|
教育塔は大阪城公園の一角に高さ30mの高さで立っています。 連休中にぶらり大阪城を歩いてきました。 朕惟(ちんおも)フニ、我カ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。 我カ臣民、克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心を一(いち)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ教育の淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス。 爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發(けいはつ)シ、徳器(とっき)ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣(ひろ)メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重シ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ。是(かく)ノ如キハ、獨(ひと)リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン。 斯(こ)ノ道ハ、實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スヘキ所、之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラス。朕爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こひねが)フ。 明治二十三年十月三十日 天皇の教育勅語朗読 校長が・・と言われるレリーフ 一応、”校長先生が子供たちに本を精読して聞かせてる姿”とありますが、写真を見れば、天皇が教育勅語を読んでる姿とまったく同じであるのがわかります。 塔には'教育勅語を読んでいる校長先生のレリーフがあって、そこでは、殉職した教職員と学校の教育時間内に不慮の災害により死亡した児童や生徒達の霊と戦時中に植民地で皇民化教育をおこなった先生たちが祀られている。教育版靖国神社の構想からつくられた施設です。 参考:私を教育塔に「合葬」しないで下さいhttp://homepage3.nifty.com/luna-sy/re55.html 教育勅語は明治23年(1890年)に発布された<明治天皇のお言葉>で、国民道徳の絶対基準とされました。翌年には「小学校祝日大祭日儀式規定」が制定され、 学校では「ご真影」http://www.edu.kyushu-u.ac.jp/html/kyokan/shinya/kyouikutou2.htmlと 「教育勅語」がもっとも神聖なものとなったわけです。 特に昭和前期になると、学校行事のたびに奉読していたため、ある程度以上の年齢の人なら、きっと、今でも全文暗記してるはずです。ちなみに妹尾河童の『少年H』には「校長先生が巻物になっている教育勅語を恭しく読む間は、全員頭を下げた姿勢で、三分間ほど絶対に動いてはいけないことになっていた」などと書かれています。
教育勅語は、戦後、当然ながら悪の象徴とされ、1946年に奉読と神格的取り扱いが禁止、1948年には失効確認が決議され、以後は、触れることさえタブーになってしまいました。
10月30日の行われてる教育祭は、戦前戦後を通して教育勅語発布の日に行われています。昔は産業報告会の組織である、帝国教育会がやっていましたが、それをそのまま日教組が受け継いで教育祭をおこなっているのが現状です。式典には、日教組の委員長はもちろんのこと、首相と文科省大臣の代理人が出席しています。 この教育祭が日教組で問題となったのは、なんと80年代に入ってから。 日教組が今も、「教育勅語」記念日を祝っています。組織は巨大化すれば保守になり、体制守護になるという矛盾でもあります。この社会に暮らす一員として知ることを怠らないで欲しいと思い書いてみました。
|
全体表示
[ リスト ]






何も考えず子供の頃大阪城に行ってましたが、こんな塔があったんだ・・・無関心ほど怖いものはないですね・・・お恥ずかしい・・・
2007/5/9(水) 午前 8:04
転載し直します。
2007/5/9(水) 午後 10:13 [ yfq**494 ]
maririnさん、そうですか?意外だな、4.24の時に習わなかったんだ?
2007/5/9(水) 午後 10:17
yfqsx494さん、転載感謝!
2007/5/9(水) 午後 10:17
僕もマリリンさん同様知りませんでした。こんなもんがあったんですねえ。それにしても30メートルってデカすぎ(笑)。日本もソビエトや北朝鮮の馬鹿でかいモニュメントや像を笑えないですねえ。
2007/5/9(水) 午後 11:32
私も知らなかった。小学校や中学校の朝礼に出るのが嫌で1人トイレ等で時間を潰していたり、それを友達に見つかり、同調して出なくなる人達が増え、すると、あまりの不自然さに当然バレてしまい、理不尽に怒られる。しかし、社会科のN先生が「君達は怒られていたけれど、あれは別に怒られるべき事でも無いよなぁ・・・。まあ、長いものには巻かれよ。世知辛いねぇ。はっはっは。」とコメントしていました。大人って・・・。変な思い出を思い出してしまいました。
2007/5/10(木) 午前 1:43 [ hajmo_rakija ]
mig21さん、一度、maririnさんとゆっくり歩いてみて見学してみてください。KGBには内緒にしておきますね。
2007/5/10(木) 午後 11:24
rakijaさん、出来た時代背景等々、いろんな問題があったのは理解できます。この国がすべての事柄においてそれらは清算、もしくは反省されないまま、左右どちらの組織団体、国家、私企業にしても説明がなされないまま、すべての問題を先送りするから、いつも、いつまでも堂々巡りを繰り返すんでしょうね。
2007/5/10(木) 午後 11:27
そう思います。「先送り」が多過ぎるし、組織の自浄能力がかなり低い場合が多いです。ただ、こればかりは一寸どうすれば改善されるのか、皆目検討が付きません。この問題については「私は違う。」以外の台詞が直には思い付きません。うーん。ところで、問題発言!ピー!ピー!壁に耳あり障子に目あり!聞き耳小僧もいたり!ははは!
2007/5/11(金) 午前 1:57 [ hajmo_rakija ]
hajmo_rakijaさん、 昨日、NHK大阪ローカル?クローズアップ現代で”大阪市と同和団体の癒着”の番組をしていました。その中でも大阪市の元助役が「問題の先送り、癒着はあった、否定はできない、同和団体の圧力に対しては”ダンピング”値段交渉がすべてで、”無”は出来なかったと、あたかも他人事の様なコメントを発してました。こんな人間たちが公務員として税金を管理、運用してるんですね。徳川400年の官僚政治が100年以上近代に受け継がれ、21世紀、いつまでこの悪しき慣例は続くんでしょうか?
2007/5/13(日) 午前 0:18
あまり意味あるコメントは出来ませんが、『徳川400年』、その通りだと思います。家康の堕落による統治政策自体はその当時としてはバブル経済のリスクを逸早く叩き潰すのに大貢献したのですが、堕落して中央に集る『中央集権』という日本独特の政治システムが完成。そもそも、鎌倉時代頃から出始める社長はこいつでOKで、実権は副社長が・・・。それもお飾りで実は専務が・・・。頼朝以降、北条や足利、信長・・・。奇妙にも官僚制度の土壌が出易い、2重基準を是認する雰囲気が日本の歴史の節々に見受けられ・・・。
2007/5/13(日) 午前 1:31 [ hajmo_rakija ]
そんな性質の負の部分ばかりが現在の日本をミスリードしている。歴史の考察としては興味深いのですが、最近は興味不快という気が最近はして仕方ありません。オヤジギャグで大変恐縮ですが、現在の政治家はどうも家康を神とでも拝めているのか、日本の堕落性をアメリカ等に学ばれて、専務を影で操るメリケンさんという構図等も見えて来たりして、でも、江戸時代とは違い、お金は吸い取られて日本に還流しない。円高基調で現在の状況であれば、それは好ましいですが、実際は底抜け円安基調での事。(;_;)
2007/5/13(日) 午前 1:32 [ hajmo_rakija ]
1934年9月21日朝、室戸台風が関西地方を襲いました。
秒速60mという強風及び大高潮はあらゆる方面に大惨事を及ぼしました。学校においては始業の前後でもあり多数の木造校舎が倒壊し、教職員25人をはじめ600人を超す子どもたちが亡くなるなどの甚大な被害がありました。
災害直後、大阪の教育界は二度とこのような惨事が起こらないことを願って、子ども、教職員を追悼し、その名を永くとどめるため、記念碑の建設を発議し、帝国教育会が臨時総会において記念塔を建設することを決定しました。
全国の教育関係者はこの呼びかけにこたえ、児童、生徒、教職員、一般有志の方から寄付が寄せられ、大阪城公園に教育塔ができました。
2018/12/8(土) 午後 2:42 [ 地震・雷・火事・津波 ]