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済州西南部に位置した洞窟を上に登る その坑道はどこまで続くか先が見えない巨大な洞窟である。 これこそ太平洋戦争の敗戦直前に日本軍によって建設された地下基地である 済州島で発見される幾多の洞窟はとの時、済州島で何があったかを物語っている 済州島海岸のいたる所で発見される洞窟! それは日本軍が構築した自殺特攻基地だった! 太平洋戦争末期、済州島に作られた 人間魚雷カイテン(回天)と自殺ボート震洋(しんよう)の基地, そして朝天邑ギョレリに作られたがミカゼ飛行場まで 日本軍が済州島で準備していた”最後決戦”の現場を追跡する。 2009年1、1月17日と24日の2回にわたって韓国のKBSTVで放映された ドキュメント番組 「歴史追跡ー済島洞窟陣地の秘密」 翻訳抜粋転載 済州島海岸の所々で発見される多くの洞窟! それらは日本軍が構築した〔自殺特攻基地〕だった! 太平洋戦争末期、済州島でつくられた 人間魚雷(回天)と自殺ボート(震洋)の基地、 そして朝天邑キョレリ(済州島北部)でつくられた神風飛行場基地 日本が済州島で準備していた”最終決戦”の現状を追跡する! 写真=済州島に配置されたモーターボート特攻艇(震洋) 写真=アルトル飛行場跡と神風特攻機ー飛燕 済州島 洞窟陣地の秘密1部(2009年1月17日放送) 大本営作戦名〈決7号作戦=済州島を死守しろ〉 写真=アメリカ公文書館に保管されてる決7号作戦計画と兵力動員書類 日本軍の大陸侵略前線基地となった済州島の真実を明らかにする。日本は何故済州島を最後の拠点に選んだのか? 取材スタッフはモスルポとアルト飛行場をはじめ、島の至る所に残っている日本軍の洞窟陣地に直接足を踏み入れ当時の全容を調べることにした。そして太平洋戦争当時、洞窟陣地建設に動員された住民の証言を聞きとし、太平洋戦争と済州島の関係を明らかにした! 日本軍は何故、済州島にあらゆる兵器と兵力を集中したのか? アメリカ国立文書保管書で探し出した「敗戦前夜、日本軍武装解除の写真と動画を見ると敗戦直前、日本軍は各種砲、戦車、飛行機を含めた9万2千点に及ぶ武器と7万5千の関東軍を急遽済州島に送り込んだ。 大本営は連合軍の本土上陸を8月下旬と判断していた。 沖縄24万の犠牲,第二の沖縄と化した済州島! 沖縄では1945 年 3月米軍上陸後.3ヶ月間地上戦が繰り広げられ住民 9万人を含んだ 24万人が戦死する。 1945年 6月、日本軍は済州島に沖縄と類似の洞窟陣地を建設し、日本本土侵入を遅延する作戦準備を始めた。 45年夏、済州島は日本軍によって第 2の沖繩と化したのである。 1945 年春.米軍の B-29 空襲が頻繁になって戦争の危機が高まると日本軍は済州島住民たちを山に追いやり身を隠す計画を準備しはじめる。第 2の沖繩悲劇が発生することもできる一触即発の状況が近づいていた。結果として、幸いに日本の降参で済州島は最悪の危険から脱する事ができたが、島民の5分の1に及ぶ軍が入り込み、地下基地つくりに動員され、宿舎、食糧の収奪が短期間に行われた状況を考えると済州島が敗戦前後、どのような社会状況であったかは想像できるだろう。 それから3年後に起こる4.3済州事件がこれら、日本軍の駐屯、収奪行為が大きな社会不満の温床となってたのは言わずとしれた事実である。 60年たってはじめて4.3事件の真実究明が始まった済州島でようやくこの日本軍の地下基地建設に事実がひとつづつ明らかにされ始めた。東アジアの楽園、第二の香港と言われ観光地として脚光を浴び、最近では韓流ドラマのオールインや太王四神記の撮影で人気を博している済州島であるが、わづか六十数年前に起こった死者6万とも言われる4.3事件と共に、この小さな島に7万5000に及ぶ関東軍の精鋭部隊が駐屯したという事実は歴史の証人として済州島全体に幾多の戦争の傷跡が残っている。私たちがこの事実を記憶し語り継ぐ事こそが済州が真の”平和の島”として残ることができるのではないだろうか。
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チェジュ島にこんなに関東軍が送り込まれていたとは思いもしませんでした。回天とシンヨウの基地まであったとは。私たちももっとすぐ隣の国のことを知る必要がありますね。
2009/5/23(土) 午前 5:54
済州島が第二の沖縄に。。。と言う話は、済州島出身の方から聞いたことありますが、ここまでだったとは。
韓日の関係のこの10年の変化は目を見張るものがありますが、わずか60数年前のことですものね。勉強しても仕切れないことばかりですが、少しずつでも。。。
2009/5/23(土) 午前 11:14
みやぎんさん。これだけ大がかりな軍の移動があった歴史の事実すら当の韓国でさえ知らされなかった(歴史研鑽)事実です。「過去を知らない者に明日は無い」この言葉を自分の人生訓と考えています。
2009/5/24(日) 午後 6:51
木村さん。済州島の人々も、それから数年後に起こった4.3事件の苦しみの陰に隠れてしまったこの事実を深く知ろうとしなかったのは仕方ない事だったと思います。日本軍の駐屯が無ければ、7万5千の軍の武装解除がなかったら?皆、タラ、レバですが決してこれらの関連を無視して4.3は語れないと私は思っています。
2009/5/24(日) 午後 6:55