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5月22日(火)
上品の郷(じょうぼん)で掃除をしていたおばさんとお喋りを楽しんでいたら、「明日の朝にでも是非大川小学校に行ってみると良いよ。」との情報。
早速、車内にある「河北新報社発行・東日本大震災全記録」(八戸の友人から頂戴した本)を引っ張り出して情報収集。
「小学生74人奪われた夢」と云う見出しと、無残な姿の校舎、瓦礫の中から集められたであろう汚れた児童たちのランドセル・・・の写真。
あの日、ここで壮絶なドラマが繰り広げられたのだろう、ちょっとした判断が悲惨な結果を招いてしまっていた。
結果から判断が問題になっているのでしょうが、74名の犠牲者はあまりにも大きな代償となってしまいました。
判断と云うのは、学校のすぐそばに山の斜面があり、そこを登れば・・・・・と思われるのですが、先生方の判断は倒木の危険性があり、校舎は落下物の恐れがあるので、約200メートル離れた場所に移動すると云うことでした。
そして互いに手を繋ぎ移動している生徒たちに津波が襲って来て、大勢の犠牲者を出す結果になったとの事です。
おばさんの話では、津波の中、なんとか助かった先生がおられたようですが、責任を感じてか現在は精神科に入院しておられるとか・・・。
本当に痛ましいお話です。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りさせて頂くとともに、生き残られた方々が一日も早く立ち直られることを願わずにはおれません。
大川小学校---1
最近、ここまで観光バスで乗りつけ、バスを降りると学校を背景にしてピースをして記念写真を撮影。
こんな方が多く見られるそうです。
「是非、最初に手を合わして頂きたい。」・・・との現地の方々からの願いでした。
子供を亡くされた親御さんのお気持ちを察すれば、当然の願いだと思います。
大川小学校---2
今は瓦礫も片付けられて、何事も無かったかのように見えますが・・・。
何事も無かったかのように穏やかな北上川
あの日、この川を黒い悪魔が遡ってきたのです。
多賀城の友人の案内で・・・。
いまだに積み上げられている瓦礫の山
このような山を所々で見ることが出来ました。
このように何も無い風景が、海岸線に沿って多賀城から名取の方まで続いていました。 ガソリンスタンドの屋根の状況から、この辺りの津波の高さが想像できます。
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