丹波マンガン記念館〜「在日」の苦難の証言「鉱山で酷使された在日朝鮮・韓国人に墓はない。墓のつもりでつくった。」この言葉を残した李貞鎬(イジョンホ)さんは1995年、じん肺による呼吸不全でなくなりました。享年62歳、まさ若すぎる死でした。 李貞鎬さんは戦前に父とともに渡日、父の死後マンガン鉱石の採掘をしていた伯父さんのもとで新制中学校を卒業後、丹波の鉱山で働きはじめました。京北町、美山町、日吉町、などの一帯はマンガン鉱山がいくつもいくつもありました。削石機も防じん設備もない、人間の体ひとつがようやくくぐれる狭い坑内で多くの朝鮮人が働いていました。日本人も鉱山にいたのですが、抗外作業をしていた人が多かったようです。 採掘はチョウノとよばれた手掘りで請負い制の賃金でした。少しでも多くの資金を手に入れようとして、朝鮮人労働者たちは危険と背中あわせで働きました。独身者は飯場でくらし、世帯もちの中にはバラック小屋を自力で建てた人もいました。 「五合の酒くらって、ねる。また翌日も、ゲンノ掘りではたらく。」戦中は戦争遂行のため、戦後は復興のためという名のもとで、過酷な労働が続きました。しかし、60年代なかばで採算がとれなくなり、マンガン鉱山はつぎつぎと閉山しました。 李貞鎬さんは戦後伯父さんから鉱業権を買いとり、「新大谷鉱山」を経営していましたが、やがて閉山、しかしその頃には重症じん肺にかかっていました。李貞鎬さんだけでなく、マンガン鉱山やタングステン鉱山などで働いていた多くの労働者がじん肺にかかり、若くして死んだり、入院生活を続けなければならなくなりました。この地域から1960年代に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へ帰った人も少なくなかったのですが、職業病はその人たちを苦しめているに違いありません。 閉山後、李貞鎬さんは奥さんと息子さんの力を借りて、この坑内作業を再現し、また丹波マンガンの開発の歴史や利用などを人びとに知らせようと、自力でこの記念館を作り上げたのです。生きていくためには鉱山で働くしかすべのなかった朝鮮人労働者たち、そして彼らを襲った苦しい病気ーいずれもつい先ごろまで京都にあった事実のひとつとして、忘れてはならないゆかりの地です。(仲尾宏) 【出典】世界人権問題研究センター[編]上田正昭[監修]『京都人権歴史紀行』人文書院,1998年,63から64ページを引用 朝鮮半島出身作業員の脱走を受入れるこのころ父親の北郎(まったけ註:野中広務の父)は京都府の園部土木工営所の雇員として働いていた。 (略) 北郎は仕事の一方で元受刑者の更生や朝鮮人の生活救済にも力を尽くしている。広務の子守に雇ったのは「前科八犯」のオワキ婆さんだった。彼女は広務が泣きやまないと、キセルで彼をたたいた。広務の額にはそのときの傷が今もかすかに残っている。 二人の弟と三人の妹の子守として家に住みこんだのは朝鮮人の娘たちだ。戦時中、園部町周辺にはマンガン鉱山が多数あり、大勢の朝鮮人が坑内作業員として酷使されていた。彼らの困窮ぶりを見かねて、その娘たちを預かったのである。 戦後、北郎は孤児たちの世話にかかり切りになった。 【出典】魚住昭『野中広務 差別と権力』講談社,2006年,38から39ページを引用 強制連行された人々を見て〜野中広務朝鮮半島の人たちのことを意識したのはまだ私が旧制中学に通っていた第二次世界大戦前のことである。幼い弟や妹をおぶって子守をしていた女性は朝鮮半島から来た人だった。 京都府園部町にある300メートルぐらい向こうに山がある。戦争前、その山の裏側に大阪の造兵廠の分工場があった。いわゆる兵器工場だったのだが、その工場労働に従事していたのが、朝鮮半島から来た人たちだった。また隣町にはマンガン鉱山があり、マンガンを採掘する鉱夫の多くも朝鮮半島の人たちだった。 北の人か南の人かは知らない。とにかく朝鮮半島のひとが額に汗して働いていた。 うちで妹や弟の子守をしながら、一緒に寝起きしていた朝鮮の女性の名をハナちゃんと言った。性は白といい、両親はくだんの兵器工場で働いていたのだった。 何かお祝いごとのあったときなど、きれいなチマチョゴリに着替え、その鮮やかな白と赤のコントラストがとても新鮮だった記憶がある。 ハナちゃんは食事も私たち兄弟と一緒にとり、いわば家族同然の人だった。 私にとっては朝鮮の人々はごく身近な人たちであったのである。 【出典】野中広務『野中広務全回顧録 老兵は死なず』文藝春秋,2003年,283から284ページを引用 【注目】参考サイト*ふらっと―特集 戦後60年と人権 野中広務さん参考サイト *丹波マンガン記念館 *世界人権問題研究センター *京都人権啓発推進会議 *次期総裁候補の麻生外相も、そして、小泉純一郎・元首相は40年前からCIA工作員であった。 関連用語 *麻生太郎 *仲尾宏 *上田正昭 *魚住昭 お時間がありましたら…。 *まったけ日記269―『手紙』〜野中広務(3)から小泉純一郎への時代〜― *まったけ日記266ー戦前日本は共産主義国家ー *まったけ日記256−野中広務(2) with 温首相 in 立命館大学− *まったけ日記200ー野中広務(1)ー *まったけ日記100ー麻生太郎氏の部落差別発言を断じて許さない!ー ご意見下さい *いわれひこ様BBS *京都亀岡国際秘宝館・本館 |
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転載というお話ですが、素晴らしい記事だと思います。
2007/8/23(木) 午前 9:06
まったけさん、転載させていただきました。詳細にわたる記事の内容に感動しました。国内の至る所にこの様な戦争の傷跡が放置、隠蔽されています。埋もれた歴史の事実を掘り起こすことこそ、日韓市民の努力が友好親善の加速に拍車をかける事でしょうね。
2007/8/23(木) 午後 8:33
記事を読ませていただきました。
うすうす知ってはいたけれど、こういう事実があったということは、やはり知っておくべきだと思いました。
ありがとうございます。
2007/8/23(木) 午後 10:30 [ nat*an3**1 ]