My opinions 浅田 茂 Shigeru-Asada

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幸せについての考察と80:20の法則(雑談)

①幸せとは?

人生全般について、全ての人が求める普遍的な価値,目的とは「幸せになる事」だろう。もちろん何が幸せかは個人個人の価値観の差が大きいので、一律に何が幸せとは言えないだろうが。

また、例えば経済的に裕福になることが最も幸せと感じる人にとっても、裕福になる過程と十分に裕福になった瞬間は幸せを感じるだろうが、その状態が長く続くと、それをさほど幸せとも感じなくなる事だろう。

それらを考えてみると幸せを語るには下記の「幸せ度」という尺度と、「幸せ感」という尺度が必要な様に思う。

幸せ度 : 健康,良い仕事,名誉,良い家族や仲間,カネ,異性,クルマ,家など
              欲しいものをたさん手に入れるほど一般的に幸せ度は上がるだろう。
              ただし個人価値観により、それらの影響する重さ(比率)は違ってく
              るが、少なとも他人から見れば、これらをたくさん手に入れた人は幸
              せそうに見える。

幸せ感幸せ度は、ある程度は客観的に数値化しやすい量だ。しかし幸
        が高ければ、それだけでその人が幸せと感じるかどうかは別問題だ
       という気がする。そして本当に必要なのは「幸せ度高さではなく、
       の人が幸せだと感じる事、つまり「幸せ感」の高さだろう。

幸せ感の定義

幸せ度を数値化してHとすれば、しあわせ感HF≒dH/dt ではなかろうか?まり幸せ感とは幸せ度の大きさにはあまり関係がなく、幸せ度Hが増加している時にのみ幸せ感が得られ、幸せ度Hが低下している時にはマイナスの幸せ感(不幸感)を感じる。下図はこの関係を図示したもの。

イメージ 1

ここではAさんとBさんで、人生におけるしあわせについて比較している。Aさんは比較的貧しい家庭で育ち、地道に無難に幸せを求めてきた人。しかしBさんに比べると人生を通して得た幸せ度は圧倒的に低い。

Bさんは裕福な家庭で育ち、未成年の時は多くのものを与えられ、高度な教育も受けた。そのため25歳くらいまでは更に多くのものを獲得し、他人からみた幸せ度は非常に高くなった。しかしその後の人生は失っていくものが多い人生だった。しかし人生の最後で比較してもAさんよりは幸せ度は高い。

この二人の幸せについて、幸せ感 HF≒dH/dt として図示したのが上図下の幸せ感のグラフになる。Aさんは絶対的な幸せ度は低かったものの、生涯を通じて幸せ度の低下する場面が少なかったので、生涯での幸せ感はBさんよりも高い。もちろんこの図は簡略化した図であり、実際の幸せ度はもっと細かくデコボコしているだろう。そしてその変化のたびに「幸せ感」のグラフは小刻みに大きく上下することになるが全体的,平均的な傾向としては上図下の様になったという話しだ。

ここで50歳の時の両者を比べて見ると、Bさんのほうが3.5倍も幸せ度が高い。にもかかわらず、幸せ感で比較するとAさんは+0.1であり、Bさんは-1.2となり、圧倒的にAさんのほうが幸せだと言える。

しかし、こう考えると人生の初めは幸せ度が出来るだけ低い方が生涯での幸せ感は高くできる可能性が高い事になる。幼少の頃、あまりに裕福で才能にあふれ、なんでも手に入れてきた様な人は、その後の人生でも常にそれよりも多くの幸せ度を獲得し続けていかない限り強い幸せ感は得られず、少しでも幸せ度の要素を手放して幸せ度が低下すると、その絶対値が高くても不幸感を強くあじわってしまう事になる。

そう考えると、私の世代あたり(戦後から1960年頃までに生まれた人)はラッキーだったのかもしれない。この世代は幼少の頃は社会全体がとても貧乏だった。つまり特に経済的なしあわせ度は非常に低かっただろう。多くの人が食事もままならず、粗末な家に住み、ツギハギの服を着、自分のクルマを持つことなど夢ですらなかった。(少なくとも私の幼児期で私の地域では)

だからこの世代は経済的には幸せ度の急上昇の中で過ごす事ができ、大きな幸せ感を得る事ができた。これが1970年代以降に生まれた人では幼少期から既に裕福な社会であり、経済的な要素の上昇に伴う幸せ感は得られなかっただろう。もちろんこれは全体としての平均的な話であり、個々の人を見ると様々であろうが。

そしてもう一つ、生涯を通じての幸せ感を高めるためには老後になっても幸せ度を出来るだけ減らさない様にする事だ。一般的には50歳を過ぎるころから健康や収入や知人など、ほとんどの幸せ度に貢献するファクタが減っていくのが通常だろう。だから老後は不幸感をあじわいやすい。(ボケはこの必然的不幸感からの救済なのかも)

そんななかで、出来るだけ不幸感を減らすには、老後でも幸せ感の低下しないファクタを出来るだけ多くもっておくことは重要だ。死ぬ瞬間まで幸せ度に貢献するものとしては、良い家族,友人関係や名誉な事などがある。それ以外にも色々さがして見るべきだろう。

子供の生涯の幸せ感を高める事を考えてあげるのなら、あまり恵まれた環境で育てるべきではないだろう。過保護も良くない。いっそのこと、小〜中学生くらいまでは親元を離れて厳しい合宿生活をさせるのも良いかもしれない。そして基礎知識をスパルタ式でたたき込む。基礎知識は強制的にでもたたき込まないと、その後の応用や知恵の拡大も難しい。合宿生活だと当然イジメ問題もでるだろうが、出来るだけ大人は介入しないで子供社会のルールにまかせる。イジメをくぐりぬけるのも自ら防ぐ方法を考えるのも訓練であり試練だ。そのようにして、出来るだけ幸せ度の低い幼少時代を過ごさせる。それが生涯を通じての幸せ感の増大につながる。

イジメ問題を含め特に日本社会で思うのは、過度に犠牲者がでるのを避けたがるところだ。何事にも「ゼロ」は目指してはならない。これは費用対効果の観点から導かれる。過度に犠牲者ゼロを目指すと、その反作用で他の面で犠牲者や被害が大幅に増加する。総合的に犠牲者や損害が最小になるポイントを見つけなくてはならない。イジメ犠牲者もゼロは無理で非合理だ。どの様な事故等もゼロは目指すべきでない。


② 80:20の法則 

パレートの法則ともいう。例えば多くの人が働く企業でみた場合、上位20%の人が利益の80%を稼ぎだしている、といった法則だ。これは法則と言う名前は一応ついているが、単なる経験則であり、数値自体もカウントしてみると、全くこの通りではない。しかし少ない割合の社員がほとんどの利益を稼ぎだすというのは、多くの企業で当たっているだろう。

では稼ぎの悪い80%の人を切り捨てて上位20%だけを集めれば良いのかというと、かならずしもそうではないらしい。上位20%だけをあつめても、そのうちやはりその中の上位20%が利益の大部分を稼ぎだすという構造になってしまうらしい。これは稼ぎの悪い80%だけを集めても同様で、そのうちその中の20%が頑張って80%の利益を稼ぎだす。

では稼ぎの悪い80%は無駄なのか?必ずしもそうとは言えない気がする。稼ぎの悪い80%が存在する事により上位20%が頑張れるのではないか?あるいは稼ぎに直接つながらない働きをしている場合もあるだろう。企業を経営する立場になると特別に稼ぎの悪い人たち(下位5〜10%程度)は切り捨てたくなる。しかし稼ぎの悪い人にもそれなりの役割がある、というのが集団の特性なのかもしれない。

















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