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昨日ヤオハン創業者の和田氏が90歳で亡くなったとニュースになっていました
ヤオハンという販売網についてあらためて話す事は無いのですが、
実は僕はヤオハンという海外での百貨店店舗展開に少しだけ絡んでいたことがあるのです
昭和59年春新卒で入社した食品加工会社で、研修を終えた僕に待っていた配属先がシンガポール
そうそこには80年代に進出したヤオハンが存在したのです
オーチャードやジュロン、ブキティマなど複数店納品先があり、隣国マレーシアにも同じく店舗展開していたのが和田氏の実母がおしんのモデルにもなったヤオハングループでした
シンガポール食品工場の加工作業従業員は中華系の方々とマレー系の方々と粗半数位づつ
時間での礼拝や宗教的なことなどとてもカルチャーショックを受けた事を昨日のように思い出します
今では考えられないでしょうけれど、社用車のガソリン補給はシンガポールでは高額でしたので、隣国マレーシアへパスポート片手に、休日のたびにドライブして満タンにしたのも思い出です
その後はタイのバンコック、マハチャイ地区へ新工場手伝いに派遣されたのですが、ヤオハンのタイバンコック出店には僕自身が転職を決意してしまったので馴染みが無いのが悔やまれる点ですかね
ヤオハンの香港や中華民国台湾の店舗にも上司に伴い出張しましたよ
ですから僕にとっての海外勤務、それはヤオハン抜きに語れない事なのです
もしっていう事は無いのでしょうが、あの時に悩み考え込まなく転職をしてなければその後の僕の人生はどう変わっていたのでしょうか、勿論ひとそれぞれの歩み方があるのでしょう、そんな事を考えながら思い出を噛締めていたタマパパでした
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人生振り返ってみると色々な分岐点というか、もしもあの時って思うことがありますね〜
とはいえまだまだこの先の人生を楽しむつもりでおります😀
2019/8/30(金) 午前 9:32
> セバさん
僕等世代が新卒時代、研修という拘束旅行でなんとハワイへ連れていかれたのもバブル期だったからこそ
4年次には会社案内が毎日段ボールで一つにもなる程送られてきたものです
最初は金属材料会社へ内定いただいていたのですが、親族会議を経て稼業に役立つ食品関連へ就職しました
もしもあの時、僕には思い起こせるだけで大きな分岐が2か所あります
でも今が一番なのかも
毎日クロちゃんに癒されるのが楽しみです
2019/8/30(金) 午前 9:49 [ タマパパ ]