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地学から見た秩父
1.3億年前の秩父(古生代から中生代)
周囲を山にかこまれた秩父盆地は、盆地の中にも丘陵が幾重にも走っていて、複雑な地形をしています。そして、その山や丘陵を広葉樹や針葉樹の木々がおおっていて、変化に富んだ秩父の四季を形作っています。また、ここには、荒川や赤平川という大きな川が流れていますが、これらの川は、深い崖の下を流れています。そのため、川の両岸には堤防というのがありません。
こういう複雑な地形はどうしてできたのか、ということについては、いくら考えてもわかりません。そこで、地質学の本を読んでみました。
正直言うと、私の理解力では読んでもよくわかりませんでした。しかし、おぼろげながらも、秩父の大地は大きく地殻変動してきたこと。そしてこの変動は今も続いてことがわかり、人間の歴史を見るとは別の驚きを感じました。
秩父の昔をさかのぼると、その初めは約三億年前です。この頃、秩父を含む日本列島は海の底にありました。そして、どうやら、ここは海底の土砂が堆積する海域だったようで、分厚い地層が形成されました。この時期は地球の歴の中で、古生代から中生代にあたりますので、この地層を秩父中古生層とよびます。
秩父中古生層は、秩父だけでなく日本の広い地域に分布しています。しかし、秩父ではこの地層が表面に露出していて、この地層が最初に見つかったのが秩父な.のでこの名前がつきました。全国的にも、この秩父中古生層より古い地層は、日本では見つかっていません。したがって、この秩父中古生層のある時代が、地質学で到達できる、日本の過去の下限になります。
また、秩父盆地の西側には奥秩父山系、東側には外秩山系があります。そして、盆地とこの山地の境目には大きな断層があります。この断層面には、秩父中古生層からその後の地層を見ると、古生代から現在までの地層が観察できます。つまり、秩父にくれば、日本列島の歴史がわかることになります。そこで、明治から大正時代にかけて地質学の研究では、秩父は大変重要な場所になっています。
大正時代に、学生だった詩人宮澤賢治も秩父に来ています。その時、賢治は31首の短歌を作っており、秩父にとって最高の贈り物をしてくれました。
それはともかく、三億年前の秩父は、海底にあり、秩父古生層とよばれる地層が形成される時代でした。それは、秩父というより、日本列島の揺籃期でした。
2.2億年前の秩父(中生代)
そして、その後は恐竜で有名な中生代になります。しかし、残念ながら、この二億年の長い中生代と、その後の新生代の前半分まではよく分かっていません。
空白時代というのは、確かなことはわからないからからです。というのも、過去を知る手がかりは地層しかありません。ところが、秩父中古生層のすぐ上の地層は、新生代の地層だからです。場所によっては、中生代の地層もあるのですが、断片的なのと、なによりもはっきりした化石がないので、この時代のくわしいことはわかりません。中生代の地層は、その後のはげしい地殻変動と、それにともなう海の浸食ではぎ取られてしまったらしいのです。
ただ、中生代の末頃には、日本列島は依然として海底にありながらも、海底火山による造山運動がはじまり、現在の関東地方の原型らしき地形ができつつあったようです。また、日本列島は隆起と沈降を繰り返し、時には、高地の一部が海上に顔を出したことがあったかもしれません。それは、おそらく、秩父の西側、両神山や三峰山などの奥秩父の高い山々でした。
3.1千700万から1400万年前の秩父(新生代)
地質学的に昔の秩父の姿がはっきりするのは、新生代になってからです。新生代は、今から六千万年前からはじまりました。
ただし、その前半は、日本列島全体が大陸の一部だったようでが、地層も化石も乏しいのでくわしいことはわかりません。しかし、新生代の中頃になると、かなり具体的に当時の様子がわかってきます。
今から約千七百万年前頃には、日本列島は完全に大陸からは分離し、秩父は、ちょうど陸と海の境目になりました。現在の秩父からは想像もできませんが、秩父市は海に面した地形になりました。ただし、秩父の東側の高い山はまだできていませんでした。ですから、海のある秩父といっても、今の西秩父の山々が海岸線を形成し、秩父盆地が湾となり、そこから先は太平洋に続く大海原という光景だったようです。湾内にも鯨なども立ち寄っていたようです。また、珊瑚なども生息し、広い珊瑚礁の中をサメが泳ぐという、今の沖縄の海みたいになっていました。
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