駅にしても良かったのだが、立ち寄っただけで降りた事のない東釧路の方がローカル線のイメージに合うと思ったのである。 それに釧路駅の駅データーの量が多くて、書くの面倒だしィ。
その撮影地の釧路川橋梁であるが、釧路市街のど真ん中にあって、橋梁の袂には『釧路マリーナ』というマリンスポーツクラブがあり、その船着場が駐車場を備えた公園となっている優良な足場を持つ『お立ち台』的な撮影地だったのである。
それに、船着き場公園への脇道を根室方向にちょっと行くと、温かカツ丼のセイコマート(このカツ丼の味を知ってしまうと、北海道でセイコーマート以外のコンビニに入れなくなる)があるし、ガソリンスタンドはこの公園から50mと、撮影を終えてガソリンスタンド不毛地帯の根室国道44号を行くには好都合のロケーションなのである。 珠にキズとすれば、トイレがない所位か。
でも、1.5キロほど先に東釧路駅があるしィ。
川が氷結する釧路川の朝
そして、この撮影地で狙う季節は、川が氷結する冬だろう。 氷結する釧路川もいいし、船着き場に係留される漁船をアテに撮るのもいいし、氷結が割れた川の澱みに水鳥が憩うシーンを狙うもいいだろう。 但し、漁船も水鳥も全てはその時の運次第なのであるが・・。
船着き場に漁船があると絵が締るね・・
そして、水鳥に関しては、橋梁を走る轟音で羽ばたき逃げてしまうので、余程狙わないと無理のようである。
水鳥と狙っても
橋梁を渡る列車の轟音で逃げてボツ
まぁ、手持ち可能のレンズでは無理かもしれないね。 でも、『撮り鉄』するのに高価な超望遠を巨大三脚に据え付ける、今どきのデジカメ連中の撮り方を『ナンセンス』だと思っているワテは、無理してまで敢えて鉄道と水鳥を撮ろうとは思わないなぁ。 だって、機材の持ち運びもシンドそうだし、金もかかって楽しくなさそうだしィ。
それでは快晴の釧路川の朝と、船着き場に漁船が係留されている絶好のシーンの『撮り鉄』をごろうじろ。
この時は漁船は係留されてなかったが
川がより氷結していたよ
漁船があると
その位置取りで色々と楽しめるね
オーソドックスに漁船をセンターに・・
キメ写真は船をアップにして・・
撮り終えた後は、トイレ立ち寄りも兼ねて東釧路駅の駅訪問に繰り出そう。
着いた東釧路駅ではちょうど列車が到着していて、「1粒で2度美味しい」駅訪問になったよ。
周りは宅地化されても
駅の前は未舗装の砂利道だった
駅に着いて数分後に列車がやってきた
ホームまでの長い通路はヤードの線路跡・・
背後にはスレート屋根の今どきの住宅が建ち並ぶ
アンバランスな駅情景
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路線の思い出 第248回 三江線・川平駅 〔島根県〕
川平駅舎
木造駅舎で古き良き時代の
雰囲気を醸し出している
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
江津〜三次 108.1km 45 / 880
運行本数(’17)
江津〜三次 下り2本・上り1本 , 江津〜石見川本 上り1本 , 江津〜浜原 3往復
石見川本〜三次 上り1本 , 浜原〜三次 2往復 , 口羽〜三次 1往復
川平駅(かわひらえき)は、島根県江津市川平町南川上田ノ原にあるJR西日本・三江線の駅である。
浜原方面に向かって右側に単式1面1線のホームを持つ駅で、駅舎はあるが浜田鉄道管理部管理の無人駅である。 自動券売機等の設備はない。
かつては相対式2面2線であったが、1999年3月に川戸・因原・石見簗瀬の各駅と共に交換設備が撤去されて、使われなくなったホームが残る。 旧ホームには、今なお駅名標が立っている。
この3駅の交換設備一斉撤去によって、浜原までの交換可能駅は石見川本駅のみとなった。
撤去された相対ホーム側の線路
2015年の1日平均乗車人員は7人との事。 なお、1994年度は47人、1984年度は112人だった。
我がホームページ『日本百景』に『三江線・最後の四季』という旅行記を乗せるべく、路線廃止が間近に近づく三江線に通っているが、三江線を運行するJR西日本は、極力営業赤字の発生を防ぎたいのか、度々運休処置を取るのである。
いつも路線のどこかが運休で
撮り鉄計画が捗らないね・・
川平〜川戸 にて
そして、その運休処置は、決まってワテが訪れた時に被さるのである。 それは夏に訪ねた時は、2日の旅程の内の初日に「線路内に倒木があった為」に、三次〜江津が半日運休となって石見都賀での初日を撮り損ね、2日間で沿線2ヶ所のみの撮影に終わってしまった。
次に訪ねた時も、午後の半日が夏と同じく「線路内に倒木があった為」に運休となって、今回取り上げる川平や千金での撮影がポシャってしまったのである。 運休で撮れなかったモノを取り返す為に訪れたのが、今回の『冬の巻』なのである。
だが、『鉄』を自負する方ならご存知の如く、「大雪の為に」三次〜石見川本が長期運休に突入していたのである。 恐らく、運営元のJR西日本は、雪が自然に解けて温かくなる3月に入るまで運休する腹つもりなのだろう。 だが、これによって、三江線の南線区間の長谷、粟屋、式敷が撮りそびれたままとなっているのである。 予定では、紅葉と撮るつもりだったのに・・。(涙)
香淀では樹齢500年の
大銀杏を訪ねてみた
このままでは、この旅行記は『最後の四季』と称しながら、四季の内容に乏しいまま廃線を迎えてしまう危機に瀕しているのである。 その苦肉の策として、周りの情景を訪ねて撮っていく事にしたのである。 まぁ、撮り残しは運行が再開次第に訪ねて、撮り埋めていこうと思っているのだが・・。
・・で、今回は、辛うじて運行していた石見川本〜江津で、撮り残しの川平〜千金の『風景鉄道』情景を撮って、先程も述べた通りに周囲の景観を絡めていく事にしたのである。
その川平駅の周囲にある景勝地や名所を地図で探すと、建設中のダム完成後に半分が水没してしまう『岩瀧寺ノ滝』と、幽谷に7つの滝を抱く『権現滝』、そして森の中の秘湯・上津井温泉があったので、コレらを訪ねてみる事にした。
車輌の運用が着かず・・の運休で
撮影チャンスは2日の旅程で僅か3便のみ
上述のように石見川本〜江津のみの運行で、しかも車両運用の目途が着かない為に、8時台の上り便と16時台の下り便が運休の4往復の運行だったので、撮れるのは昼13時の下り1本と14〜15時台の上下の計3本のみで、13時の1本を撮ると2時間近くの空きができるのである。
なので、この2時間の空きで『岩瀧寺ノ滝』を訪ねる。 滝のアプローチや滝の情景は、前回に掲載した記事の『日本の滝を訪ねて 第153回 岩瀧寺ノ滝』を見て頂く事にして、滝写真の掲載だけに留めたいと思う。
御覧の通り”いい滝”です
この滝を訪ねて戻ってくると、15時前の上り便を撮るのにほど良い時間となっているのである。
そして、「『大雪で運休』が嘘だな・・」と思える位に柔らかく暖かい斜陽が、川の畔の狭い寒村を暖かく照らす絶好の撮影シーンとなってきたのである。
下にあるードレールを気にするあまり・・
下が切れかけになっちまったよ
でも、「欲張る乞食は何とやら・・」で、下に入るガードレールを除こうと無理なアングルを採った結果、下が切れかけの駄作となっちまったよ。 追い撃ちは線路が斜陽に光ってまずまずの出来となったが・・。
振り返っての『追い撃ち』は
レールに斜陽が当たってまずまずのデキ
列車が遠ざかっていくシーンはいいネ
日の丸構図だけど・・
折り返しの上り便は、先程の追い撃ちで撮った方からやってくるので、柔らかい日差しを受けてやってくる”絶好の撮影チャンス”となるのである。 でも、ワテ・・、中途半端にプレッシャーに弱いの。
・・で、『一番星』を狙ったものの、良いのか悪いのか解らん微妙なデキが仕上がったよ。
少しアングルがナナメったよ
プレッシャーに弱いワテ・・
アップにすると斜陽に光っていたレールが影って
良いのか悪いのか解らんデキに・・
先程も述べたように車両運用の目途が着かない為、明日の朝の一本が運休となるので、2日行程の小旅行では、実質的にはコレが最後の撮り鉄機会となってしまうのである。
地区の公民館を使った秘湯・上津井温泉
なので夕方は、森の秘湯にひと風呂浴びにゆくとしよう。 この森の秘湯『上津井温泉』は、川平駅から『松川橋』で江ノ川を渡って、すぐに分岐する町道を奥に入っていった所に湧く秘湯である。
素朴な看板を掲げる
秘湯・『森の銀座』
温泉はこの地区の公民館みたいな所でやっていて、その『森の銀座』との案内看板は真に素朴で期待感満点なのである。 そして、高台にある温泉へは、車では底を擦りかねない急坂で、レンタカーを借りている身の上では、下の駐車場に止めて歩いて坂を昇って行った方が無難だろう。
温泉分析表も秘湯の雰囲気満点だ
※ グーグル画像を拝借
茶褐色の濃い冷鉱泉の上津井温泉
※ 江津市の観光ウォブサイトより
温泉は冷鉱泉で、泉質は含二酸化炭素ナトリウム・カルシウム塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉(低張性中性冷鉱泉)で、素では茶褐色の色を成すかなり濃度の濃い鉱泉である。
ほのぼのとアットホームな
雰囲気の秘湯を訪ねて
※ 江津市の観光ウォブサイトより
上の分析表は解り辛いので
脱衣場にあった分析表おば・・
※ 江津市の観光ウォブサイトより
山里の公民館の小さな温泉だったよ
※ 江津市の観光ウォブサイトより
また、この温泉は土日の午後のみの営業で、風呂上がりには休憩室で茶菓子が振る舞われるなど、真に『森の銀座』なのである。 この温泉に出会えた事で、『三江線・最後の四季』ではいい旅行記が書けそうである。
翌日の2日目は、朝の撮り時の列車が運休となっているし、天気も崩れ気味だったし、無理やりいった権現滝で道に迷って辿り着けず終いとなったし、三次への帰りは道路が冠雪する程の雪となって散々だったし・・で、何の戦果ナシに終わってしまったよ。
・・で、3月に、5度目の三江線撮影小旅行の計画を立てているのである。
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路線の思い出 第247回 長崎本線、旧国鉄佐賀線・佐賀駅 〔佐賀県〕
今回の駅の思い出は駅構内で起きた事である
よって駅の外には出た事が全くない
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
長崎本線
営業区間と営業キロ 輸送密度(’16) / 営業係数(’13)
鳥栖〜長崎・喜々津〜浦上 148.8km 14861 / 97
運行本数(’18)
鳥栖〜長崎 特急・・長崎行【かもめ】毎時2本、佐世保行【みどり】毎時1本
ハウステンボス行【ハウステンボス】4往復
普通・・毎時1〜2本、唐津線方面の普通・・毎時1〜2本
喜々津〜長与経由〜長崎 18往復
喜々津〜市布経由〜長崎 普通 毎時1〜2本、快速〔シーサイドライナー〕毎時1本
昇開橋の筑後川橋梁を渡る佐賀線列車
※ ウィキペディア画像を拝借
佐賀線
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
佐賀〜瀬高 24.1km 1301 / 683
運行本数(’18)
10往復
(’80年まで当路線経由で熊本〜長崎に急行【ちくご】1往復運行されていた) 佐賀駅(さがえき)は佐賀県佐賀市駅前中央一丁目にあるJR九州の駅で、佐賀県の県庁所在地・佐賀市の代表駅である。 特急列車を含む全列車が停車する。 当駅は路線名称上としては長崎本線の単独駅であるが、長崎本線久保田駅を起点とする唐津線の列車がすべて当駅まで乗り入れており、長崎本線と唐津線の接続駅としての機能も持っている。 1987年までは当駅を起点とする佐賀線が乗り入れていた。
切欠きホームが露骨に残る
佐賀線発着ホーム跡
※ ウィキペディア画像を拝借
なお久保田駅には長崎本線の特急列車は停車しないため、特急を介して長崎本線肥前山口駅方面と唐津線を乗り継ぐ際にはいったん当駅まで行って乗り換える必要があるが、分岐駅通過の特例により、当駅で途中下車をしなければ乗り越し区間(当駅 - 久保田駅間の往復)の運賃は不要である。
島式ホーム2面4線を有する(1番のりばの外側に機回し線がある)高架駅で、高架下に駅舎・コンコースがある。 なお、駅を真上から俯瞰した場合、駅の高架形状が北側が直線的であるのに対し、南側が曲線的であるのは将来的には北側に沿って新幹線駅の併設と新幹線高架線を考慮した名残である。 また、1番のりばの鳥栖方には切り込み線があるが、これは佐賀線の列車が発着していた名残で、一部であるが佐賀線の高架も残っている。
2016年度の1日平均乗車人員は12,341人である。 JR九州の駅としては9位で、長崎本線の駅、及び佐賀県内の駅の中では最も多い。 今回取り上げた佐賀駅であるが、下車体験としては足を”チョン着け”した位でしかない。
「なら何でこの駅を取り上げたのか?」と言うと、その下車体験の足の”チョン着け”が、大いなるミステイクに気づいて飛び降りたが、乗るべき接続列車は行ってしまった後で、文字通り『後の祭り』となったイタイ思い出の”チョン着け”だったから妙に記憶に残っているのである。
それは廃止ローカル線が片付いて、鉄道を追い求めるのを止めて久しくなった頃の事で、この時は九州の山々を訪ねる放浪旅”もどき”の途中であった。 なぜ九州の山々を訪ねる旅が”もどき”なのかというと、九州の山々は独立峰が方々に散らばっていて、テント山行を伴った縦走のできない山々ばかりだったからである。
頂上まで2時間足らずの
標高922m・開聞岳
その九州各地に散らばる独立峰の山々も、ほとんどというか全てが日帰りのハイキングで事足りる山で、北海道や東北、中部山岳の山域をゆく時のように、車中泊や山にテントを張って寝泊まりしながらの放浪山旅が利かなかったのである。
そして、関西圏から九州は中途半端に遠くて車で向かうのはシンドい上に、ガソリン代などの費用を考えると、『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』や『周遊きっぷ』を使った方が経済的だったのである。
まぁ、『放浪旅』時代と言う事で、要するに身分は『ブー』であった事だし、費用に対してはシビアにならざるを得なかったのであるが・・。
雨で駅寝環境劣悪なこの駅も
『路上テント』で凌いだよ
・・で、テント一式を背負い込んで、登山口や登山口の最寄駅の無人駅で駅寝しながら周っていたのである。 こういう旅の形態だと自ずとから、旅の日程は所持する切符の有効日数となってしまうのである。
美しい『山』の文字を模る
霧島・韓国岳
特に、次の山に向かうべくの移動日は車で来た時のように寄り道が適わないので、ほとんど列車の中か駅構内にいる状態となるのである。 下手すると一日数本しかない路線での列車の待ち時間とか、大いに時間を潰さなければならないのである。
このように列車に乗りつめたり、駅で列車待ちの待機をしていたなら、この無駄な時間を何とかするべく「かつて取った杵柄」が頭をもたげてくるのである。 そう・・、この空き時間を使って、九州の未乗線区周りに”走ってしまう”のである。
九州5指の標高1721mを誇る名峰・市房山
長々と前置き話を記したが、この時は開聞岳、霧島・韓国岳、市房山と周って帰路に着く日の事であった。 帰りは『周遊きっぷ』の特典で、料金を払えば大阪行の寝台特急【あかつき】の指定席車『レガートシート』の切符が取れたので、この列車の発車時刻の夜の21時過ぎまで時間が空いていたのである。
夜行高速バスと同じタイプの3列シートだが
車輌の幅が広い分快適である
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これを充実させてたら夜行バスに勝てたかも
※グーグル画像を拝借
・・で、未乗路線の篠栗線、香椎線などを制覇して、未城線区で最も難関であった筑豊本線の原田〜桂川(今は8往復だけど、当時は6往復しかなかったような・・)も埋めて、最後の仕上げに唐津線と筑肥線に乗るべく原田から鳥栖に向かったのである。
筑豊本線の桂川より先は
単行運転のローカル線だ
※ ウィキペディア画像を拝借
鳥栖から普通列車で佐賀に行き、佐賀ですぐに接続の唐津線の列車に乗ると、筑肥線と唐津線も埋める事ができる計画を立てたのである。 もちろん、テント用具一式を担ぐ身なので重たくて嵩張る時刻表など持たずに、「駅の時刻表をめくり漁って」計画を立てたのである。
・・で、その俄か立てた行程計画での乗換え駅などを暗記して事に挑むが、香椎線と篠栗線の乗換えが両路線の交差駅・長者原を含めてのモノで複雑だった為だろうか?、はたまた桂川で1日6本の列車に乗る事に気を取られたからだろうか・・、鳥栖から長崎本線の列車に乗る頃には真っ白になっていたのである。
・・で、佐賀駅に到着した時も『真っ白』は継続中で、駅に着いてもボ〜っと車窓から駅構内を見つめていた。 その内にすぐの接続だった唐津線列車は出ていったのだろう。
恐らく、その唐津線列車も、ボ〜っと見送っていたと思う。
我に帰ったのは、特急待ちの7〜8分が経過して、発車のブザーが鳴った時。
我に帰って荷物を抱えて飛び降りたが、言葉通り「後の祭り」だった。 これで筑肥線と唐津線は未乗のまま、この線区を埋める為の所要時間分の5時間の空白ができたのである。
・・頭が真っ白になる『空白』の思念が、5時間の『空白』の時間を拵えてしまったのである。
長崎ちゃんぽんとカステーラ
今こんなに食べたら血糖値が上っちまう
※ グーグル画像を拝借
もう、する事がないので、30分に1本ある白いイモムシじゃなかった特急【かもめ】に乗って、長崎ちゃんぽんを食いに行ったのである。 ついでに、長崎カステーラもヤケ食いしたのも憶えている。
こういうのを撮ろうと計画は
立てたのだけれど・・叶わず終い
※ ウィキペディア画像を拝借
・・やはり、駅に備え付けの時刻表で俄か立てた計画は、細部まで頭に入らないんだね。
未だに、唐津線と筑肥線は未乗のままである。 ついでに可動橋で有名な佐賀線も、北海道廃止路線重視の方針のあおりを受けて未乗のまま廃止となってしまったよ。 可動橋でショットする『撮り鉄計画』は立てたのだけれど・・ネ。
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