あーてぃすと 中山英子の日記

スケルトン競技代表中山英子選手を応援するブログです

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今年のチャレンジ

たぶん、今季、最初で最後のレースになる全日本選手権が昨日、終わりました。
2本目で乗り込みの衝撃で氷が壊れたらしく、溝はずれちゃって、それでも3位になったのは、大変ラッキー。
悔しいというよりは、ラッキーだし、新しくしたそりを乗りこなす自信がついたので、かなり収穫のある充実したチャレンジができたので、満足感が大きかった。
振り返れば、結果にばかり目を留め続けたこれまでだったけど、ここまで明確に自分が今やりたいことが見え、そこを見続けられ、うれしく楽しい気持ちでレースができたのは初めてのことで、それも新鮮だった。
 
いろんな意味で屈辱的な思いをした五輪前の去年の大会。
まさか、今、こんなに晴れ晴れした気持ちでスパイラルにきて、しかも滑走できる自分がいるってのはある意味奇跡だった。それから会っていなかった、自分を傷つけた人たちと顔を合わせたとき、どんな気持ちを自分が持つのだろうと、不安もあったのだけど、心はほとんど揺れなかった。私の道と人の道、はっきり違うものなんだな、ってことを自分自身がはっきりと感じられたのかもしれない。無意味に比較し続けていた自分の浅はかさには気付いていたけど、それをどうやってぬぐえばいいのかがわからずに、もやもやしていた。
でも、今回なんとなく、ひとつの何か大きな壁を超えられたように感じた。
それがうれしかった。レースで勝った時とは別の種類の、湧き上がるような喜びだった。
 
今年から変えてみた新しいそりは、最初はいいタイムが出なかったけど、乗った瞬間に、自分が変われるという直感があったので、対話に苦労しつつも使い続けることを選んだ。レースで使うのはかなりのかけだった。100かゼロかだなと、レースの朝までちょっと不安になった。不安になるたび、心を整理し、自分の気付きと、アドバイスなどを自分なりに咀嚼して、体とそりを信じて乗った。
滑走内容はまだまだだけど、去年のベストに近いタイムが、遅いプッシュタイムで出たから、新しい一歩が踏み出せたと思ってる。
 
この先の自分の道、どうなってるのか正直見えない。
競技を続けるという道は細いけど、光が見えている限りは、追い求めてみたい。
時間がかかっても、今を喜んで、進み続けるしか、今の自分にはやれることがない、と思ってる。
 
応援してくれている人がいることを、ようやく本当に感じられた。
それもうれしく、心から感謝してます。
どうもありがとう。
 
すべては喜びと、楽しさから。
それを忘れたら、意味がないみたい。
 
 
 
この時期はだいたい、どの年でも日本にはいるのだけど、クリスマスを祝ったという記憶が一度もない。
全日本選手権の直前のことがほとんどだから、余裕がなかった。
クリスチャンだというのに、教会にすら行ってなかったなあ。
今年はどういうわけだか、心に少しゆとりができているみたいなので、お祝いの食事会に参加させてもらった。
体調の都合で眠かったけど、よいひと時であった。
 
選手だけど、国際大会には出ていない今年、という意味で、一線からちょっとだけ引いた立場で自分が立ってみて、これまでの自分の傲慢に気付くことが多々ある。なんで、あんなに背伸びをしていたんだか。なんであんなに、人の愛を受け取れなかったのかと。選手として、ということだけでなく、人としてもそうみたい。どうして、物事に対して、あんな見方しかできなかったんだろうと。まるで、自分で孤独を作りだしていたかのようだ。
 
私は、クリスマスに帰国するのが、これまでめんどくさかった。海外にずっと居続けられたら、楽だろうに、っていつも思っていた。それを口にしていたら、数年前の監督にしみじみ言われたことがあった。「お前はさみしいやつだなあ」。。。その時は、「人それぞれじゃん」って思ってた。でも、今、同意する。「さみしいやつだった」と。
さみしい自分に気付くこともできなかった私。
昨シーズンを終えたとき、その事実に愕然とし、何でどう、穴を埋めていくことができるのか、わからないけど、競技で成功することではない、ということには気がついた。
 
長い間、どうしたらいいのか、わからなかったけど、そんな思いを持ちつつ過ごし、もう少しで一年になる。
人とのかかわりとか、出会いを、丁寧に感じたり喜ぶことで、自分の持ってた変なこだわりとか、高飛車、傲慢など汚い自分と向かい合わざるを得なくなった。そんな自分を見つけたら、できるだけ、捨てているつもりである。
そのことで、少し、肩の荷が軽くなっているように感じる。
イエスが十字架にかかったという事実は、私たちのそのような汚いものを受け取って、罪に死ぬということを示しているのだともいう。
 
神にあっての明日の試合、さて、どんな新しい自分を見つけ出せるのだろう。
楽しみだ。
 
 
 
 

書くこととか。

最近、思う。
書くことを生業としてきた部分があったけど、私にとって、書くことって単なるデトックスにすぎないのではないか、と。人に読んでほしいとか、そういうことではなく、言葉にすることで、ただ、自分自身を落ちつかせるだけなのでは、と。
 
そして、最近、感じてる。
言葉にすることは、とても大事だけど、言葉にしないこと、(言わないという意味ではなくて)感じたものを言葉で表現することを、無理にしないことも結構大事なんじゃないかって。
なーんてやって、言葉にする努力を、わりと長い間、しないでいたら、自分の頭がぽわーんと、いつにも増してしてくるようになって、本も読みたくなくなった。半面、自分の感じるものをもっと、明確につかめるようになってきたように思う。
それがいいことなのか、どうなのか、よくわからんのだけど、これまで、いちいち言葉に自分の行動をあてはめることをしすぎた反動なのかもしれず、言葉を使わないことで、バランスを取っているだけかもしれない。
 
日曜日、ついに全日本選手権を迎える。
あの、苦しかったというか、わけがわからないでまい進していた時から一年たつのかー。早いんだか、遅いんだか。
あのときとは、今、私は、別種の世界で生きているけれど、自分の道がよく見えるようになってきたような気がする。
自分の思いに素直になりつつあるような気がする。
他人にも愛を少しだけ感じられるなってきたようにも思う。
ちょっとした変化のおかげで、私はずいぶん、生きるのが楽になって、楽しくなってきた。
少しだけども、前よりも大らかにいられるようになったことで、自分が今することがはっきりわかるようになってきたようにも感じる。
ちょっとずつ、ちょっとずつだけども。
 
苦しいことを喜べって、聖書にあるけれど、それはウソじゃないって、心底思える。
思うようにならないことが多いときほど、できることが少ない時ほど、やれることだけすればいいから、自分の欲を手放しやすいみたいだ。
 
わかんないけど、そんなふうに、クリスマスを前に思ってる。
 
 
 
 
 

動いちゃいけないとき

体が毎日だるくて仕方ない。
質のいい睡眠を十分な時間取れていないからだろうし、自分の体力に対してのやりたいことが多すぎるのだろうと思っていた。
そしたら、今朝、会社についたころから、気管支が苦しくなり始めた。
やばい・・・風邪だったんだ・・・
 
昨日、何とも言えない倦怠感が体に走った。ふと、スケジュール帳を開く。
未来) 滑走→仕事→休みは滑走・・・・・
休んでるときないじゃん!!
過去)このところ数週間、疲れが出やすかったりした。長野から出られずに、3週間、県外に出ずに1カ月半近くたっていることに気がついた・・・だから、腐ってきてるんじゃないの!?
ハタと、思った。
「仕事が終わったら、実家に帰るか、東京へ行こうか・・・。明日朝8時から仕事だけども・・・」
電車を調べたり、ホテルを調べたり、狂ったように調べまくった。
やってるうちに、行った気になってきた。
満足してきた私の脳みそ、体がそっちに走れない自分に気がついた。
「止まりなさい」
かすかな神の声が聞こえてきた。
それで、冷静になった。
 
私は性質上、いつもふらふらと出かけて歩いていた。
用事があったことは事実だが、用事を作っていたのも事実。
時間もそれなりにあったから、それができた。
でも、今は本当に必要なことをする時間すら、ない。
そんなときだというのに、出かけようとした。
 
やっぱ今は動いちゃいけないんだなって思った。
無駄に動きまくるのは、日常生活だけでなく、そりの上でも一緒。
止まらなきゃいけない時。今はその時。
 
試合も近い。試合まであと何本滑れるのか・・・。
練習しなきゃという焦りが出てくる。
「止まりなさい」
また、かすかな声が聞こえた。
ぐっとこらえて、明日は練習行かない決断をする。
 
こらえるべき時にこらえられるようになったら、そりの上でも無駄に動かないでいられるようになるだろうか?!?!
 
 
 

そういう気がする

1週間前に、シーズンインした。
1週間はコースが結構きつくて、3日連続で滑ってみたら、頭がガンガンになってしまい・・・ちょっと休んで、土日。少し楽になっていて少し安心した。
 
最近、何となく、ちょっとした感覚を信じられるようになってきている。
もともと、インスピレーションはあるんだと(だれでも)思うのだけど、私の場合、受けた直感を思考で遮ってしまうという迷路に入り込んでいたところがあった。
いいことでも悪いことでも、人よりボリュームを多めに感じてしまうから、それの処理に手間取って、無駄なことを考えてしまっていたのではないかと思われる。
 
そりを新しいのを乗り試しているのだけど、根拠のない直感が「それ」に働き、ちっともタイムも出ないし、遅いのだけど、可能性を感じる自分がいる。新しい出会いに対し、「何となくこれがいい」って選別している自分を信じてみようと思える自分がいる。今、結果が出なくても、時間がかかっても、別にいいと。
 
新しいことにチャレンジしたい気持ち。
ある種の賭けとなるかもしれないのだけど、それをしたほうがわくわくするのなら、そっちをする。
守りに入る、これまでのパターンを踏襲する方に危険を感じる私。
 
ちょっと新しくなってる自分を感じつつ、思い切って、見えない海に飛び込んでみようかと思ってる。
 
 

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