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今日10月8日は私の誕生日です。 そして10月8日は 閔妃(明成皇后)暗殺があった日でもあります。 丁度、MLで半月城さんが投稿した記事がありましたので転載します。 閔妃(明成皇后)暗殺 半月城です。 今日、10月7日は朝鮮王朝の閔妃(ミンビ)が日本公使 三浦悟楼によって殺害された命日にあたります。 先月9月1日、テレビ朝日がテレメンタリー2009で「114年目の氷解」と題して放映しましたので、この事件をご存知の方も多いと思います。 テレビ朝日によれば、この事件は韓国における「反日感情の原点」とされます。 たしかにそうかも知れません。一国の王妃が日本公使館の責任者によって殺されたのですから、しかるべき謝罪がない限り、韓国民の怒りは末永く残ることでしょう。 ちなみに当時は大使館がなかったので、公使館が現在の大使館に相当します。その公使館のトップが殺害したのですから、それは日本政府が殺害したことになります。 もし、日本の皇后が駐日外国公館の責任者によって殺害されたら、その本国に対していかなる感情を持つでしょうか? 今の日本の天皇や皇后は日本国民の象徴とされますが、 閔妃(明成皇后)は、殺害首謀者の三浦悟楼の言によれば「事実上の朝鮮国王」でした(注1)。 それほどの人物を殺したのですから、衝撃的な事件です。当時、朝鮮で領事を務めていた内田定槌は「歴史上 古今未曾有の凶悪事件」として日本政府へ報告したくらいでした。 一世紀前、王族が殺害される事件がいかに重大か、ヨーロッパの例を引くまでもありません。 オーストリアは皇太子が暗殺された報復としてセルビアに宣戦布告し、それが第1次世界大戦につながりました。なぜ、日本は「未曾有の凶悪事件」を引きおこしたのか、韓国の中央日報はこう伝えました。 ―――――――――――――――――――― 【その時の今日】明成皇后殺害は日帝の国家犯罪だった
1895年10月7日未明、訓練隊解散令が下されると、翌日、駐韓公使の三浦梧楼(1847−1926)は
10日に予定されていた日程を繰り上げた。
「ロシア勢力がずけずけと朝鮮半島に侵入する根源は、まさにこの宮廷の女性、閔妃(ミンビ)一人の一顰一笑のためだ。 恐ろしい東亜の禍根が迫っているのも知らずに閔妃は日本の勢力を押し退けようという一心で将来の災いを考えていない。
東亜を救って朝鮮を救うことができる目の前の唯一の方法は閔妃を殺害することにある。
閔妃を殺せ!閔妃を殺せ!これが当時の京城にいた志士らの絶叫だった」。
(中略)
1894年9月15日、平壌城(ピョンヤンソン)戦闘で清国軍を退けた後、日本の為政者らは朝鮮を保護国にしようと野心を抱いた。 朝鮮をのみ込むためにはロシアと米国の同意を得る最上級の外交が必要であり、これを自任したのが明治維新の主役の一人、井上馨だった。
内務大臣を退いて朝鮮公使になることをいとわなかった井上は、翌年4月23日、三国干渉で自分の野望が断たれると危機に陥った。
高宗(コジョン)と王后がロシアを背に日本を押し出そうとすると、窮地に追い込まれた井上は2つの方法を模索した。 一つは王后と手を組んでこの地をロシアと共同支配すること、もう一つはロシアを引き込もうとする王后を殺害した後、目標通り朝鮮を支配下に置くことだった。
約束を破り日本勢力の退潮が明らかになると、三浦は右翼浪人を動員し、10月8日、井上は7月21日、本国政府を説得し、清国から受けた戦争賠償金から300円を無償で与えると約束し、王室の歓心を得た。 しかしこれは詐欺だった。 その時すでに井上と総理大臣・伊藤博文は王后殺害を工作していた。 これを引き受ける下手人に選ばれたのが極右派の退役軍人である三浦であり、推薦人は井上だった。 三浦が赴任して3日目の9月4日、日本政府は寄贈金の話をなかったことにした。 求心点である明成皇后を殺害した。
「私たちの勢力を維持して当初の目的(朝鮮保護国化)を達成するためにこうするしかなかった」。
同月14日、伊藤博文総理大臣に送った三浦の報告書は、この‘天人共怒’する犯罪行為に国家レベルの介入があったことを物語っている。―――――――――――――――――――― 事件後、首謀者の三浦悟楼らは日本へ召還されて裁判に付されましたが、証拠不十分により免訴になりました。そのため、日本による国家犯罪は誰一人罰せられることはありませんでした。 こうした後処理も「反日感情」の原点になったといえます。 その後もこの国家犯罪は解明されることはなく、戦後になってやっと山辺健太郎や朴宗根によって三浦悟楼が首謀者であることが史料から解明されました。 しかし、事件は三浦の「使命感」によるものか、あるいは政府高官が関与していたのかなどについては現在も不明です。 これに最初に照明をあてたのが作家の角田房子でした。 しかし、作家に歴史解明は荷が重すぎるようです。角田はこう記しました。 ―――――――――――――――――――― 日本側で、閔妃暗殺を最も具体的に予測していたのは誰であろうか−。まず井上馨を考えねばならない。公使時代の彼が閔妃にとり入る態度を示したとき、政府顧問官の一部や在留邦人からも強い批判を受け、ある民間人は彼に「むしろ閔妃を消すことを考えるべきだ」と進言した−という噂もある。 井上は三浦着任後もなおしばらくソウルにいた。三浦はすでに閔妃暗殺を決意してはずだが、二人の間で多少ともそれに触れた会話が交わされたのか。また帰国後の井上に、朝鮮にいる誰かが三浦の計画をもらしたか−。 これらをうかがい知ることの出来る資料はなく、私には想像する手がかりもない(注2)。 ―――――――――――――――――――― 角田の研究から十数年たって、韓国の歴史研究者である崔文衡氏が 『明成皇后弑害の真実を明かす』(2001)と題する著書を発刊しました。 これは日本語に翻訳され『閔妃は誰に殺されたのか』(2004)と題して彩流社から発刊されました。 明治の元勲である井上馨を首謀者とする説ですが、残念なことに日本史書の調査が不十分のようです。 それを補ったのが金文子『朝鮮王妃殺害と日本人』で、10年をかけた労作なのですが、王妃殺害の狙いは「電信線」の確保だったと記すなど少々首をかしげたくなります。当時電信線がいかに重要であったのかは理解できるのですが、日露両帝国の朝鮮をめぐる角逐など国際情勢を相対的に軽視するなど、事件を矮小化しすぎるきらいがあるように思えます。 他に、民間で明成皇后殺害の実行犯を多く出した熊本県で「閔妃事件を考える会」が結成され、5年来歴史研究を続け、テレビ朝日にも紹介されました。同会がどのような見解を出すのか、いずれ明らかにされることでしょう。 いずれにしても、日本は日本の国家犯罪をもっと直視すべきではないでしょうか。 韓国の市民団体の太平洋戦争犠牲者遺族会は6日、日本の鳩山由紀夫首相に、 日本の天皇が2010年に訪韓することになった場合は明成皇后暗殺事件(乙未事変)の真相を明らかにし、謝罪すべきだと促す声明を送ったと明らかにしました(注3)。はたして、過去の歴史を直視すると明言した鳩山内閣に閔妃殺害事件への直視を期待できるでしょうか? (注1)金文子『朝鮮王妃殺害と日本人』高文研、2009、p.349。 (注2)角田房子『閔妃暗殺』新潮社、1988、p.348。 (注3)聯合ニュース「明成皇后暗殺究明を、市民団体が鳩山首相あてに声明」 2009.10.6 http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2009/10/06/0400000000AJP2009100600 3800882.HTML CMLより転送
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戦前戦後と、われわれ中国人韓国人が日本人におこなった仕打ちを考えれば、われわれ中国人、韓国人は何も言えないような気がする。
2009/11/1(日) 午後 2:40 [ 平和主義者 ]
この記事を読んで考えさせられました。
最近、当時のロシア主戦派が日露同盟を模索していたにもかかわらず、日本側が握り潰して日露戦争を行なったとの報道がありましたが、この記事を読んでいると、この閔妃殺害も、同様の動機上にあると思えます。
「鳩山政権が」、ではなく、「私たち日本社会が、この事実を明確に謝罪できるのか?朝鮮(いわゆる北朝鮮)との国交正常化ができるのか?また、誰かが握り潰しはしないか?」と、不安が頭をよぎります。
2010/1/26(火) 午前 1:54
亜州さん、コメントありがとうございます。勿論、政治に国際情勢、各国の思惑はあるでしょうが、閔妃殺害、慰安婦問題、強制動因等々、きっちりと解決しなければ「時間が過ぎれば記憶から遠のく」問題ではありません。まずはこの国が「歴史の精算」をどこかでして、次のステップに進むことを願っています。
2010/1/30(土) 午前 9:06