あーてぃすと 中山英子の日記

スケルトン競技代表中山英子選手を応援するブログです

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コカ・コーラのCM

12月、撮影に協力した、中田英寿氏のスケルトンチャレンジCMが、今日、オンエアらしい。
まだ、見てないけど。コカ・コーラのだから、まあ、かっこいいでしょー。
 
競技のイメージが少し変わるかなーと期待して、私もかなりのエネルギーを割きました。
ご覧くだされ
 
 

My season was done.

昨日の長野県選手権を持って、わたしの2010−2011シーズンが終わった
 
一週間ほど前から「今年滑れるのはあと●日」とカウントダウンしていたので、疲れを押して、毎日滑走に出かけてしまった。
焦ったところでいい滑りから遠ざかることはわかっていたけれども。
連日の寒さと疲れが重なったらしく、鼻風邪をひいてしまったけど、なんとか、乗り切った。
というよりも、クオリティーの高い滑りが、土日とできて、大変満足して終わることができたので良かった。
 
土曜は久しぶりの晴れで、55.4と55.3とベストが出たし、
日曜は雪ながら、56.3と56.4とそろえて1位だった。
タイムや順位は、コンディションやらメンバーやらに左右されるし、結果にすぎない。
そんな中で、滑りの感度を高めることができたのが、大きな収穫。そりと、体とコースと3者が初めて協働した感覚を味わうことができたことに満足感をおぼえた。
 
2年前に世話になったコーチに、「You have to dance with your sled and the track.」と言われてた。
当時、頭ではわかっていても、どうしたらそれができるのか、わからなかった。
極めて自分を無くす、というか、そりとコースの挙動を聴き続けることができるか否かということらしい。
そのためには、じっと自分が待たなくてはならない。
待って何もしないのではダメで、遅れずに反応してあげる必要もあるらしい。
8年くらい前だったか、一回、突如それができたレースがあった。んで、ワールドカップで初めて入賞した。なぜ、それができたのか、自分でもわからなかった。それ以来、求めるほどに、わからなくなっていったし、強くなりたい、速くなりたい、と思うほどに空回りを続けた。
今振り返ると、自分はこうなりたい、自分はこう思う、と訴え、もがいていた自分は、そりの上でもそのまま、もがくしかできなかったようで、ずたずたになるまで、追い込んだんだと思われる。
この一年、頭を冷やす、というか、エネルギーがわいてくるのを待つしかない状態となり、ゆっくり自分の気持ちを感じながら過ごしてみた。競技もやる気が出なかったら、止めればいいと思ったし、やりたくなったら滑ればいいしと軽く思っていた。というよりも、思いつめる力もなくなっていた。
リラックスする中で、生活を楽しむ余裕も出たし、人の温かさをあらためて感じることもできた。
 
滑走を始めてからも、やらないとならないことが多く、いろんな気持ちの揺れはあったけど、気持ち悪さとも一緒に過ごした中で、生み出せた滑走の感覚は、今後、生きていく上でも意味が深いものになると、思った。
過去の苦い経験を捨て、新しいもので前に進みたい。
 
うーん、レースに出たい。
特に2月下旬のケニクゼーの世界選手権に出たい。
無理だけどー。
 

滑走は不思議

日曜日、チャレンジカップってやつがあった。
今年は海外遠征をしないため、このレースも大事にしようと思ってはいたのだけど、日常生活やらに追われたり、先のことを考えたり、2週間ほど、久しぶりに思い悩んでいたら、滑走に影響が出た。
コントロールしたくないのに、ちょこちょこと小細工をしてしまう。
身体に切れがでてきているから、走れるのに、滑れないというジレンマ。
心配事が心にあると、反映しやすいということを手に取るように感じ取った。
 
約10日ほど、こんな症状に悩まされている中で、出た試合だったけど、雪の中、1本目はふっきれた滑りができた。2本目は、前日の体験会の手伝いやらの疲れに覆われてしまって、いまいち雑な滑走になっちゃったので、不本意だったけど、滑走はモロ、精神状態を反映すること、そして、レースは通年通しての体力の積み重ねの賜物であることを思い知らされた次第だ。
 
1年前、大きなショックを受けてから、レースに出る気力はゼロになっていた。
新年が過ぎるまで、全く海外になど行きたいという気持ちが沸き起こってこなかった。
しかし、このところ、海外で試合に出たい、もう一回W杯で闘ってみたいという気持ちがあふれてきている。
だからといって、今、出て行っても、体力が足りないこともわかっている。
 
そして、人生は競技だけではないことも、わかってる。
仕事は、お金だけではないことも。
 
人生を組み立て直すことができそうな気配が出てきたように感じてる。
 

マイノリティ

最近気付いた。
どうも、私はマイノリティ(少数派)な部類に入っているらしいということを。
メディアで言っていることに同調できないのは、昔から。
好みの音楽もみんなと違ったし、やりたいことの優先順位みたいなものも、人とずれているらしい。
「常識」みたいなものは、それなりに理解できてるし、そうなるのがいい、って思うときも多々ある。
だから、自分自身もそれにあてはめてみようとしてみるときもある。
でも、そうすると、どうもぎくしゃくしてしまう。
その居心地の悪さに、あがきまくって、自ら勝手に破たんすることも少なくない。
 
マイノリティであることを知らなかった時分は、その違いを持つ他人に対して腹が立って仕方なかった。微妙なずれ感が気持ち悪かった。
自分の常識に他人の意見があてはまらないことが、わけわかんなかった。
どうやら、自分が多くの人と感覚が違うらしいと気付いてからは、あきらめがつくのが早くなったようで、楽になってきていることを感じる。そして、本当に一人一人が違うのである。
 
日本の組織ってのは比較的、違いを赦しにくい環境に置かれていると感じる。
なぜかというと、やっぱり、個人の利益追求型だから、違う人が邪魔に感じるんだろうなあ。
 
当たり前なことを書いてしまっているように思うけど、違いに対し、寛容になることは、人をリスペクトすることにつながると、本気で感じる。その大前提は愛で支えられている。
だから、人も「生き生きとして、それぞれ輝ける」ようになるのだろうに。
 
 
 
 

長野の冬

長野でまるまるひと冬を過ごすのは、1998−99年以来、10年ぶりの今季、あまりに寒さに驚いている。
12月のある日、自転車を漕いでいたら、お尻が冷えてやばいと思ったため、長めのダウンジャケットを購入。
ちょっと高かったけど、久しぶりのコート購入に浮き浮きした気分だった。衝動買い気味は否めないが、その後の気温を考えると、正解なお買いものだった。
 
4月にマンションに引っ越したのも正解だった。
前は一軒家に住んでいたため、本当に寒くて、朝の気温は0度ないときもあったけど、今は最低でも7度。隣に家があることの保温効果はあなどれないことを実感している。家に帰ってくると、ほわんと暖気が気持ちいい。
部屋も結構広いけど、ガスヒーターひとつで、間に合っている。あまりに部屋が寒いと、活動量が減り、そうじもしなくなるからよくない。
洗濯物も、屋内でよく乾く。
 
気付いたら、一月も約半分終わってしまった。
久しぶりの長野の冬を満喫したいものである。
 
滑走できるのはあと2週間。
大切に時間を過ごしたいと思ってる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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