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昨日、仲の良いいとこたちの子ども3人(7歳、6歳、2歳)といとこ夫婦と城山公園に遊びに行った。
私はウエイトトレーニングを普段しているため、力持ちなので、このくらいの年齢の子どもだと2人くらいを担ぎ上げたり、ぐるぐる回したりすることは容易だ。乱暴に振り回したりすると子どもは喜ぶ。
一緒に過ごすと結構楽しいと思うからか、子どもも寄り付いてくる。
若い頃は子どもになど興味がなかったけど、年を取ったせいなのか、子どもに近寄るのが興味深くてたまらず、何よりも自分自身が癒やされる。
それにしても、同じ環境で育ったとしても、本当に一人ひとり性格が違うし、表現や訴える方法とかも違うものなんだなあと、子どもを見ていると思わされる。
その子の特性を受け止めて(面白がって)いると、子どもが寄り付いてくるように思う。
秘められた力は、それぞれにある。
だれかがそのことを見守ってあげ続けたとしたら、とてつもなく力を発揮するのではないか、と、感じたりする。
なのに、特に日本の社会は、はみ出すことを嫌い、画一化させていきたがる。
そりゃあ息が詰まって当然だと感じる。
画一化させることが当たり前な世の中になっているせいか、指導する側も個々が持っている良さを生かすことがへたくそになっているんじゃないかと思う。
(画一化はある意味、人々をだますことと一緒なのでは?)
こうして、主張の強い者に、優しい心の人たちはふみにじられ、神様からもらった良さを、生かしきれずに終わっていくケースが多いんじゃないかとも。
なんともったいないこと!!!
子どもに向けた目を、自分が普段かかわる大人に移したら、小さな変化が起こるかも?!
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