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日本列島?いや、世界だろうけど大変なことになっている。
このところ、自分の将来について頭を巡らしすぎていたのだけども、ハンマーで頭を殴られたかのような地震。
仕事場の私の横では6つのテレビ、通信社の放送が常に鳴り続けている状況。
シャワーのように、惨状などが伝えられている。
一日中いれば、これだけでもぐったりするのだから、被害に遭っている人はとんでもない。
終末だ。
そんなふうに思う。
以下、友人で30年以上ドイツに暮らした人から送られてきたメールを、許可を得て貼り付ける。
思っていても何もできないのだけど、知らないより知っているべきだ。
そう思って、貼り付ける。
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福島原発が外壁も無い状態になった事について、日本政府は詳細を発表していません(世界のどこの政府と同じ)。パニックは必要ありませんが、冷戦時代やチェルノブイリをドイツで体験した私から見ると、平和ボケの傾向が日本ではあるので(失礼をお許しください。しかし、一生を左右する大事な事をお伝えしますので、あえてお叱り覚悟で)、事の重大さを認識して戴きたく、至急、メールをさせていただきます。
福島の第一原発の外壁がない映像が入りました。 冷却できなくなったとの報道がなされた時、大変なことになる、と思いました。何故なら、私が育った旧西ドイツでは、学校の授業は勿論、マスコミでも、原発の構造や特徴、核兵器と放射能の恐ろしさについて、教育や情報をうけました。 チェルノブイリ原発爆発事故当時、ドイツにいた私の体験をお伝えします。良くお考えの上、出来る限りの事を、日本でも行ってください。 チェルノブイリ原発は、ドイツからは離れています。しかし、風(注意:風向きなど、小さな単位ではなく、地球をもっと早く一周するジェット気流のことを言っています)や雨で、ヨーロッパ全土は勿論、ジェット気流に乗って世界中に放射能の塵が広がりました。海でも世界は繋がっていますから、雨が降れば、海にも雨粒は落ちます。ジェット気流で移動する雲に含まれている塵は、他の海や陸にも雨として落ちます。ドイツでも、政府は多くの作物の収穫・販売・摂取を禁じました。水道水も問題になりました。外気に触れれば塵にも触れるので、帰宅後、外で靴をホースの水で濯いでから家に入り、シャワーを浴びる人も多かったのですが、気休めにしかなりません。窓を閉め切り、雨戸も閉め、換気はしない、なるべく外出しない、と政府からの「アドヴァイス」がありました。雨戸や壁やドアが鉛でできていれば、放射線は貫通しませんが、人の住まいは、違う作りです。私達は、なるべくチェルノブイリから離れた国の缶詰で野菜や果物を摂りました。この状態は、長く続きました。 私は、ドイツにいた30年の殆どを、冷戦の中で過ごしました。核兵器の脅威にさらされ、いつ、どちらかの国の誰かが狂気に陥り、死の「赤いボタン」を押し、一瞬にして総てが死の裁砂漠と化すか。その認識で、毎日の生活を皆が送りました。 日本は小さいです。例え九州でも、あの無味無臭の塵にとっては近いです。 今できることとして、窓やドア、シャッターやブラインド(羽根を、光りが外から入らない向きにして)もカーテンを閉め、換気扇は付けない、外出しない。難しいこともあるかも知れませんが、気休めとも言えても、しないよりは。車や電車も、密閉空間ではないので、車内にいて窓が閉まっていても、あの塵は入ります。 第二原発も危ないかも知れません。政府は、もっと早くに広範囲に避難指示を出すべきでした。 あと、もう一つ。重大な原発事故ほど、特に国営テレビでは、映像をあまり出さなくなります。 以上、私の経験をお伝え致しました。 ======= 10年以上前、アウシュビッツの強制収容所を訪れたことがあった。
一人だったしガイドなしだったので、わからないことも多かったのだけど、印象的だったのは、社会科見学として学びに来ているドイツの小中学生の団体といくつもあったこと。
日本は、歴史を隠す。
しかし、ヨーロッパは歴史を明らかにする。
見つめる。もちろんすべてではないけれど、日本よりはかなりましなんじゃないかなと感じたことを記憶している。
最近の日本の政治をぼんやり眺めていてもそうだけど、何だか分からないことが多すぎるし、過去もそうだったと思う。はっきりすべきことはすべきなのだ。
そして、それは自分の人生においても言えるのではないか、曖昧にしていいところとそうでないところがある。
最近、それを強く感じている。
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2011年03月13日
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