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戦後、日本政府は朝鮮人・台湾人の日本国籍を「サンフランシスコ講和条約締結まで」認めると言っておきながら、1947年5月2日、突然「外国人登録令」を発令して
「当分の間、外国人とみなす」と通告し、我々に対して外国人登録に応じるよう強制しました。
強制した、というのは、
これに違反して登録しなければ「国外に退去強制」できるという項目があったからです。
この外国人登録令が発令された
1947年5月2日がどういう日か?そう、日本国憲法の施行の前日です。
翌日からは、新憲法が施行されるので新たな法律を制定するには国会の議決を経なければなりません。
しかし、5月2日までは天皇の名の下で政府が法律を制定できた。勅令というものです。
この外国人登録令はまさに最後の勅令でした。
新憲法施行の前日にかけこみでこの外国人登録令を制定した理由は明らかです。日本政府が在日朝鮮・台湾人を「外国人とみなす」措置を何がなんでも実行したかったからです。新憲法は国民の基本的人権を重要な柱としていますので、その施行の前日に在日を「外国人」に戻すということは、我々在日に日本国民としての基本的人権を与えたくなかったのです。
別の言い方をすれば、日本国内に朝鮮・中国系の大量の少数民族を誕生させたくなかったのです。
最終的に1952年4月28日、この外国人登録令を手直しした外国人登録法が公布され、
在日朝鮮・台湾人は「日本国籍を離脱した外国人」となりました。
「国籍を奪ってはいけない」という国際法の原則を踏みにじって日本政府が在日朝鮮・台湾人に実施した棄民政策。
これをいまだかつて日本政府は我々在日に謝罪していません。
いかにこの国籍剥奪という行為が非常識なものであったかは、ドイツと比較すれば明らかです。戦後、ドイツは旧ナチスが奪ったユダヤ人に対するドイツ国籍を回復し、ポ−ランドなどのドイツ帝国に編入されていた占領地の人々にも国籍選択権を与えました。
数年前、戦前の強制収容所への収容が人権侵害であったと、日系人に対して謝罪と補償をしたアメリカ政府のように、日本政府も旧植民地出身者に対する人権侵害に対して謝罪と補償を行う義務があるはずです。
テレビや雑誌で言いたい放題の右派評論家は、「日本はアジア諸国に謝罪し過ぎだ」と言うでしょうが、少なくとも我々在日対して日本政府が公式に謝罪と補償をしたことは一度もありません。
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