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【平和憲法を守るのは在日の使命=故 金敬得弁護士の遺言】 在日を見れば日本の今が見える!

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【平和憲法を守るのは在日の使命=友人だった在日弁護士、第一号、故 金敬得氏の遺言です。】
          
      九条を守ろう!と言う今、戦争の悲惨さをもう一度・・・


【転載元=Peace_Community はなゆーさん】

ひどい動画 沖縄戦で死亡した人たちの凄惨な死骸の動画です。

遅かれ早かれ削除されそうな動画なので、早めに観たほうが良いです。

これが戦争の悲惨な現実です。我々は過去に何を習ったんでしょうか?

平和の尊さをもう一度、考えて見たい日です。

        ↓
Battle of Okinawa 1
http://www.youtube.com/watch?v=a7u7zdR8Sbs

1分32秒くらいから、天寿をまっとうできなかった人たちの凄惨な死骸の動画。

もはや人間の形をしていない死体もある。



にも天寿をまっとうできなかった人たちの死体が撮影されている。



                        
イメージ 2←4.3平和公園
イメージ 3
                  


                4.3慰霊塔→イメージ 1
 
제주4.3사건=今日は「済州島4・3事件」59周年記念日です。

PRFにもありますが、祖父がこの事件でゲリラ側司令官として銃殺刑に処せられて我が家で旧暦の1月22日、毎年の様に無念の死を遂げ亡くなられた祖父の法事が行われてすでに57周忌の歳月がたちました。。

済州「4.3事件」とは→東西冷戦下の1948年、済州で起きた武装蜂起事件。
 警察や本土から来た反共組織の横暴に不満を募らせた島民の一部が全域でゲリラ化した。韓半島の南半分だけで1948年5月10日に実施される選挙を「祖国を分断するもの」と反発、4月3日に島内の警察署を一斉に襲撃した。
 軍や警察による鎮圧は1957年ごろまで続き、当時の島民八万人のうち約3万人が虐殺されたといわれる。事件のあおりで多くの島民が日本に逃れた。
 韓国国内ではこれまで長い間、事件を語ることさえタブー視されてきたが、金大中大統領は大統領選前から事件の真相解明と「共産主義者」としてひとくくりにされてきた犠牲者の名誉回復を約束していた。                                   (2000.04.19 民団新聞)

沖縄戦の次に、アメリカ軍が本土より前に朝鮮半島の最南端に位置する済州島に上陸し、前線基地を沖縄と本土を挟んで構築するとの大本営の判断で47,000人の日本軍が朝鮮半島の朝鮮軍と中国に散在していた関東軍の混合部隊が小さな島に集結されました。そして世界一、巨大と思われる(現在、調査中)地下基地(壕)が突貫工事で作られました。結果として、アメリカ軍が上陸しなかったため、島に居た駐留軍が島内において、あらゆる収奪と事件を繰り返したと言われています。(前々回の大阪市選挙に出馬した元大阪城天守閣館長の渡辺氏の弁によれば「朝鮮半島の中でも、最も貧しい生活を強いられていた島で5万弱の日本軍が、終戦前夜どれ程残虐な収奪を島内で繰り広げたか、想像す出来ます。当時、駐留した自分の実兄が今も、その事についてだけは一言も口を開けないで居るのに心が痛みます。」と昨年の夏、述べておられました。
前置きが長くなりましたが、この時、「自分の島は自分たちが守るんだ!」と立ち上がったのが島の自警団の青年達で、この草の根の強固な島の民の連帯が後の4,3時事件に関連して大きな悲劇を生む原因にもなります。この様に朝鮮半島の全ての出来事が日本の植民地と、前後処理のアメリカの反共政策の産物として、朝鮮半島に大きな犠牲をもたらした事実を今、一度考えてみたいと思います。


1948年4月3日の武装蜂起

島民は追いつめられた状況のもとで、白色テロルから身を守るためには自ら立ち上がらざるを得ないと思い詰める、緊迫した雰囲気が漂いはじめます。そして、1948年4月3日、左派勢力に率いられた「武装隊」による、警察署や右翼事務所などへの襲撃が行われます。4月28日には武装隊・金達三(キムダルサム)と済州島出身の兵士を中心とした国防警備隊第9連隊長・金益烈(キムイッリュル)との間で休戦協定「4・28協商」が結ばれますが、警察や右翼青年団が仕掛けた

吾羅里(オラリ)放火事件(この放火事件の第一号が私の本籍地、すなわち本家です。)をきっかけに水泡に帰してしまいます。

この4・3蜂起は、数十人の死者などを出したものの、解放後の南朝鮮各地で繰り広げられていた反米武装闘争と比較して、とりたてて規模が大きいものではありませんでした。

しかし、反共国家成立を急ぐ米軍政は、1948年5月10日に実施された、南朝鮮単独政府樹立のための代議員選挙が、済州島の2選挙区では民衆の抵抗によって、投票率が50%に満たず無効となると、警察、国防警備隊(のちの韓国軍)、右翼の増援部隊を投入し、過酷な鎮圧作戦に乗り出します。


報復と「焦土化作戦」

済州島民衆に対する強硬弾圧の方針は、1948年8月15日に成立した大韓民国政府(李承晩(イスンマン)初代大統領)に引き継がれ、11月には戒厳令が済州島一円に宣布される一方、いわゆる「焦土化作戦」が展開され、島民への無差別な殺戮が繰り広げられていきます。
1948年10月に海岸から5キロ以上離れた地域に居住をしていた人々はすべて海岸地域に疎開をさせ、これに従わない者はゲリラとみなし殺害する方針が立てられます。
1948年11月17日に済州島全域に戒厳令が出され、時を同じくして、「焦土化作戦」と呼ばれる大量殺戮作戦が実行にうつされます。
疎開命令が届かず、中山間の村に残っていたために、村が焼き討ちされ全員が殺害された事件もありました。また疎開したものも無事ではなく、18歳から40歳までの男はみんな殺害されました。女性への陵辱・殺害、子供たちの殺害も起きています。
また、「焦土化作戦」のため村そのものがなくなってしまったところも存在しています。


朝鮮戦争まで続く虐殺

1949年の春には「武装隊」はほぼ壊滅状態となり、大規模な討伐作戦は、ひとまず終わりを告げます。しかし国家権力による島民の虐殺はなおも続きます。
1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発しますが、その直後から国民補導連盟や漢拏山(ハンラサン)に避難した人々が、予備検束され、殺害される事件がしばしば起こりました。また、朝鮮本土の刑務所に収監され、北朝鮮との連携を恐れて虐殺された人もいます。
その後、1953年には対遊撃戦特殊部隊が投入され、ゲリラ残余勢力をほぼ根こそぎにし、翌年の9月21日、漢拏山禁足地域の全面開放が宣布されて、6年6ヶ月に及んだ流血事態は、ようやく幕を下ろすことになりました。

【対岸の『国家の品格』のありように想う】
民主化や、人権を声高に叫ぶ韓国ですが、つい二十数年前までは、200万人とも言われる自国民を(朝鮮戦争以外)の場で、良民虐殺とまで言われる殺戮をしたとさえ言われています。

しかし、韓国、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は、昨年の4月3日のスピーチで、この様に述べていました。
「誇らしい歴史であれ、恥ずかしい歴史であれ、歴史はありのままに伝えるべき」とし「国家権力による誤りは必ず正すべき。」と述べていました。

私の周りの多くの犠牲者家族が「これで、やっと国家に対する”恨”ハンがはれたと。」と号泣してたのが印象的です。

そして2006年4月3日、大韓民国政府は「済州(チェジュ)4,3事件犠牲者・第58周忌の慰霊祭」において国家としての公式な謝罪をしました。

【なぜ書きつづけてきたか、なぜ沈黙してきたか 済州島4.3事件の記憶と文学】金石範・金時鐘
四・三事件という名称は、1948年4月3日の済州島武装蜂起に由来するが、47年3月1日の済州邑で独立運動記念集会後のデモに軍政警察が発砲し、十数名の死傷者を出した日に始まり、54年9月21日漢拏山に布かれた禁足令が加除されるまでの6年間にわたる長期の事件だった。その間に朝鮮戦争が勃発している。
済州島という孤島が、「アカの根城」とみなされ、アメリカ軍の後押しで、韓国警察と、北朝鮮から南下した反共グループによって、壊滅的弾圧を受け、始めは島民の支持を受けて、優勢だった抵抗勢力が次第に追い詰められ、ほとんどが虐殺されるばかりか、一般の村人たちも、協力者として集団処刑されるという悲劇が、長期間継続した裏には、米ソの綱引きと、南北分割体勢を前提とした、外交の駆け引き、「反共」を旗印にした大韓民国の国威昂揚としてのデモンストレーションの意味もあったようだ。
この事件に限らず、朝鮮半島の戦後の混乱のすべてが、日本の植民地支配の影響/遺恨/悪縁を引きずっていることはいうまでもない。在日問題ももちろんその延長縁上にある。

本書の編集に関った唯一の日本人関正則の編集後記の一部

日本の植民地支配と米ソの冷戦に身を引き裂かれ、終にいずれの国家にも帰属することなく、統一朝鮮に祖国を幻視しつつ、「日本語」ぶんがくにディアスポラとしての自らの歴史と思想を構成した二人の文学者。その対談の中で通奏低音のように響いているのは、こうした逆説と不条理に身をねじるように搾り出される、「不在」と、「在日」「離脱」と「残留」とのねじれた意味の問いかもしれない。植民地支配から「解放」されたはずの人びとが、なぜ解放された祖国で生きることができず、植民者の国家で、しかも再び差別の下に生き延びなければならなかったのか。植民地を解放したはずの「解放軍」は、なぜ植民地支配の同盟者と結託し、解放された人びとを殺戮したのか。戦後の「ねじれ」をいうならば、日本の戦後の内部ではなく、まさにこうした朝鮮半島と日本列島のはざまにこそ、それは指摘されるべきだったのではないだろうか。

在日朝鮮/韓国人の本音の代弁?

金時鐘  四・三事件というのは、アメリカのいう正義とか自由とかの本質を明かす歴史的事件でもあるんですよね。第二次世界大戦以後のね、米ソの二大超大国が角突き合わせる中で、アメリカ軍と民衆の側がね。限られた地域で衝突したのは済州島しかないんですよね。それもひと月やふた月のことじゃなくて、実質二年近くもかけてね。これはもうそのまま、アメリカの戦後政策というのかな、うちの国をめぐっての戦後処理、これは日本も含まれますが、「反共」という「大儀」のためには手段を選ばないアメリカの、残忍な体質をもっとも露呈した事件だとおもいますね。それに日本とのしがらみもアメリカの占領政策とからんで四・三事件をより残酷なものにしている。ぼくたちは当然、帝国主義日本の植民地統治から解放された戦勝国に準ずる国民であったにもかかわらず、国を分割されたり、思想信条を規制されたり、拘束されたり閉じ込められたりね。民族受難を強いられたのは戦争犯罪国の日本ではなくて、ぼくたち朝鮮人のほうなんだよな。

金石範  日本語は戦前、鞭と脅迫によって覚えさせられたものだ。それは戦後一旦、否定されたはずのものだった。ところが今度は、日本にやって来て再び日本語を使って詩を書くとなった時、時鐘にとっての日本語の意味は、心理的にもずっとおった人間とは違う要素をもってくるんじゃないかと思う。そこに見えるのが論理性である。私の言う論理性というのは、意志の力だ。時鐘の詩は意志だ。意志は必ず論理性を持っている。構想的な力です。

金時鐘  ぼくは、在日の関係では自分が主人公になってはならないんです。たとえウリマル(母国語)の蓄えが浅かろうと、日本で生まれ育った朝鮮人たちが、在日を生きる主人公ですよ。「在日を生きる」というのは、そういうことを言っているんだ。あれはぼくが言い出した言葉です。
そうして自分の言葉とは何かを必死で考えるようになりました。ぼくは「在日朝鮮人語としての日本語」というい言い方をしています。在日の古い世代の使っているのは「日本語」ではないんです。「在日朝鮮人語」としての日本語なんです。そういうことが表現の世界で復権できれば、という思いを「在日を生きる」中で考えたりしてきている。それで世に受けない生活ばかりやってきているわけです。

沖縄と同じく、本土の戦争の犠牲、そしてリゾート地とされるチェジュ島、ドラマ「オーリン」でも有名です。そんなパラダイスの島にも、日本→アメリカ、そして間接的ではあれソ連の陰が深く関与した血塗られた歴史があったことを語り次いで・・・

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