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この時期はだいたい、どの年でも日本にはいるのだけど、クリスマスを祝ったという記憶が一度もない。
全日本選手権の直前のことがほとんどだから、余裕がなかった。
クリスチャンだというのに、教会にすら行ってなかったなあ。
今年はどういうわけだか、心に少しゆとりができているみたいなので、お祝いの食事会に参加させてもらった。
体調の都合で眠かったけど、よいひと時であった。
選手だけど、国際大会には出ていない今年、という意味で、一線からちょっとだけ引いた立場で自分が立ってみて、これまでの自分の傲慢に気付くことが多々ある。なんで、あんなに背伸びをしていたんだか。なんであんなに、人の愛を受け取れなかったのかと。選手として、ということだけでなく、人としてもそうみたい。どうして、物事に対して、あんな見方しかできなかったんだろうと。まるで、自分で孤独を作りだしていたかのようだ。
私は、クリスマスに帰国するのが、これまでめんどくさかった。海外にずっと居続けられたら、楽だろうに、っていつも思っていた。それを口にしていたら、数年前の監督にしみじみ言われたことがあった。「お前はさみしいやつだなあ」。。。その時は、「人それぞれじゃん」って思ってた。でも、今、同意する。「さみしいやつだった」と。
さみしい自分に気付くこともできなかった私。
昨シーズンを終えたとき、その事実に愕然とし、何でどう、穴を埋めていくことができるのか、わからないけど、競技で成功することではない、ということには気がついた。
長い間、どうしたらいいのか、わからなかったけど、そんな思いを持ちつつ過ごし、もう少しで一年になる。
人とのかかわりとか、出会いを、丁寧に感じたり喜ぶことで、自分の持ってた変なこだわりとか、高飛車、傲慢など汚い自分と向かい合わざるを得なくなった。そんな自分を見つけたら、できるだけ、捨てているつもりである。
そのことで、少し、肩の荷が軽くなっているように感じる。
イエスが十字架にかかったという事実は、私たちのそのような汚いものを受け取って、罪に死ぬということを示しているのだともいう。
神にあっての明日の試合、さて、どんな新しい自分を見つけ出せるのだろう。
楽しみだ。
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