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書庫卑弥呼

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(17) 皆既日食説
 『古事記』には、次の記事があります。「爾高天原皆暗、葦原中國悉闇、因此而常夜往。」 天照大神が天石屋戸にさしこもると、高天原は皆暗くなり、葦原中国もことごとく闇になった。これによって常に夜が過ぎていくことになったとされます。つまり、話の筋からすると数日の間、夜が続いたということでしょう。

 この「岩戸隠れ」の記事について、皆既日食をあらわしていると想定し、その皆既日食の時期の研究により岩戸隠れの時期を探ろうとする試みがなされています。

 ただ、天照大神が「岩戸隠れ」したのは、スサノオが悪行をはたらいたことが起因となって、機嫌を損ねた天照大神が天石屋に隠れたのですから、話の筋からは皆既日食と全く関係がないように思われます。記述のまま受け止めれば、太陽神である天照大神が隠れたから単に暗くなったという話でしょう。

 理屈をいえば、皆既日食説では、この「岩戸隠れ」について全く応えられないことばかりです。

 皆既日食で真っ暗な中で神々が集まることができるのでしょうか。しかも、僅か数分程度の皆既日食の時間のうちに神々が集まり相談することは不可能ではないでしょうか。
 集まる前にすでに皆既日食は終わって明るくなっています。

 また、暗い中で天鈿女命が神懸りして舞うところは見えませんから、天鈿女命に関わる描写は誰にもできないでしょう。

 「岩戸隠れ」の記事では、何日間も夜が続いている状況が表現されていますが、皆既日食は、事象が生じている時間は極短く、皆既日食説は、「岩戸隠れ」の時間の観念を全く無視していると思います。

 具体的に皆既日食が起こった時期を考えてみましょう。

 たとえば、1世紀から3世紀までにおける皆既日食は、計算によって、53年、158年、247年、248年にあるとされます。このうち、53年は九州でも畿内でも皆既日食がみられたとされますが、そのほかは九州、畿内ともに皆既日食はみられないと推測されています。

 158年の皆既日食は、山口、愛媛で日没直前の午後7時過ぎに20秒ほど起こったとされます。卑弥呼と関連がある時期の247年、248年については、247年の日食は日没後であって、248年の皆既帯は東北地方のみとされます。

  残る53年の皆既日食は、午前11時すぎに30秒ほど西日本を通っていたとされますが、時代が古くなると誤差がだんだん大きくなり、その誤差が問題となるため、果たして九州、畿内が皆既帯に入るのかどうかは微妙です。

 国立天文台の研究者の推測においては、九州・畿内ともに皆既帯のギリギリのところであり誤差によっては外れてしまいそうです。

 このように1〜3世紀においては、九州、畿内ともに皆既日食は観られないか、又は確からしさに問題があるので、「岩戸隠れ」を皆既日食に当てはめることは無理でしょう。

 これにより、247年、248年の3世紀に起こった皆既日食については、天照大神と卑弥呼が同一人物である説を支持しようとする意図であったのですが、それは根拠にはならないことが判明したということです。

 逆に卑弥呼と天照大神は異なることを示唆します。

 なお、その後に再計算したところ、247年3月24日の日食が対馬・壱岐では皆既になったとされ、たいへん興味深いところです。
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