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論争を見かねて? 友人のラキアさんからメールが届きました。 本人の了解をえて載せます。 >ミンスクからコメントします。 近日中に外国に滞在する事について、記事を書こうと思っていましたが、 それはこのメールに変化しましたので、私のブログには何も書きません。 何だかんだと議論する事自体は、まあ、それはそれで面白いのですが、 世相や歴史のような話題では、 『糞味噌一緒に』という前提が大変残念ながら外せません。 極めて無礼な認識ですが、fwapyさんの記事へのコメントを読んでいると、 そういう感想をどうしても抱いてしまいます。 そして、私は参加したい気になりません。 例えば、「もし1人でも理解者がいれば、それで満足」というコメントを目にしましたが、 それは私では不足ですか?1人、発見!お終い♪(^O^)/ fwapyさんの言っている事は第三者的には全く正論です。 「犯罪率が人種毎に云々。警察庁のデータが云々。」 その手の事をピーチクする人を見ると、アホかと思います。 犯罪とは何なのでしょうか? 理不尽でも、何でも、警察が逮捕する権利を行使して、 その事案が立件されれば、後はデスクワークで犯罪が生産される訳です。 そのスキームが歪んでいようと、何だろうと、 一旦、犯罪と印字されれば、犯罪なのです。 「そういう大雑把な笊を、社会という単位の中で使いましょうね」 というのは、別に明文化されていないけれど、 暗黙の了解、もしくは、先に生まれた人達の既得権益によって 勝手に決められているだけで、 そこで生まれてしまった場合、外国にでも逃げない限り、 そのルールを無視して生活するのは至極窮屈です。 (以上は言わずもがな・・・ですが、他から引用が出来ない感想なので、書きました。) そういう認識は、 一寸外国のような違う世界を垣間見て、 実際に少し痛い思いして、 それについて後からあれこれと思案を巡らせると、 自ずと見えて来るものだと思います。 「杓子定規」という言葉が重宝されるのは、 「MADE IN JAPAN」のブランドが担保されていると感じられる事以外には 最近では多分何のメリットも無いのかもしれません。 「杓子定規」のメリットは、 何も考えないでも、 一定方向では望ましい成果が得られる事です。 「杓子定規」のデメリットは、 何も考えないように人達を仕向けるので、 その結果、頭や気持ちの出来の悪い人を沢山作り出してしまう事です。 (ここら辺は過激な表現かもしれませんが、最近の日本などを見ていると当たっている気もします。) それに犯罪率を云々するのであれば、 その社会を構成する人達との絶対比率も見るべきです。 (A)10000人の社会で1人の犯罪者がいる。 (B)10000人の社会で9999人の犯罪者がいる。 この2つ(A)、(B)を比較すると、確かに物凄いインパクトです。 しかし、こういう事例は存在しません。 (A’)10000人の社会で1人の犯罪者がいる。 (B’)10000人の社会で2人の犯罪者がいる。 この2つ(A’)、(B’)を比較すると、 0.01%と0.02%なので、そんなのは偶々の違いで、誤差の範囲内です。 しかし、それも、表現の仕方によっては凄いインパクトを演出出来ます。 【(A’)に比べ、(B’)では2倍もの犯罪者がいる。】(★★★) fwapyさんの記事への感想でピーチクしている人達は (★★★)のような誤差を鬼の首を獲ったかのように自慰的に騒いでいるだけです。 一見の観光客が、外国での生活の薀蓄を未経験者にシタリ顔で垂れたり、 日本のテレビで水戸黄門を見て満足する多くの暇なお年寄りの馬鹿さ加減と大差ありません。 凡そ無意味なものです。 こんなふうに理解してしまうと、 やはり、(★★★)を云々している人達はアホだと結論付けるのが妥当な気がします。 キチンと優先順位を付ける事が出来れば、 当然、自分の周囲にいる人達を先ずは愛そうとします。 そうすると、大多数の人達は何所の国でも良い人達だと気付きます。 そうなれば、(★★★)を云々する事も無いと思います。 こう話すと、fwapyさんは頷くと思います。 他方、こんな事ばかりを言っていると、 他人が近寄り辛い状況を醸し出してしまいます。 事実、私はブログ上ではそういう感じになっています。 それ自体は全くお薦め出来た事ではありませんが。 多分、fwapyさんの気持ちの中には、 「1人じゃなくて、もう一寸の人達に理解してほしい。」 という潜在的願望があるのだと思います。 それ自体は悪い事だとは思わないのですが、 そのために(★★★)と付き合う事を繰り返すのは 私個人の感覚では無意味だと感じてしまいます。 最近の私はブログでも大抵、愛想が無いです。 ツマラナイと感じたコメントは、真っ当そうな人でも削除していたりします。 別に訪問してコメントを貰わなくてもOK。 そういうのを勘違い野郎と思う人がいるのかもしれませんが、 私は私で、精々2〜3人が読んでくれればOKだと思っていますので、 それで本当にOKなのです。 以前も似たような事を心配としてfwapyさんにコメントした気がしますが、 私はfwapyさんは有名人でもないのだし、 別に顔の見えない相手に対してまで頑張らないでもOKな気がします。 ちなみに差別で言えば、 ユダヤ人をビザ発行で助けた Sugiura Chiune (杉浦千畝)で有名なカウナスでは 道端でビール瓶を投げ付けられました。 気違い染みたアホがリトアニア語で何か叫んで、私目掛けて投げ付けたのです。 髪の毛を瓶が掠めたので、まあ危険と言えば危険だったのです。 幸い外れたので、どうって事も無かったのですが・・・。 誤解を恐れずに言えば、 「外国に住むというのは、まあ、そういう事です。」 (fwapyさんが子供の頃はそういう理不尽はあった気がしますが、) そういうのは最近の日本では殆どありません。 (そういう事をする程に日本人は強くありません。精々が集団でのイジメ・リンチです。) 職業差別は場合によって残っているのでしょうが、 私の親しくない高校時代の在日朝鮮人の同級生は 日本企業・帝人(だったと思います)で普通に働いていますので、 昔は凄まじかった職業差別も、今ではそれ程でもないのかもしれません。 ウクライナではロシア人はウクライナ系の企業に殆ど就職出来ません。 ラトビアではビザの無い無国籍のロシア人が40万人もいます。 今現在の話ですが、これらは最早、日本で言う差別ではなく、単なる区別なのかもしれません。 別に下を見れば下がいるとか言いたい訳でもないのですが、 そんな地域でロシア語を話していて感じるのは、 皆さん、それなりに楽しそうに生活しているという事です。 これは日本にいると痛切に感じる事ですが、 「物事に優先順位を付けるトレーニング」が日本では足りない。 何も選択しないでも、何となく目の前に準備されている社会。 多分、これは日本特有です。 ここ、ベラルーシでは、その真逆です。 変な政治指導者の下、非効率な社会での生活を余儀無くされている人達は 何でも自分で掴み取ろうとする事が自然と身に付きます。 その違いを観察しないと、ベラルーシのような国に対して、 普通の日本人は単純に粗野な社会だと感じてしまうかもしれません。 自己完結した屁理屈を捏ねているだけなのかもしれませんが、 こういう発想は知っていた方が物事をバランス良く見るためには必要だと思います。 日本の場合、優先順位を付ける発想に欠けるので、 差別の問題をエンドレスに議論する国民性にも繋がっているのではないか。 そんな風に、他人事のように、感じてしまいます。 fwapyさんは、そういう事にばかり執着しないで、「不義理の楽しみ方」 というか、何というか・・・。 あまり「在日」の話題で頑張り過ぎない方が良いのになぁ・・・。 そう思ったりします。 特に、私個人は既にfwapyさんとは親しくさせて頂いているので、 コミュニケーションのツールとしてのブログはある意味で用済みです。 「大変良い友人と巡り合わせてくれて、どうもありがとう。ブログ!」 私個人はこれでOKです。 もしかすると、これは、日本との係わり合いをある意味でバッサリと切っている私と、 日本で50年以上も「在日」のテーマと重々しく向かい合い続けたfwapyさんとの違いで、 日本と縁が薄くなっている私はサラリと言えてしまう話で、 日本と深く関わって生活するfwapyさんには、中々口に出来ない話なのかもしれません。 そこら辺になると、日本における私はイマイチ感覚的に鈍いので、日本的には慮る事が出来ません。 ご要望の記事を読んでの私の感想はこんな所です。 ラキヤ
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2008年09月26日
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