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非国民入門セミナー そしてみんな非国民になった!? 第6回 9月26日(土)午後5時30分開場、6時開会 東京しごとセンター・セミナー室(5F) 東京都千代田区飯田橋3丁目10番3号 TEL. 03-5211-1571 お話:安里英子さん(沖縄大学・珊瑚舎スコーレ講師) 「凌辱されるいのち――沖縄・尊厳の回復へ」 インタヴューby 前田 朗 参加費:500円 *安里英子さん:那覇市首里生まれ。沖縄大学・珊瑚舎スコーレ非常勤講師。 1998年第2回女性文化賞(高良留美子創設)受賞。『揺れる聖域』(沖縄タ イムス社)、『琉球弧の精神世界』(御茶の水書房)、『ハベルの詩』(御茶ノ 水書房)、『沖縄・共同体の夢』(榕樹書林)、『陵辱されるいのち』(御茶ノ 水書房) 主催:平和力フォーラム 東京都八王子市宇津貫町1556 東京造形大学・前田研究室 TEL042−637−8872 email: maeda@zokei.ac.jp いつのまにか非国民の時代がよみがえってきました。 郵便受けにチラシを入れただけで、いきなり逮捕され2ヶ月以上も拘禁された 立川チラシ事件を考えてみてください。道を歩いていると突然、警察官に呼び止 められて、どこへ行くのか、荷物を見せろと質問責めにされる人も増えています 。 町には情報が溢れ、何でも言えるし、あらゆる情報が入手できる。そんな風に 思っていたはずなのに、実はうかつなことを言うとどこから睨まれているかわか りません。当局に都合の悪い情報はしっかり検閲されています。 自分が健全な国民であることを証明するためには、非国民を摘発し、指弾するの が一番です。周囲に非国民が潜んでいないか。怪しい人間はいないか。思想や行 動の疑わしい者はいないか。テロリストが隠れていないか。非国民を創造/想像 することで、国民を創造/想像する。国民の安全を損なう恐れのある非国民を迅 速に摘発することが国民の証明になります。 国民と非国民という対立軸を据えた社会は次々と非国民を狩り出していく宿命に あります。つねに非国民を叩いておかないと、国民の証明ができないからです。 こうした時代閉塞の状況に立ち向うための智恵を身につけるために、ともに語
り合いませんか。 |
平和反戦 평화반전
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【ノサモの会の追悼文より】
貴方が居た大韓民国は美しく
清らかで幸せでした...
このように見送らなければならないのがあまりに切なく残念です。
貴方は大統領である前に、あまりにも暖かい大韓民国の国民でした
誰よりもこの国を愛し心配してたのに...
より大きくなる自分を自ら低くし、
権威を振りかざさず身近で接してくださり
己が話す前に人の話に耳を傾けてくださった私が愛する前に喜びをくださり 表に出ず、陰で一生懸命がんばられたし 貴方にはいつも感謝し続けていました、昨日もそしてこれからも、いつまでも慕い続けるでしょう どうか...
天国で心穏やかに幸せに過ごされる.....
貴方は私たちにとって一番大きな"贈り物"でした 注: ノサモとは、大韓民国の前大統領で16代大統領、盧武鉉の支持団体の名称ですあ。 ノ=盧 サ=サラン(愛する) モ=モイム(集まり)と言う直訳を頭文字を集めた呼称です。 盧武鉉を支持する勝手連的なインターネットを中心に組織した集団です。 大統領候補ですらなかった2000年に、地域対立解消を掲げながらも国会議員選挙で落選を覚悟で出馬を繰り返した盧武鉉をパポ(馬鹿なノムヒョン)と愛称で呼びながら共感した支持者によって結成された個人支持組織です。これは韓国の政治家として初めてのインターネット上のファンクラブであり、大統領候補の党内予備選でも苦戦を強いられていた盧武鉉を支え続けnetを中心に若者達が支持を拡大するにつれ、ノサモが社会的に認知されるようになりました。 2002年の第16代大統領選挙ではこのノサモによる活動が大きく影響したといわれています。立候補表明していた鄭夢準との候補一本化は世論調査を通じて行われたが、僅差で競り合う鄭夢準との差を決定付けたのはノサモによる市民への呼びかけであったといわれています。また投票日前日に鄭夢準は盧武鉉への支持を撤回したが、そのダメージを撥ね退けたのも、やはりノサモの投票呼びかけでした。 このようにインターネット時代の新しい形の選挙活動として注目された、半透明プラスチック製の豚型貯金箱を市民から募るカンパが数十億ウォンに達し、まさにアメリカのオバマ政権誕生と同じで、無名の新人候補が若者を中心としたノサモの会が原動力となって大統領選挙の一大旋風を引き起こしたといえるでしょう。 インターネットを使う386世代と呼ばれる「実年齢が30代での80年代大学卒業組で 60年代生まれの人々」若い層が構成員の中心であり、対立する陣営から盧武鉉の紅衛兵と手厳しく批判された事もありました。ハンギョレやオーマイニュース等の新興の進歩的マスコミを支持する一方で、朝鮮日報、東亜日報等、盧武鉉と対立する保守系の老舗マスコミに対する不買運動等も展開しており、特に反朝鮮日報運動は構成員の一人が朝鮮日報の印刷工場に放火する事態に及んだこともありました。 ただし、ウェブを用いた支持獲得法自体は対立陣営からも注目を集め、第16代大統領選挙では対立候補の李会昌陣営も「チャンサラン」という同様のコンセプトのウェブサイトを開設した。この流れは後にハンナラ党党首となった朴槿恵の支持団体、「サランヘ」に受け継がれています。
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済州西南部に位置した洞窟を上に登る その坑道はどこまで続くか先が見えない巨大な洞窟である。 これこそ太平洋戦争の敗戦直前に日本軍によって建設された地下基地である 済州島で発見される幾多の洞窟はとの時、済州島で何があったかを物語っている 済州島海岸のいたる所で発見される洞窟! それは日本軍が構築した自殺特攻基地だった! 太平洋戦争末期、済州島に作られた 人間魚雷カイテン(回天)と自殺ボート震洋(しんよう)の基地, そして朝天邑ギョレリに作られたがミカゼ飛行場まで 日本軍が済州島で準備していた”最後決戦”の現場を追跡する。 2009年1、1月17日と24日の2回にわたって韓国のKBSTVで放映された ドキュメント番組 「歴史追跡ー済島洞窟陣地の秘密」 翻訳抜粋転載 済州島海岸の所々で発見される多くの洞窟! それらは日本軍が構築した〔自殺特攻基地〕だった! 太平洋戦争末期、済州島でつくられた 人間魚雷(回天)と自殺ボート(震洋)の基地、 そして朝天邑キョレリ(済州島北部)でつくられた神風飛行場基地 日本が済州島で準備していた”最終決戦”の現状を追跡する! 写真=済州島に配置されたモーターボート特攻艇(震洋) 写真=アルトル飛行場跡と神風特攻機ー飛燕 済州島 洞窟陣地の秘密1部(2009年1月17日放送) 大本営作戦名〈決7号作戦=済州島を死守しろ〉 写真=アメリカ公文書館に保管されてる決7号作戦計画と兵力動員書類 日本軍の大陸侵略前線基地となった済州島の真実を明らかにする。日本は何故済州島を最後の拠点に選んだのか? 取材スタッフはモスルポとアルト飛行場をはじめ、島の至る所に残っている日本軍の洞窟陣地に直接足を踏み入れ当時の全容を調べることにした。そして太平洋戦争当時、洞窟陣地建設に動員された住民の証言を聞きとし、太平洋戦争と済州島の関係を明らかにした! 日本軍は何故、済州島にあらゆる兵器と兵力を集中したのか? アメリカ国立文書保管書で探し出した「敗戦前夜、日本軍武装解除の写真と動画を見ると敗戦直前、日本軍は各種砲、戦車、飛行機を含めた9万2千点に及ぶ武器と7万5千の関東軍を急遽済州島に送り込んだ。 大本営は連合軍の本土上陸を8月下旬と判断していた。 沖縄24万の犠牲,第二の沖縄と化した済州島! 沖縄では1945 年 3月米軍上陸後.3ヶ月間地上戦が繰り広げられ住民 9万人を含んだ 24万人が戦死する。 1945年 6月、日本軍は済州島に沖縄と類似の洞窟陣地を建設し、日本本土侵入を遅延する作戦準備を始めた。 45年夏、済州島は日本軍によって第 2の沖繩と化したのである。 1945 年春.米軍の B-29 空襲が頻繁になって戦争の危機が高まると日本軍は済州島住民たちを山に追いやり身を隠す計画を準備しはじめる。第 2の沖繩悲劇が発生することもできる一触即発の状況が近づいていた。結果として、幸いに日本の降参で済州島は最悪の危険から脱する事ができたが、島民の5分の1に及ぶ軍が入り込み、地下基地つくりに動員され、宿舎、食糧の収奪が短期間に行われた状況を考えると済州島が敗戦前後、どのような社会状況であったかは想像できるだろう。 それから3年後に起こる4.3済州事件がこれら、日本軍の駐屯、収奪行為が大きな社会不満の温床となってたのは言わずとしれた事実である。 60年たってはじめて4.3事件の真実究明が始まった済州島でようやくこの日本軍の地下基地建設に事実がひとつづつ明らかにされ始めた。東アジアの楽園、第二の香港と言われ観光地として脚光を浴び、最近では韓流ドラマのオールインや太王四神記の撮影で人気を博している済州島であるが、わづか六十数年前に起こった死者6万とも言われる4.3事件と共に、この小さな島に7万5000に及ぶ関東軍の精鋭部隊が駐屯したという事実は歴史の証人として済州島全体に幾多の戦争の傷跡が残っている。私たちがこの事実を記憶し語り継ぐ事こそが済州が真の”平和の島”として残ることができるのではないだろうか。
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世界4月号には又、励まされるような記事が載っています。 よく残してくれました。戦時下の命がけの反戦投書 戦時下、庶民のレジスタンス―― 井形正寿です。元特高警察官 今語り継ぐ戦争 59回目の夏http://www.nnn.co.jp/dainichi/kikaku/senso/senso040817.html 「天皇あるため国民がどれだけ迷惑か。我等臣民たるの契約なし」 「海南島ではシナ人を飛行場の工事のために酷使し、秘密厳守のためにこれを射殺している…非人道的な日本の政略は…」 「我々はもう戦争には飽き飽きした…」 「特権階級や軍人ばかり贅沢して一般民にばかり犠牲を払わす貴族政治をやめよ。本当に一億一心を叫ぶなら共産主義を徹底してみんな平等に扱え、大和運動なんてチャンチャラおかしくて物が言えない。民心は政府と反対の方へばかり動いていくぞ」 これは今も当てはまります。 井形さんはこの様なはがき、手紙は数百枚の一部であり、焼却命令出されていたが感動のあまり黙って自宅に持ち帰ってくれたのだ。 東条批判した野津さんは境刑務所で殺されていた! 特高係りになる前「この戦争は泥沼になる。」尾崎行雄が1937年命かけて帝国議会で反軍演説行った号外を見せてくれた町内会長がいて井形さんの心をとらえていた。
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24時間の「ハンガ−ストライキ」を宣言!
表参道の国連大学前ストライキ牛久収容所(茨城県)に強制収容されているビルマ人の難民申請者一同 インドシナ半島での大量のベトナム難民がボートピープルとして世界中に逃避行をしたのをきっかけに国連が動き、「難民条約」を先進国を各国で批准しました。先進国中、一番最後に日本政府が1981年に難民条約を批准、加盟して早26年になります。
しかし、日本政府が国際基準を満たした難民の受け入れを行なっていないどころか、 庇護を求めて来た難民を「不法入国」「不法滞在」者として入管に収容しつづけています。
昨年の難民認定者数はわずか34人です。申請者は954人(一年間)います。 昨年から今年にかけて、日本の各地の入管に130名前後のビルマ難民が収容されています。 軍事政権下で迫害を受けたり、民主化運動をしていたりしていた人たちがほとんどで、 彼らがビルマに送還されれば、誰が考えても命に危険が及ぶのは間違いありません。 |



