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タスマニアから帰って一息ついてから、尾道へ行ってきました。
この往復で、相棒もANAプラチナサービスに到達するので、
年末からのスペイン旅行へ、先に1人で空港へ行ってもANAラウンジが使えます。
ANAラウンジ、結構気に入っているようです。
行きは、意思の疎通の悪さからプレミアムクラスを取ってしまいました。
たった1時間20分のフライトなのに、なんとまぁ贅沢な。
相棒とは席が離れており、私の隣は心臓外科医の若き医師が、
どうやら学会を前に思考を巡らせ中。
それをよそに、私は朝っぱらから、スパークリングワインと赤ワイン。
広島空港から尾道まではバスで1時間ほど。
私たちを除いて全員JR尾道駅で下車したので、行き先を尋ねられました。
降りたのは千光寺ロープウェー乗り場に資金のバス停「長江口」にて。
ここへ来ると結構人がいて、3分で山頂へ上れるロープウェーは満員。
途中、千光寺が見えましたが、ロープウェーからの方が全景が見えます。
後ろにそびえる岩が石鎚山。
後で通ると、鎖修行として上れるようになっていました。
ロープウェーを下りて振り返ると、しまなみ海道が見えます。
展望台から大屋根が見えるのは、安藤忠雄設計の尾道市立美術館。
瀬戸内海からは向島、因島、多数の島があり、美しい風景でした。
元来、瀬戸内は穏やかな土地なんですよね。
尾道は「放浪記」を書いた林芙美子が有名ですが、下山していく道は、
文学のこみちとしてゆかりのある人たちの歌碑が建てられています。
笑ったのは、千光寺山案内の注意書きに
「石碑分の拓本ずりをしない」というのがありました
![]() そんな人がいたってことですよね〜
下って行くと室町時代に建てられた天寧寺三重塔に行き着くのですが、
しまなみ海道とのショット、お寺に人が座っているのが見えるでしょうか。
尾道はネコでも有名なところですが、ネコ遣いのおじさんがいました。
鈴を鳴らせば寄ってくるようにしつけられているようで、
あちこちからネコが寄ってきていました。
尾道は坂の町。
映画で人気も出ましたが、それでも住み続けるのはなかなか大変かも。
千光寺そばにあった中村憲吉旧居は公開されていましたが、
見学に耐えうるのだろうかというほどの古さ。
いくつかお店も出ていましたが、どれも古くて危なそう。
狭い階段の連なる尾道では、改築も難しいですもんね。
ふもとのロープウェー乗り場まで戻ってくると、
ロープウェーからも気になっていた立派なクスノキを見に民神社へ寄りました。
全景を写しきれないほどの立派なクスノキです。
一時、状態が悪いときもあったようで、保存に力を入れているようでした。
尾道商店街を歩きます。
有名なのはここ、大和湯。
銭湯だったところを改装して、カフェにしています。
ここで、尾道ラーメンを買いました。
もうすぐランチタイムが始まるようです。
お風呂屋さんだった雰囲気、わかりますね。
でも、私たちが行ったのは「保広」というお寿司屋さん。
地元の人で賑わっていました。
地魚のにぎりを食べるつもりだったのですが、一品料理を勧められ、ついそちらを。
しめさばは軽く炙ってあって好み
酢牡蠣はやっぱり広島ですからね
イカの煮つけも美味しい
牡蠣フライもいただきました
でも、居合わせた地元の人曰く、広島の人は牡蠣を食べないんだそうです。
子どものころから食べる機会が多いせいもあるんでしょうか。
このあと、本当は少し握ってもらうつもりだったんですが、
親子2代とその家族で経営するそのお店、80歳前後とおぼしき店主が、
どうやらまだ代替わりをしていないようで、握るのはその人のみらしい。
その前ににぎりを4人前用意してましたが、すんごい時間がかかるんですよね。
なんとなく、この人のにぎりはいいかな、と思って店を出ました。
ビールのあと、広島のお酒「雨後の月」の生酒があったので、2合飲んで7,700円。
お昼を食べると、尾道の坂をまた上る気にもなれず、
その先の三原へ行くことにしました。
電車で15分。
尾道と同じく寺の多い町で、ご朱印帳集めでもしているなら大忙しでしょうが、
唐突に来て、見所を探れるほどの場所ではありませんでした。
駅前は三原城跡
風の強い日でもあり、さっさと広島空港へ戻って飲もう!という話になり
![]() お土産をいくつか買って、広島ならやっぱり広島焼きは食べようと、
空港の「てっ平」でひとつだけシェアしました。
お酒は、1合420円という安さ。
原酒でしたが、生ではなかったな〜
広島焼きはもやしにキャベツであっさりしていて、好みではありませんでしたが、
このあっさり感、今回はすごく美味しいなぁと思いました。
ANAラウンジで、ビールと焼酎を飲んですごし、無事修行終了です
![]() 出掛けてばかりなので、お土産はわずか。
空港で買った汁なし坦々麺は、肉みそを作りレタスの上にのせていただきましたが、
これはなかなか美味しかったです。
日帰りの旅こそ、下調べは入念にしないといけないなぁと反省。
でも、結構気に入っているので、来年もまたどこかへ足を延ばすと思います。
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18 国内旅行
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首里城近辺の散策はまだ続きます。
「玉陵(たまうどぅん)」から5分ほど行った先から始まる「金城町石畳通り」。
「玉陵」を造った尚真王の時代、首里城から南部へ行く道として造られました。
琉球石灰岩が敷かれた石畳道りで「日本の道百選」にも選ばれているようですね。
でも、通りからひたすら下りの階段が見えています。
え〜っ 下ったら上らなくちゃいけないってことよね。
靴擦れの身にそれはツライ〜
でも、行っちゃいました。
というのもこの下に樹齢300年を超すという大アカギがあるんです。
琉球王国の菩提寺だった円覚寺の裏手から首里城への緑地帯「ハンタン山」は、
大アカギの大木の林だったとありました。
どんな木か知りもしないのですが、そう言われると
見たいよね ![]() でも、延々下りていく
![]() 上ることを考えると、ちょっとうんざり。
下りはじめの最初の方にお茶屋さんがありそこに地図がありました。
はじめに通ったところは真珠小路みたい。
この通りでは、普通の家にも木や花の説明の看板を立てていました。
でも、この延々続く下りが気になって
のんびり眺めながら歩く気にはなれない〜
ただ大アカギを見に行くために下るのか。
また上るのはイヤだ〜
下ったからには到着せねば。
というわけで、やって来たのがココ。
パワースポットらしいですが、私にはそういうのはまったく感じられません。
沖縄では普通に見られる木ですが、これほどの大木が人里にあるのはここだけとか。
昔からただごとない霊気が満ちていた森で、 かつては琉球王国の信仰対象でした。
一番大きな木には、年に一度神様が降りて願い事を聞いてくれると言われており、
根元のほうにちらりと見える赤い柵を囲んだ石積みの門が祈願をする場所、
拝所(ウガンジュ)だそうです。
樹齢200年以上の木が6本あるそうですが、よく確認できませんでした。
一番古いものが300年以上で、たぶん奥にあったこれだと思います。
ふつうに入れたので近づいちゃったんですけど、
手前にあった拝所から奥は聖域みたいなんですよね。
スミマセン。
無事、金城の大アカギも見たことだし、ランチにしましょう。
国際通りを目指します。
2002年に開通したゆいレール、沖縄唯一の鉄道路線なんですよね。
首里から先の延伸工事中だそうで、来年の夏の開通を目指しているようです。
時間も少ないし那覇市内の観光だけで済ませられるならとても便利です。
めちゃくちゃ冷房が効いていて寒いケド。
ランチは何にしようかずっと迷っていました。
伝統的な沖縄料理も食べてみたかったんですが、沖縄ならではの魚も食べたい。
それで、公設市場近くのお寿司屋さんに行くことにしました。
もう14時近かったんですが、ボチボチ人もいて悪くなさそう。
ワンドリンク制らしいですが、問題ありません。
やっぱり沖縄、オリオンビールでいきましょう。
隣の人が牡蠣を食べていたので、ついそれも頼んでしまいました。
お寿司は盛り合わせで8貫のセット。
ただねぇ、失念していたんですよ。
やたら沖縄にあるのが「江戸前寿司」
![]() メニューには変わった魚が見受けられなかったので、セットにしてみたんですけど、
だからといって何が違うわけでもありませんでした
![]() このフツー過ぎる、しかもチープ感たっぷりのラインナップ
![]() ![]() タコだけがコリッとしていて、島タコかな?と思いました。
さらに続く大打撃
![]() ![]() ![]() 新たに登場したお客さんが「ランチのにぎり」とひとこと。
ええ〜っ そんなのあったの〜
![]() ![]() ![]() 見ると「8貫+細巻 980円」と確かにありました。
私が頼んだのは、その2つ上に書いてあった「8巻セット 1,480円」
![]() 地魚が食べられているんだったら、その違いなんてなんとも思わないんですけどね、
ほんともう、大失敗。
さらに牡蠣のところを見ると「産地は時期によるのでお尋ねください」とあったので
聞いてみると「今日のは宮城産ですね」ですと
![]() なんでまた、沖縄くんだりまで来て宮城産を食べているのか、私。
お店に罪はないんですけどね
![]() 店内には、自家製の泡盛に漬けた果実酒も置いてありました。
左から2つめはシークヮーサー。
うちにもあるんです。漬けてみるといいかなぁ。
笑ったのが、箸袋がおみくじになっていて、私が引いたものに書いてあったのが
「三大やめられない事。
酒。夜更かし。食後のデザート」とありました
![]() ここから、沖縄の伝統工芸「やちむん(=焼き物)」が集まっている通り、
やちむん通りへ向かいます。
がっくりと食べ終わったフツーのお寿司。
気を取り直して、沖縄の伝統工芸「やちむん(=焼き物)」が集まった通り、
やちむん通りへ向かいました。
琉球王府が約330年前に、沖縄各地に散らばっていた陶工を壺屋に集めたそうです。
この石畳の通りが「やちむん通り」の入口です。
やちむん通りの入口には、お店の案内がありました。
シーサーもちょっと風変わりですね。
雰囲気のいいお店もたくさんあります。
喫茶店を併設していたり、体験のできる工房もありました。
くまなく回りましたが、残念ながら欲しい食器には出会えませんでした。
途中、角のお店の外に貼ってあったのがこれ。
お店で売ってもいました。
あとで相棒に聞いてみると、前回の沖縄でガイドさんに教わったと言っていました。
本土にも広がって入るとありますが、私はまったく知りませんでした。
このあとは、国際通りや商店街などでお土産を物色。
お店番のこんなかわいいコもいました。
沖縄ではネコの放し飼いは当たり前のようで、
あちこちで首輪をつけたネコちゃんに遭遇しました。
のびのびできていいねぇ
![]() ちなみに、いまだ野良犬がいる地域でもありました。
ちゃんと名のついた犬っぽいのにねぇ。
靴擦れの足で25,000歩も歩いたので、クタクタです。
ちょっと早いけど空港へ向かうことにしました。
でも、ハタと気づいたんです。
沖縄らしいものを食べていない。せめて沖縄そばぐらい食べたいよ〜
空港で食べればいいというものの、せっかくだからどこかないか?
気づいたのは空港のひとつ前の駅でした
えいっ降りちゃえ![]() 検索してみると、500m歩けば評判の良いお店がありました
![]() それが、こちら「守礼そば」です。
大型店なので入りやすいと口コミにありましたが、そのとおり。
17時という中途半端な時間でしたが、入りは良かったですね。
3時間前にランチを食べたばかりの私
![]() しかも帰りはプレミアムクラスなので食事が出る
![]() あんまり区別はわからないのですが、おすすめという店名を冠した「守礼そば」。
麺はかた麺かやわらかな手打ち麺かを選べましたが、
よく出るのがかた麺と聞いたのでそちらにしました。 うーんとっ、おそばはあんまり、かな。
手打ち麺の方が合うかも。
でも
これ、骨付きの豚肉だったんですが、めちゃうまっ![]() ホロホロにとろける豚肉、美味し過ぎ〜
![]() しかも中サイズ(710円)にしましたが多い〜 沖縄価格、お得だわ〜
豚肉に大満足して、空港へ向かいました。
これはそのひとつ手前の赤嶺駅の夕暮れ。
西ですもんね。17時半、まだまだ明るさが残っています。
空港ラウンジでは、機内食に備えてビールと焼酎で終わらせました。
この久米泉はなかなか美味しかったです。
泡盛は沖縄で飲むには美味しいのだけど、家ではなぁと買いませんでしたが、
シークヮーサーを漬けておくためでもいいから、買えばよかったかも。
ラウンジはよく混んでいました。
ま、狭いのよね。
機内食は、夜の方がぐんと充実していますね。
沖縄便はシャンパンがあったのでいただきました。
このあと、赤ワインものんでいます。
お腹いっぱいだったのが残念だったな〜
斜め前方には、私よりもはるかに呑んでいる女性を見かけたので、気楽でした。
だって、隣の男性はお茶だったんだもん
![]() 最後にお土産。
長崎へ行ったばかりなので、そんなに買う必要もありません。
思わず国際線感覚になって持ち帰れるんだろうかと思いつつ選んだのが、こちら。
ラフティーは商店街のお肉屋さんのもので805円(税込)
ベーコン664円(税込)はジョールベーコンと書いてありました。
首肉だって。沖縄でしか流通していない豚トロ付近の部位だそうです。
脂が多いけどあっさりしています。
この破格の安さ、ベーコン好きには嬉しい〜 ![]() ジーマーミ豆腐は空港で買ったもの。
ぷるんぷるんでしたよ。
豚肉を見るとヒサガーだのグーヤヌジだと書いてあるのでどこの部位か???
標準語で書くとおばーちゃんたちがわからないからと言っていました。
露店で果物を買いました。
パパイヤ400円とパイナップル300円。
甘いパパイヤは初めて食べた気がしますが、ちょっと癖があるけど美味しい。
パイナップルも美味しくいただきました。
というわけで、大充実のおひとりさまデビューは終了です。
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首里城へは一度行ったことがあります。
たぶん、世界遺産登録がされたばかりのころで、非常に観光客が多く、
有料区域内には入らなかったことを覚えています。
おお! ここははっきり覚えていました。
世界遺産登録を受けた「園比屋武御獄石門(そのひゃんうたきいしもん)」ですね。
石門の背後に園比屋武御嶽という森があり、そこはいわば国家の聖地で、
国王が各地を巡航する旅に出る際、必ず安全祈願をした礼拝所です。
でも、わからずに写している私は、背後の森のことは無視していますね。
「守礼門」も覚えています。
当時は特に二千円札で湧きましたからね。
今も沖縄ではごく当たり前に流通しているとか。
こちらも円覚寺と同じく昭和8年には国宝に指定されていましたが、沖縄戦で焼失。
これは戦後再建されたものです。
首里城はひたすら門が続きますが、続いては「歓會門」です。
両端下にシーサーがいるんですが、見えないですね〜
ここをくぐると、外郭からひとつ城内へ入れます。
城郭は琉球石灰岩を積み上げて造られています。
「瑞泉門」をくぐってまたひとつ城内へ。
城郭は二重になっており、ここからが内郭になります。
ところで、首里城の観光客の8割ぐらいは大陸からの観光客かというほど
大挙して押しかけてきていました。
いちいち自撮りするので進まない
![]() 「漏刻門」
当時身分の高い役人は駕籠に乗って首里城へ登城しましたが、
高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りたから、
別名「かご居せ御門(うじょう)」と呼ばれています。
内郭から那覇市内を見ると、向こうに海が見えます。
下に見える外郭の門は、左が先に通った「歓會門」、
右が「久慶門」で、円覚寺から首里城を見たとき、正面にありました。
外郭には4つの石造りアーチ門があります。
右に目をやると、沖縄県立芸術大学も見えます。
沖縄らしい校舎の様子がよくわかりますね。
「廣福門」
内郭には大小8つの門があり、これをくぐると券売所。 ゆいレールの一日乗車券を提示し、団体料金に割引してもらいました
![]() 首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門です。
前回はこの手前で引き返しました。 入ると「正殿」が正面にあり、手前が中庭広場の空間「御庭(うなー)」で、
年間を通じて様々な儀式が行われた広場です。
御庭には磚(せん)というタイル状のものが敷かれ、色違いの列になっていますが、
儀式の際に諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割を持っていました。
中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし) 」等、限られた人だけが通ることを許されていたそうです。 でもこの正殿、よく見てください。
修復作業中で下の方がパネルなんですよ〜
前もそんなだった。正殿内部は写真撮影不可の場所が多かったのですが、琉球王国は難しい。
まったく馴染みがないので、その言葉が何を指すのかが難しかったです。
国王が執務中に休憩する「奥書院」は和室。
首里城は何度か焼失しており、そのたび再建されています。
今の復元された首里城は薩摩藩が2万本の原木を提供した時代のものなので
日本の影響を受けた和室があるのかも。
正殿は「百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)」と
呼ばれ、首里城の中心的な施設です。
1階(下庫理しちゃぐい)は、国王みずからが政治や儀式を執り行う場所、
2階(上庫理うふぐい)は国王や親族、神女たちが儀式などを行う場所
3階は通風を目的とした屋根裏部屋でした
2階の御差床(うさすか)は国王の玉座として様々な儀礼や祝宴のときに使われました。 対して1階の御差床(うさすか)は政治や儀式のときに使用した玉座です。
うしろに、2階に通じる階段が見えます。
柱が豪華。金龍と五色の雲が描かれています。
「御先神子齋(おせんみこちゃ)」
この右の部屋は国王みずから女官とともに毎朝東方を拝んでいたところです。
首里城の火の神(家の守り神)信仰の中枢で
身分の高い神女の任命儀式などもここで行われていました。
清朝から与えられた王印です。
この前には明朝からも与えらえています。
国王の王冠が復元されていました。
被弁冠(ひべんかん)、玉御冠(たまんちゃーぷい)
とも言われます
って、何やらさっぱり読み方がわかりません![]() 縮緬の絹製に、金銀、水晶、サンゴ、碧玉、ガラスなどで飾られています。
琉球王国は、1634年に薩摩藩の侵攻を受けたあと、
幕末まで18回も江戸上りをしています。
その絵巻物の解説がビデオで解説されていました。
有料区域の見どころはそう多くないとも言えるのですが、
のんびり回っていると、いつもとは違った見方ができますね。
しかもここは土足禁止区域。
靴擦れもあったので助かりました。いつまでもここにいたかったぐらい
![]() 首里城を見終えました。
この近辺で見どころとして挙がっていたのが、
世界遺産の関連遺産群のひとつ「玉陵(たまうどぅん)」と「金城町石畳通り」です。
とにかく何でも見てみたい私、せっかくのひとり旅。
靴擦れは痛いけれど、やっぱり行かずにはいられません。
首里城を下り道路を渡ってしばらく行くと、その入り口がありました。
なんか、地味。
人の気配もありませんが、1人の欧米人が券売所の人に会釈して出てくるのを見て、
せっかくだから見てみようという気になりました。
そして、そのとき、思い出したのです。
「玉陵(たまうどぅん)」の話は、こにゃくうさんのブログで読んだぞ
![]() そうそう。このおうどんっぽい名前、なに?って思いますもんね。
一応、 入口の解説によると、
この「洗骨」の説明は、こにゃくうさんがこちらで解説してくれています。
ちょっとばかり、コワイです
![]() 観覧料は300円。
券売所で、ちらっとゆいレールの一日乗車券割引を思い出しましたが、
ざっと見たところ貼っていないようだったので、そのままお支払いしました。
でもあとで見たら、やはりこちらも団体料金で240円。
たった60円のことだけど、ちょっと悔しかった
![]() まずは、地下の資料展示室を見てからのほうが良くわかると教わったので、
そちらへ向かいました。
そこまで親切なんだったら一日乗車券のこともひとこと言ってよ〜(←しつこい)
資料室には、歴代の逗子甕(=骨壺)が展示してありました。
逗子甕(ジーシガーミ)は洗骨後の遺骨を納める納骨器です。
繰り返しますが、「洗骨」については、こにゃくうさんのこちらの解説で是非
![]() 実際の逗子甕も置いてありましたが、かなり大きかったです。
右は18世紀初頭、左は20世紀初頭のもので、コバルトの釉薬が掛けられています。
「玉陵(たまうどぅん)」へは大きなガジュマルの並木道を通って行きます。
日除けの意味もあるんでしょうかね〜
奥に見えるオレンジ色の屋根の建物は「東の御番所(あがりぬうばんじゅ)」といい、
沖縄戦まで沖縄戦前までお墓を守る番人がお墓の管理をしていました。
王国時代には墓参りに来た王様が休憩をしたところです。 右手の壁の向こうが「玉陵」です。
中へ進むには、この門から入るようですね。
まずは、ちょっと覗いてみましょう。
なんせ「洗骨」までどの部屋かに置いておくんでしょう?
ちょっとコワい気がしてしまいますよね。
むむっ? 奥にまだ門が見えるぞ。
よしっ 入ってみましょう。
ひとつめの門を入ると、広場になっています。
この外郭は四方を石積みの塀で囲まれています。
もうひとつ入ると、内郭。
ここも四方は囲まれています。
逆光なので見えにくいのですが、並べてみるとこんな感じ?
東室と中室(くどいけど葬儀後「洗骨」までのあいだ遺体が安置されるところ)
右側に西室
東室には「洗骨」後の国王と王妃の骨壺が、その他は西室に収められます。
上にはやっぱりシーサーが鎮座しているんですよね〜
「西室には墓前の庭の王陵碑に記されている限られた家族が葬られました」
とあるように、確かに外郭に石碑がありました。
この広い陵墓を独り占めしていたもので、ちょっとばかり厳かな気分になって、
あれやこれや撮れなかったんですよね。
でもこの「玉陵」は団体割引にし損ねましたが(まだしつこく言ってる)
地味だけれど見学してよかったと思いました。
天気が悪くて暗かったら、ちょっとコワいかもしれませんけど
![]() これも1人だからこそなのかもしれません。
靴擦れは痛いけど、金城町石畳通りも行ってみましょう。
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ANAの上級資格を取るべく思い立ったマイル修行の一環で、
長崎へ続き、翌週には沖縄へ日帰りで行って参りました。
珍しく、ひとり旅です。
朝から雨が降っていました。
週の半ばに季節外れの台風も発生していましたが、どうやら那覇はお天気の模様。
今回は、行きは格安航空券ですが、帰りがプレミアムクラスでの搭乗です。
早朝のカードラウンジ。
国内線のカードラウンジを使った記憶が、そういえばありません。
早朝発か、仕事帰りのギリギリに乗るからでしょうか。
外は雨が降っていますが、カードラウンジはゆったりしていて、
アルコールがないだけで前週のANAラウンジよりもいいかも。
早朝だったから、クロワッサンが置いてありました。
追加している様子はなかったので、終わり次第終了なのかもしれません。
飛行機は出発から若干遅れ、那覇空港に到着したのは10時半でした。
ここから8時間ほどのフリータイムです。
行くと決めていたのが首里城。
あとは陶器探しにやちむん通りです。
那覇空港から終点の首里駅までは30分。
一日乗車券を買いました。
首里城の入場料が800円から団体料金の660円になるという特典があります。
モノレールは2両。運転席に向けた座席が、前後2ヶ所だけにあります。
思わず座ってしまいました。
那覇空港駅が遠ざかって行きます。
モノレールって開放的なのでいいですよね〜
景色をダイレクトに楽しめます。
首里駅に到着しました。
道路の案内標識を見ると、おお
沖縄だ〜![]() ローマ字がなければ読めないですよね。
それにしても人出が少ない。
人波に沿って行けば首里城と思っていましたが、11時過ぎの首里城近辺は閑散。
見てすぐ学校だとわかるものの、沖縄ならではの校舎ですよね。
「沖縄県師範学校附属小学校跡」と書いてありました。
現在は、沖縄県立芸術大学です。
学校の門でもやっぱり、シーサーが据えられています。
那覇市内を回っていると、どこの家もマンションもシーサーが鎮座していました。
ここを過ぎるとすぐに、左手に円覚寺跡が見えてきました。
先の大戦で焼失してしまいましたが、琉球における臨済宗の総本山です。
1469〜1879年、410年に渡り19代まで続いた王統、第二尚氏の菩提寺でした。
(それ以前にも尚氏「しょうし」の時代があったので、区別するため第二とつけられている)
あとで回ったのですが、この向かい側、総門前庭には円鑑池(えんかんち)があり、
航海安全をつかさどる水の神・弁財天を祀る弁財天堂がありました。
堂にわたる小橋は「天女橋(てんにょばし)」と呼ばれ、
石の欄干には蓮の彫刻が施されています。
1502年に造られましたが薩摩藩の侵攻や沖縄戦で幾度も破壊され、
1968年に現在の姿に復元されました。
円覚寺の前の道からは、首里城が目の前に見えます。
弁財天堂を裏手に回って円鑑池を見ると、多くの水を湛えているのがわかります。
もうひとつ「龍潭」とともに、首里城や円覚寺からの湧水・雨水が集まる仕組みになっている人工池です。 昔は首里城の周辺に仏教の寺院や王族や家臣の建物「御陵(うどぅん)」が多数あり、
屋敷を囲む石垣や鬱蒼とした樹木と相まって王都の雰囲気を醸し出していました。
中でも円覚寺はその代表格で、昭和8年には国宝にも指定されていましたが、
すべて沖縄戦で焼失してしまいました。
この裏手から首里城へ向かう急傾斜地の緑地は通称「ハンタン山」と称され、
戦前は高さ10m以上の鬱蒼たるアカギの大木の林がありました。
沖縄戦で枯れてしまったアカギにクワ科のアコウが寄生し、面影を残しています。
そのハンタン山の中には、軍司令部跡もありました。
何も手を掛けず放置されているその姿が、余計に痛ましさを増していました。
中は本当に狭く暗く、到底司令部とは言えないような場所でした。
沖縄は晴天
![]() 気温は25度前後で、風が吹いていれば涼しいですが、凪げば暑い。
暑さに弱い私、どこまで行けるでしょうか。
しかも、久しぶりに履いた靴で、すでに半靴擦れ状態が始まっています
![]() |
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長崎旅行2日目、遠藤周作「沈黙」の舞台をめぐるツアーに参加中です。
ツアーは、さらに次の地区へ向かいます。
この大野教会堂はド・ロ神父が1893年私財を投じ信徒とともに建設した教会です。
今はもう使われていないそうで、普段は中を見ることはできないのですが、
この日は風を通しに来られており、外から少し見ることができました。
ぐるっと回ってみました。
大野教会堂の壁はド・ロ壁と言われています。
枯松神社へ向かう道で見たように、外海では土留めの石垣、防波・防風の石築地、
居住地の石塀、住居・蔵の石壁など多種多様の石積み構造物が築かれています。
しかし、当時は石を積み上げるときの接着剤として、アマカワを使っていたため、
雨に濡れると流れ出し、壊れやすいのが弱点でした。
そこで、ド・ロ神父が新しい製法で石積みの壁を考案しました。
神父は赤土を水に溶かした濁液に石灰と砂をこね合わせたものを接着剤に使用。
これにより丈夫な石壁を造ることができるようになり、ド・ロ壁と呼びました。
大野教会堂の壁は結晶片岩ではなく、大野岳で採れる玄武岩を使用しています。
地元の自然石で造ることを基本としていたようですね。
この大野教会から池島が見えます。右手前の大きめの島です。
いまごろもうひとつのツアーの人たちは、炭鉱体験をしていることでしょう。
遠く向こうに見えるのは五島列島です。
天気が良くても、あそこまで見えるのは非常に珍しいそうです。
晴れ女、本領発揮です
![]() 続いて行くのは、バスチャン屋敷跡です。
バスチャンは日本人で、洗礼名です。
一番最初に訪れた枯松神社に祀られていたサン・ジワン神父を師とし、
禁教令により外海地方の神父がすべて追放された後、
バスチャンがこの地方のキリシタンを指導したと言われています。
バスチャンは追手を逃れるため隠れ家を転々としたと伝えられており、
バスチャン屋敷もそのひとつと言われています。
ここにも石積みが見られます。
ずーっとこうして石積みの道を進んでいきますが、
蛇の目撃情報もあるらしいこのあたり
![]() ![]() ![]() ああ、見えてきました。
暗い山の奥で、ひっそり隠れていたのでしょう。
屋敷と呼ばれていますが、貧しい小屋です。
これは復元されたものですが、中を見ても何もありません。
狭い小さい小屋です。
命を懸け、そこまでして信仰を守る、
どんな時代だったのか、思いを馳せようにも想像すらできません。
バスの中からちらりと見えたのも教会だと説明を受けました。
十字架のある建物と、その手前にマリアさまが見えるでしょうか。
バラック小屋のような造りでしたが、今も多くの教会が点在しているそうです。
このあと、遠藤周作文学館に向かいました。
文学碑のある場所を「神様が僕のためにとっておいてくれた場所」と言ったそうで、
とても気に入っていたこの地に、文学館も建てられることになりました。
海に突き出るような場所に建っています。
テラスからは、炭鉱のある池島も五島列島も見渡せます。
この時間になっても見られるとは、本当にお天気に恵まれました。
文学館では、興味深く色々なものを見ました。
遠藤周作は熱心なクリスチャンだったわけではなかったそうです。
お母さまの勧めで中学生になったころ洗礼を受けていますね。
文学館の上には道の駅があり夕陽の名所なのだそうです。
ここから出津地区が見えました。
行った私には、出津教会や旧出津救助院もわかるのですが、
今もここが小さな集落で、こんなにも海に近く、
きっと厳しい自然の影響を受け続けていることが想像していただけるでしょう。
池島炭鉱から戻ってこられた人たちと合流して、長崎駅へ戻りました。
途中、ながさき乙女大橋を渡り、下からも見上げましたが、
あの高さがあって豪華客船があと2mまで迫るとは、なんと巨大なと驚きました。
地味だけれど、いいツアーでした。
時間をきちんと把握できていなかったので、空港へのシャトルバスに乗るために、
またしても走りましたが、ま、ご愛嬌ということで。
帰宅が遅くなったので、お土産は一部しか写していません。
道の駅であごだし味噌もGETしています。
空港では大村寿司を買いました。
これで、長崎旅行を終わります。
平和記念公園へ行けなかったのが残念だったので、またいつか訪れたいです。
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見たいよね 




















