無題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全13ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

   ○印は確認済み ○がないのは勝手読み



402 35 黒谷村 くろたにむら(旧秩父市)

403 ○ 1 箕山 みのやま
404 ○ 2 曾根坂 そねさか
405 ○ 3 銅洗堀 どうあらいほり
406 ○ 4 上小川 かみおがわ
407 ○ 5 下小川 しもおがわ
408 ○ 6 木毛 きもう
409 7 下川 しもかわ
410 8 中ぞり なかぞり

411 36 大野原村 おおのはら(旧秩父市)

412 1 元村 もとむら
413 2 温湯 ゆば
414 ○ 3 松之木澤 まつのきさわ
415 ○ 4 宮崎 みやざき
416 ○ 5 上小川 かみおがわ
417 ○ 6 下小川 しもおがわ
418 ○ 7 堀之木 ほりのき
419 ○ 8 斎度山 さいどやま
420 ○ 9 蓼沼 たでぬま
421 ○ 10 諏訪山 すわやま
422 ○ 11 黒草 くろくさ


423 37 栃谷村 ○ とちやむら(旧秩父市)

424 ○ 1 田中 たなか
425 ○ 2 立石 たついし
426 ○ 3 腰越 こしごえ(これで「えっこし」
427 ○ 4 五反田 ごたんだ
428 ○ 5 四萬部 しまぶ
429 6 日向 ひなた
430 ○ 7 堤 つつみ
431 ○ 8 長尾根 ながおね
432 9 上ケ石 うえのいし
433 10 澤端 さわはた
434 11 越 こし

435 38 定峯村 ○ さだみねむら(旧秩父市)

436 ○ 1 坂本 さかもと
437 ○ 2 片瀬 かたせ
438 ○ 3 あんは あんは
439 ○ 4 上平 かみだいら
440 ○ 5 下平 しもだいら
441 6 西平 にしだいら
442 7 大林 おおばやし

443 39 山田村 ○ やまだむら(旧秩父市)

444 ○ 1 矢追 やおい
445 ○ 2 新木 あらき
446 3 遊山吟 ゆやまぎん
447 ○ 4 矢行地 やぎょうじ
448 ○ 5 五段田 ごたんだ
449 ○ 6 高木 たかぎ
450 7 横瀧 よこたき
451 8 谷 たに
452 ○ 9 下腹 したはら
453 ○ 10 寺ノ下 てらのした
454 11 深新田 ふかしんでん
455 12 淺田 あさだ
456 13 原 はら
457 ○ 14 辻 つじ
458 15 大崩 おおくづれ
459 ○ 16 鍛冶屋 かじや
460 ○ 17 前川原 まえかわはら
461 ○ 18 森 もり
462 ○ 19 堂飯田 どうはんだ
463 ○ 20 常木 つねき
464 ○ 21 大棚 おおたな
465 ○ 22 水口 みずくち
466 23 山崎 やまざき
467 24 桑原澤 くわはらさわ
468 ○ 25 山ノ根 やまのね
469 ○ 26 長蘆 ながし
470 27 城門原 きもんはら
471 28 向殿 むこうどの
472 29 向木戸 むかいきど
473 30 古城門 こじょうもん
474 ○ 31 安立 あだち
475 ○ 32 坂本 さかもと
476 ○ 33 平仁田 ひらにた
477 ○ 34 野々上 ののうえ
478 ○ 35 瀧ノ上 たきのうえ
479 ○ 36 栗原 くりはら
480 37 岩屋堂 いわやどう
481 38 諸平澤 もろだいらさわ

482 40 横瀬村 ○ よこぜむら(横瀬町)

483 ○ 1 宇根 うね
484 2 上野平 うえのだいら
485 ○ 3 根古屋 ねごや
486 4 大指 おおざし
487 ○ 5 生川 おぼかわ
488 6 鉢山 はちやま
489 ○ 7 柳生 やぎゅう
490 ○ 8 牛伏 うしぶし
491 ○ 9 刈木 かるごめ
492 10 清水 しみず
493 11 中司 なかつかさ
494 ○ 12 語歌 ごか
495 13 稗島 ひえじま
496 14 敷地 しきち
497 ○ 15 深澤 ふかざわ
498 ○ 16 三角 みかど
499 ○ 17 釜 かま
500 ○ 18 上 うえ
501 ○ 19 日向 ひなた
502 20 明智 あけち

503 41 蘆ケ久保村 あしがくぼむら(横瀬町)

504 ○ 1 赤屋 あかや
505 ○ 2 大畑 おおばたけ
506 ○ 3 中道 なかみち
507 4 殿ケ谷戸 とのがやど

508 42 大宮郷 おおみやごう(旧秩父市)

509 ○ 1 上町 かみまち
510 ○ 2 中町 なかまち
511 3 下町 しもまち
512 4 社領 しゃりょう
513 5 丹過 たんか
514 6 三本木 さんぼんぎ
515 ○ 7 中村 なかむら
516 ○ 8 近戸 ちかと
517 ○ 9 武鼻 たけのはな
518 ○ 10 金屋 かなや
519 ○ 11 永田 ながた
520 ○ 12 柳田 やなぎだ
521 ○ 13 阿保 あぼ
522 ○ 14 大畑 おおはた
523 ○ 15 櫻木 さくらぎ
524 16 旗下 はたした
525 17 柳鳥 やなぎどり
526 18 神門 しんもん
527 ○ 19 日野田 ひのだ
528 ○ 20 野坂 のさか
529 ○ 21 熊木 くまき
530 22 上 かみ「上野町」?
531 ○ 23 上宮地 かみみやじ
532 24 中宮地 なかみやじ
533 ○ 25 下宮地 しもみやじ
534 ○ 26 坂氷 さかごおり
535 27 上ノ臺 うえのだい

536 43 上影森村 ○ かみかげもりむら(旧秩父市)

537 1 日影 ひかげ
538 2 久保 くぼ
539 3 御宮 おみや
540 4 原 はら
541 5 橋立 はしだて

542 44 下影森村 しもかげもり(旧秩父市)

543 ○ 1 大沼 おおぬま
544 2 神野原 じんのはら
545 3 檜 ひのき
546 4 常木 つねき
547 5 内出 うちで
548 6 田野澤 たのさわ
549 7 瀧 たき
550 8 藪 やぶ
551 9 生井原 いきいはら

552 45 久那村 くなむら(旧秩父市と旧荒川村)

553 1 下久保 しもくぼ
554 2 下ノ窪 したのくぼ
555 3 折原 おりはら
556 4 落合 おちあい
557 5 大久保 おおくぼ
558 6 安立 あだち
559 7 坂本 さかもと
560 8 平仁田 ひらにだ
561 9 野々上 ののがみ
562 10 瀧ノ上 たきのうえ
563 11 栗原 くりはら
564 12 岩屋堂 いわやどう

565 46 別所村 べっしょむら(旧秩父市)

566 1 横井 よこい
567 2 櫻久保 さくらくぼ
568 3 柴久保 しばくぼ
569 4 原田 はらだ
570 5 峯 みね
571 6 田中 たなか
572 7 久保 くぼ
573 8 平 たいら
574 9 萱刈り戸 かやかりど

575 47 田村郷 ○ たむらごう(旧秩父市)

576 ○ 1 坊平 ぼうたいら
577 2 大門平 だいもんたいら
578 ○ 3 駒澤 こまざわ
579 ○ 4 井森 いもり
580 5 新側 しんがわ
581 6 風原 かぜはら

582 48 蒔田村 ○ まいたむら(旧秩父市)

583 1 上組 うえぐみ
584 ○ 2 竹之妻 たけのつま
585 ○ 3 赤城 あかぎ
586 ○ 4 關ノ上 せきのうえ
587 ○ 5 山崎 やまざき細長い山の終わる所
588 ○ 6 かしや かしや
589 ○ 7 宮平 みやたいら
590 ○ 8 矢ノ村 やのむら
591 ○ 9 落合 おちあい
592 ○ 10 上ノ原 うえのはら
593 ○ 11 一渡 いちわた
594 ○ 12 赤田 あかた
595 ○ 13 森 もり
596 14 栃埋 とちり
597 ○ 15 高橋 たかはしこの名字の家がある
598 ○ 16 田端 たばたこの名字の家がある
599 ○ 17 道谷戸 どうがやど
600 ○ 18 東源名 とうげんめい
601 ○ 19 した した「下」で昔名主だった家?
602 20 向山 むこうやま
603 ○ 21 田ノ頭 たのかしら
604 22 森越 もりごえ
605 ○ 23 入山 いりやま
606 ○ 24 塩谷 しおや
607 ○ 25 關口 せきぐち

イメージ 1

                      ○印は確認済み ○がないのは勝手読み                                     224は欠番19

208 17 奥澤村 おくざわむら

209 ○ 1 形瀬 かたせ(屋号)
210 ○ 2 半場 はんば
211 ○ 3 梅島 うめじま(屋号)
212 ○ 4 越村 こしむら
213 ○ 5 別所 べっしょ
214 ○ 6 青木 あおき
215 ○ 7 關場 せきば
216 ○ 8 小野瀧 おんだき(屋号)

217 18 大内澤村 ○ おおうちさわむら(東秩父村)

218 ○ 1 居養 いよう
219 ○ 2 堂平 どうだいら
220 ○ 3 白石 しらいし
221 ○ 4 上ノ皆戸 うえのかいと
222 5 峰 みね(大峰ならある)
223 ○ 6 井戸 いど
224

225 19 坂本村 ○ さかもとむら(東秩父村)

226 ○ 1 落合 おちあい
227 ○ 2 和知場 わちば
228 ○ 3 上野山 うえのやま
229 ○ 4 柴組 しばぐみ
230 ○ 5 粟和田 くりわだ
231 ○ 6 南 みなみ(屋号で一軒だけ)
232 ○ 7 新井 あらい

233 20 三澤村 ○ みさわむら(長瀞町)

234 ○ 1 峯 みね
235 ○ 田中 ななか
236 ○ 3 高淵 たかぶち
237 ○ 4 玉川 たまがわ
238 ○ 5 小根 おね
239 ○ 6 平草 ひらぐさ
240 ○ 7 野土 のつち
241 ○ 8 強石 こわいし
242 9 来谷 きや
243 ○ 10 吉ノ平 よしのたいら
244 11 五十新田 いそしんでん
245 12 枝ノ澤 えだのさわ
246 ○ 13 六地蔵 ろくじぞう
247 ○ 14 曲谷戸 まがりかいど
248 ○ 15 牛澤 うしざわ
249 ○ 16 四萬部山 しまぶやま
250 ○ 17 曾根坂 そねざか
251 ○ 18 坊谷戸 ぼうかいど
252 ○ 19 そり町 そりまち
253 20 小平 こだいら
254 ○ 21 能林 のうばやし
255 22 茗荷澤 みょうがさわ
256 ○ 23 三宮地 さんぐうち
257 24 藤本 ふじもと
258 ○ 25 廣町 ひろまち

259 21 下田野村 ○ しもたのむら(長瀞町)

260 ○ 1 谷ツ草 やぐさ
261 ○ 2 岩崎 いわさき
262 ○ 3 關 せき
263 ○ 4 小關 こぜき(屋号)
264 ○ 5 田端 たばた(屋号)

265 22 井戸村 ○ いどむら(長瀞町)

266 ○ 1 根小屋 ねごや
267 ○ 2 葉原谷 はばらだに
268 3 おたみ場 おたみば
269 ○ 4 山ノ根 やまのね
270 ○ 5 釜ノ上 かまのうえ
271 ○ 6 悪土 あくど
272 ○ 7 鶴澤 つるさわ
273 ○ 8 久保 くぼ
274 ○ 9 岩下 いわした
275 ○ 10 馬道 うまみち
276 ○ 11 宮ノ平 みやのたいら
277 ○ 12 上 かみ
278 ○ 13 中 なか
279 ○ 14 下 しも
280 ○ 15 番場 ばんば

281 23 岩田村 ○ いわたむら(長瀞町)

282 ○ 1 上郷 かみごう
283 ○ 2 中郷 なかごう
284 ○ 3 下郷 しもごう

285 24 風布村 ふうぷむら(長瀞町と寄居町)


286 1 夏目 なつめ
287 2 中ぞり なかぞり
288 3 大鉢形 おおはちがた
289 4 扇澤 おうぎさわ
290 5 上平 かみだいら
291 6 西性院澤 さいしょういんざわ

292 25 金尾村 かなおむら(寄居町)

293 ○ 1 北原 きたはら
294 ○ 2 笹原 ささはら
295 ○ 3 高柿 たかがき
296 ○ 4 表 おもて
297 ○ 5 田中原 たなかはら(田中畑たなかはた)
298 ○ 6 番匠かいと ばんじょうかいと
299 ○ 7 小林 こばやし
300 ○ 8 井戸澤 いどさわ
301 ○ 9 後峰 うしろみね(背の峰ともいう)
302 ○ 10 腰巻 こしまき
303 ○ 11 堀之内 ほりのうち
304 ○ 12 源蔵 げんぞう(屋号)
305 13 前峯 まえみね

306 26 矢那瀬村 ○ やなせむら(長瀞町)

307 ○ 1 坂本 さかもとむら
308 ○ 2 中内出 なかうちで
309 ○ 3 大月 おおつき
310 ○ 4 丹澤 たんざわ
311 ○ 5 北久保 きたくぼ
312 ○ 6 川面 かわも
313 ○ 7 石原 いしはら
314 ○ 8 遠西 とおにし
315 ○ 9 八寺澤 やでらさわ
316 10 内出 うちで

317 27 本野上村 ○ ほんのがみむら(長瀞町)

318 ○ 1 山根 やまね
319 ○ 2 石原 いしはら
320 ○ 3 根岸 ねぎし
321 ○ 4 下野 したの
322 ○ 5 高野 たかの
323 ○ 6 上袋 うえぶくろ
324 ○ 7 町 まと
325 ○ 8 原 はら

326 28 中野上村 なかのがみむら(長瀞町)

327 ○ 1 和田 わだ
328 2 山ノ根 やまのね
329 ○ 3 銀杏ノ木 いちょうのき今は伐採してない
330 ○ 4 竹ノ内 たけのうち
331 5 河原 かわら
332 6 袋 ふくろ
333 ○ 7 高野瀬 たかのせ
334 ○ 8 唐澤 からさわ
335 9 柿ノ木平 かきのきだいら
336 10 梅ノ木平 うめのきだいら

337 29 野上下郷 のがみしもごう(長瀞町)(

338 ○ 1 小坂 こさか
339 ○ 2 瀧上 たきうえ
340 ○ 3 宮澤 みやざわ
341 ○ 4 辻 つじ
342 ○ 5 杉郷 すぎごう

343 30 金澤村 ○ かなざわむら(皆野町)

344 ○ 1 出牛 じゅし「でうし」という家がある
345 ○ 2 加増 かぞう
346 ○ 3 浦山 うらやま
347 ○ 4 更木 さらき
348 ○ 5 布澤 ぬのさわ
349 6 水境 みずさかい
350 ○ 7 太平 たいへい
351 ○ 8 金山 かなやま
352 ○ 9 角久保 かどくぼ

353 31 藤谷淵村 ○ ふじやぶちむら上長瀞駅近く

354 ○ 1 山根 やまね
355 ○ 2 久保 くぼ
356 ○ 3 馬内 うまうち
357 ○ 4 川面 かわも
358 5 犬川戸 いぬかわど
359 6 地蔵堂 じぞうどう
360 ○ 7 梁瀬 やなせ
361 ○ 8 小路 こうじ
362 ○ 9 根岸 ねぎし
363 ○ 10 谷津 やつ荒川の対岸にある

364 32 金崎村 ○ かなさきむら(皆野町)

365 ○ 1 大境 おおかがみ
366 ○ 2 親鼻 おやはな
367 ○ 3 尾坂 おさか
368 ○ 4 馬場 ばば
369 ○ 5 腰 こし
370 ○ 6 天沼 てぬま
371 ○ 7 國神 くにかみ
372 8 原峯岸 はらみねぎし
373 ○ 9 關谷 せきや

374 33 大淵村 ○ おおふちむら(皆野町)

375 ○ 1 くりや瀬 くりやぜ
376 ○ 2 下殿 しもどの
377 ○ 3 くろうほ くろぼう大淵のこと
378 ○ 4 一貫目 いっかんめ
379 ○ 5 上殿 うえんで
380 ○ 6 丸山 まるやま
381 ○ 7 山ノ根 やまんね
382 ○ 8 阪下 さかした
383 9 落合 おちあい
384 10 湯之場 ゆのば
385 ○ 11 前原 めえっぱら
386 ○ 12 中野 なかの
387 13 中野 なかの12と同じ
388 14 原堀田 はらほりだ
389 ○ 15 をりうかいとをりおがいど
                          「おりょう」という女性がいた

390 34 皆野村 みなのむら(皆野町)
         
391 ○ 1 腰 こし
392 ○ 2 大濱 おおはま
393 ○ 3 原 はら
394 ○ 4 根岸 ねぎし
395 ○ 5 富澤 とみさわ
396 ○ 6 小坂 こさか
397 ○ 7 新井 あらい
398 8 小池 こいけ
399 9 塩貝戸 しおかいと
400 ○ 10 土京 どきょう
401 ○ 11 戦場 せんじょう

イメージ 1

    旧秩父郡地名 
 
              ○は本や地元で聞いて確認済み。○がないのは勝手読み

144は欠番


通し番号 村ナンバー 村名 小名ナンバー 小名


136 13 安戸村 やすどむら(東秩父村)

137 ○ 1 上宿 かみじゅく
138 ○ 2 下宿 しもじゅく
139 3 下川原 しもがわら
140 ○ 4 松木平 まつきだいら
141 ○ 5 帯澤 おびさわ
142 ○ 6 入山 いりやま
143 ○ 7 都 みやこざわ
143
145 ○ 9 在家 ざいけ

146 14 御堂村 ○ みどうむら(東秩父村)

147 ○ 1 向堀 むかいほり
148 ○ 2 やまし平 やましだいら
149 ○ 3 しきみ平 しきみたいら
150 ○ 4 荻平 おぎだいら
151 ○ 5 牧山 まきやま
152 ○ 6 鍛冶屋 かじや
153 ○ 7 房には ぼうにわ
154 ○ 8 後 うしろ
155 ○ 9 宮地 みやじ
156 ○ 10 御堂 みどう

157 15 皆谷村 ○ かいやむら(東秩父村)

158 ○ 1 順礼道 じゅんれいどう(今は単に巡礼)
159 ○ 2 湯野木 ゆのき
160 3 牧野内 まきのうち
161 ○ 4 森脇 もりのわき
162 ○ 5 不動澤 ふどうざわ(屋号で一軒だけ)
163 ○ 6 菅平 すがたいら(すげんでーら)
164 ○ 7 荒神平 こうじんたいら(屋号一軒だけ)
165 8 貂澤 「ひなた澤」かも?
166 9 橋内 はしうち
167 ○ 10 新田 あらた
168 ○ 11 草和地 くさわち
169 ○ 12 中田 なかんだ(屋号で一軒だけ)
170 ○ 13 廣町 ひろまち(屋号)
171 ○ 14 淵上 ふちのうえ
172 ○ 15 皆谷 かいや
173 ○ 16 明平 みょうがだいら(屋号)
174 ○ 17 上野山 うえのやま(屋号で一軒だけ)
175 18 野上 のがみ
176 19 後 うしろ
177 ○ 20 小池 こいけ(屋号)
178 ○ 21 小安戸 こや179
179 白石村 ○しろいしむら 今は42軒しかない
180 ○ 1 細山 ほそやま 屋号で本家と隠居の2
181 ○ 2 丸塚 まるづか 屋号で今はない
182 ○ 3 大日向 おおひなた 屋号(1軒だけ)
183 4 栃木 とちぎ
184 5 近平 ちかだいら
185 ○ 6 中澤 なかざわ 屋号(上と下の2軒がある)
186 7 野上 のがみ 「うえのつち」ならある
187 ○ 8 薬師堂がある。「やくしどう」と屋号で呼ぶ
188 ○ 9 荒屋鋪 あらやしき 屋号(1軒だけ)
189 ○ 10 夏内 なつうち 屋号(1軒だけ)
190 ○ 11 猪捕場 ししとりば 屋号(1軒だけ)
191 ○ 12 てしが原 てしがわら 屋号(1軒だけ)
192 ○ 13 烏帽子岩 えぼしいわ 烏帽子に似た岩ある
193 ○ 14 茗荷澤 みょうがざわ屋号(1軒だけ)
194 ○ 15 唐澤 からさわ 屋号(2軒)
195 ○ 16 こだわ こだー 「小沢」の転
196 ○ 17 栃窪 とちくぼ 今は畑になっている
197 ○ 18 竹花 たけのはな 屋号(1軒)
198 19 猪鼻 いはな
199 ○ 20 塚下 つかのした 経塚の下のこと
200 ○ 21 杵塚 きねづか「経塚」のまちがい?
201 ○ 22 塚本 つかのもと 屋号(1軒だけ)
202 ○ 23 清水 しみず 屋号(1軒だけ)
203 ○ 24 北畑 きてーばたけ屋号(1軒だけ)
204 25 下河原 しもかわら
205 ○ 26 本開戸 もとがいと 屋号で今はない
206 ○ 27 灘原 なだら屋号(1軒だけ)
207 ○ 28    すすぎの平  すぎの平屋号

イメージ 1


旧秩父郡地名 
 
              ○は本や地元で聞いて確認済み。○がないのは勝手読み

144は欠番


通し番号 村ナンバー 村名 小名ナンバー 小名

1 1 南村 ○ みなみむら(飯能市)

2 ○ 1 南 みなみ
3 ○ 2 田代 たしろ
4 3 朽野谷 くちのや
5 ○ 4 飛村 ひむら
6 ○ 5 梨本 なしもと
7 6 中澤組 なかざわぐみ

8 2 中澤組 ○      なかざわぐみ(飯能市)

9   ○ 1 上中澤 かみなかざわ
10 ○ 2 下中澤 しもなかざわ
11 ○ 3 栃屋谷入 とちやがいり
12 4 並澤 なみざわ
13 ○ 5 潜戸 くぐど
14 ○ 6 櫻窪 さくらくぼ
15 ○ 7 戸丸 とまる

16 3 坂石村 ○ さかいしむら(飯能市)

17 ○ 1 吉延 よしのべ
18 ○ 2 双木 なみぎ
19 ○ 3 青場戸 あおばと
20 ○ 4 三社 みやしろ

21 4 坂石町分 ○ さかいしまちぶん(飯能市)
22 1 上 かみ
23 2 下 しも

24 5 高山村 ○ たかやまむら(飯能市)

25 1 東 ひがし
26 2 西 にし
27 ○ 3 伊尻 いじり
28 ○ 4 高畑 たかはた

29 6 北川村 ○ きたがわむら(飯能市)

30 ○ 1 間野組 まのぐみ
31 ○ 2 中組 なかぐみ
32 ○ 3 柏木組 かしわぎぐみ
33 ○ 4 岩井組 いわいぐみ

34 7 南川村 みなみかわむら(飯能市)

35 ○ 1 久通 くずう
36 ○ 2 穴切 あなぎり
37 ○ 3 日用 ひよう
38 ○ 4 岡房 おかぼう
39 ○ 5 畑井 はたい
40 ○ 6 長岡 ながおか

41 8 阪元村 ○ さかもとむら(飯能市)

42 ○ 1 小床組 こゆかぐみ
43 ○ 2 山崎組 やまざきぐみ
44 ○ 3 上野平組 うえのだいらぐみ
45 4 双木組 なみきぐみ
46 5 梨元組 なしもとぐみ
47 ○ 6 大久保組 おおくぼぐみ
48 7 小丸組 こまるぐみ

49 9 上名栗村 かみなぐりむら(旧名栗村)

50 1 栃屋ケ谷 とちがだに
51 ○ 2 鍛冶橋 かじやばし
52 3 平 たいら
53 4 瀧前 たきのまえ
54 ○ 5 宮 みやのたいら
55 6 神出 かみで
56 ○ 7 鳥井 とりい
57 8 中指 なかざし
58 9 竹原 たけはら
59 ○ 10 小殿 こどの
60 11 秋津 あきつ
61 12 北 きた
62 ○ 13 津邊會 つべそ
63 ○ 14 小物 こもの
64 ○ 15 新舘 にったち
65 ○ 16 小出 こいで
66 17 伊那村石 いなむらいし
67 18 豆口 まめぐち
68 ○ 19 森川原 もりがわら
69 ○ 20 穴澤 あなざわ
70 ○ 21 櫃澤 ひつざわ
71 ○ 22 柏木 かしわぎ
72 23 下阪 しもさか
73 ○ 24 濱居場 はまいば
74 ○ 25 人見 ひとみ
75 ○ 26 伊倉 いぐら
76 ○ 27 新井 あらい
77 ○ 28 中谷戸 ながいと
78 ○ 29 名郷 なごう
79 30 松葉 まつば
80 31 石神 いしがみ
81 32 山下 やました
82 ○ 33 湯澤 ゆのさわ
83 34 端ケ原 はちがはら
84 ○ 35 細谷 ほそがや
85 36 井戸入 いどいり
86 ○ 37 松木 まつぎ
87 38 蝉指 せみざし
88 ○ 39 山中 やまなか
89 ○ 40 白岩 しらいわ
90 ○ 41 机 つくえ


91 10 下名栗村 しもなぐりむら(旧名栗村)

92 ○ 1 小澤 こざわ
93 ○ 2 淺海道 あさかいどう
94 ○ 3 論地山 ろんじやま
95 ○ 4 馬場 ばば
96 ○ 5 桐木平 きりきたいら
97 ○ 6 川又 かわまた
98 7 随量 ずいりょう
99 8 銀小屋 ぎんごや
100 9 峰 みね
101 ○ 10 市場 いちば
102 11 倉久保 くらくぼ
103 ○ 12 和田 わだ
104 ○ 13 一口 いもうらみ

105 11 椚平村 ○ くぬぎだいらむら(ときがわ町)

106 ○ 1 暮久保 くれくぼ
107 ○ 2 ごんた ごんた
108 ○ 3 上ごんた かみごんだ
109 ○ 4 峰 みね (屋号)
110 ○ 5 中をね なかおね(屋号)
111 ○ 6 あらやしき あらやしき(屋号)
112 ○ 7 なかい なかい(屋号)
113 ○ 8 たての たけの
114 ○ 9 清水 しみず
115 ○ 10 道場 どうじょう
116 ○ 11 にや にや
117 ○ 12 大澤 おおさわ
118 13 大岩久保 おおいわくぼ
119 ○ 14 堂久保 どうくぼ

120 12 大野村 ○ おおのむら(ときがわ町)

121 1 久保 くぼ
122 2 向谷戸 むかいやと
123 ○ 3 道上 どうじょう
124 4 竹かや たけかや(竹谷でたけのかい}
125 5 入 いり
126 ○ 6 並木 なみき(屋号)
127 ○ 7 八木成 やぎなり
128 ○ 8 田ノ久保 たのくぼ(屋号)
129 ○ 9 片市 かたいち(屋号で一軒だけ)
130 ○ 10 原 はら
131 ○ 11 峯 みね(屋号)
132 ○ 12 小林 こばやし(苗字)
133 ○ 13 藤原 ふじわら(屋号)
134 ○ 14 七重 ななえ
135 ○ 16 鳥澤 とりさわ(屋号で一軒だけ)




<

武蔵武士(2)

イメージ 1

3.平安時代の戦争

私は、平安時代の戦争というものを想像してみました。すると、「平家物語」に出てくるような、派手な鎧を着た武士が馬に乗り、刀剣や弓を駆使して華々しく戦うなどというものではなかったと思います。

たぶん戦闘に馬が使われることはなかったと思います。というのも、馬に乗ったまま手綱を離し、刀を振り回すというような芸当は、子供のころから馬の背で育つ遊牧民はともかく、昔の日本人には無理です。勇猛で知られるチンギスハーンのモンゴル兵も、軽装で馬の負担を少なくし、戦いももっぱら毒矢を用いた騎射戦のヒットエンドランででした。刀を振り回すことはしませんでした。ふつうに考えれば、昔の騎兵戦というのはあんなものだと思います。

それに日本の昔の馬は、木曽馬などから考えると体躯も小さく、重武装した人間が乗るのは無理だったと思います。しかも、小さい日本馬が長い間改良もせず、そのままだったのは、馬の使用がもっぱら荷駄用で、乗馬を想定しなかったからだと思います。荷駄の馬なら道も狭い悪路の多い昔を考えれば、むしろ小さな馬の方が向いています。

ですから、日本には、いわゆる騎馬兵士というのは存在しなかったと思います。上級武士は馬に乗っていたでしょうが、それは馬に乗ることで、迅速に移動して指揮をしたり、敵味方に自らの威風を示すためだったと思います。

鉄の刀というのも高価ですから、全部の兵が刀を持つこともなかったと思います。刀を持つのは指揮官クラスで、大多数は硬い木の棒か竹やりだったと思います。兵の大部分は防備などしていませんから、木の棒も効果は刀とちがわなかったと思います。

また、弓矢も、矢の先に重い鉄のやじりをつけなければまっすぐ飛びませんし、殺傷力も出ません。しかし、平安時代の農民兵士にそういう矢をたくさん用意などできるはずありません。おそらく、弓矢でなくて投石だったと思います。

たぶん、平安時代の戦争というのは、離れた距離では石の投げ合い、接近すれば硬い木の棒を振り回して相手を殴打するというものだったと思います。
こういう戦争で勝敗を決めるのは、兵の数です。兵の数が多ければ勝つし、少なければ負けます。負けるとわかっていて戦争をする人はいませんから、いつでも大軍団を組織できる秩父の武士団に対抗する勢力はなかったと思います。

平安時代には、秩父地方の山間部には水田稲作地帯に比べ、相対的に大勢の人々が住んでいました。そして、これらの人々が、秩父の武士団を形成していたのではないか、と考えています。こういう秩父の優位が頂点に達したのが平安時代の中期、秩父氏の当主で言えば、武基から重綱あたりの頃だったような気がしています。

ただし、こういう軍事的優位もその後は低下していったのだと思います。平地の生産力が上昇し、ここの人口が増加したからです。それに、武器も発達し、豊かな経済力がないと軍備を整えるということもむつかしくなってきました。秩父氏でいうと、それが重忠の父の重能の頃です。時代的に言うと、平安時代末期になります。

そこで、秩父氏も、秩父の外に新天地を求めて出て行くことになります。重綱の孫である重能は父祖伝来の地である吉田にすみましたが、今の熊谷市近くの畠山という所に足がかりを得ています。しかし、その息子の重忠になると完全に吉田町を離れ、畠山に新たに居館を移してしまいました。

4.平安時代の武士

東国武士について、私は、学生時代、藤原氏に圧迫された皇族が、京都での貴族生活に見切りをつけ新天地を求めて関東に移住してきた人たちである。彼らは未開の大地を開拓する開発地主であった、と教えられました。そこで、その時は、武士というのは、ちょうどアメリカの西部開拓者のように考えていました。しかし、今ではそうではなかったと考えています。彼らは、自ら農業に従事することはなかったと思います。

というのも、平安時代の関東といえども、農地にできる所には、すでに先住の農民が耕していたからです。京から下向した彼らが農地にできる未開の地などなかったと思います。

それに、農業というのは、家族経営がもっとも効率的です。ですから、例えば百ヘクタールの農地があれば、大農場にして奴隷的使用人(これを「郎等」といいます)を使って丸ごと経営するにするより、1ヘクタールに百分して、百の家族に小作させて年貢をとったほうがはるかに効率的です。まして、平安時代にまとまった広い農地など、武蔵はもちろん日本にはありませんでした。

また、上昇志向の強い彼らがまじめに農業経営の取り組んだとは、とうてい思えません。一般的に農業の重要さを強調する人は、昔も今もいくらもいます。しかし、実際に農耕に従事して偉くなった人は一人もいません。上昇志向の人間は、決して農業を選びません。

時代がちがいますが、江戸時代末期の二宮尊徳は篤農家の手本のように思われています。しかし、調べてみると、彼は、農民の営農指導には熱心でしたが、自分ではほとんど農業をしていません。彼は、亡父が手放した土地を若くして買い戻しましたが、その金はすべて武家屋敷で奉公をして稼いだお金です。そして驚いたことに、彼は土地を買い戻した後も、自ら耕すことはしませんでした。自分はそのまま武家奉公を続け、農地は全部小作にだしています。彼は自ら農耕に従事することの愚かさを知っていたからです。
要するに、農業というのは、生業としては安定していますが、これを足がかりにして、広い世の中に飛躍しようとする人には不向きな職業です。ですから、平安時代も、零細武士はともかく、上級武士が農業経営をすることはなかったと思います。まして京からやってきた元貴族の武士やその子孫が、農業に従事することはありえないと思います。

彼ら板東武士は、開拓者というよりは、暴力団に近い存在だったような気がします。彼たちの領地は、領地というよりは縄張りというのがふさわしいと思います。

当時の武蔵国には、強力な武士という暴力団は必要でした。平安時代初期の史書を見ると、東国には群盗が横行していることがわかります。しかし、それは映画の「七人の侍」のような、山賊が善良な農民を襲い略奪するというものではなかったと思います。たしかに襲われる農民は被害者ですが、しかし、日がちがえば彼らもまた徒党を組んで、よその村で略奪を働く盗賊だったと思います。

つまり、平安時代の武蔵国は、暴力だけが通用する無法地帯になっていました。こういう、無法社会で暴力を押さえ込むのは、より大きな暴力しかありません。それが、桓武平氏の子孫秩父氏に代表される武士団でした。

しかし、武士の棟梁は強大な武力があればよいというわけにはいかなかったと思います。やはり、それなりの正統性がなければ、農民たちは従いませんし、中央政府からも認知されません。そのためにも、桓武天皇の血を引く名門で、板東武士の伝説的英雄である平将門の近親者、平良文という人物を先祖に持つ秩父氏は有利だったと思います。

平安時代の有力武士には領地もありました。それは、土地の豪族との通婚による相続と寄進、それからたぶん横領という不法手段で得た領地です。しかし、所領から上がる収益は小さく、最大の収入源は別にあったように思います。それは徴税請負の仕事です。

平安時代の文化人で、土佐国の国司であった紀貫之に名作「土佐日記」があります。これはこれで、高い文化的価値があります。しかし、読んでいて思うことは、はたしてこういう都会の教養人が、田舎の荒くれ男たちから、きちんと税をとれたのだろうか、ということです。

調べてみると、国司というのは、小さな国で二人、大きな国でも六人しかいません。国府付きの下僚はいましたが、国府には警察力がありません。少数の都会の貴族が、警察力や軍事力を持たないで国司の仕事をまっとうするのは無理だと思います。

ですから、実際は、土地の有力武士たちが、国司に代わって徴税し、その一部を報酬として受け取っていたと考えたほうがよいと思います。というより、古代の律令制というのは、地方にこういう豪族がいることを前提にした仕組みだったと思います。

平安時代の有力武士の動向を見てみると、不思議なことに、一つの所に腰を落ち着けることはなく、あちこちで神出鬼没の行動をしています。そして、ほんの短期間で強大な力を築いてしまいます。
たとえば、埼玉北部の領主である平良文の孫の忠常が、千葉県で土地の農民たちを組織して反乱を起こしています。また、良文の子孫は、埼玉だけでなく、千葉や東京に簡単に進出して領主になっています。それは、たぶん、彼たちが地主という土地に縛られる立場ではなく、徴税請負という、もっぱら農民に寄生する人種だったからだと思います。しかも、平忠常の反乱の原因は集めた租税を京都に送るのはけしからんというようなことでした。  

武士たちも、当初はこの仕事が国府の代行であるのを自覚していました。しかし、しだいに意識が変化し、徴税は自分たちの権利のように考えるようになっていったと思います。すると、自分たちが取り立てた税の多くが、国府や中央政府の収入になるのは不当である、自分たちは搾取されていると、考えるようになったのだと思います。

しかし、地方の武士たちも、はじめは京都の貴族たちに服従していました。中央政府には軍事力がありませんから、武士たちも、貴族そのものは怖くはありません。しかし、中央政府に反抗すると、京都の貴族たちは、自分よりも強い別の武士を討伐に向かわせるのを知っていたからです。京都の貴族たちのやり方は、夷をもって夷を征す、でした。

つまり、地方の武士たちも、孤立している間は、京都の貴族たちもどうにかコントロールできていました、しかし、平清盛や源頼朝のような、これら武士たちをも束ねる武士が登場すると、貴族たちの無力さが露呈していきます。それが、平安時代の終焉でした。

全13ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事