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GHQ(アメリカ占領軍)衣を借り戦後の保守日本政府が「朝鮮人」を叩くと言う事は、自己勢力を日国民に見せ付け、地に落ちた日本警察の威信を取り戻す意味合いがあった。と言われています。 麻生の祖父、吉田 茂の談話を紹介します。 ある公席で「諸君は、しょっちゅう、敗戦、敗戦と言うけれども、わが日本は今日なお、大英帝国に次ぐ帝国であることを忘れてはならない」と発言しています。 サンフランシスコ平和条約の事前打ち合わせに向かう特使に持たせた書簡には、 「日本に在留する朝鮮人は皆、社会主義思想を持った諸君である。ゆえに、彼らに日本国籍を与えることは日本国政府として断固、これに反対するものである。」という文面の密書を持たせ、これによって戦前から日本で暮らす朝鮮人、中国人、台湾人に対して日本国籍を与えるつもりでいたアメリカが決定を翻す結果となりました。
「不逞鮮人」と「善良分子」
不逞鮮人と通名日露、日清の血なまぐさい戦争を経て、朝鮮を「保護国」という手順の末に、民衆とは無関係な所取引された、「日韓合併」が日本側による陰謀も合い重なり、「日韓併合」にすり代えられたことに対し、その手先となった売国奴の一心会と日本に対する民衆の怒りがこの時を境に起こったと言っても過言ではないと思います。 全土が日本による露骨な収奪の場と化し、朝鮮人と日本人の敵対関係が起こり、これを増加させたのはまぎれもなく、日本政府による朝鮮人の差別政策の始まりでしょう。 1910年以来、朝鮮総府と軍は、弾圧から逃れ、100万人の朝鮮人がシベリヤや満州地方に逃れ、その大部分は独立運動を支えるかその闘士となりました。 全満州に広がった朝鮮人と、満州地区での日本による土地収奪で家を離れた中国人に対し、日本側は「匪賊」、朝鮮人を「不逞鮮人」と呼んで討伐を繰り返します。 植民地政策の教育不在「教育弾圧」に政策でこの時期に日本にも多くの朝鮮人が渡ってきます。 これが本来の「日本在住の朝鮮人」の始まりとも言われています。 当時の政府の記録を見れば1920年(大正9年)の在住朝鮮人の数は4万人と記録されていますが、1926年(昭和元年)には20万人を越し、1930年(昭和5年)には42万人に達しています。 当初、日本に留学してきた朝鮮人は地主(両班)階層の指定が大部分で、留学生や労働者は「国権回復」を胸に、当時の風潮としては日本人とは必要以上は近づかない。日本語は話さない。そして日本人と親しく関わる人間には「親日スパイ」として制裁を加えたと記録されています。 彼らが日本官憲の厳しい監視と露骨な安差別政策を感じて「アカ」にかぶれたん者多かったとされるのは当然かもしれません。日本政府はその時、 「国権」の回復を願う朝鮮人を「不逞鮮人」、 親日の朝鮮人を「善良分子」と色分けしました。 それこそ、今の私の様な人間は当時だったら間違いなく、「不逞朝鮮人」でしょう。 当時の官憲の監視がいかに厳しかったかは、1910年に日本に渡ったハンギョンサン氏が語った記録あります。 「日本警察内鮮課の監視下で。生きることは生易しいことではなかった。(中略)人間として生きんがため文化を論じたり、人権擁護を叫んだり、民族独立の如き根本問題に、一寸でも触れることは、すぐ残酷な報復の仕打ちと、暗い陰影がつきまとった・・・。今日のように安易な気持ちで大手をふって宣伝活動が出来るのとは事情が違っていた。(中略)。祖国を無くし天涯孤独同様に流民の身の上となった在日同胞に、何の人権保障があただろうか。無双の悪法「治安警察法」、内鮮係りの監視の目を背中に感じながら、46時中、生活はスパイされ、社会活動は制約され、疫病神に取り付かれたみたいだった。」(在日韓民族運動史) この逆で従順に「親日分子」は「善良分子」として住居、職場の保護加えるかのようにみせかけ、国権回復の意志を放棄させ「新附の日本人」としてつくりあげたのです。 【ここで見えてくるのは今日の行政と同じ外国人政策で、同国人同士の分断をはかる政策でしょう。】 そうして官憲は「不逞鮮人」を追いかけ、日本社会での「日本国民の仮想敵」を作り上げてゆきます。 当時、(いや、当時から)日本社会は政府や新聞の報道に従順でした。(大本営発表を見れば・・)、 あまりにも「不逞鮮人」の活字が新聞で踊る毎日に併合のシンボルとして日本皇族の一員として日本に連れてこられ永住を余儀なくされた李王垠殿下(朝鮮最後の皇太子)は、毎日新聞を読むのが苦痛だった。と漏らすほどでした。当時から、こうして作り上げられた「不逞鮮人=在日朝鮮人」には住居は貸してもらえず、就職は出来ず、全てが罪人のレッテルでした。仮に彼らを親切にしたりすれば、その日本人にも「アカ」のレッテルを貼るのが官憲の常套手段でした。(昭和特高警察調書本にその実態の全てが書かれています。) こんな中で、日本人として暮らさなければ、家族を守らなければ、日本人としてごまかして、就職しないと暮らせなかった日本の社会でした。 関東大震災で朝鮮人や社会主義者の大量虐殺が官憲の関与も含め、庶民をその虐殺に駆り立てたのは十数年に及ぶこれら不逞鮮人の悪像を作り上げた結果でもあります。 それ以降は、なおさら関東地区では表札に日本名を掲げたり、通名で社会生活を送ったのは当たりまで、その子孫もそのまま通名で社会生活を送る結果となったのはしごく当然の結果だといえるでしょう。 最後に、その官憲の「不逞鮮人」=悪人像の捏造にかかわったトップの発言を書いておきます。 民族や国境を越えて、数十年前とはいえ、こんな人間が政府のトップに君臨したと思うだけで怒りを覚えると同時に「人間」が、この様な残虐な考えに走る先入観、教育の恐怖すら覚えてなりません。 1941年(昭和16年)6月、ナチスドイツがソ連侵攻を開始し、当局が治安思想関係を含めて「朝鮮人」に対する治安対策に躍起となっていた時期、司法大臣・柳川平助(陸軍中将)が官邸記者に漏らしたオフレコです。 「戦時下の治安対策は完璧だ。また共産主義に同調する輩と不良外人がいるが、それも一網打尽にできるだろう。問題なのは、欧米かぶれの自由主義者と不良外人だが、特に不逞鮮人だ。支那人は天道主義で諦めが早いし、インド人は来世の極楽浄土を夢見て温情だ。問題は不逞鮮人だ。朝鮮人は表面上、服従してるように装いながら、内面では抵抗してる・・・・」と切り出した。 時に「ゾルゲ事件」で国際スパイ検挙があった時期でもありました。 記者が「それじゃ、その不逞鮮人の対策は?」尋ねると、それに対する柳川大臣の発言は、 「私はヒトラー総統のユダヤ人に対する政策と同じように、不逞鮮人をことごとく、どこかの島に隔離して、みな去勢手術をしてしまった方がよいと思ってる。そうすれば不逞鮮人は居なくなるし、これからも出なくなるだろう。これから大東亜十億の民を統治して行かねばならない皇国日本が、たかが二千万そこそこの朝鮮人を甘やかす必要はないじゃないか・それで、わしはわ、まず朝鮮人の思想犯を一人残らず去勢してしまうのが一番宜しいと思っている。ヒトラー総統はすでにユダヤ人の去勢を実行してるというじゃないか。西では独伊の両民族が。東ではわがやまと民族が他民族を統治することは天の定めでもあるのです。 これが当時の司法大臣の発言です。 長くなりましたが、このようにして不逞鮮人のレッテルを貼り、その迫害から逃れようとしたのが、創氏改名前夜の社会情勢で、それが創始改名以降、より一層加速されたのはお解かりだと思います。 そうして朝鮮総督府が政令で決めた「創始改名」以前から一部の親日派を除いて、大部分の日本在留の朝鮮人が「通名」を使い分けなければ生きて行けなかった実情をこの場に記したいと思います。 戦後の今日でも「Wスタンス、巧妙に使い分けて暮らす」とか、通名を使い分ける在日をパッシングする人が見受けられますが、100年前に始まった差別政策が社会に定着して温存されて来た事実を無視して、人の上に立たんとする政治家「麻生」は朝鮮人が望んだ事で、創始改名が悪法無かったと凄む姿勢には怒りすら感じる私です。
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歴史と事件サ〜タ
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内緒コメントさん。どうぞ、ご遠慮なく。知識は荷物になりませんね。
2008/9/16(火) 午後 9:47
転載させていただきました。
2008/9/25(木) 午後 5:25 [ - ]
「〜日本国籍を与えるつもりでいたアメリカが決定を翻す結果となりました」
こういう事情で、日本国民に強制的にさせられた方々が、今度は、強制的に日本国籍を選べない、という事態に陥らされたのですか。
ここの事情、どういう経緯かと、ずっと訝しく思っていました。GHQ指導下にあったわけだから、GHQの決定あるいは承諾が必要だった、のですね、それで、レッドパージ燃える米国をひっかけて、差別構造を戦後まで持ち越した、ということですか。
何か資料で見ることができるでしょうか?
2008/10/2(木) 午後 11:38
仲村さん、どうぞ。
2008/10/5(日) 午前 0:38
ウェペケルさん、ご無沙汰しています。何とか復帰しています。その節はお世話になりました。
↑は、吉田茂がアメリカに宛てた吉田茂がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書です。1949年8末〜9月のモノと推測されています。
>朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。
彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。
私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。
その理由は次の通りであります。
(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。
米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。
このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。
朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。
(2)大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。
2008/10/5(日) 午前 0:43
(3)さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。
彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。
戦後の朝鮮人による起訴犯罪事件数は次の通りです
[詳細省略、1948年5月末までで、9万1235名の朝鮮人が犯罪に関与したという数字をあげている]。
さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。
(1)原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。
(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は日本の経済復興に貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。
上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。
敬具 吉田 茂
2008/10/5(日) 午前 0:45
在日外国人―法の壁、心の溝 (岩波新書) 田中 宏 (著)
Winers in Peace MacArther,Yoshida,and POSTWAR Japan 上・下 リチャードB・フィン著 同文書院インターナショナル編
韓国・朝鮮と日本人 若槻泰雄著 原書房
日朝関係の死角 金一勉 ダイヤモンド社編
このあたりが参考になると思います。(少し丁寧に読みなおさないといけませんね。曖昧ですが。すいません。
↑2つ上の<吉田茂がアメリカに宛てた>の部分が重複していました。すいません。
2008/10/5(日) 午後 0:07
その意識が間違っているのです!!
ikashiyasan さん
日本人として、上記の発言は、恥ずかしいです。
小生は、本当の日本人ならば、日本の国を愛しているのならば、
上記の発言を取り消すべきと考えます。
切にお願いいたします。
2009/4/9(木) 午前 3:03 [ イエスちゃん ]
>日本人として、上記の発言は、恥ずかしいです。
「日本人として恥ずかしい。」
そんな事を外国人に言われたくないです。
2009/6/14(日) 午前 9:43 [ 電波民族 ]
掘り起こしました。
再度転載します。
2014/11/2(日) 午後 11:08 [ - ]