朝鮮半島には文学が無かったのか? 詩がマイナーな文学の一ジャンルとしてしか存在しないかのように見える現代日本と比べるなら、韓国 では詩は人々の日常の中にしっかりと根を下ろしたメジャーな文学ジャンルです。先日も、コメントにありましたが、韓国では「小説家」より、「詩人」が社会的なステータスが”上”と言い切っても過言ではありません。 書店に行けば、詩集のコーナーが大きな空間を占め、ベストセラーには必ず詩集が入っています。 「韓国人は文学が好きだけど、ハングルは文学に向いていない」と言う話をよく耳にします。 日本には万葉集以来の文学の伝統があるけれど、朝鮮半島には文学がなかったと言われたりします。 「ハングルによる文学がなかった」という意味に解することができるかもしれません。 そういわれるのも、1909年の段階では、朝鮮半島には日本のような国語による近代文学運動はまだ本格的には起きていませんでした。 一方、長らく中華的な世界観、文明観のなかにあり、中華世界の優等生だった朝鮮半島では、文学と言えば、伝統的に漢文によるものでした。 近代化が始まったばかりの時点では、朝鮮語による豊かな文学の伝統に、朝鮮の知識人自身がまだ気づいていなかったからでしょう。 しかし、中華的世界観から、近代西洋的世界観への過渡期にあった開化期の朝鮮半島では、それが非常に見えにくかったのも事実です。 さらに、「文明国=日本」:「未開の国=朝鮮」の図式がかぶさってくると、「あっても、ない、なかった」状態になるのが普通でしょう。 未開の地に「文学」があるわけがないという先入観が、「文学」を語る事すら出来なかったかもしれません。 又、日本が植民地政策の中で、全ての面で日本より劣った国=朝鮮をイメージつけるのに全精力を費やしたのも大きく影響沙汰のも事実でしょう。
それを前提にしてみれば、こんなエピソードもあります。
1871年に、アメリカから熊本洋学校の教師として招かれたL.L.ジェーンズという人物がいました。彼は「長い封建時代の停滞の直後」の熊本に、「何よりも啓蒙への使命感」を胸に抱いてやって来たとされています。その彼が、日本語と日本文化について、こんな言葉を残しています。 「その当時の日本語の印象は非常に形式的で、それによって西洋文明を伝えることは非常に困難であるように思われた。…(中略)…。」 この言語の中に、朝鮮半島の話と同じような事を日本文化にも言えると思います。二千年の歴史を誇る日本文化を語るのに、一冊の聖書の様に、短絡的に比較して物事を語るなんてのは無理な話です。 嫌韓論者が偏った嫌韓本で朝鮮半島の全てを知ったかの様に錯覚したり、李朝末期の朝鮮半島を歩いた西洋人が書いた本をもって国の後進性を述べるのと何ら代わらない視点だといえるでしょう。 封建制が長くつづいた日本の土壌に深くしみついているのは、忠義を重んじる赤穂浪士の物語でしょうか? 『源氏物語』も、私流で見れば、情欲の話を抜きにして、詩とユーモアを語ってる箇所は、どこを見てもありません。 公無渡河歌と言う韓国古典の詩(漢詩)があります。 現代文にすれば 公無渡河 あなた 河を渡らないで 公竟渡河 なのに ついに河に身を投じて 堕河而死 流れにのまれ 死んでしまった 公将奈河 ああ どうしたらいいの あなたはいってしまった。 この詩は、リ チェによれば、韓国の高校の国語の教科書に収められている古朝鮮の詩。(原文は漢詩の形式です)それを彼女は韓国語に置き換えて、曲をつけて歌ってみせた、実に美しい響きの韓国語です。 今の日本で若い女性アーティストが、国語教科書に載っているような古代の詩を歌ってみせるなんて、あまり聞いたことのない話ですが、リ チェのこの試みは、韓国では実に芸術性豊かな試みとして受け取られました。 そこには、韓国と日本の間にある詩に対する意識の違いがあるかも知れません。
韓国は詩の国、そして文人の国。文学者が集める敬意は、日本の比ではありません。それは、「文」を尊ぶ儒教の伝統があってこそのものです。
さらに付け加えるならば、軍事独裁政権のもとでの長きにわたる民主化闘争の間、詩は闘う民衆の声を代弁する文学的営為でもあったのです。
江戸時代、日本を訪れた朝鮮通信使一行が、日本の文人のほとんどが漢文をまともに書けないことに驚き、日本を文化後進国と認識したのも、当時の朝鮮の文人の世界観からすれば、当然のことでした。 朝鮮の開化期、その世界観が音を立てて崩れ落ちていった。日本が力ずくで鎖国状態の朝鮮の門戸をこじ開け、西洋近代が押し寄せてきたこの時代、西洋の知識は「力」であることを朝鮮の人々は思い知らされたのです。西洋からもたらされた近代国民国家観は、「民族」の言葉としての「国語」という概念も朝鮮にもたらしました。朝鮮が中華の世界観の外に引きずり出された時、礼楽は洋楽に取って代わられ、公の文字はハングル(あるいは漢字との混用)に変わり、そして、西洋近代との出会いが日本に言文一致運動をもたらしたように、朝鮮でも言文一致への動きが始まるのです。 朝鮮に押し寄せる日本と西洋列強。それに続く日本による植民地化は、朝鮮に民族意識と国に対する強い思いと、それに裏打ちされた“国語”としての民族の言葉という観念を大きく育て上げます。しかし、それは、植民地という状況のもと、最初から否定される運命を背負っていたのでした。
開化期、外圧によって世界観の転換を強いられた歴史を背景に出発した、民族の言葉朝鮮語とハングルによる韓国の近代文学は、日本を窓口として西洋文学のさまざまな潮流を受け入れ、学びつつ、形作られていきます。
当時、朝鮮からだけでなく、多くの留学生が西洋文明のアジアの窓口である東京を目指しました。たとえば、1905〜1906年には、約8千人の中国人留学生が日本にいました。同時期、欧米に向かった中国人留学生はその10分の一の800名ほど。同じアジアで、距離的にも感覚的にも近く、西洋の言語よりも漢字を含んだ日本語のほうが学びやすく、日本語約されている数多くの西洋の書籍を通して容易に新知識を得られることが、日本留学のメリットだと、当時の中国人知識人は書いています。それは向学心に燃える朝鮮の青年たちにも当てはまることです。 当時の島崎藤村の「新しき言葉はすなわち新しき生涯なり」。と記しています。 1905年には、日本では有名な、上田敏の訳詩集「海潮音」によって、初めてフランスの詩が日本に紹介されています。この時期、朝鮮から留学して来た青年が朝鮮語による文学運動に目覚めたのは当たり前の事だといえでしょう。 植民地朝鮮に産声をあげた朝鮮語による近代文学。それは常に植民地政府が検閲によってはめる厳しい枠との葛藤と闘いを抱え込んでいたのです。いわば、朝鮮の青年たちの感情の解放は、解放されていない民族の悲哀とともにあったといえるでしょう。 最後に、韓国の有名な詩人 キム・オク(金億)は大学留学時代に、反日の詩人、ハン・ヨンウン(韓龍雲)も、半年間の日本留学時に多くの影響を受けたとされています。 先日、韓国の文学はどこからきたのか 白帝社 李 在銑 著
詩で学ぶ朝鮮の心 青丘文化社 大村益夫 著 を読んで、自分の浅い知識をかみ合わせて、週末の時間に書いてましたま。面白くない?内容ですが、文学的な視野でとらえず、その時代と社会とを映し出してみて、自分なりに、今まで見えなかったり、中途半端にしか知らなかった個々の問題が、一つにつながった様にも思えて載せて見ました。 |
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日本語はRAPに むいていないと感じます。
2006/11/27(月) 午後 8:40 [ neo*swa* ]
今回は、皮肉と思わないで、、、resしますね。私もそう思います。言葉数からして、韓国語は英語のRAPとの相性が合うと思います。(原語でいつも聞いて感じてます。)日本語は言葉数が多いかも?助詞が無くても韓国語は十分、体を成すと思います。
2006/11/27(月) 午後 9:06
来週、ジュンク堂の池袋店で李箱(イ・サン)に関する対談が開かれるので聴きに行きます。ダダイズム・モダニズム系の詩人です。私は知らなかったのですが韓国では人気がある詩人のようですね。生き方が映画化されたり「錦紅よ錦紅よKeum-Hong, Keum-Hong금홍아 금홍아 」↓ http://www.seochon.net/korean_movie/movie/kumhonga.htm 「建築無限六面角体の秘密」The Mystery of the Cube 건축무한 육면각체의 비밀 http://www.seochon.net/korean_movie/movie/kentikumugen.htm
2006/11/28(火) 午前 5:34 [ futei ]
現代アーティストの作品にも影響を与えたり↓ http://www.art-yuran.jp/2003/12/post_122.html 「(李箱)東京で死んでいます。その時に看取った人が、同じく日本にいた金素雲だったようです。」三枝寿勝の 「韓国文学を味わう」第 V 章 近代朝鮮の詩人たち↓少しスクロールすると本人の写真と新聞掲載作品の画像があります。 http://www.han-lab.gr.jp/~cham/ajiwau/chap5/chap5.html
2006/11/28(火) 午前 5:35 [ futei ]
詩作の幾つかは以下のサイトでアップされています。ダダイズム・モダニズムの詩です。 鏡 イ・サン(李箱)↓ http://members3.jcom.home.ne.jp/anamnesis/geoul.html 烏瞰図 李箱↓ http://members3.jcom.home.ne.jp/anamnesis/ogamdo/ogamdo.html 東京滞在中に検束され、病気が悪化して出され死去とのこと。 シン・チェホの数少ない翻訳作品の一つが収載されている白水社の書籍に李箱の作品も収載されていたのですが読んでいませんでした。
2006/11/28(火) 午前 5:40 [ futei ]
万葉集をだしているので、日本の詩は定型詩(短歌・俳句)が主流であったことはわかっていると思うのですが、記事内容を読む限り定型詩(短歌・俳句)を詩の概念から除外しているよう読めるのですがどうでしょうか?
2006/11/28(火) 午前 7:12 [ 新聞記事 ]
futeiさん、資料提供、ありがとうございます。ゆっくり観賞させていた代来ます。シン・チェホとのつながりですか・・・
2006/11/28(火) 午前 8:50
近かったら、是非、行ってみたイですね。残念です。
2006/11/28(火) 午前 8:52
近代自由詩について述べています。漢詩を現代詩に代えた記事等の記載もあります。漢詩等について述べていないんで、短歌、俳句にも言及していません。又、するだけの知識も持っていません、ご理解下さい。
2006/11/28(火) 午前 9:44
大変勉強になりました
2006/11/28(火) 午後 5:01
朝鮮を文化後進国と認識したのも、当時の日本の文人の世界観からすれば、当然のことでした。 なんてね
2006/11/28(火) 午後 5:06 [ neo*swa* ]
nayameruhiroshi1さん、ありがとうございました。又、意見をお聞かせ下さい。
2006/11/28(火) 午後 5:23
ねおさん、当然でしょうね。日本と言う国が、当時の朝鮮半島からすれば、経済や文明の発展で見れば自国とは格段に違った国に思えたでしょう。まして、都心部しか留学生の場合行かないかったから、地方のとの格差も見えなかったでしょう。そんな中にあって、支配される側と、する側の両面を見るにつけて、何ともいえない葛藤と自虐の思いが当時の文人からすればあったと推察されます。
2006/11/28(火) 午後 5:27
ありがとうございます。素晴らしい!日本の詩に思いをよせたことが無い私です。ただ、575の短い歌は作ります。心垣閉ざして生きる日本人、あきら。転載します。
2006/12/10(日) 午後 8:52 [ - ]
アジアや中東が中世以降米英に対し遅れを取ったことを書いているいい本を紹介します。読んでみると面白いですよ。記事を見ているとファピーさんには合うかも。。。 http://blogs.yahoo.co.jp/s1consul/44587335.html
2006/12/14(木) 午前 10:05
日本語は、まずは文字通り漢の漢字を取り入れて言葉を書く術を得ました。更に、大陸で疎まれた人々を歓迎して島国の文化を作り上げ、更に遠い海を越えて別の文化が齎されても同じことを続けていました。
やがて太平の世は破て、アメリカの侵略を受けることになりますが、政治は挫けても文化はめげることなく、新しくローマ字と英語を取り込み、日本語の進化も成し遂げました。
ここで、気になる点が一つあります。今度は日本が大陸進出を果たし、朝鮮に新しい文化を伝える側に立ったわけですが、ここで日本人は朝鮮人に仮名でなくハングル(諺文)を発掘して広めたにも関わらず、なぜか日本でハングルは取り入れなかった。あったとしても、対馬の阿比留文字のような謎の古文書のような扱い。基本はローマ字と同じようにすれば、日本語にも十分使用に耐える表音文字なのに。
今からでも遅くない、日本グルを作っても良いと思いますが。
例えば、 http://earthlanguage.org/jhome.htm
2008/1/21(月) 午前 1:19 [ IB ]
“脱・日本式”を目指した完訳『形而上学』
http://www.chosunonline.com/article/20071125000005
為になることも多少入稿していて、こういう風に朝鮮民族の愚かさも宣伝している。
日本語だって勿論庶民が創るものなのに、朝鮮語は学者が造ってやらねばならない…
2008/1/21(月) 午前 1:22 [ IB ]
仲村さん、コメントが遅れて申し訳ありません。転載感謝です。
2008/1/22(火) 午後 11:28
アッパマンさんも、2年遅れのコメントレス、ごめんなさい。
2008/1/22(火) 午後 11:30
ib200574さん、ご意見拝聴しておきます。 ]
2008/1/22(火) 午後 11:31