My opinions 浅田 茂 Shigeru-Asada

色々な雑談ネタの整理ページ by 浅田 茂(Shigeru-Asada)

日記

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私が初めてハロゲンランプを見たのは工業高校を卒業してウシオ電機に就職したときだった。そのあまりの出力密度と高温に驚いた。なにしろφ20mmくらいの石英ガラス球体から650wといった光パワーを放射する。小さな太陽みたいだった

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 100v-2500wハロゲンランプ



U社では最初、主にコピーマシン用の露光用ハロゲンランプとトナー定着用のハロゲンランプヒーターの試作開発に関わったが、最初の仕事はフィラメントの試作だった。 その後も色々なハロゲンランプの開発に関わったが、約5年後に上司に誘われて新会社設立のために退社した

フェニックス電機になってからは、ランプの製造設備を1から作った。まずフィラメントその他の組立はコンデンサ式溶接機があれば何とかなった。次の工程は薬品処理を経て水素還元炉。これは小さな炉屋さんに作っていただいた円筒形のトンネル炉だ。 太い石英管の中に処理対象物を入れて水素を流しながらトンネル炉の中に20分間程度入れて還元により酸化物を除く

次が封止工程。石英ガラスを酸素水素炎か酸素プロパン炎で2000℃程度まで焼いて軟化させ、金属ブロックを押しつけてつぶす事により封止(気密を保ちながら電気導入する部分)を行なう。ハロゲンランプ作りではこれが一番難しい

なぜなら石英ガラスと膨張率が一致する高融点金属材料が無いので、気密を保つためには30μm以下の薄いモリブデン箔に十分に軟化させた石英を圧着する事により気密を保ちながら電流導入部をつくらなくてはならないのだ。そのためには内部を酸化させないように保護ガスを流しながら強烈なガスバーナーで焼くのだが、一瞬でも内部に炎が入るとアウトだ。 箔は薄いので、 圧着時のガラスの流れで簡単に切れてしまう

最初は回転バーナー式の機械を作った。しかし作業性が悪いので後に固定バーナー式にした。今になって思えばこれは良策だったかどうか分からない。確かに固定バーナー式は手動機でも生産性が高い。両端封止型ランプでも一人で500本/日程度作れた。しかし焼きの均一性では回転バーナーには及ばない。ランプの出来ばえはもう一つだったと思う

次の排気、ガス封入工程だが、ガスは混合ガス方式とした。これは不活性ガス(Ar+N2とかKr+N2)に臭化メチレン等の臭素化合物を千ppm程度混ぜたものだ。コスト低減と、自分で作れば色々なチャレンジができるので、47Lプロパンボンベを使い、その一部にシリコンゴム部分を作り (場所は安全弁を利用)、そこから注射器でボンベ内に直接臭素化合物を注入する方式を採用した

まず加熱しながらボンベ内を真空引きし、不活性ガスを+0.2気圧程度入れる。そこに注射器で液体のハロゲン化合物をゴム部分を介して注入する。その後、不活性ガスや窒素を所定の比率で約20気圧まで充填する。これで半日以上放置して均一に拡散混合されるのを待つ。急ぐ場合にはバーナーで加熱して転がす

今思えば安全性など全く無視したやり方だ。その当時,状況だから許された方式だろう (許されたと言って良いかどうかも疑問)   アウトだろー  時効だけど
    
排気,ガス封入機械は回転ポンプと拡散ポンプを使用して、マニホールドにバルブを多数(20〜40個)付け、その先にランプの排気管をチャックできる機構を付けたものだった。真空にして空気を抜き、水素を導入して加熱して酸化物を除き、また真空にしてからマニホールドを通して混合ガスを導入し、個々のバルブを閉める

今にして思えば1ヘッドあたり2バルブとして、又は切替バルブとして真空にする経路と混合ガスを導入する経路を別々に設けておけばマニホールドで無駄になる混合ガスを無くすことが出来た。高価なKrガスやXeガスを使う場合にはこれは必須だっただろう

封入圧力は約3気圧なので、そのままでは内部圧力が高く排気管を焼き切ることが出来ない。そのためランプを液体窒素(-196℃)に浸けて内部気圧を下げた上で排気管を酸素水素バーナーで焼き切る

ランプ解説,製造方法全般   http://www.fintech.co.jp/sah/qir-frame.htm
ランプへの高圧ガス封入方法  http://www.fintech.co.jp/img/haiki.html

上記がハロゲンランプの作り方の初歩的な方法の概要だ。しかし現在ではハロゲンランプの照明への用途は完全に絶たれた。高輝度の白色LEDが出来た今となっては発光効率がLEDの1/5以下で寿命もLEDの1/20程度しかないハロゲンランプは存在理由が全く無い

ライバルが蛍光灯やHIDランプだけだった頃はハロゲンランプも瞬時点灯できる高輝度で手軽な高演色光源として、発光効率の低さや寿命の短さといった短所をある程度カバーできたので結構大きな需要があったのだが

しかし光加熱用の光熱源としては今後さらに用途が拡大していくだろう。なにしろハロゲンランプの全光放射への変換効率は85〜90%に達する。LEDも放電灯もレーザーもこの変換効率には決して達しないと思う。それにパワー密度がスゴイ。 例えばランプの体積1cm^3程度から100w以上の放射をする。おまけに自身の耐熱は900℃に達する

ハロゲンランプやLEDの様な高輝度光源を有効活用するには反射鏡と組みあわせるのがベストの場合が多い

私がハロゲンランプと反射鏡の組み合わせに取り組んだのは1980年頃だった。 φ50mmのガラス製反射鏡に多層反射膜を付けたコールドミラーに12v-50wクラスのランプを組みあわせた物だった。このミラー付きランプはGE社が先行し、正確な配光制御がなされていた。このミラー付きランプは照射角が13度,26度,38度の製品があった。この商品はその後、宝飾店,ブティック,レストラン等の店舗照明用で非常に大きな市場を作った

ヒットの要因は反射鏡を組み合わせることで発光効率の悪さをかなりカバーできたことと、ガラスに多層反射膜(コールドミラー)を付けたことによる熱影響の少なさと、 見栄えが良いことだろう。このミラーはランプを点灯すると背面に逃げる透過光が赤紫色の幻想的な色を放つ。捨てている光だが無駄になっていない

コールドミラーとは可視光線のみ反射して赤外線及び赤色光の一部を反射せずに透過させて背面に逃がす。だから照射光はあまり熱くない。赤外線だけでなく赤色光の一部を透過させて捨てるのは、ハロゲンランプの色温度を少し高める効果がある。つまりハロゲンランプは色温度が低い(光色が黄色っぽい)のが一つの欠点でもあるが、赤色を減らすことにより色温度を上げて白っぽい光にできる

GE社をまねて国内のウシオ電機や岩崎電気、海外のフィリップス社等も出し始めていたが、配光制御は全くまともな設計では無かった。GE社は反射面をちゃんと計算して設計しており、所定の角度にかなり均一に光を配光していた。しかし前記したGE以外の各社はちゃんとした設計ではなく、例えば鏡面にディンプルを付けて適当に光を拡散させている程度の物だった。配光制御の差は歴然としており、技術的にはかなり恥ずかしい製品だった

例えばGE製はくっきりとした円形の配光となるが、他社の物は境界のはっきりしないぼんやりとした配光だ。商品としては好みの問題かもしれず、そんなに気にする事でもないのかもしれないが、私にとっては技術力の差を痛感させられた - - - 

フェニックス電機もこれに取り組む事になったが、目標をGE製におくならば一番簡単なのはGE製をまねてコピー品を作る事だが、それはフライドが許さない。それにそんなまねッ子していると、全く応用が効かない。例えば30度配光の品物が欲しいといわれても対応できない

ならば色々と試行錯誤して作るという方法(GE社以外が採用している方法)もあるが、 そのころのガラス用金型は500万円もしたので、試行錯誤も許されない。(500万円というのは当時の国内独占的業者だった東芝ガラス社に吹っ掛けられたぼったくり価格ではあったが。本当の相場は100万円以下だったらしい)

金属鏡で試作確認するという方法もあるが、最終形を多面鏡(マルチミラー)とするならば、金属鏡でも試作は安くはない。まあ実際にはNC旋盤加工の金属鏡で近いところまでは試行錯誤で到達するだろうが、あまりにもスマートではない。私の趣味ではない

それに会社としての要求納期はそんな試作をする余裕も無い状況だった。そこでとりあえず最初はナロー角(13度)を作ることにした。ナロー角は比較的作り易い。単純な放物面でもそこそこの配光角(約8度)が得られる。だから基本カーブは放物面とし、多面構成の反射鏡として、それぞれの小ミラー面を凸面にして配光角を少し広める事とした

この設計で500万円使って金型を作った。結果はまあまあだった。しかし後で分かったが、この設計ではランプとミラー面が接近しすぎたためにミラー面の一部が高温になり耐久性に問題があった。それに致命的ではないものの、やはり丸いくっきりとした配光パターンではなく中心が一番強く周辺がだらだらと暗くなるという放物面鏡特有の配光だった

次にワイド角(26度,38度)の設計にとりかかったが、前記したような安易な方法ではとてもくっきりした円形の配光パターンは得られない。そこで設計アルゴリズムを色々考えた。レンズ設計などでの光線追跡なども考えたが、深い形状の反射鏡には対応できない

ふとした思いつきでミラーを微小ミラー面に分解し、その微小ミラー面をピンホールカメラの穴と考えてみることにした。すると光源はそのピンホールカメラの原理で拡大投影されることになる。その微小面が扱った光の量はランプの配光特性から計算できるから、微小ミラーが作る配光パターンは分布と明るさが正確に計算できる


これができればミラーを構成する全ての微小ミラーについて配光を計算し、加算していけば全体としての配光が計算できることになる。ただこの方式では各微小ミラーが狙うべき照射面上のターゲットポイントは指定してやらなくてはならない。このターゲットポイントを指定することで配光が正確に計算でき、その配光結果を見て目標に近づけるべく修正をかけてまた計算してみる、という試行錯誤が必要な方法だった。 試行錯誤は最低でも3回は必要だった。 実際には気が済む配光にまで追い込むには5回、 10回とくり返さなくてはならない

このような計算はとても手計算ではできない。しかし当時のパソコンは8ビットCPUの時代であり、インタープリタのBASICでプログラミングした。これがとても遅くて設計式を相当簡略化しても計算結果が出るのに何時間もかかった。 それを何回もくり返すのだから大変だ   

しかしこの方法で何とかワイド角のミラーを設計し製作したが、ほぼ狙い通りの性能が出た(狙いの配光角が26°に対して約24°と少し狭かったけどね)。配光の綺麗さではGE製よりも良かったと思う。この原因はミラー奥の一部分を使って横型フィラメントであるがために生じる配光ムラを打ち消す処理をしたためだった。 この様な事ができたのもGE社のコピー品を作らず基本設計方式を確立できていた効果だ 

この結果を見て本当にほっとした。 なんといっても金型の1トライに500万円もかかるのだから

そんなわけでGE社の製品と同等以上の性能となり、それ以外のメーカーとははっきりと差が付いた。 このミラー付きハロゲンランプはその後P社の主力製品となり、数十億円/年の売上に貢献した。最初に設計したナロー角のミラーも設計変更した事は言うまでもない。ワイド角のミラーも次の金型更新時に微調整した

この商品は当初価格が@\600〜\800だったので自動化設備により大きな利益が出た。しかし5年後くらいから安い中国製品が台頭してきて、P社も値段を下げざるをえなくなり、最終的には100円台になった。中国製品のおかげでハロゲンランプはすごく儲かる商売でもなくなった

ところでこのミラー設計ソフトはその後16ビットパソコン用, 32ビットパソコン用とアップグレードし、 設計の精度も計算速度も各種付加機能も大幅に向上していった。しかしそのころ(1990年頃)の32ビットパソコンはCPUクロックが2MHz程度であり、現在のパソコンとはレベルが全くちがう。クロック速度の差は1000倍にもなる。現在のパソコンならばもっと正確な配光計算が高速でできる

最初は光源として球光源のモデルで計算させたが、最終的には光源として5個の球体光源を直線に配置(重なり可)する事で実際のランプのフィラメントを近似した。光軸に対して横方向と縦方向配置も指定可能とした。また設計したミラーに対して光源位置を移動させたり、照射スクリーンまでの距離を変化させたりして配光の変化を見れるシミュレーション機能も追加した。これは便利な機能だった

また円形配光だけではなく、長方形の配光などにも一応対応させているが、実際に設計してみるとくっきりした長方形にはなかなかならない。それなのにミラー面は極端に複雑な形状となり生産性やコストに問題がありすぎる

このころの私はパソコンのソフト開発に凝っていた。しかし使用言語はBASICのままだった。プロの人たちの様にC言語には行けなかった。BASICに馴染んだ頭にはCは分かりにくく、またソフト開発を本業にする気もなかったから「これでいーか」で済ませた。それにBASICもコンパイルすると結構速かったし - - -

P社を辞めてからはこのソフトのアップグレードはやっていない。この設計ソフトは現在当社でも光加熱の計算に使っているが、当時の配光計算の精度で十分なのでアップグレードはしていない。ただしP社からの依頼もあり、Windowsには対応した。 私は最近パソコンのプログラミングからは遠ざかっていたので、増岡氏に依頼してExcelベースで作っていただいた

さすがに現在のパソコンでやると、ほとんど待ち時間なく計算をやってくれる。だから現在のパソコン用にプログラムを改良すれば、光源のコイル形状(らせん状)も再現でき、スクリーンに照射したときにできる渦巻き模様も再現できるだろう。しかしそこまでの機能が必要とされることは無いだろう

(有)フィンテックになってからは、ランプそのものよりも、その応用製品に取組んだ。 照明用としての用途には未来はないから、もっぱら加熱用だ。点状や円形上にランプ光を集めて高温加熱する「ハロゲンスポットヒーター」と線状や帯状に光を集めて加熱する「ハロゲンラインヒーター」,面状に光で加熱する「ハロゲンパネルヒーター」等々

これらは最高1800℃程度の加熱が可能だ。しかも温度コントロールは自由自在であり、 究極的なクリーン加熱で真空中での加熱もできる

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             超小型タイプ  φ12,φ18                                                   φ30タイプで加熱中

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             φ60タイプ    450w                 This very beautiful girl model is emi

しかしこれらの製品には熱風ヒーターの様な他社を圧倒する特別な技術は含まれていない。 これは私としては少々おもしろくない所だ。 だからHDコイル発熱体を使った遠赤スポットヒーターでも作ろうかと思っている


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    ラインヒーター   長さ2mの物も製作可能。電力(パワー)も10〜15kwが可能

スポットヒーター http://www.fintech.co.jp/sah/hsh1.htm
ラインヒーター  http://www.fintech.co.jp/sah/hsh2.htm
Home         http://www.fintech.co.jp


雑談

私はけっこう新し物好きで、パソコンは本当に初期から使い始めた。ただボードマイコンの時代は仕事の関係もあり取り組めなかった。だから本当のハードウェアや機械語, アセンブラはパスしてしまい、メーカー製パソコンとBASIC言語から始めることになったのは少し残念だった

当時(1976年頃?)はシャープMZ80やNEC6001の時代であり、私はMZ80Cを購入した。こいつはメインメモリが確か32kB〜64kBで外部記憶装置が音楽用カセットテープという代物だった。起動するには毎回テープからBASICを読み込まなくてはならない。たまらなくスローで窮屈な世界だった

メモリが少なかったので大きなプログラムも組めない。代わりにBASICにはchainなどという命令がその後追加され、複数のプログラムをつなぐことは出来たが、何しろハードウェアの能力でソフト設計が制限されていた時代だった。ハードの制約を気にせずにプログラムが組めるようになったのは32ビット機の時代になってからかな?それでも画像を扱うのはたいへんだった。何しろ1990年頃はハードディスクの大きなものでも100MB程度、価格も50万円〜100万円だったから

話が1976年頃にもどるが、そのうちシャープから外付けのフロッピーディスクユニットが売り出されたので、当時の給料1ヶ月分以上(約30万円)をはたいて買った。5インチの2ドライブユニットだったが、容量は256kB程度だったと思う。今から考えると信じられない低スペックだった。当時はディスク容量の単位がキロバイトの時代、現在はそろそろテラの時代だ。 それでも一応ランダムアクセスだから使い勝手はカセットテープとは比較にならない

これでようやく私のパソコンも実用域に入ったのでランプのフィラメント設計などに使った。電卓よりははるかに早く複雑な処理も出来た

その後、富士通がマイクロ8というのを出したので、それに乗り換えた。その時点ではマイクロ8はベストな選択だったと思うが、NECを選ばなかったのは結果として失敗だった。後になるほどNECの寡占状態になったので、肩身の狭い思いをする事になった。 しかし機種変更は面倒なので惰性で富士通16ベータ、FMRと富士通路線を通した。現在でも会社使用を含めるとパソコンを8台ほど使っているが、富士通製が多い

富士通ファンとしては富士通さんのパソコンへの取り組みには不満も多い。製品の信頼性が高いのは認めるが、出来れば独自企画で世界制覇を目指すようなチャレンジをしてほしいと思う。独自規格のキーボードやワープロソフト等もあきらめがよすぎた
 




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私の高温熱風ヒーターとの関わりは昭和50年(1975年)頃から始まった

そのころ高温熱風ヒーターの原型はアメリカ製品だった  シルバニア製 真空冶金(株)扱い


この時期はちょうどウシオ電機(株)をやめフェニックス電機(株)を創業した時期にあたる。 私はフェニックス電機でハロゲンランプの生産設備を準備するかたわら高温熱風ヒーターを開発した

このアメリカ製熱風ヒーターは内径φ8の石英管の中に発熱体があり、その発熱体は花巻となっており、それがネジ切りセラミック管にねじこまれた構造の物だった。発熱体材質は一般的にカンタル線と呼ばれているものである。最高使用温度は1400 ℃とされているが、 実用的には1150℃程度までの長時間使用に耐える

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この発熱体を石英管の中に入れ、 エアーを流すと約 800℃の熱風が得られる。 ウシオ電機時代、 私は上司からこのヒーターをまねて作るように言われたが、 全く同じものを作るのは気が進まなかった (技術屋のプライドが許さない?興味がわかない?)

またネジ切りセラミック管が非常に高価(¥3000程度)だった事も問題だった。 そこで私は花巻コイルに代えて二重コイル発熱体を使う事を考えた。 この試作をやっている内に過去の電気炉での経験を思い出した。カンタル線は高温になると表面に絶縁皮膜ができ、電気が通らなくなる



この性質は一般的には困った性質だった。電熱線と導入電線の接続部等が高温になると絶縁膜ができるために接触不良を起こし、過熱断線に至る事がある

私の思いつきは、 この困った性質を利用して予め電熱線を十分酸化させておけばコイルを密着させてもピッチ間の絶縁を保つのではないか?だった。 そしてこの考えは正解だった。十分に酸化させれば表面に絶縁膜ができるので、ピッチ間を密着させてもショートせずに発熱体として機能する。ただしその絶縁耐圧は高温時には数ボルト程度だが、コイルの巻き数が多ければピッチ間に加わる電圧は(1/巻き数)になるので、定格電圧200vのヒーターでもピッチ間電圧を数ボルト以内にするのは難しくない。

カンタル線とは材質的には鉄70%−クロム25%−アルミ5%程度の合金線である。 ニクロムの代用としてドイツで開発された電熱線で、希少な戦略物資であるニッケルを使わなくて済む電熱線だった
   セラミック管もドイツ製を使ってます ドイツ人はスゴイ 尊敬! それだけにVW事件はしんじられない 

大昔の発明品なので、もちろん特許は切れており、日本のメーカーでも同等品を製造している。例えば(株) リケン の商品名パイロマックス。 これは絶縁膜の強度や高温性能でカンタル社製品よりも優れていると私は評価している。日立金属のエスイットも高温性能は最高ではないが材質的な安定性が優れており、絶縁膜の安定性も良い

この電熱線は高温になると合金化していたアルミが染みだしてきて電熱線表面に丈夫なアルミナ(酸化アルミニウム)の皮膜を作る。しかもこの絶縁皮膜は電熱線内部に含まれるアルミから供給されて成長していく。この絶縁膜は例え剥がれても次々と再生するので絶縁膜が剥がれる心配はあまりしなくて良い

このアルミナ膜の元々の役割はもちろん電気絶縁ではない。この緻密なアルミナ膜により空気(酸素)が内部に浸入するのを防ぐので、 鉄が主成分の電熱線が空気中での高温使用に耐えるのだ。 しかしアルミナ膜は電気絶縁物としても最高性能だった

私の熱風ヒーター初回製品はこの密着2重コイル発熱体を採用した品物で、少数だが実際に販売し、使用された。問題は起きなかった。発熱体サイズは同容量のシルバニア製の1/3程度だった。しかもネジ切りセラミック管を使わないので材料費は非常に低く抑えられた。これでシルバニア製の商品力,機能,性能を完全に超えたと確信した

しかし二重コイルでは二次巻き数が20回〜30回だったので、二次ピッチ間には100v仕様のヒータでも5v近い電圧が加わる。そのためかなり丈夫な酸化皮膜を作らないといけない。200v仕様だと更に困難になる

その点、花巻コイルならば巻き数が多く、ピッチ間の電圧は0.5v〜2vに抑える事ができる。そのため二重コイル発熱体はあきらめ、花巻コイルの密着コイルとした。密着コイルならば革新的なので花巻でも真似をしたと非難される心配は無いと思った

この発熱体を使用した熱風ヒーターは型名をSAHとし、その後40年に渡り使用され続けている。超ロングセラーだ。 それどころかSAHヒーターの販売は現在でもなお拡大し続けている。用途は非接触ハンダ付けを初め、ガスバーナーの代替やプラスチック加工などさまざまだった

この電熱線に形成される絶縁膜を利用する密着コイル型発熱体は、ぜひとも特許を取りたかったが数十年前に松下電器(現パナソニック)から電熱線の表面に絶縁皮膜を付けたヒーターが出願されており、惜しくも特許にならなかった。過去の特許は単に「電熱線の表面に絶縁膜を形成する」というだけであり電熱線に合金化したアルミが染みだしてアルミナ膜を形成するという原理によるものでは無かったが電熱線に絶縁膜を付けるという点が同様なために拒絶された

これは痛手ではあったが、その後私が独立して別会社でこの製品を作ろうとしたときに障害にならなかったという点でラッキーだったとも言える。 しかし特許がなかったがために(株)ハイベック がそれまでフェニックス電機から購入していたSAHヒーターを自社生産しはじめた。 全く油断もすきも無いのだ。 ちなみにSAHのH型というのはハイベック向け仕様ということで命名したものだ。 この仕様はSUS管の中に石英ガラスやセラミックからなるヒーター部分をコンパクトに組みこんだもので、 その後のSAHヒーターの主力構造となった

私が1992年に(有)フィンテックを作り、この熱風ヒーターの改良型を主力製品とした。 作り方を改良し、工程を簡略化し、中心のセラミック棒を太くして内部に熱電対を通せる様に改良した。 この熱電対内蔵型熱風ヒーターは最近まで主力商品として売上の1/3近くを担ってきた。 フェニックス電機とは一時期険悪となったが、 その後これを含む少量多品種ヒーターのOEM生産を任せてもらうことになり、 現在も良好な関係を保っている  

しかし2008年頃に問題が発生した。インフリッヂ工業(株)が熱風ヒーター製造の合弁会社をもちかけ姫路で生産を始めたが、INF社は社長(当時:今村宏明)の義理の息子 (渡辺秀人) を送り込み、製造方法を習得させると早々に会社を閉鎖してしまい自分たちで作り始めた→ (株)サンメジャー 山梨県南都留郡鳴沢村4023-6 

しかしこの様に卑劣で破廉恥で卑怯でまともな人間なら決してやらない事を平気でする「日本人の恥」みたいな輩を許すわけには行かないので   そーだ そーだ  
この市場を席巻し直し、醜悪なコピー品メーカーを追い出す事ができる画期的な熱風ヒーターが作れないか模索していたが、ちょっとした思いつきで密着花巻コイルを更に圧縮できないかというアイデアが出た。これがやってみると意外と簡単に実現できた

これまで 「密着コイルは縮める事の出来る限界であり、それ以上縮める事はできない」 という思い込みが有った

確かに一般的な円形巻きコイルは、電熱線の断面形状を保ったままでは密着以上には縮まらない。 無理にでも縮めるにはワイヤーの断面形状を変形させるしか無く、極端に大きな力が必要になる。しかも円形コイルの場合は無理に圧縮したとしても通過空気と接する有効表面積も減るので熱風ヒーター用発熱体の小型化という目的では全く意味が無い。ただの金属のパイプができるだけだ

しかし花巻コイルの場合にはピッチ間の接触点の位置がずれていくためにワイヤーが曲がることにより比較的簡単に圧縮が可能になる

しかも通過エアーとの接触面積(熱交換面積)もほとんど減少しない。むしろ通過エアーがより強く乱流化するために実際の熱交換効率は向上する。これは同じ発熱体温度でもより高温の熱風が出せる事を意味する。また熱ロスは発熱体長さにほぼ比例するために熱ロスも大幅に減少し、熱効率の高い熱風ヒーターとなった

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 ※上側が密着花巻コイル。これでも他方式に較べると3倍以上の高密度だっ
      た。 しかし今あらためて見てみると、かなり無駄な隙間が多いのに気付く

 ※下側は上側と同じ物を圧縮して作った圧縮花巻コイル。更に2倍以上の高
   密度となっている。 究極的な高密度    スゴイ! ムダな隙間が殆ど無い!!
  
外観はとても上のコイルを圧縮しただけで出来たとは思えない様な模様が出来ている。これは私も予想していなかった意外な造形美だ。 優れた物は美しい形をしている事が多い?    ワタシも造形美の極みだよー     おれたち猫は最高傑作のルックス 機能デザインだ    パンダだって負けてないわい   タヌキをばかにすな   ルックスならアタシでしょー


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左は上の写真の圧縮花巻コイルを伸ばしてみたもの。この様に電熱線は複雑な三次元形状をしている。実際にはこれを押し縮めた密着状態で使用するので、広い表面積が小さな空間に高度に凝縮される

これ以上の高密度発熱体は恐らく作れないだろう。究極だと思う

各種のヒーターの単位体積あたりの電力を概算してみると、一般的な熱風ヒーターは15w/cm^3、光エネルギーに変換するハロゲンランプが90w/cm^3 程度なのに対し、この圧縮花巻コイル採用の熱風ヒーターは100w/cm^3 に達する。つまり高密度熱源の代表の様なハロゲンランプと同レベルの体積電力密度を持っている事になる。 これは結構すごいことだと思う

この改良により発熱体のサイズは更に半分以下にまでなった。シルバニア製に較べると1/6以下だ。しかも1000℃の高温下で約1MPaの圧力で圧縮して作るのだから、 それ以上縮む事は無い

これは極めて強い耐風圧性があることを意味する。事実、900℃で圧損が0.5MPaにもなるような大風量(φ8管で150L/min)で使用しても発熱体には異常が無かった。 ただし発熱体を支える部分が従来構造ではこの圧力には耐えず、そのため新しい支持構造を考案し採用した

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写真上が従来の密着花巻コイル発熱体。下が圧縮コイル方式の発熱体。
ヒーターのパワー(電力)は同じだ。高温性能や熱効率は下側の方が優れている。
型名のSAHDはSAH+HD(高密度)の意味でつけた
 AHはSigeru Asada Heater なのだ  うそだよー

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                                                                                        This very pretty Gal model is emi
  このサイズで500w-900℃の熱風吹き出しが可能。左側からエアーを入れ、
  右側から熱風出る。 熱風温度センサー(K熱電対)内蔵型 

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圧縮によりエアーが通りにくくなるかと思ったが、測定してみると大差無い。しかも同じ熱風温度ならば発熱体温度が低く出来る。このためこの改良型ヒーターは熱風温度900℃をうたう事ができた。銀ロー付けが可能な熱風温度だ

ホーム        http://www.fintech.co.jp

このヒーターは工業用熱風ヒーターという特殊業界向けだし単純な構造原理なので一般社会的には目立たないが、画期的なイノベーションと言えると思っている(自画自賛?)     それほどでもないよーな 気がするけどね    

そしてこれは特許で防衛出来るので、少なくとも今後20年間以上は市場を独占出来るだろう。そして高温熱風ヒーターの市場を徐々にだが確実に席巻していくだろう。なぜなら圧倒的な機能差,性能差があるのだから。圧縮に多少のコストはかかるが、金属ケースや絶縁材の使用量が減らせるので、トータルコストも安い

ユーザーにとってもこのヒーターを組みこめば、機械設備のサイズを小さくする事ができ、大きなコストダウンが可能になるかもしれない。また従来ヒーターではスペース的に使用できなかったところにも使える様になる。また振動衝撃の加わる場所でも使え、従来製品では想像できなかった様な超大流量での使用にも耐える

INF社の今村前社長の非道な行為が結果的にこの画期的なヒーターが生まれるきっかけになったのだから、世の中何が幸いするか分からない。おかげでフィンテック社の超高温熱風ヒーターにおける独占体制が約束され長期に渡る安定的な経営が約束された様なものだから。 ちょっとあまい気がするぞー   この先何があるかわからんぞー
 今村前社長は信用できない人間の代表だ。 でもINF社員が全員そうだというわけでもないだろー。  まだ今村氏は実権をにぎっているから以前とかわりないのだ

それにあの事件があるまではINF社とは製造者と販売者の関係で20年近く助け合ってきた経緯がある。その意味では大変感謝している    かんしゃ かんしゃ 

私は工業分野での熱風加熱の将来性を楽観視している。これほど手軽に材質を選ばず高い均熱性で高温加熱できる手段は他に無いので必ずある程度大きなシェアを確保し続けるだろう。ただし熱風の廃熱回収は考えていかなくてはならないだろう。これが次のテーマだと思う

この発熱体は垂直使用も問題なくできるので、熱風ヒーターに限らず一般的な赤外線ヒーターとしての用途もある。カートリッジヒーター用発熱体として使っても従来品とは圧倒的な性能の差が出るだろう。恐らく1100℃での長時間使用が可能になる

密着コイル方式の難点は巻き数を100ターン以下にはしたくない (ピッチ間電圧が高くなる) ので細長い形状になりがちだったことだ。しかし用途によっては短い事を要求される場合が多々あった。この要望に応えるために従来はヒーターユニット6本構成のヒーターで対応してきた。

しかし圧縮コイル方式ならば、この様な複雑な構造によらなくても十分に短くできる。今後当社のヒーターは短くするという意味では6本構成を採用せずに圧縮コイル方式を採用していくだろう。しかし6kw〜30kwといった大出力品については今後も6本構成を採用するだろう   大電力のヒーターは作るのが大変 !  そのてん6本構成はらくだー

※この部分は訂正 2018/12
その後の改良で1本のヒータで9kwクラスまで対応できるようになった。熱風温度は1100℃を超えている。更に現在は1本で13kwのヒータも開発中である。そのため、6本組のヒータは約20kwクラス以上100kw超のものが対象になる。→改良品

またこの圧縮花巻コイルはヒーター以外にもその耐圧縮性やコンパクト性などを利用した応用が考えられる。例えば免震構造材や圧縮限界の短いコイルバネなど。実際に応用できるかどうかは別として従来に無かった機能を持っている事は間違いない。大化けする可能性を秘めている技術だろう    きぼうてきかんそくだね


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超小型熱風ヒーター   φ4−100w

圧縮コイル方式なら、更に約半分の発熱体
長さになる





    This very beautiful woman model is Maho


2015/06-22   S.Asada

なつきの思い出


にゃん猫が死んだ事を書いて父や息子の事を書かなかったら叱られそうなので、書きます

三男のなつきが死んで10年以上になる。この子はやや特殊な子で馬鹿とも言いきれないが能力の指向性が強く、弱い面の能力は全く人並み以下だった。かといって指向性の強い方面の能力が人並みだったとも言えないけど- - - みもふたもない

家族からも嫌われ、可哀そうな子だったと思う。家族と同居が無理っぽかったので中二の時に私の母にあずけた。そして高一の夏休みまで姫路で母と暮した。この間のなつきはとても生き生きとしており、無理してでも母と同居させたのは正解だったと思っている。母は全く子供を押さえつけるようなところが無く自由にさせていた

高校は私立(仏教系)の市川高校になり、スクールバスで元気に通学していた。親友もでき、これまでとは全く違う人生が開けたような気分だっただろう。 高一の夏休みは思いっきり楽しんだようだ。 親友の家に入り浸り自転車を乗りまわしていた (当然、 勉強など全くせずに ! ! ) 

しかし高一の夏休みが終わったころ、腰痛を訴えだした。彼いわく 「自転車の乗り過ぎだと思う」。 16歳の若者がオジン臭い事を言っているわい、と軽く聞き流していたが、 これ以上休んでいられない、 と無理して登校したものの、 とても教室の移動や階段の昇り降りができる状態ではなかったらしい

近くの医者で見てもらうと骨には特に異常がなく「座骨神経痛」と診断された。しばらく自宅療養していたが、強打や転倒をしたとかでもないのに突然足の骨が折れた。 場所は大腿骨の骨盤との関節部だ

若い子がこんな骨折をするなんて、あり得ない。 何か大きな病気が隠れていると最初の病院 (日赤病院) で言われ、 しかしそこはベッドの空きがなかったので新日鉄病院に移り詳しい診断を受けた。その結果、 骨シンチグラフィで見ると腰椎をはじめとして足や肩や頭蓋骨等あちこちに集積が見られた

MRI画像では腰椎の一部が潰れかけていた。約2週間くらい前のレントゲン写真では問題無かったのに - - - 。 医者の見立てではガンの一種 (ユーイング肉腫?) だろうとのこと。既に全身転移と言って良い。原発部位がどこかさえ分からない様な状態だった。 普通に考えれば完全な末期ガンだ 

明石のガンセンターに組織を送りガンの種類を特定してもらった。ユーイング肉腫の仲間のPNET(ピーネット)と呼ばれるガン(primitive neuroectodermal tumor) 原始神経外胚葉性腫瘍 と判明した。ガンの種類を正確に特定しないと適切な抗ガン剤治療ができないらしい

このガンはさまざまな症例があるが、通常の骨肉腫の様な塊を作らず、骨の組織をガン組織が置き換えていく事が多い。置き換わっていくだけなので骨の形状はあまり変化しないが、ガン細胞での置き換えが進行してくと軟らかく脆くなって折れたり潰れたりする。 外観形状の変化が少ないので普通のレントゲンでは分からない

これの患者は主に成長期の子供で200万〜300万人に一人らしい。こんな病気にかかるのは宝くじの1等に当たるよりも稀であり、通常ならばリスクにカウントする必要が無いようなものだが、いくら稀でもやはり当たる人はいる

明石のガンセンターでは抗ガン剤治療で10%弱の治癒が期待できると言われた。ホスピスも考えていたが、10%近くも治癒する可能性があるのならと治療をお願いした。この時までは100%無理だろうと思っていたし、 抗ガン剤治療は身体を痛めつけるだけだという否定的な意見の人もいた

このガンは比較的抗ガン剤が効きやすいので、まず最初に骨髄細胞(末梢血幹細胞)を採取保存しておき、次に骨髄細胞まで死んでしまうほどの強烈な抗ガン剤投与でガンを殺してしまう。その後、採取保存していた骨髄細胞を身体にもどして造血組織の回復をはかる。白血病の治療と似ている

すぐに転院して治療に入る事になったが、転院直後からガンによる症状がいたるところに出て来だした。下肢のマヒ,発熱,下血,etc - - - 医者はそれらの対策に毎日振り回されていた。ある程度身体の状態が安定してからでないと前記したような強烈な抗ガン剤治療には入れない

医者が最も苦労されていたのは原因不明の大量の下血。小腸からだろうとの目処はあったようだが、小腸は長いので場所が特定できないと手術に踏み切れない。大量の輸血を受けながら何日も検査を続けてようやく場所が特定され、手術となり、これについては一応解決した。患部の小腸約15cmが切除された。原因ははっきり分からなかったらしいが、精神的ストレスも含めればガンがからんでいる事は間違い無いだろう
 
普通の状態なら開腹手術で小腸の一部を切除、 などと言えば、 それだけで大騒ぎだが、 なつきの場合は大事の前の小事、 即決即断即実行だった  

通常のガンならば症状のステップアップは数ヶ月単位で進行していくが、なつきの場合は毎日の様に症状が進行して行った。PNETは進行が早いと言われているが、なつきの場合は特に早く、通常のガンよりも100倍くらい早いとのこと。 それは大げさとしても数十倍の進行速度だということは実感した

週に1回程度MRIを撮ったが、見るたびに骨のガン化が広がっていく。そのために脊椎の神経も侵されていく。最初は下半身が動かなくなった。それが段々上半身に移動していく。だんだん手もしびれて動かなくなって行った。早く抗ガン剤治療に入らないとガンとの競争に負けると焦った。呼吸や心臓を動かす神経がやられるのも時間の問題だろう

身体が動かなくなっていく事をなつきはとても不安がり「これが動かなくなったら最期だ」と残った右手を一生懸命握ったり開いたりをしていた。彼に言う適切な言葉は思い付かなかった。「もうすぐ治療が始まるから、それまで我慢しろ。別に手が動かなくなくなってもバーさんがなんでもやってくれるから心配するな」などと冗談っぽく軽く言った。適切だったかどうか分からない。そんなことをしても無駄だという事を知っているけれど伝える事はできない 
 
それから何日か後には残った右手も動かなくなった。 彼の不安感は想像も出来ないが、私が何が出来るわけでもない。 回りがおろおろしていたら余計に不安だろう

こんな状態が転院後1ヶ月間程度続いただろうか。ある日の検査でガンが脳に転移したことが判明

脳に転移すると抗ガン剤が届かないので、抗ガン剤治療の対象から外れると告知された。ガン化の範囲が広いので放射線療法の対象にもならず、あとは事実上死ぬのを待つばかり。転院させられるかと思ったが、ガンセンターは最後まで面倒を見ると言ってくれた。感謝

実はそのまま治療を打ち切るのはあまりにも心残りだったので医者に 「このガンは極端に増殖速度が高いから放射線感受性は当然高いだろう。 もしかすると造血細胞より弱いかもしれない。 全身3Gy(ぎりぎり死なない)くらいの放射線照射はどうだろう」 とか相談してみたが、当然却下された。 それ以外にもPNETの治療情報をインターネットで調べて提案したりした。 NET時代になると素人でも結構高度な知識を持つから医者もやりにくい(めんどくさい)ことだろう

鎮痛剤はモルヒネを皮膚から吸収させるタイプ。 これはいくらでも強くできるとのこと。 これに加え点滴によるセデーション(眠らせる)で苦しさから開放する。 意識はなくてもよいから、最も苦しまない方法をお願いした

発病してから約2ヶ月半の2003年11月26日になつきは死んだ。最後は呼吸が5秒に1回になり10秒に1回になり15秒に1回になり - - - だった


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 享年16歳  浅田 夏紀 (写真は中2の時)とそのころの元気だった母

なつきはそのだらしない面やずうずうしさを嫌う人がいた反面、少し不思議だったがとても可愛がってくれる人が多かった。学校の先生や特に高一の時のクラスメイトなどは本当に親しくなり、こんな親友関係もあるのかと感心した。小学校の時の用務員さんは毎日の様に朝御飯を食べさせてくれた。私の弟もなつきをとても気に入っていた。なつきが死んだとき、向かいの家のご主人(大学教授)が「この子が一番好きだった」と言って泣いてくれた

看病は私の母が主にやってくれた。病院に泊まり込みでの付きっ切りの看病だ。母の妹のなるみさんらも交代で看病してくれた。そういえば母の兄弟(9人)は本当によい人ばかりだった。でも母の兄弟もだんだん少なくなり、母(昭和2年生まれ)以外では2人になった。 この2人は母の妹で母より10歳以上若い

彼が病気にならず大人になっていたらどうなったかを時々想像してみるが、なかなかイメージが湧かない。でも彼の得意な面を伸ばして生きて行っただろうと思いたい。 恐竜が大好きだったので、その道の研究者になって世界中に出かけて行ったと思いたいが実際の可能性としては愛すべきフーテンのトラさん風になったかも。するとさやかがさくら?  ← クリック

近くの医院で最初の診察の時にこの病気を見つけてくれなかった事に文句を言いたがった人もいたが、それは無理だっただろう。この病気の初期はレントゲンで見つけるのは困難だ。この診察で様子見の自宅療養を言われたのは仕方ない。もちろんこの段階で骨シンチやMRIを使っていればガンと分かったかもしれないが、初診の16歳の腰痛にそこまでする医者はいない

しかし結果的に骨折という事態になるまで2週間ほど放置する事になってしまった。 このガンの増殖速度は通常の約100倍近いそうだから、仮に50倍だったとしても通常のガンなら1〜2年間放置したのに匹敵する。だから手遅れになったんだと言えない事もない。しかしもし最初に見つかっていたとしても、こんなに爆発的に増殖するガンにはたぶん勝てなかっただろう。 こんなガンに対向しようと思ったら、 発見してから数日以内に診断を完了し治療に入れるくらいの体制が必要だろう。 なつきの様にガンに先手を打たれたら、 反撃は難しい  先手必勝なのだ

ユーイング肉腫やその仲間を発症する子供には共通する染色体異常があるとネット情報で見かけた。だから将来的には遺伝子診断でこの病気のリスクも早期発見できるようになるだろう。 そうなれば早期の治療も可能になるだろう

なつきの最後のとき、呼吸がだんだん止まっていくのを見て「人口呼吸器でもなんでも付けてくれ」と医者に頼みたくなる。予め人工口呼吸器は拒否しておいたが、いざその場になると決断が揺らぐ。たぶん誰でもそうなるとおもう

それでも死は全ての苦痛からなつきを開放した。生き物としての喜びも同時になくなるが、喜びよりも苦痛があまりにも大きかったので、安らかになった顔を見て「良かったね」と心で思った       ← クリック

死後、医者から研究のために病理解剖の申し出があった。母は反対だったが、私は少しでも役に立つのならと思い承諾した。そこで分かった直接の死因は肺に転移して肺全体に広がったガンによる呼吸障害だったようだ

肺の表面には無数の粒々状のガンが見られたらしい。抗ガン剤治療をあきらめてからMRIは撮っていなかったが、その直前では肺への転移は見られなかった。なのに1ヶ月も経っていないのにこの状態だ。凄まじいとしか言いようがない

その日は家につれて帰り、次の日に葬儀場(大和会館)に移し、通夜,告別式を行なった。この葬儀場はガンセンターとほとんど隣接してあり斎場も近い。ベルトコンベア式みたいで出来過ぎじゃないか?とは思ったが、確かに便利だった

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私の父について

私の父はなつきの約4年前(1999年4月)に72歳で亡くなった。 めずらしく体調不良で自宅で寝ていたらしいが、 原因不明の症状が悪化したので往診の医者の勧めで入院することになった。 夜だったが救急車は呼ばず、 自分のクルマで私が父をクルマまで抱いて連れて行き、 病院に運んだ。 病院でも看護婦さんと二人で抱えて階段を登って病室に入れた。小柄なのに結構重くて、 ホントに疲れた(この病院にはエレベータが無いし、スタッフもあまりいないのだ) 

病院は姫路でも山奥の中国自動車道に近い夢前町前之庄(ゆめさきちょうまえのしょう)にある小さめな病院だ。 病室からは桜の花が綺麗に咲いているのが見えた。 今から思えば最後をすごすには最高に良い場所と季節だった。 入院すると直後は調子良さそうに見えた。 しかし体調不良の原因を調査しても、 なかなか原因が分からなかったようだ。 そこで栄養状態を改善するために高栄養の点滴をしたところ、 肺にガンがあったらしく、 それが一気に増殖して危険な状態になったらしい。 その数日後、 父は死んだ。入院してから1週間程度だった

あまりにもあっけなさすぎだ。 なつきの場合も少なくとも2〜3年の長期戦で望んだのにあっけなく2ヶ月半ほどで亡くなったし、私の家系の男はあっけない。 人に迷惑をかけるのが嫌いな父らしいとも言える。 父の葬儀は姫路の町の中にある大和会館で行なったが、生まれ故郷の大原町から多くの友人たちが遠路わざわざ来てくれた。 父は成功した人ではなかったが、 決して不幸ではなかっただろう。 母も本当に大事に思っていたようで、 良い夫婦だと思った

肺ガンもタバコのせいかも知れないが、 父もタバコを吸っていた結果がこれだったとしても後悔はしなかっただろう。 戦争中や戦後直後は本当にひもじかったらしく、 タバコを吸っている間だけひもじさを忘れる事が出来たとよく話していた。 私が子供の頃は 「しんせい」 という銘柄だったと思う。 たまに贅沢でピースも吸っていた
 
よくピースの箱でカバンのおもちゃを作ってくれた。 2つ折りにして端同士を結合させ、 アルミ箔紙を糸状にしてショルダーベルトみたいにしていた。 その後セブンスターに変わったかな?私が16歳で家を出てからはタバコを吸っていたのかどうか思い出そうとしても思い出せない。 貧乏したからやめていたかもしれない。  子供の頃のイメージには強く残っているのだが
  
いずれにしても今は昔、、、 いにしえの記憶は薄れつつある、、、 正直なところは父にあまり関心をもっていなかったからかもしれない。 まあ父親というのは多分どこでもそんなものだろう? 立場が変わって父親としての私もそうだと思うし 

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私の母について  2017/07/03

享年2016年09月06日。母が無くなってもうすぐ1年がくる。母の事は別の所でも書いたが、今にして思えば「良い母親」だったのだろう。弱い面もいっぱいあった人だったけど、だからかもしれないが本当に優しい人だった。おせっかいともいう。

私の育った環境では男は毎日ぶらぶらしていた。女は一生懸命働いていた。母や叔母さん達は私の面倒を感心するくらいよく見てくれた。だから二十歳ころまでの私の男性,女性感の基本はそんなものだった。そんな勘違いから若干ひどいめにあった気もする。 あー勘違い

でも父や母やその周りの人たちは、この世では特別な存在だったのだ。他では男も結構ちゃんと働いていているではないか。女だってぐーたらもいっぱいいるし。若いころというのは世界が狭かった。









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私はわれわれの宇宙の成り立ちについて考えるのが好きだ。これは20歳の頃から飽きもせず考え続けている(もちろん時々だが)
 
現在主流の宇宙論は「ビッグバン説」だ。ほとんど定説扱いであり、これに異論を唱える人は少ない。いたとしてもトンデモさんだったりする ( この言い回しには 「私はトンデモさんではないー!」 というアピールがにじんでいる  )
 
しかし私は「ビッグバン論」だけは嫌いだ。私はなんでもかんでも主流の学説に反対するアマノジャクというわけではない。相対論も量子力学も信奉する。

しかしビッグバン論は「質量エネルギー保存則 」という私が最も美しいと感じ信奉している原則を全く無視しているとしか思えない。自然は基本的には必然で成り立っているものだろう。しかしビッグバンにもインフレーションにもダークエネルギーにも必然性があるか? こんなの、どんどん出てくる不都合な観測事実にビッグバン論を無理やり合わせる様にでっち上げた産物に見える。

本論は私が自分でこの宇宙の成り立ちについて自分を納得させるストーリーを作るという目的で色々考えてきた。色々な段階で「これが正解に違いない!」と思えても、しばらくすると矛盾が出てきてしまい行き詰まる事の繰り返しだった。そしてその都度、矛盾を無くすストーリー構築を延々とやってきた。今回も「これで間違いないだろう!」と自信たっぷりなのだが、いよいよこれで終わりになるのか、また矛盾が見つかるのか?

繰り返しますが、以下のストーリーは私のオリジナルであり、世間的には全く認知されていない。しかし私の知識の範囲内では最も理路整然と宇宙の成り立ちを古典物理の範疇で説明できる- - - と思う!? たぶん きっと  

  しかしこれは「私の知識範囲内では- - - 」というのが最も問題なのだが - - 困った飼い主だにゃん        
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この空間は中心核質量による強い重力場にあるが、この空間の全ての天体にとって空間構造的に中心核の重力がバランスするので、中心核に対しては無重力状態となる。 


  ※文字が小さいので、各ページの下にある拡大ボタンをクリックしてください。
    PDF版が読みやすいとおもうので、できれば下記をダウンロードして、じっ
       くり見てください。かなり自信の出てきた宇宙誕生ストーリです。

                                          PDF版はこちら   

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光加熱スポットヒーター

ハロゲンランプの光を反射鏡で集光することにより
加熱できます。〜1400℃程度。対向させれば1600
℃程度以上が可能です

完璧なクリーン加熱で真空中での加熱も可能です

用途はハンダ付け,銀ロー付け,その他全ての高温
クリーン加熱







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超高温熱風ヒーター

熱風で金網を加熱しているところです。 熱風で〜900℃の加熱が可能です

ガスバーナの代替手段になります。用途はハンダ付
け,銀ロ−付け,プラスチック加工,各種予熱

誘導加熱よりも簡便,超低コスト













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ホントの事を言ったらお利口になれない - - - でも言いたい

過剰医療に付いての私の本音

母(S2/05月生まれ)や叔母達が昔よく言っていた「歳をとってもぼけたり寝たきりにはなりたくないなぁ。元気なままぽっくり逝きたい」 

しかしこれは大部分の人がそう思っているに違いない。私もそうだ。しかし人生ままならない。母は約7年前から怪我が原因で車椅子生活(車椅子の操作もできない)を送っており、かなりボケている。もう以前の人格は無いと言って良い。現在は特別養護老人ホーム(要介護5→実際は3程度だと言う意見もある)で生活している。元気な頃の母が現在の自分を見たとしたら、たまらなくいやだろうが、現在の母にはその様に感じる能力も残っていない

何故こんな生活になってしまったかというと2009年4月22日に母が山へお花を取りに行くと言って出掛けた。そして山道を自動車で通りがかった女の人が、道路脇のU字溝に倒れている母を発見。119に通報された。症状は頭蓋骨の陥没骨折と肩の骨折及び外傷。山の道路脇にある急斜面上に生えている小さな花木を抜こうとして転落したのだろう

病院で最大限の救命処置をしていただき、何とか命は助かったが重い後遺症が残って現在は先に述べた様な生活をしている

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しかし高度医療で生きのびた事は母にとって幸せな事だっただろうか?転落の発見が遅れて、そのまま天国行きだった方が幸せだったのではないか?→これは私の本音で言えば疑問符を付ける必要はなく、間違いなくその方が幸せな生涯だった

医療側も何がなんでも最大限の救命処置をする、というのは正しいのだろうか?重い後遺症が残る可能性が高い場合、年齢等を考慮したら「過剰な医療はしない」という看取りも必要ではないか?

これは実際の現場ではとても言いにくい事。医療側にとっては全力の救命処置をしないとヘタをすると犯罪者にされかねない。家族側にとっても「過剰な医療はしないでください」はとても言いにくい。親戚,兄弟などから何と言われるかわからない。本人が望んでいた事は良く分かっているつもりでも、それを叶えるには障害が多い

これと同様な事は多くの終末期医療にもよく現れている。たいていの人は通常の死期を高度医療で1〜3ヶ月間延長することができる。しかしこれは人口呼吸器を付けて点滴等で栄養を補給し、場合によっては心臓の補助もする。本人は意識が無い状態だから、本人にとってはきっと大きな迷惑だろう。「安らかに旅立たせてくれー」と言いたいのだろうが、無理やり足を引っ張って旅立ちを遅らせている

その医療により回復して次の人生が開けるのなら高度医療で命を助けるのは当然の事だ。それが本人のためでもあり社会全体のためでもある。しかし死ぬ事が確定している患者の命を本来の死期から1〜3ヶ月遅らせるだけであり、その後回復する可能性が全く無い場合はどうなんだろう

そのために1日5〜10万円もかかる高度医療を使う。本人は迷惑だし費用だって数百万円ぐらいかかるだろう。家族にとってもその間の経済的精神的負担は非常に大きい。経済的負担の大部分は健康保険から支払われるが、回り回って消費税や保険料が上がるという形で自分達の負担になることには変わりない

自分だけの負担になるのならまだ良いが、子育て世代や貧困層の負担増にもなるのだから、よくよく考えなくてはならない。自分たちのわがままではないかと

せめて本人に意識でもあれば救われるが、人工呼吸器を付けていれば意識は無い。無為に生きているだけだ

この問題も先のテーマと同じだ。医療側にとってはたとえ先の無い老人や末期ガン患者であっても最高の医療でベストな延命処置をしないと家族から何を言われるかわからないしヘタをすると犯罪者にされてしまう

家族にとっても「人口呼吸器は付けないでください」「胃ろうや点滴でいたずらに延命するのはやめてください」はとても言いにくい事。罪悪感を感じる人もあるだろうし、変に誤解されて親戚等から何か言われるかもしれない

しかし終末期でその人の人生の尊厳を傷つけて全体の価値を大きく損ねては可哀そうだ。終末期医療はいかに長生きさせるかではなく、いかに人間の尊厳を保てる内に楽に素早く旅立てるように支援する事が大事だと思う。そしてこれはみんな本音では分かっている事だと思う

先の無い人を無為に無理やり生かす事に数百万円も使うくらいなら、子育て世代の支援や教育や産業育成につぎ込んだ方が何万倍も有効な金の使い方だということはみんな良く分かっている。分かっているのにできないのは政治の責任だろう

その場になると過剰医療を断るのは心情的に難しいと書いたが、元気な時に対処方法を事前に考えておけば冷静に対処でき、最善の方法を選択できるだろう。全ての人は元気な間に自分の終末期医療の大枠を指定しておくべきだ。治る見込みの無い大病や大怪我などでは臓器提供の意志表示に加えて人口呼吸器や胃ろうなどの医療を拒否できる選択肢を持つべきだろう。大きな後遺症が残る可能性が高い場合にも過剰医療はしないで自然にまかせてもらう選択肢を選ぶ権利を持つべきだ

もっと積極的な制度も考えられる。例えば健康な時に将来の胃ろうを拒否する契約にすれば健康保険料が5%引きになる。 治る見込みの薄い情況での人工呼吸器を拒否すれば更に5%OFF、 脳死での臓器提供に応じれば、更に10%OFF - - - と言う風にすればみんな過剰医療について真剣に考える様になるだろう。 なんといっても保険料が安くなるのは大きな魅力なはずだ。 健康保険制度というのはこの様な工夫をもっとするべきだと思う

この様にどこまでの医療を希望し、そのためにどれだけの負担をするかは本人が元気な間に自分の意志で決めておくべきだ。 ちなみに私の場合にはケガ等で人格が変わる様な後遺症が残る可能性が10%以上ある場合や自分で日常生活もできないほどの身体的障害が残る可能性が10%以上ある様な場合は高度医療で無理やり生かさないで下さい。ガンなどで終末期医療を受ける場合は、延命処置は拒否し緩和治療のみを希望します。痛さ,苦しさを感じなくて済むのならば、セデーションでずっと意識がなくて結構です。安楽死が許可されていれば希望します。 これらの処置を強く希望します。臓器等は品質が悪すぎると思うけれど、もし使える物があれば何でもどうぞ持って行ってください。なにも残らなくても結構です

死後は通夜も葬式も不要です。火葬しても骨はぜったい拾わないで下さい。あとに残った人が処分に苦労するだけだから。お経も墓も仏壇も位牌も不要です。戒名などという変な意味不明の名前は絶対に付けないでくださいね。私の名前はずっとこの名前で結構です

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無邪気

猫の生き方が最高!


 そうだろー





長生きについてのタブー

長生きは良いことか?宗教的、心情的な解釈はべつにして、純生物学的観点からは良くないことだろう。人には自然に定まっている適正寿命がある

たいていの生物は子孫を残すと速やかに死ぬようにできている。人の場合は超未熟児の状態で生まれてくるし成長も遅いので5〜10年間は親が必要だが、それ以降は子孫を残す上で親は逆に邪魔な存在になる

人の場合の適正寿命は子作りの終了を約40歳とすれば約50歳が適正寿命ということになり、実際に自然の状態では人の寿命はそんなものだろう

なぜ子孫を残すと親はできるだけ速やかに死ななくてはならないか?これの生物学的解釈は簡単で疑問を挟む余地が無い

理由は簡単。既に子孫を作ったのに親が長生きしていると子孫の生存に悪影響するからだ

例えば鮭。鮭の場合、卵を産むともう親の役割はなくなる。もし産卵後も鮭が速やかに死なずに生き続けると空腹のあまり自分たちの卵や稚魚を食べてしまう可能性がある。すると子孫が残せない。だから子孫を残すために卵を産むとすぐに死ぬ

これはなにも鮭がこの様に設計して作られたわけではない。鮭自身がそう考えたわけでもない

大昔には卵を生んだあとも長生きする鮭の家系もいただろうし、すぐに死ぬ鮭の家系もいただろう。長生きする鮭の家系は自分の卵を食べてしまう事があるためにすぐに死ぬ鮭の家系よりも子孫を残す確率が少し低い。つまり子孫を残す上で少し不利となる

これは数十年程度では決定的な差にはならないだろうが、この状態が何千年〜何百万年も続くと、子孫を残す確率が少し低かった家系の鮭は絶滅してしまう

この様なメカニズムで現在では産卵後すぐに死ぬDNAを持った鮭ばかりになった

人の場合も同じだ。子育てが終わっても親が長生きする家系と子育てが終わると速やかに親が死ぬ家系があったとする。子育てが終わっても親が長生きしていると、その分多くの食料が必要になる

常に食料が豊富なら問題ないが、必ず飢饉はおとずれ、食料が極端に不足する時期がある。そんなとき、親が長生きしていると子供に回る食料が減ってしまい、餓死したり、そこまでいかなくても成長期の栄養不足で体格や運動能力が少し劣ったりする率が増える。 これではその子が将来子孫を残すうえで不利となる

しかし子供がそこそこ自立できる年齢(5〜10歳)で速やかに親が死んでしまう家系の場合には親が食料を消費しないので、そのぶん子供の食料が増え、餓死する確率が減る。また運動能力や体格にも良い影響がでる。つまり子孫を残す上で有利だ

この子孫を残す上での少しの有利さの差が数千年〜数十万年と世代を重ねると親が長生きする家系は絶滅してしまい、親が速やかに死ぬDNAを持った家系ばかりになる

A家系の子孫を残す確率を0.999とし、B家系の子孫を残す確率を1.001とすれば、A家系の子孫は最初100人だったとしても10000世代後には0.0045人に減る。つまり絶滅。逆にB家系は10000世代後には約220万人になる

だから我々は50歳を超えると色々な原因で速やかに死ぬようなDNAをみんな持っていると思って良い。これが人の本来持っている寿命であり、現在の80歳を超えるような平均寿命は医療の進歩と社会システムによる老人保護により作られたものだ。自然ではない

私は本来、自然に決まっている寿命を受け入れて生きるのが一番幸せなのではないかと思っている。たとえば産卵が終わった鮭をつかまえて保護し、高度医療で長生きさせても、たぶん鮭は幸せではない。命の輝きが失せる

こんなことを言っている私も適正寿命をかなり超えてしまっているのだが  - -  

しかしこれも多くの人はそう感じているだろう。特に最近は老人世代の年金や医療費,介護のために若年世代が犠牲になっている。これは子孫を残す上で不利な条件だ。事実、出生率は極度に低下している

この状態が長く続くと他の民族との生存競争に負け、 いや他民族とは関係なしでも日本民族は勝手に絶滅するだろう。早く過度な老人医療や保護を無くし、速やかに世代交代をすすめなくてはならない - - - というのが生物学的結論ではないかと思う

もちろん色々な「人権」「人道」をさけぶ人の抵抗を受けるので、困難だろう。しかし何らかの対策を考えなくてはならないのも事実だろう。このまま医療や科学が進歩していくと人は死ななくてもよくなる。傷んだパーツは交換していく事で何百、何千年と生きかねない

人が死ななくなると地球が有限である限り新しい子供たちは生まれてくる事ができなくなる。これではだめではないか?

しかしこの考えは偏狭な悲観的思考かもしれない。上記の考えは私の基本的考えではあるが、全く別の楽観論ももっている。それは - - - 

地球も地下や海底 ,空中を活用すればあと1兆人程度は住めるだろうし、月や火星への移民も考えられる。宇宙空間で生きていく事も可能だ。 エネルギーは核融合か宇宙太陽光発電が実現すれば事実上無限に供給できるので食料問題も無くなる。 つまりエネルギーが無限に使えれば食料も無限に作れる

地球が温暖化するのでエネルギー消費には限界があるという意見もあるだろうが、
エネルギーさえふんだんに有れば地球を冷却する事も可能だ (地球にエアコンを付ける。廃熱は宇宙空間に放射する)

つまり空間的にもエネルギー食料的にも人類の増殖を抑制する要素は全て科学技術で排除可能だ

人の寿命は脳で制限され、せいぜい150年くらいだろうという人もいるだろうが、脳だってパーツ交換可能な時が来るだろう。人格とは脳という一種の生体コンピュータの中のソフトとデータに他ならない。IPS細胞などで脳のコピー品は作れる様になるのは間違いないだろう。あとはソフトウェアとデータの転送だけだ。これはシナプスの結合状態というハード的な変化も必要とするので少し難しいだろうが基本的に不可能ではない。分子,原子レベルでの3Dプリンターがこれを可能にするかもしれない

また生物脳に人格を転送する以外にも超大型コンピュータの中に転送するという方法もある。その超大型コンピュータの中には巨大な仮想空間(地球と大宇宙の詳細全て)を作っておき、そこに個人の人格を転送する

仮想現実空間で生きる感覚は、夢に例える事ができるだろう。夢は脳の中で作り出された仮想現実空間であり、さまざまな体験ができる。走る事もできれば景色も見える。痛みや臭いも感じる。この夢という仮想現実空間にいると、これが夢だと気付くのは難しい。人間の脳が作った仮想現実空間は極めて不完全であり、距離感的にも時間の前後関係もムチャクチャである場合が多いにも関わらずである

最終的には一人だけではなく、全世界の人の人格を1つの仮想空間に転送し、みんなでその世界で暮らす。地球や太陽系の寿命は100億年もないが、コンピュータ内ならばクロックを上げて1秒間が1年間になるようにすれば、10の16乗年くらい生きる事が可能になる。更に病気も災害も起こらない完全なユートピアにもできる。 そう考えるとこの方法が最もベストな気がする。しかし1000000000000000000年も生きると、さすがに生きるのに飽きるだろうか?

私は過去の人類が既に仮想現実世界への移住をやってしまった可能性を疑っている。するとこの世界は仮想現実だということになる。仮想現実世界に住んでいる人にとって、その事を見破るのは不可能だ。しかし遠くを見ようとすれば事象の地平があって百数十億光年先くらいまでしか観測できない。極微の世界を見ようとしても不確定性原理がじゃまをする。他の恒星系に行こうにも絶対行けないような距離に設定してある。 私はここに設計者の意図(記述がめんどくさいので制限をかけた)を感じる

しかしこんな話は一種の宗教だ。これを広めて行けば私も教祖様になれる?


宗教について

私は昔から宗教は嫌いだった。実証でき、再現性が無ければ信じない、少なくとも科学的理論的に妥当と思われる事でないと信じる気になれない。宗教の種はいつでもどこででも発生する。それが長く継続し成長するかどうかはその宗教の教えによるところが大きいだろう。つい最近も新たな宗教の発生過程を見てきた。オウム真理教が典型だし、他にもいくつか見られた

宗教の教祖になりうる人というのは、ある特殊な才能を持つ人間だと思って良いだろう。科学的実証主義ではなく、不確かな事をいかにも確かな事の様に他人に信じ込ませるという才能が必要だ。 過去の偉大な?教祖様もたぶんそんな人だったに違いない、 と思っている

宗教は人を幸せにしてきたか?宗教で幸せになった人もいるだろうが、不幸になったり不本意に死んだ人の方がはるかに多いのではないかと思ってしまう。これまで宗教絡みの戦争やいざこざは無数にあった。日本でも仏教系、キリスト教系で大きな惨事があった。一向一揆とかキリスト教弾圧とか。また近年は軍部や政府が天皇を神格化して一種の宗教を作りあげ、大戦を引き起こして大惨事となった。世界では十字軍あたりが大きな事件だろう。現在でもイスラム教関係で各種の争いがあり、多くの人が死傷している。宗教さえなかったら - - - と思うのは私だけか?

宗教は無知な大衆の存在下で増大してきた。しかし現在では人類はインターネットで巨大な知識を共有しつつある。この様な環境が進展していけば宗教は衰退していくだろうと期待するが、インターネットは嘘の情報を拡散させる事も多い。 そうなると逆に宗教の種を産み育てる土壌になりうる

しかし何が嘘で何が本当か? 何が有益て何が有害な知識か? の判別は非常にむずかしい。またこれのフィルターを作るとすれば、国家権力などが介入するのはいかにも良くない

いくつかの民間のフィルター製作会社が競って良いフィルターを作り、それをユーザーが選択出来るようにするのがベストか? 

ちなみに私の弟はボーサンをやっている。家業がお寺だったわけではない。家業は商売だった。なのになんと!京大の理系学部を卒業後、 レーザー機器の会社に勤めたものの数年で退社し、出家して広島で住職になったという超変人だ。その寺(海蔵寺)は曹洞宗で座禅の道場(小林窟道場)とも関係が深い。 座禅には都会から遠路はるばる来る人も多いらしい。 興味のある人は行ってみてください。 私の紹介だと言えば少し安くしてくれるかも? もっとも基本的には費用は決まっておらず、その人が払いたい、 と思う金額で良いらしいです。でもまあ常識的相場はあるでしょうが

座禅に興味がなくても、とても良いところです。都会の喧騒を逃れて、のんびり釣り休暇なんて理想ですね
    
    お寺  海蔵寺            座禅道場   小林窟道場         
    ワタシらはいつも暇だからどーでもいい        ネコに座禅はむりだろー


最近の大企業についての懸念

大手の鉄屋さんで「安全は全てに優先する」という標語があった。確かにこれは正論であり、誰も反対することはできない。しかし、誰も反対することのできないような標語はしばしば意味が無かったり有害だったりする

通常の製造現場はこれで良いと思うが、研究開発部門にまでこれを厳格に適用すると、たぶん研究開発の速度が半減以下になる。しかしそれではBRICSを初めとする外国との競争に勝てない

厳密に「安全を全てに優先」させれば何人か何百人かの研究者やその関係者が死傷するのを防げるだろう。しかしそれで他国との競争に負けて産業が衰退したら数十万〜数百万人以上の日本人が死ぬリスクがある。(平均の勤労者所得が年間で1人100万円以下になれば、多分そのくらいは犠牲になるだろう)

キュリー夫妻やノーベルさんがその当時、安全安全といっていたら、あの偉業は達成できなかったかもしれない。とんでもない業績を出そうとすれば、とんでもない事もしなくてはならないときがある

TQCだとか5Sなど、色々な現場改善手法があったが、これらも研究開発部門にとっては障害になる場合が多い。ISO9001の厳密な適用なども商品開発や改良の速度を激減させる。研究開発部門は出来るだけ自由な環境がのぞましいと思う。失敗を恐れすぎると前進できない。 一見、 無茶苦茶な人に見える天才が無茶苦茶な事をする事を許容する環境が必要だろう。 天才なのか、ただのキチガイなのか見極める周囲の判断力は必要だ。 過去の例から言えば肉親や教師などが才能を見いだして徹底的に養護して育てる事が多そうだ











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