風来坊 のブラリ散策

日々の出来事や想い出をデジカメで徒然に「ぶらり散策」。

四国霊場

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第35番札所 医王山 清滝寺

住 所 : 土佐市高岡町清滝町568−1
ご本尊 : 薬師如来 
ご真言 : おんころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌 : すむみずを くめばこころの きよたきじ なみのはなちる 
いわのはごろも

第35番札所清滝寺は、高知県の紙どころ、土佐市北部に建つ。すきの障子紙と土佐の
文旦の特産地です。
清滝寺の中腹、標高150mにある境内までは、「八町坂」という曲がりくねった急坂の参道が続きます。一丁(109m)ごとに地蔵が置かれており、お遍路さんを励ましています。坂は八丁あるため、「八丁坂」と呼ばれ坂の後半には、冬場でも汗が吹き出す「流汗坂」の名も。現在では、車道が整備されており、境内まで車で直行できるが、やはり自分の足で上りたいですね。
寺伝では、行基が養老7年(723)、薬師如来を刻んで本尊とし、「景山蜜院釈本寺」と名づけて開創したといわれています。
弘仁年間(810〜824)、弘法大師が寺の北方300mの山中で修行詩、7日目の満願の日に五穀豊穣を祈願。金剛杖で大地を突くと、清水が湧いて滝となり、鏡のような池ができたと伝えられる。「医王山鏡池院」という山号と院号は、こうした縁起から生まれた。
いまもこの水は、周辺の田畑を潤しているといわれています。
清滝寺は、空海の十大弟子の一人、真如ゆかりの寺でもあります。真如とは、平城天皇の第3皇子高岳親王のことで、大同5年(810)の薬子の変によって嵯峨天皇の皇太子を廃され、空海の弟子となり、法名を真如と改めた。空海に密教を学んだ真如は貞観4年(862)、九州の大宰府より唐へ渡ったとされる。寺の南西には「入らずの山」があり、真如
が死後の冥福を祈るために自ら作ったとも伝えられる墓「逆修塔」がたっています。
仁王門本堂を背に、まっすぐ下方に位置する。竹林に囲まれた石段を80段余り下ったところに、仁王様と一緒にどっしりと立つ。
ダイナミックな龍の天井画は、地元の画家・久保南窓が明治23年(1890)に描いたもの。どこからみても、龍の目と視線が合う不思議な絵が睨みをきかせているそうです。
境内の東西に長い参道の正面には、唐破風の付いた本堂があり、向かって左に大師堂。
そのさらに左に建つ観音堂は真新しい。本堂と大師堂の間に立つ薬師如来立像は、昭和8年12月に建てられたそうです。
本堂の右奥には、清水が落下する滝が流れる。縁起に伝えられる「清滝」は、いまも健在です。

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第36番札所 独鈷山 青龍寺

住 所 : 土佐市宇佐町竜601
ご本尊 : 波切不動明王
ご真言 : のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ
      そわたや うんたらた かんまん
青龍寺は、400年ほどの伝統をもつカツオブシの産地、土佐市宇佐町に建つ。
いまでは浦ノ内湾を東西にまたぐ宇佐大橋を渡るが、橋のなかった時代、青龍寺参りのお遍路たちは、小さな渡し舟でのんびり湾を渡って寺に詣でていた。空海がこの寺を開いた時、渡し口に8人の船頭を配したといわれ、その子孫が代々渡し守を務めてきたという。
「宇佐の渡し」が消えたのは昭和48年。橋が出来て便利になったが、昔と変わらないのは、本堂までの170段ほどの長い石段。急勾配の道を一歩一歩踏みしめながらの巡拝となる。
空海は、延暦23年(804)に唐の長安に留学。清龍寺の恵果和尚に真言密教の奥義を受けられ、2年後に帰国の途についた。その際、「寺院建立に有縁の地に留まり給え」と、持っていた独鈷杵を東方に投げたといわれる。帰国した空海が四国を巡錫中、この地の山中の松の枝に、その独鈷杵をみつけ、弘仁6年(815)、嵯峨天皇にその不思議を奏聞。
一字を建立し、波切不動明王を刻んで本尊としたという。山号の独鈷山は、その寺伝による命名である。
31歳で入唐する折、空海の乗った遣唐使船は暴風雨に遭ったが、不動明王が波を切って風雨を鎮めたと伝えられる。この寺の本尊は、その波切不動である。青龍寺が、海上安全の祈願寺となっている所以でもある。
入り口の駐車場近くに納経所、恵果堂、護摩堂、鐘楼門,客殿、庫裏を構える。
長い石段を前にして、「過去を追うなかれ、未来を思い煩うなかれ、ただ、今日なすべきことを、心をこめておこなうべし」と説く先達もいる。
石段を上がりきった正面に本堂、その左に大師堂、右に薬師堂が並んで建つ。
本堂の前に立つ波切不動像は、髪を後ろで束ね、右手に剣を持つ。本堂内には船を描いた絵馬が奉納され「龍のお不動さん」として親しまれる本尊への篤い信仰が窺われます。

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第37番札所 藤井山 岩元寺

住 所 : 高知県窪川町茂串町3−13
ご本尊 : 阿弥陀如来
ご真言 : おん あみりた ていぜい から うん
ご詠歌 : むつのちり いつつのやしろを あらわして ふかきにいだの 
      かみのたのしみ

第37番札所岩本寺のある窪川町は、高知市と足摺岬のある土佐清水市とのほぼ中間に位置する。岩本寺は、町を南北に貫く国道56号の西側にあり、「土佐くろしお鉄道」が走る住宅地に諸堂を構える。この寺は、知る人ぞしる、弘法大師ゆかりの七不思議の寺です。また、四国霊場では唯一、ご本尊が5体もある賑やか札所としても有名です。
縁起によれば、番外霊場高岡神社の神宮寺として境内にあった37番札所の福円満寺が、戦国時代に廃寺となり、その後、場所を現在地に移して、宿坊として岩本坊が創建されたのが始まりとされる。宿坊は、天正年間(1573〜92)に兵火で焼失したが、その後、寺として再興され、山号を藤井寺、寺号を岩本寺と改称したとされる。
現在の本堂は昭和53年に落成したもの。堂内には阿弥陀如来、観世音菩薩、不動明王、薬師如来、地蔵菩薩の本尊が安置されており、五つのご真言を唱える人もいる。
なかでも観音さまには、その昔、貧しい狩人の願いを聞き入れて長者にしたという伝説があり、地元の人たちは、観世音菩薩を「福観音」と呼んで招福のシンボルとしている。
また一年に3回も実る三度栗、旅人の女性を安産させたという子安桜、口なし蛭、筆草、戸立てずの庄屋,尻なし貝、桜貝など、弘法大師の七不思議の言い伝えが残る。
不思議の一つにあげられる「三度栗」は、大師が子供の願いを聞いて1年に3度実のなるようにしたという。いまでは同名の銘菓がお遍路に喜ばれています。
土産物の出店や民家が軒を連ねる参道。
仁王門の傍らには、霊場では珍しい木造円形のお堂「歓喜天」。鐘楼と並んで阿弥陀堂があります。本坊は左手にある。本堂は仁王門を入って正面奥の右手にあり、大師堂は右手奥。
本堂の格天井に描かれている天井画は有名で、全部で575枚。高知県の県展出品作品を中心に、全国各地から集められたものである。画風や手法、作者の年齢も様々で、花や蝶のほかにマリリン・モンローの笑顔も見える。全体を一枚の絵模様として味わうのも一興。「空」と「海」のように広くて、大きい心をおもちの御大師さんも。お喜びの天井画だろう。

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第38番札所 蹉跎山 金剛福寺

住 所 : 土佐市清水市足摺岬214−1
ご本尊 : 三面千手観世音菩薩
ご真言 : おん ばざら たらま きりく
ご詠歌 : ふだらくや ここはみさきの ふねのさお とるもすつるも 
のりのさだやま

第38番札所金剛福寺は、四国の最南端・足摺岬に建つ。観音さの浄土に一番近い寺とされ、四国の大霊場として信仰を集めています。周りは濃い緑の椿の樹海。断崖に砕ける太平洋の荒波。寺は自然の大庭園に包まれています。弘法大師が、嵯峨天皇の勅願で千手観音を自ら刻んで安置したのが、金剛福寺の始まりとされる。本尊は三面千手観音菩薩。
現在、足摺岬は椿の名所として知られるが、仏教が伝来した直後は「補陀落渡海」の地とされた。補陀落とは、はるか西の彼方にあるとされた「観音さまの住む浄土」で、この岬から渡れば常世の国は近いとされた。大師が海の向こうに観世音菩薩の姿を見て、この岬を霊地としてともいわれています。
本堂は、山門の正面奥にあります。左手前では「大師亀」と名づけられた石製の大亀がこちらをにらむ。それは大師が亀を呼び、海上の不動岩に渡って修行したとの伝説によります。
岬の突端には、足摺七不思議に教えられる「亀呼び岩」や「揺るぎ石」があり、江戸時代には「ゆるぎの石に亀も浮く」といって、お遍路さんも亀を呼んで喜んだという記録もあるそうです。不思議な大師亀の記念像が登場したのは、平成9年のこと。亀の頭をなでて祈るとご利益があるという。
本堂に右には多宝塔があり、左には愛染堂が建つ。多宝塔は源頼光公と清和天皇の供養のために建立されたものですが、その後の台風や潮害のため破損し、平成の大修理で現在地に移築されたそうです。周囲が樹海から突き出る九輪の宝塔は、寺のシンボル。
愛染堂には、良縁成就の愛染明王(藤原仏)と聖天が祀られています。聖天さまは、象頭人身の姿で十一面観音の化身とされる。祈れば病が癒え、子を授かるという。愛染堂の手前には修行大師像。大師堂は境内の左端しにあり、開放された扉から尊像が拝めます。

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第39番札所 赤亀山 延光寺

住 所 : 宿毛市平田町中山390
ご本尊 : 薬師如来
ご真言 : おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌 : なむやくし じょびょうしつじょの がんこめて まつわるわがみを
      たすけましませ

 第39番札所の延光寺は、梵鐘を背負った赤亀像で親しまれ、土佐16ヶ寺で構成する
「修行の道場」最後の霊場です。
単層の仁王門は、きれいに剪定された金木犀の生垣に挟まれたように建っています。
阿吽の仁王さまは格子の網戸越しに伽藍を守護して立っています。門をくぐると、すぐ右手で大きな赤亀の石像が出迎えてくれます。甲羅に梵鐘を背負い、前掛けを付けた赤亀は、口を真一文字に結び、引き締まった表情です。甲羅にはお賽銭もあげられています。
縁起では、境内の池にいた赤亀が龍宮城から銅製の梵鐘を持ち帰り、寺に奉納したものだといわれているそうです。山号の赤亀山は、この縁起に基づく。
門前の店名にも「赤亀の里」とあります。
石像の赤亀は信者が昭和54年に寄進したもので、寺所有の実物は国の重要文化財にしてされています。銅製の梵鐘は、総高33.3cm、口径23.5cm、口厚1.7cm、龍頭高6.6cmで、撞座はなく、「延喜十一年(911)歳次辛未正月九日奇の甲午じ鋳弥勒寺鐘」の銘があり、県内では最古の銅鐘とか。
大師堂は正面奥に建っています。本堂は右の奥にあり、薬師如来を本尊としています。
本堂に向かって右には、「目洗い井戸」の祠があります。弘法大師がこの寺に立ち寄った時、寺は水不足に悩まされていたそうです。そこで、大師が錫杖で地面を突いたところ霊水が湧き出たため、これを宝井戸と名づけたとあります。
祠には小さな地蔵が立ち並び、その足元から水が流れています。いまも眼病に霊験あらたかな井戸水として信仰を集めています。

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