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秋山成勲 元の韓国名は秋 成勲=チュウ ソンフン
大阪生まれの大阪育ち。高校も大学も大阪。彼は「在日韓国人」だった。
彼は、「在日」と言う言葉で想像されるようないわゆる「差別」とは無縁だった。彼が育った生野はもともと在日の人がコミュニティーを作ってすんでおり、そういう国籍の違いなど、あまりどうでもいい土地柄だった。彼自身もそれほど民族と言うものに強いこだわりをもっているわけではない。
柔道が強くても、日本代表にはなれない、そんな在日が実力で韓国の代表選手になり、韓国内の試合に参加した。そこで出会った女性と結婚し、生まれたのが秋山 成勲だ。彼は幼いころから父の影響で柔道に親しみ、頭角を現していった。しかし、高校ではi国籍上の問題で、日本の大会に出るには何かと制約があった。代わりに韓国代表に選ばれ、韓国国際で優勝している。大学卒業後は韓国にわたり、3年間釜山市役所で活躍した。しかし、韓国の講道館と言われる龍山大学出の審判員、偏った判定、在日という偏見で幾度と無く、勝ち試合が”負け”試合と判定され、自己葛藤と祖国に対する不信感は限界にきていた。しかし、モンゴルで開かれた国際大会で全て”一本勝ち”と言う偉業で個人優勝した彼は、韓国国内で不動の地位を獲得するようになった。そして挑んだ国内大会で、誰の目にも明らかな勝ち試合で又もや”敗者”となったのを機に、その大会の敗者インタビューで「こんな国はもう嫌いだ、私は日本代表になる」と爆弾宣言をする。その後、日本に帰化し、それまで国籍の壁で大会を制限されていた鬱憤を晴らすかのように連戦連勝し、ついにアジア大会81キロ級日本代表に選ばれた。
秋山が帰化後、初めて日の丸を胸につけて戦い、優勝したのは2002年の日本国際だった。優勝直後のインタビューでは、ひたすら謙虚だった。あくまで私の推測だが、これまで韓国籍だった人間がいきなり日本国籍になり、日の丸を背負って戦う事に、色々雑音も入ったのではないだろうか。とにかく日本柔道界、および他の日本人選手にかなり気を使っているなという印象だった。
彼にとって国籍はあまり関係なかった。帰化についても「服を着替えるようなもの」とそっけない。彼にとって重要だったのは、「韓国人」ではなく、「柔道家」としての自分のアイデンティティーだった。柔道選手として自分がもっと輝くには、韓国代表より日本代表を目指したほうがいいと判断したのである。
2002年アジア大会の開催地は釜山。彼にとって因縁の地である。会場の体育館は釜山市役所時代の合宿所の真向かい。かつての本拠地で彼は見事に優勝を飾った。彼の髪の毛は金色に染められており、無国籍性にいっそう拍車がかかっていた。彼は日本の秋山?在日のヒーロー?彼はアジアチャンピオンの秋山成勲、それ以外の何者でもなかった。彼に国籍は関係なかった。
しかし力だけで背負えるほど日の丸は軽くなかった。彼には組み手のうまさと絶妙だった一発の技の切れにはかけたが、絶えず有利な組み手で相手を追い込み、試合をコントロールするうまさがあった。アジアを制した秋山が次に狙ったのは当然、世界である。アジア大会が因縁の地、釜山であったとすれば、翌年の世界選手権開催地は秋山の血と骨をはぐくんだ血縁の地、大阪である。
9月の大阪城ホールでの世界選手権2日目、流れは全部秋山に来ているように思えた。すべてのお膳立てが整えられ、後は秋山が金メダルを取るだけのような雰囲気だった。私はそのとき会場にいた。在日の星、そして応援団がにぎやかに鐘を打ち鳴らし、派手な応援をしていた。前日に登場し、圧倒的な力で100キロ級の金メダルを取った井上が、優等生的な言動で誰にでも好かれる人気なら、秋山は一部の人に熱狂的に支持される「阪神」的人気だった。
しかし準決勝でポイントをリードした後、秋山は逆に積極的に攻めたが、ドイツ選手ワーナーの寝技にまさかの敗戦。 それからの秋山はまさに「凋落」の一途だった。大阪の屈辱をアテネで晴らすべく、秋山はその後も畳に上がり続けた。しかし、冬のヨーロッパ遠征で結果を出せず、五輪代表最終選考会の2004年4月の全日本選抜体重別では準決勝で敗退し、万事休した。実は凋落したのは秋山だけではない。秋山とともに3強と呼ばれた中村・瀧本も同様の運命をたどったのである。欧州遠征ではロシア・ドイツ・フランス国際に3人がそれぞれ派遣されたが、みんな結果を残せず、選抜では1回戦で中村、準決勝で秋山、決勝で瀧本が敗れ、秋山・瀧本を破って優勝したダークホース塘内に代表の座を持っていかれた。そして3人そろって第一線から消えた。ひとつの時代が確実に終わった。秋山に限って言えば、あの世界選手権準決勝の残り6秒、あそこが潮目だった。あの一瞬で秋山の失ったものはあまりに大きかった。
その後、秋山・瀧本両選手は柔道を離れ、総合格闘技の世界に身を投じた。秋山はK‐1へ。瀧本はPRIDEへ。
秋山とHERO'Sスーパーバイザーである前田日明は共通点が多い。二人とも在日コリアンとして大阪に生まれた。どちらかというと差別とは無縁な暮らしを送り、日本にも愛着を持っていた。そして自分の夢を実現する手段として、日本に帰化した。自らの所属する世界では「異端児」と言われ、いろいろな雑音を実力でねじ伏せてきた。そして自分の輝ける場所を求め、秋山は柔道界を、前田は新日本プロレスを飛び出し、新しい世界へと身を投じた。彼らにはそれぞれ二度の「越境」歴がある。
私は、秋山の母親と親しい。K-POPも一緒に歌ったり、セコンドにたった清原の話も良く聞く。今は、韓国では有名人になり、なかなか会えないが、秋山はそんな母親やいい仲間たちに恵まれ、明るいキャラクターが売りでもある。帰化というのはとかく白い目で見られがちである。所詮自分の世界で勝てなかったから他の世界に流れて行っただろうと。自分の住む社会で認められず、本流に乗れなかったというのは在日から日本へ、柔道から格闘技に越境した事も、彼にすれば、結局は同じ事ことかもしれない。しかし、秋山という存在は、もともと国籍にも柔道にも縛られるほど小さくなかったのだと思いたい。彼が自分で最も輝けると思い、選択した道を、誰も否定できない。服を着替えるぐらいの感覚で国籍を変えた男である。柔道界を飛び出すのも、靴を履き替えるくらいにしか思ってないのではないか。
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taekwondoはどうなってるんでしょうね。日本はアジア大会には一人しか出てなかったようですが...
2006/12/17(日) 午後 7:39 [ neo*swa* ]
あまり詳しくはありませんが、空手をオリンピックの種目に、、と言う、あり、力を入れてないのかな?それに、女子の実力者で元世界チャンピオンの岡本選手のスポンンサーが無くなったのも影響してるかもしれませんね。
2006/12/18(月) 午前 0:49