9月も終わりに近づき、すっかり秋めいてきた。
一年の中でこの時期が好き。
でも、シーズンの足音がしてくるから、何となく気分が変わるというか、引き締まる時期でもある。
昨年は10月1日に日本を旅立ち、ヨーロッパへ向かった。
希望に満ちて行ったけど、今思えば、心のある部分にふたをしていたようにも思う。
今になってそれがわかる。
自分の性格は簡単には直せないけど、コントロールはできるようになるものである。
でも、そのコントロールの方法を調整は、そんなに簡単なものではなく、少しずつ年を重ねるごとに、その方法がわかってくるものなのかもしれない。
具体的に言うならば、聖書に書かれているような自分になりたいと願って、確かに、怒るに遅くなったし、自分自身の未来に明確に希望を持てるようにはなった。でも、心の深淵の叫びや怒りというものは、処理されていなかったことを、じわじわと、わかるようになってきたのである。
汚かったり、ずるかったりする心の自分や、わがままかもしれない自分の今の思いは、神に吐き出すべきだということを、今になってわかった。
「あいつむかつくー」、とか、「赦せない」とか。「あれを欲しい」「これを食べたい」とか。
神の前に正直になっていることが、これほど大事であること、声に出して、自分の願いを訴えることが何と大切なことであるのか、ということ。
神との親しい交わり、というのは、正直な自分を吐き出すことであるということ、そんなシンプルなことが、今になってようやくわかった。自分に正直に、神の前に素直になること・・・案外簡単そうに見えて、できていないことって多いんじゃないか。
このたぐいの問答は、理屈で分かったからと言って、実践できるかというとそういうものでもないように思う。
自分の中にある、そういう本音に対して、向かい合うという体力と気力・・・それが大切なのである。
そりゃー、そういうことに気付いたときに、傷つくことがあるかもしれない。
でも、叫ぶ相手は人ではなくて、全知全能で私たちを創造した神なのである。
だから、最善なものしか私によこさないわけである。
この10日ほどは、上記のことを、気付かせてくれるような、苦しい出来事が3つ立て続けに起こった。
私が自分の進む道を決意したその瞬間から、目に見える「壁」が明確に見せられたのである。
理不尽なものから、世の常識に縛られたものまで・・・さまざま・・・
その縛りを自分が切り抜けられるだろうか、と思うと、苦しくてつぶされそうで仕方なかった。
このレッスンは、すでに、半年ほど、行われているはずなのに、まだまだ板についていない。
ついに、28日に40になるのだけど、たまたまこの期間で夏休みを取って、ほんのわずかな間、遠くへ出掛けることになった。距離を移さないと、思い切れないことがある。遠くへ行かないと、わからない時もある。
何の日常にも邪魔されることなく、神様との濃密な時を、味わって来たいと思う。