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明日12月8日から、見逃せないドキュメンタリー映画が全国で上映されます。
音楽、芸能のみならず反戦平和活動に今なお大きな影響力を与え続けているジョン・レノン、オノ・ヨーコと、アメリカ政府との戦いをとらえた
「アメリカ対・ジョン・レノン」
http://www.peacebed-johnlennon.com/
二人を追いかけ回すマスコミを利用して、反戦平和のメッセージを世界中に発信しようとした、アムステルダムの「ベッド・イン」(オノ・ヨーコの「ヒットラーを愛するのよ!」という台詞が最高!)や、War is over(戦争は終わった)のポスターを世界中の街角に貼ったプロジェクトなどの映像が収録されています。
1960年代後半、ビートルズのメンバーとしてこの上ない富と名声を手にしてセレブとなったジョン・レノンは、しかし、不満を募らせていました。殺人的なスケジュール、24時間追い駆け回すマスコミにファン、コンサート会場とホテルの往復に苛立ちを感じていました。そしてアイドル・ロックバンドのメンバーであったために、社会的なメッセージを込めた歌を歌えない現実に幻滅していました。ビートルズの成功を素直に喜ぶポール・マッカートニーと対立した彼は、オノ・ヨーコと出会い、ビートルズを脱退しました。
ビートルズを解散させた、と轟々たる非難と中傷を浴びながら、二人はベトナム反戦運動に参加し、反戦のメッセージを込めた歌を世界中に発信しました。当然それはニクソン大統領を始め、アメリカ政府や右翼勢力の反感を買いました。
反共主義者でマフィアに弱みを握られていた(同性愛と女装趣味)エドガー・フーバーFBI長官は、特別チームを編成して二人を執拗に監視させました。レノンはアメリカ政府から居住許可を取り消され、国外追放処分を受けました。レノンは裁判闘争を行いました。その裁判の名前は「アメリカ対ジョン・レノン」でした。この間にも二人は反戦運動に参加し、多くの名曲を発表しました。また何度も来日しました。
裁判はレノンの勝利に終わり、グリーンカード(永住権)を取得しました。混迷する反戦運動から身を引いた彼は、あこがれのニューヨークに居を構え、誕生したばかりの息子ショーンを自分が育て、ヨーコが働くというハウスハズバンド生活を始めました。しかし、その穏やかな生活を銃弾が打ち砕きました。
彼の死からもう27年が経ちました。
レノンとヨーコが発したメッセージはまだ現実のものになっていません。
AML転送:福岡 坂井貴司
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