痩田肥利太衛門残日録

2004年10月、36年間のサラリーマン生活を終え、生きた証を残したいと2006年1月より始めたマンガ入り鶏肋日記です。

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1913年ドイツの化学者フリードリッヒ・ベルギウスは高圧で水素ガスによる石炭の液化に成功しました。(*1)
1926年ウイルヘルム石炭研究所の化学者フィッシャーとトロプシュは一酸化炭素と水素ガスから常圧で炭化水素を合成する「フィッシャー・トロプシュ合成法」を確立しました。(*1)

1927年カール・ボッシュ率いるドイツの巨大化学企業「I・G・ファルベン」は当時、石油が枯渇すると予測されていたことから、ロイナに合成石油製造試験工場を建設し、合成石油を製造し始めました。

アメリカのスタンダードの研究所長フランク・ハワードはI・G・ファルベンのロイナ工場を訪れ、強い衝撃を受け、パリ訪問中のスタンダード会長ウォルター・ティーグルに電報を打ちます。

ウォルター・ティーグルはI・G・ファルベンの合成石油工場を見て、この合成石油により、ヨーロッパ市場を失う恐れもあると考え、1929年合成石油生産パートナーとして契約を結び、ルイジアナに合成石油プラントを建設しました。

I・G・ファルベンは見返りとして、スタンダードの全株式の2%の金額にして3500万ドルを所有しました。

1930年東テキサスで油田が発見され、1931年頃になると石油が供給過剰となったため、スタンダードでは合成石油製造より、水素添加技術を原油の精製過程に応用し、ガソリンの生産量アップを図るほうに注力を注ぐようになりました。

一方、I・G・ファルベンは合成石油工場を増設しましたが、石油価格は暴落し、合成石油の生産は経済的に全く引き合わなくなり、当時、ドイツがメキシコから輸入していた石油の10倍になってしまいました。

このころアメリカでは石油が全エネルギーの半分になろうとしていましたが、ドイツでは90%以上が石炭で石油はわずか5%にすぎませんでした。

ヒトラー率いるナチスがしだいに力をつけ、1930年の選挙で第2党の政党になり、1932年にはナチスは社会民主党を抜き第1党になりました。
既にヒトラーは将来の構想は描いており、野望の実現には石油は欠かせないものと思っていました。

1933年1月ヒトラーは首相に就任、その後全権を握ると、自動車普及のキャンペーンを行い、制限速度のない高速道路を国中に広げる建設を始め、1934年には新しい型の自動車“国民車(フォルクスワーゲン)”と呼ばれる自動車開発計画を開始しました。

全ヨーロッパをナチス帝国の支配下にしようとする野望のため、ナチスを中心に大企業を国家目的のため利用し、戦争に備え航空機、戦車、艦船、トラック、武器・弾薬などあらゆる軍需品の増産をはかります。

ナチス政権はI・G・ファルベンが合成石油製造工場を増設し、生産を拡大すれば支援を強化し、販売量と価格を保証すると約束しましました。I・G・ファルベンは水素添加技術により良質の航空燃料を製造することを約束し、合成石油製造工場を増設しました。

1935年10月イタリアのムッソリーニがエチオピアに侵攻を開始しました。ムッソリーニはローマ帝国のような一大帝国構築を夢見て進攻したのです。

国際連盟は直ちに侵略を非難し、経済制裁を発動します。石油禁輸をイギリスが主張しますがフランスは消極的で石油禁輸を実施しませんでした。

ヒトラーはもしもイタリアに石油禁輸が実施されたならばイタリア軍は1週間以内に撤退を余儀なくされであろうことを知り、石油を外国に頼るリスクを思い知るのでした。

ヒトラーは多額の財政支援を行い、合成石油生産を一挙に6倍に増加しました。
1937年から1938年にかけI・G・ファルベンのユダヤ人は追い出され、ナチスに反対したカール・ボッシュは中枢から外され、企業の独立性を失い、ナチスに管理されるようになりました。

1939年9月ドイツ軍がポーランドに侵攻、これに対抗して英・仏が宣戦し、第二次世界大戦が始まりました。
ヒトラーは石油の安定製造と供給に常に不安を抱えているため、短期間で決定的な勝利を得ることを基本として、電撃作戦を展開します。

1940年春にはノルウエー、ベネルックス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)、6月パリが陥落し、フランスが降伏し、占領されました。

ここまでで、ドイツ軍が消費した量以上の備蓄した石油を獲得し、この時は全ヨーロッパを支配下におけるものと誰でもが思い込みました。

1940年9月ドイツの勝利を確信したイタリアと日本は日独伊三国同盟を締結しました。

この時、ドイツ国内に9つの合成石油製造工場があり、年産約70万トン(*1)の規模になっていました。

【参考】
1919年カール・ボッシュはI・G・ファルベンの社長に就任1935年理事長になる
1931年カール・ボッシュとフリードリッヒ・ベルギウス「アンモニア合成の触媒に関する研究」によりノーベル化学賞を受賞(窒素と水素から高圧触媒反応でアンモニアを直接合成する。)
1939年(昭和14年)2月日本の満鉄は撫順石炭液化工場試運転、6月石炭液化油製造に成功しましたが実戦に使用できるほどの合成石油を量的に安定して製造できる工場建設までは行きませんでした。
(*1)「化学大辞典」共立出版(株)1956年
(*2)「石油帝国」、H,オコーナー(著)、佐藤定幸(訳)、岩波書店、1955年
(*3)「石油の世紀」、ダニエル・ヤーギン(著)、日高義樹(他訳)、日本放送出版協会、1991年

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はじめまして。私は今石油精製の触媒の研究に従事しているものです。とても参考になりました。あなたも石油関係のお仕事に従事していらした方かもしれませんが、今私の関心は世界の最初の脱硫触媒はどうやって生まれたかを調べることです。上記の記事のスタンダードオイルが水素添加技術を応用というところの資料をもっと詳しくご存知でしたら教えてください。宜しくお願いします。 削除

2006/11/7(火) 午前 2:00 [ イワモト ] 返信する

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岩本 様 コメントありがとうございます。 石油化学関係の仕事についていましたが、基本的な知識しか持ち合わせていません。ご期待に沿えずすみません。当然、調べられていると思われますが、60年余りまえの論文となるとケミカルアブストラクトなどアメリカのデータベースサービスを利用されてみてはいかがでしょうか。

2006/11/8(水) 午前 10:11 [ futoritaimon ] 返信する

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どうもありがとうございました。 削除

2006/11/11(土) 午後 5:13 [ 岩本 ] 返信する

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文法的な誤りが目立ち,日本語としての精彩を欠く,まるで中学生が書いたような文章でしたが,内容は面白く読めました。どうもありがとう。 削除

2008/9/4(木) 午前 10:01 [ クラニー ] 返信する

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確かにうまくない文章です。勉強します。

2008/9/4(木) 午後 10:18 [ futoritaimon ] 返信する

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こんにちは。私は大阪の大学生です。
ドイツのロイナ地帯について調べていてこの記事をみかけました。
すごく丁寧でわかりやすく、参考になりました。
ありがとうございました。
授業で使うレジュメの参考にさせていただきます。

2009/6/9(火) 午後 8:07 [ car*c*n2060 ] 返信する

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参考になれば幸いです。

2009/6/13(土) 午前 10:53 [ futoritaimon ] 返信する

一つ一つは既知の事実なのですが、複数の資料から、これだけの短文にまとめ、尚且つ、漫画図まで添えられているのは初めてです。
ポチして帰ります。

2011/11/6(日) 午前 2:54 みぃにゃん 返信する

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