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長野でまるまるひと冬を過ごすのは、1998−99年以来、10年ぶりの今季、あまりに寒さに驚いている。
12月のある日、自転車を漕いでいたら、お尻が冷えてやばいと思ったため、長めのダウンジャケットを購入。
ちょっと高かったけど、久しぶりのコート購入に浮き浮きした気分だった。衝動買い気味は否めないが、その後の気温を考えると、正解なお買いものだった。
4月にマンションに引っ越したのも正解だった。
前は一軒家に住んでいたため、本当に寒くて、朝の気温は0度ないときもあったけど、今は最低でも7度。隣に家があることの保温効果はあなどれないことを実感している。家に帰ってくると、ほわんと暖気が気持ちいい。
部屋も結構広いけど、ガスヒーターひとつで、間に合っている。あまりに部屋が寒いと、活動量が減り、そうじもしなくなるからよくない。
洗濯物も、屋内でよく乾く。
気付いたら、一月も約半分終わってしまった。
久しぶりの長野の冬を満喫したいものである。
滑走できるのはあと2週間。
大切に時間を過ごしたいと思ってる。
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数日前に初夢を見た。
水で戻した干ししいたけを「もういらない!食べきれない!」と思いながら、口の中で「おえっ」となりながらもかみ砕いているという訳のわからない夢だった。
おそらく、このところ年末年始にあまりなかった食欲が出てきて、いっぱい食べられるようになってきたからなのかな、とか思っていたけど。
夢を解き明かすならば、「こんなにいっぱい!」というくらい、よいことがたくさん起きる!という感じだろうか。
そんなふうにともだちに話してみたら、「うま味凝縮の干ししいたけだから、その予測は当たるかも」って言われた。なるほど。そういうことにしておこう!
今朝も見たけど、それは気分の悪いもので、スポーツジムの中を通り過ぎただけで「15ユーロ」取られるという夢で。「それはおかしい!責任者を呼べ」と主張しているものだった。これはどんな意味?自分の精神状態とも、つながっていることは間違いないと思われますが。
去年見たのは、もっと象徴的な感じで、フレーズもいくつかあったんだけど、今年のは何となく単発な感じだな。
神様からの夢や幻をいっぱいみえるようになりたいなと思ってる。
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新年になった。
日本選手権が終わってから、ぼけぼけした日々を過ごし続け、元旦。
朝からジャージに着替えていたのに、昼寝と散歩で終わっちゃった。
一年の計は元旦にありって言葉が頭をよぎったけど、まあ、いいやと流し、その後もぼけまくってついに、滑走初日を迎えました。
快晴の朝、「まあ、ゆっくりのんびりやろう」と、スパイラルに到着。
ここ数日の冷え込みも手伝って締まったよい氷。
何げなく滑ったら、自己ベストが出た!
最高速もベスト。
相変わらず初速は遅かったし、また溝を外しちゃったのに。
次にしたいこと、気を付けたいこと、心の持ち方とかそりの乗り方とか、何となく、そんな微妙なものをつかみ取ることができて、結構楽しかった。
Happy sliding だった。
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何とかなるし、って思えるようになることは、簡単そうにみえたけど、そんなに簡単じゃなかった。
自分の競技のことも、他人のことのように、ちょっと距離を置いて見られるようになった。
いろんなことがあって、打ちのめされてやっと握ってたものをぱっと離すことができたのかなあとつくづく思う。
どんなことがあっても、神様は私と共にいてくれる。だから、手を離せる。
ぱっと自分が手離すことで、それを神様が受け取ってくれる。
執着で握り締めた手を離せば、神様が私の手をつかんでくれるのかな。
全知全能の神につかまれたら、不可能も可能になるに違いない。
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たぶん、今季、最初で最後のレースになる全日本選手権が昨日、終わりました。
2本目で乗り込みの衝撃で氷が壊れたらしく、溝はずれちゃって、それでも3位になったのは、大変ラッキー。
悔しいというよりは、ラッキーだし、新しくしたそりを乗りこなす自信がついたので、かなり収穫のある充実したチャレンジができたので、満足感が大きかった。
振り返れば、結果にばかり目を留め続けたこれまでだったけど、ここまで明確に自分が今やりたいことが見え、そこを見続けられ、うれしく楽しい気持ちでレースができたのは初めてのことで、それも新鮮だった。
いろんな意味で屈辱的な思いをした五輪前の去年の大会。
まさか、今、こんなに晴れ晴れした気持ちでスパイラルにきて、しかも滑走できる自分がいるってのはある意味奇跡だった。それから会っていなかった、自分を傷つけた人たちと顔を合わせたとき、どんな気持ちを自分が持つのだろうと、不安もあったのだけど、心はほとんど揺れなかった。私の道と人の道、はっきり違うものなんだな、ってことを自分自身がはっきりと感じられたのかもしれない。無意味に比較し続けていた自分の浅はかさには気付いていたけど、それをどうやってぬぐえばいいのかがわからずに、もやもやしていた。
でも、今回なんとなく、ひとつの何か大きな壁を超えられたように感じた。
それがうれしかった。レースで勝った時とは別の種類の、湧き上がるような喜びだった。
今年から変えてみた新しいそりは、最初はいいタイムが出なかったけど、乗った瞬間に、自分が変われるという直感があったので、対話に苦労しつつも使い続けることを選んだ。レースで使うのはかなりのかけだった。100かゼロかだなと、レースの朝までちょっと不安になった。不安になるたび、心を整理し、自分の気付きと、アドバイスなどを自分なりに咀嚼して、体とそりを信じて乗った。
滑走内容はまだまだだけど、去年のベストに近いタイムが、遅いプッシュタイムで出たから、新しい一歩が踏み出せたと思ってる。
この先の自分の道、どうなってるのか正直見えない。
競技を続けるという道は細いけど、光が見えている限りは、追い求めてみたい。
時間がかかっても、今を喜んで、進み続けるしか、今の自分にはやれることがない、と思ってる。
応援してくれている人がいることを、ようやく本当に感じられた。
それもうれしく、心から感謝してます。
どうもありがとう。
すべては喜びと、楽しさから。
それを忘れたら、意味がないみたい。
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この時期はだいたい、どの年でも日本にはいるのだけど、クリスマスを祝ったという記憶が一度もない。
全日本選手権の直前のことがほとんどだから、余裕がなかった。
クリスチャンだというのに、教会にすら行ってなかったなあ。
今年はどういうわけだか、心に少しゆとりができているみたいなので、お祝いの食事会に参加させてもらった。
体調の都合で眠かったけど、よいひと時であった。
選手だけど、国際大会には出ていない今年、という意味で、一線からちょっとだけ引いた立場で自分が立ってみて、これまでの自分の傲慢に気付くことが多々ある。なんで、あんなに背伸びをしていたんだか。なんであんなに、人の愛を受け取れなかったのかと。選手として、ということだけでなく、人としてもそうみたい。どうして、物事に対して、あんな見方しかできなかったんだろうと。まるで、自分で孤独を作りだしていたかのようだ。
私は、クリスマスに帰国するのが、これまでめんどくさかった。海外にずっと居続けられたら、楽だろうに、っていつも思っていた。それを口にしていたら、数年前の監督にしみじみ言われたことがあった。「お前はさみしいやつだなあ」。。。その時は、「人それぞれじゃん」って思ってた。でも、今、同意する。「さみしいやつだった」と。
さみしい自分に気付くこともできなかった私。
昨シーズンを終えたとき、その事実に愕然とし、何でどう、穴を埋めていくことができるのか、わからないけど、競技で成功することではない、ということには気がついた。
長い間、どうしたらいいのか、わからなかったけど、そんな思いを持ちつつ過ごし、もう少しで一年になる。
人とのかかわりとか、出会いを、丁寧に感じたり喜ぶことで、自分の持ってた変なこだわりとか、高飛車、傲慢など汚い自分と向かい合わざるを得なくなった。そんな自分を見つけたら、できるだけ、捨てているつもりである。
そのことで、少し、肩の荷が軽くなっているように感じる。
イエスが十字架にかかったという事実は、私たちのそのような汚いものを受け取って、罪に死ぬということを示しているのだともいう。
神にあっての明日の試合、さて、どんな新しい自分を見つけ出せるのだろう。
楽しみだ。
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