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エッセイ 従軍慰安婦 (長文です) 〔2〕     zainichi-メーリングより連載
原文:http://nautilus.rmit.edu.au/forum-reports/0706a-morris-suzuki.html

---訳文〔2〕 
従軍慰安婦:ほんとうのことを言う時(普段使っている普通の意味で)テッサ・モーリス・スズキ
暴力の遺産

米国議会が「従軍慰安婦」問題を審議している間、保守的な日本の議会グループ(ほとんどが自由民主党員)は、政府に河野の謝罪を公的に否認させようと運動している。安部のコメントと密接に共鳴する彼らの主張は、
「従軍慰安婦」が「本人の意思に反する業者の強制連行はあったかもしれないが、郡や官憲による強制連行はなかった」ので、従軍慰安婦にそのような謝罪の必要は全くないということである。 [14]

この否認は、「従軍慰安婦」への正義の要求は、ただ強い偏見と情報が不足しているだけの「日本バッシャー」であるという主張と手に手をとる。例えば、保守的な産経新聞のジャーナリスト古森義久による記事は、米国議会決議案が「前提には慰安婦はすべて日本軍に直接に強制徴用され、河野談話も村山談話も明確な謝罪にはなっていないという決めつけがある」と報告する。[15]

古森は決議案を注意深く読んだように思えない。下院決議案121号は(マイケル・ホンダが提案者、戦時中に米国の捕虜収容所における投獄を経験した日系アメリカ人)、確かに「帝国軍の性的な奴隷制度への若い女性の強制」について言及しているが、どこにも、すべての募集が軍隊によって実行されたと示唆していない。反対に、日本の政府が「帝国軍の性的な隷属を唯一の目的として若い女性の獲得を公式に任命した」と慎重な言葉遣いで述べている。(強調は著者による) 
また、決議案は、「日本政府関係者と一般市民の尽力と同情が1995年の私設のアジア女性基金の設立をもたらした」ことを褒め、1993年の河野談話での謝罪を参照する。しかしながら、政府の謝罪がアジア女性基金の終結をもって終わるという動きに驚きを示し、その文脈で日本政府が「従軍慰安婦」の歴史に関して謝罪を更新し、情報を広めるように呼びかける。決議案の本質は、日本政府が河野の約束を果たすことを提案しているのである。 [16]

米国議会決議案の慎重な言葉遣いと日本が過去に謝罪を認めていることを考えれば、麻生外務大臣がなぜ「事実に基づくものではない」と決議案をしりぞけるのか理解しがたい。しかし、一方で麻生にとっては、事実が厳密に調べられ過ぎないほうが良いのかもしれない。イギリスのジャーナリスト、クリストファー・リードの報告によれば、麻生自身が、麻生炭坑産業複合体の子孫であり関連企業である麻生セメント株式会社の元代表取締役である。(戦時中、吉隅炭坑で少なくとも300人の連合軍捕虜??イギリス系のオランダ人101人、オーストラリア人197人、およびオランダ人3人??を労働させ、同様に、何千人もの朝鮮人強制労働者を雇用した)。 [17]

どのような目的があって安倍と麻生の否認をするのだろう? 米国議会議決案を打ち負かすことが目的でないことは確かである。事実上、彼らの声明は議会案に反対する米国議員を真剣に当惑させた。[18] 米国の決議案121号の反対者の主な戦略は、日本の政府が既に適切に「従軍慰安婦」の受難に陳謝しており、さらにその問題にふれる必要は全くないという主張だった。安部と麻生は、良心の呵責から逃げることで、彼らに最も近い米同盟国の足元をすくうことに成功したのである。

認の政治
慰安婦制度の本質は「強制」だったことに疑問をなげかける安倍は、まぎらわしくも、実際には河野談話を撤回していないと主張する。しかしこのあいまいなごまかしは、安部の批判を裏付けるよりむしろ、なぜ日本の政治家の謝罪が隣国に懐疑的に見られる傾向があるのかという理由を強調した。謝罪は個別的なものであったのであり、また、犠牲者に対して補償を裏付ける制度になったことはなく、歴史的責任が公教育のプログラムになるという意味ではない。だからこそ、河野の談話(たぶん、どんなに善意であっても)は、次に権力の座につくグループによって簡単に改ざんされ、解剖され、解釈しなおされ、その場の状況で言葉をにごされ、または簡単に放棄される。

もちろん安倍には、この問題と関連する前歴がある。 2001年初旬、NHKは女性国際戦犯法廷の最新の結果に関するドキュメンタリーを制作した。番組が放送される数日前に、安倍(当時は内閣副官房長官)はNHKのチーフ・プロデューサーと面会した。彼らはドキュメンタリーの中身について議論し、そして直後に、NHK経営者側によって土壇場で批判のトーンを実質的に弱める変更が番組のプロデューサーに命令された。

4年後、NHKの内部告発者が、安倍晋三が番組の内容を変えさせるために国家のブロードキャスターに直に圧力を加えた(日本の公共放送の規則に違反した介入)と発表し、問題はトップニュースになった。 NHKのスタッフと番組について議論したのを認めた安部は、面会が「政治的圧力」であったことを否定した「狭義の意味での政治的圧力」というべきだろうか?)。この件は政治的論議を引き起こしたが、マスメディアの大部分は内部告発者の信憑性に攻撃を集中させた。

ことの結果、この間違った行いでお仕置きされたのはNHKの内部告発者と事件を伝えた朝日のベテランジャーナリスト、本多勝一である。本多は保守的なメディアにから批判、中傷、皮肉の集中砲火をあび、彼の上司によってシニアレポーターのポストから外された。[19]

その間、安倍は、歴史と記憶に関連する事柄と北朝鮮による日本人拉致問題の両方から熱心な国家主義者としての信任状をうけ総理大臣に任命された。[20]
しかしながら、政権の座について以来安倍は、彼自身よりタカ派の後援者を失望させている。2006年11月に、彼は中国をなだめるようなそぶりをし、長い間両国間の関係を苦しめている歴史問題を研究するために日中共同委員会を設立した。より深刻なのは、北京の六者会談の結果、北朝鮮に対する強硬路線をとる日本の安倍政権が比較的孤立し、拉致問題の解決に路線変更を迫られるかもしれないという予測が起こった。明らかに揺れる政策と主要な社会・経済へ重要な政策的な影響を与えられなかった安倍の個人的な人気は急落した。「従軍慰安婦」問題への彼のコメントは、特に7月に予定されている重要な参議院選挙の地固めとなるもので、日本の右派は信頼回復を熱望しているという文脈の上で見なければならない。

気の滅入る話である。歴史的真実は短絡的な政治的便宜主義の犠牲にされている。今回の犠牲者は第一に、またもや政治家の道徳的に破綻した小事にこだわるレトリックによって侮辱され、正義を否定されている「従軍慰安婦」を生き抜いた彼女たち自身である。しかし、犠牲者のもう片方のグループは日本人自身なのだ。近隣国との関係は政治的指導者の近視眼の、そして、不適切な行動で損なわれている。過去数日間、ニュースを読んで、私は、松井やよりを思い出す。彼女は死のその日まで真実と正義のために勇敢に戦った。そして吉見義明のような歴史家と本多勝一のようなジャーナリストに想いを馳せる。彼らは元「従軍慰安婦」と日本の人々の両方に、間違いなく、より一層の価値がある。
エッセイ 従軍慰安婦 (長文です)        zainichi-メーリングより連載

京都のクンミです。 安部首相の米下院決議(従軍慰安婦に関する決議案)に対するコメントを取り上げたエッセイです。作者はオーストラリア国立大学のテッサ・モーリス・スズキさん。テッサさんの許可を得て、全文を和訳しました。 
長文ですが、興味のある方はぜひお読みください。なお、訳文では注をはぶいていますが、原文で注を確かめることができます。


---訳文〔1〕

従軍慰安婦:ほんとうのことを言う時(普段使っている普通の意味で)テッサ・モーリス・スズキ
2000年8月、ドイツではナチ奴隷労働の何万人もの生存者を補償するために強制労働補償基金が設けられ、51億ユーロの基金が戦時中の奴隷労働の使役にかかわったドイツ政府や企業によって共同で融資され、2005年までには、7万件以上の補償請求が認められている。[1]
日本史の研究者の中には、日本とドイツの戦争責任に対する態度の比較に反対する者もいる。確かに、過去に向き合う「良い」ドイツと、そうでない「悪い」日本と、単純に二分するのは深刻な誤解を生む。歴史的責任へのドイツの態度は、複雑で、分かれている。そのうえ、ドイツの主要な問題はホロコーストへの責任であり、それは、日本の歴史と明確な類似はない。

一方、日本には戦時中の過ちへの責任を取るよう政府を説得するために何十年も戦う、多くの決然とした勇敢な学者、ジャーナリスト、弁護士、および一般市民がいる。困難と、時には落胆をともなう状況のなかでの彼らの努力は称賛に値する。おおやけに日本の歴史的責任の問題を提起すると、多くの場合警察がとりたてて犯罪として扱おうとしない、暴力的な脅しをちらつかせた、口汚いメッセージの集中砲火に直面する。

しかしながら、強制労働の問題では、日本とドイツの違いははっきりと対照的だ。日本も戦時中、鉱山と工場で働くために非常に多くの強制労働者を徴用した。日本の場合では、この強制の特に暗い局面は、いわゆる「慰安所」に収容され、日本軍の手による強姦やその他の性的虐待を受けた女性の強制的な徴用だった。

また、ちょうどドイツに強制労働者を徴用かどうかに論議を必要としないように、「慰安所」が存在したという事実に疑問の余地はない。ドイツ政府は、強制労働の補償を認め、謝罪し、支払いを行ったが、しかしこれまで何人もの著名な日本の政治家たちは、戦時中に徴用された労働と「従軍慰安婦」の双方とも、本質的に強制であったことを認めたがらない。2007年3月の最初の週にトップニュースを飾ったのはこの後者の問題である。
数週間前に、米国下院は日本政府が戦時中の「従軍慰安婦」の虐待を謝罪し正確な公教育を行うよう要求した下院決議案121号に関する審議が始まった。 [2] 
議会がそのような決議案について審議するのは決してはじめてではないが、この議論は特に多くの国際的な注目を集めた。

米国議会決議案に対し、3月1日、安倍晋三首相は「従軍慰安婦」の募集が「狭義の意味の(軍の)強制性は、それを裏付ける証言はなかった」とコメントした。数日後の国会答弁で彼はこの声明を繰り返し、「狭義の意味での強制とは」、明らかな事実として、「官憲が家に押し入って、人さらいのごとく連れて行く」ことがなければならないと述べた。[3] 「従軍慰安婦」の徴用は「広義の意味で」強制的であったと主張することに、安部は明らかに何の問題も感じていない。なぜならば、米国議会決議の結果がどのようなものであれ、彼および彼の政府は謝罪しないと明言したからである。[4] また、麻生太郎外務大臣は米国議会案を「客観的事実に基づいていない」と非難した。[5]

これらの所見を読み私は、ドイツ政府がナチの強制労働に対して「狭義の意味での強制」ではなかったので歴史的な責任はないと主張したら、国際的な反応はどんなものかと想像した。また、もしこの強制労働の積極的に否認するドイツの大臣のひとりが、例えばクルップのような産業界の権力グループの直系の子孫である苗字を持つ大臣だったら、世界はどのように反応するだろうかと、考えた。

「従軍慰安婦」が被らなければならなかった悲運に対する責任の拒否は、もちろん、アジアの隣人やオーストラリを含む地域のパートナーとの関係にとって非常に重要な問題である。オーストラリアの元「従軍慰安婦」ジャン・ラフ・オヘルンは、戦時中の「慰安所」での強姦と虐待の経験に関して直接米国議会で感動的な証言を行った人々の一人である。[6]
 オースオラリアとの緊密な関係を望む安倍の熱意は広く報道されてきており、彼の首相としてのありかたに、日本とオーストラリアの友好関係の新たな局面の始まりをみるものもいる。しかし、日本政府は安倍や麻生のコメントが、韓国や中国だけでなく(特にオーストラリアのような)戦争の記憶が生々しく残っている国々にまで、日本の国際的イメージを損なわせたことを把握できないように思える。北朝鮮によって拉致された日本人の運命は近年の日本で激しい感情を引き起こし、安倍自身も感情を動かされ、
公衆の面前で彼らの苦況に涙を流した。なのに、なぜ安倍や彼の政権にいる人々は、ジャン・ラフ・オルヘンのような人々の体験が同じような感情をオーストラリアや近隣諸国に抱かすと想像できないのか、人は不思議に思う。

強制と従軍慰安婦

「慰安所」の歴史にまつわり多くの混乱と論争があるが、いくつかの明白な事実がある。戦時中、日本軍の軍人が使用するための売春所が、アジアの占領地域全体につくられた。 1932年には最初のものが設置され、その大部分は1937年に中国と全面的戦闘状態になった後につくられた。なかには、民間人が利益を得るために営業したもの、軍の関係者によって運営されたもの多くあったが、その他は直接日本軍によって設立され運営された。元内閣総理大臣の中曾根は海兵隊員が使うためにボルネオ島の「慰安所」建設の予算を許可したことを彼の回顧録でふれている。[7]

これらの場所で働くために徴用された女性の数は定かではなく、予測は2万から40万と大きく異なるが、歴史家吉見義明が慎重な研究を行い、その範囲を5万から20万と狭めている。 (数の議論に関して、Soh.2005を参照) また、徴用の方法と女性が置かれた環境はそれぞれの状況により大きく異なる。以前に売春婦として働いていた日本人女性や、ある意味で「ボランティア」--貧苦や借金、また絶望からの抑圧から「買って出る」ように追い込まれたものもいた。 最も多くは韓国と中国からの女性だった。多くは工場やレストランの仕事の約束につられ、家庭からおびきだされ、異郷の「慰安所」で監禁された。韓国、東南アジアやその他の地域には、銃口を突きつけられ集められた女性もいた。
「慰安所」に連れてこられる前に軍人によって強姦された女性もいた。

多くの人間が―――軍人だけでなく、韓国の植民地警察(もちろん、日本の命令で働く)や民間人ブローカー(それらブローカーは今日人身売買業者によって使われる同じ詐欺の手口を使った)が「従軍慰安婦」の徴用にかかわった。同じように鉱山や工場への強制労働にも、まぎれもない暴力行為や脅迫、また偽の約束など、様々な徴用の手口が使われた。

このことを証拠づけるのは、耐えがたい痛みと乗りこえなければならなかったトラウマにもかかわらず、彼女らの体験を話すために進み出た非常に多くの女性が証言したことにある。また、「慰安所」を使用した元軍人の証言と、そしてそれらを設立するのにかかわった中曽根のような人々の証言もある。多くの書類が戦争の末期に(意図せずに、または故意に)破棄されたにも関わらず、「慰安所」の規則や運営の詳細を記載した書類は、戦場日誌が生き残ったのと同じように、慰安所制度の設立と維持に日本軍の関与を明らかにする。それだけでなく、吉見義明によって掘り起こされたさらなる公文書からも、この事実は確認される。[8]

1991年12月から1993年8月にかけて、日本政府は従軍慰安婦問題の調査を行った。[9] 
調査結果に基づいて、当時の官房長官河野洋平が1993 年8月4日に発表した談話の内容は、

「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」

河野は、つづいて「従軍慰安婦」として「数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を受けたすべての方々」に政府の「心からのお詫びと反省の気持ち」を表明し、以下の約束をした:

「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。」[10]

この談話に従い、1995年に、村山内閣はアジア女性基金の設立を呼びかけ(設立したのではなく)た。アジア女性基金は、何らかの金銭による賠償を生き残った犠牲者に提供するために、一般市民から寄付を集めることを計画した。しかしながら、多くの犠牲者が、補償金を支払うのは日本政府の義務であるという原則に立ち、アジア女性基金からの補償を受け入れることを拒否した。(基金は、その
事業の2007年3月31日の終了ともない、解散すると予想される。)

1996年に、国連人権委員会によって任命された特別報告者は「従軍慰安婦」問題に関する詳細報告を発表した。 結論は明確である:
「特別報告者は、大部分の女性は、自らの意思に反して慰安所に置かれたこと、日本帝国軍は、大規模な慰安所網を設置し、規制し、かつ監督したこと、かつ日本政府は慰安所に責任があることについて完全に確信を得た。これに加えて、日本政府は、国際法上これが示唆するところから発生する責任を取る覚悟をすべきである。」[11]

元「従軍慰安婦」と「慰安所」に訪れた元日本軍人を含むその他からのさらなる証言はアジア女性グループによって2000?2001年に開かれた民間のフォーラム、女性国際戦犯法廷で集められた。
法廷の主な主催者は受賞歴のある日本人ジャーナリスト松井やより(2002年没)であり、提示された証拠はガブリエル・カーク・マクドナルド(ユーゴスラビア戦犯裁判の裁判長)を含む国際法学者らによって評価された。 [12]

要約すると、すべての「従軍慰安婦」が銃口を突きつけられたわけではないが、そうであった者もいた。「サービス」に支払を受けた者もいたが、ほとんどはそうでなかった。すべての「慰安所」が軍の直接管理ではなかった。しかしそれは、膨大な数の女性が、暴力によるか、強制的であったか、または騙されるかして、結果的に彼女らの一生涯に影響を及ぼした恐ろしい性的暴力の犠牲となる状況に連れ込まれたという事実を打ち消すものではない。私は疑う。「数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を受けた」多くの人々が、その傷が、強制が「広い」か「狭い」という言葉の結果であったかどうかを、大いに気にかけたであろうか。

日本のシステムは、この意味ではナチの強制労働のシステムとなんら違いはない。ある専門家の言葉を借りればそのシ
友人のku_dara君の主催する ツアーです。 http://www.up-v.com/ehon.htm
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3月24日 第2回 (3回かも)開催! <大阪の百済を訪ねる自転車巡り>
-主催者:フォーラム・アイ- <費用などについて>

コースはこちらを参考にして下さい。

9:00
9:30
 
天王寺駅に集合(地方の人は、レンタル自転車 1300円)  スタート

天王寺駅 → 百済寺跡(桃谷駅近隣、豊川稲荷境内内)を経由してKBSマダンへ

※このコースは、旧百済郡の領域のうち南側半分の領域を巡るコースです。

<経緯>
2006年9月30日  (第1回)開催
2006年12月16日 (第2回)ファーラム・アイで開催 (地元の方のみ)
2007年1月10日  フォーラム・アイの例会で、 「生野を自転車で巡る」ことが、3月24日に行うことを決ま りました。

11:00

11:15

午前のコース
KBSマダン(現地参加の方は、ここに集合)で合流 こちら
<現地参加の方は、KBSまだんへ自転車をご持参ください。>
スタート

舎利尊勝寺 → 林寺※(百済本通商店街) → 百済貨物駅 → 市場内の回転すしで昼食(注1)
 

14:00
午後のコース

 18:00〜30着

 
スタート
杭全交差点 → 杭全神社 → 百済橋 → 赤留比売命神社(新羅系神社) →

南百済小学校 → 鷹合神社(鷹匠の里)+酒君塚古墳 → 百済大橋 → 

→ 統国寺(旧名:百済古念仏寺※)   

天王寺駅へ戻り(自転車返却)

電車で鶴橋へ、<会食>

※統国寺様には、まだ訪問の許可を得ておらず、時間的にも間に立ち寄り出来ないこともあります。

参加される方は、ku_da_ra@yahoo.co.jp 又は 03-3234-5830 [(株)バージョンアップ 担当:金]までご一報ください。


地方から参加される方は、交通手段は各自自由なのですが、東京からは高速バスを推奨します。

23日(金)の高速バスに乗って、大阪に向かいます。(安い乗車券は、片道4300円からあります。)

23日に現地入りし、23日宿泊する方や24日に宿泊する方と分類されると思います。
ホテルを利用される場合は、ホテル123※1(寺田町駅)(←プレジデントホテルから変更)を推奨します。
雑魚寝でもOKなら、2000円※2で宿泊できます。(お風呂は近くの銭湯となります。)

※1 その他、天王寺駅にもAPAホテルがあるとのことです。23日に宿泊し24日には帰られる方はこちらでもOK.。
   (寺田町駅)を推奨する理由は、天王寺まで一駅であり、“打ち上げ”を「鶴橋から桃谷」界隈ですることになると予想しているからです。いざとなれば歩いても帰れますよ。
※2 鶴橋本通商店街にある「チャングム舎廊房(サランバン)の2F」(鶴橋駅近く、ワンコリアの鄭甲寿氏の奥さんの経営するお店の2Fです。)鶴橋2丁目:06-7893-1187

一番リーズナブルな選択として、東京参加の場合
東京-大阪 高速バス(4700円×2)  9400円
自転車レンタル料              1300円
24日宿泊                 2000円
昼食     1000円位        
会食     3500円位         5000円(昼・夜で)


                      17700円 2万円あれば、OKだと思います。
 
下記のものは、フォーラム・アイのメンバーの方が送ってくれたものです。
このようにご意見をうかがいながら、進めているので、内容が変更されることもありますので、ご了承ください。

■宿泊について。
先日のメールで生野区のプレジデントホテルのことが書かれてましたが、その他↓↓もあります。

●ホテル123(寺田町駅)
http://www.hotel123.co.jp/

※その他、天王寺駅にもAPAホテルがありましたが、先般の偽装問題で今は宿泊不可みたいです。

■昼食について。(注1)
大起水産の回転寿司とのことですが、お昼時は結構人が多く、その後のスケジュールに支障が出るかも知れません。
そこで寿司を買ってから、少し移動し、平野公園で昼食でいかがでしょうか?


●平野公園↓↓
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34%2F37%2F17.456&lon=135%2F33%2F44.93&layer=1&
ac=27126&mode=map&size=s&pointer=on&sc=2

■メンバーの皆さんへ
(このメールは東京・キムさんにも流しています。)

この間金さんから提示の行程表をもとに生野巡りの下見に行こうと思います。

時間的にどれくらいのペースで廻れるか確認してみます。


もし時間に余裕があれば、
フォーラム・アイのお勧め場所も追加できればと考えております。

3月3日(土)13:30〜KBSマダン集合

24日(土)に行けない方、この日だったらOKの方、ご一緒しませんか?

ご参加のほど、どうぞ宜しくお願いいたします。

『フォーラム・アイがIKUNOを知らないなんて、ねぇ。』

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猪甘津猪飼野のキャラクターグッズの販売を始めました!
価格は、680円!
 
韓国伝統茶館
「チャングム舎廊房(サランバン)」
(大阪:鶴橋2丁目、06-7893-1187)

生野コリアタウン内民俗館
「斑家食工房(ぱんがしょくこうぼう)」
(大阪:生野区桃谷4-5-15、06-6718-1100)

真韓流・焼肉レストラン
「空と風と星と(そらとかぜとほしと)」
(東京:渋谷区円山町15-3、03-5459-0730)


 

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歴史解釈について

 日本に於ける近代史感について、昨今、その解釈方法に間違いがある様に感じている。それは、ストイックに資料史観を狭義に当て嵌めているからに他ならない。

近代史に場合、我が国に限らず、多くの資料が残されており、その資料を下に歴史解釈をすることに、何ら問題があるわけではないし、否定するつもりもない。しかし、現代日本に於いてですら、民間企業の場合、重大な案件や歴史的で記念碑的な事業についての資料は、残しているであろうが、その他の詳細な資料については、恐らく10年を区切りに廃棄処分しているのが現実であることを考えれば、万が一社史などの編纂をする場合、その詳細な部分については、その時代を生きた社員や役員などの記憶と傍証の積み重ねで推察して解釈することになろうと思う。

本来、歴史解釈は、古くなればなるほど資料が消失していたり散逸している場合が多い、この少ない資料から、歴史学者たちが当時の社会性や時代背景から推察して、その推論が新資料が見つかるまでの歴史観となる事に疑義はあるまい。

昭和10年当時から終戦までの謂わば、日本が軍国主義と呼ばれた時代の解釈について、鑑みる時、狭義に於ける資料史観を論じる人が増加している様に感じる。

従軍慰安婦の募集に於いて、国家的な関与があったか、あるいは強制的な徴用は起こっていたのか。
南京事件について、軍隊として虐殺行為を命じたのか、あるいは全く捏造的な虚偽であるのか。
日中戦争は、時代の必然であったのか、あるいは日本の暴挙であるのか。
太平洋戦争は、日本の暴走の結果なのか、米国の謀略による必然的な戦いであったのか。

挙げればきりがないが、この全てに於いて、新自由主義史観を標榜する人々は、公文書などの公式な資料がない事で、従軍慰安婦、南京事件は無かったとし、戦争の責任については、時代の必然であり米国の謀略に乗せられた被害者である日本と言う解釈を基本としている。

逆に糾弾派と呼ばれる人々の主張は、従軍慰安婦の強制連行はあったとし、南京虐殺も、その被害者数を除けばあったとし、日中戦争は軍部の暴走を止められなかった暴挙と断じ、太平洋戦争に至っては、その日中戦争を拡大した結果、米国を含める欧州などから孤立したことによる政治的な判断ミスとしている。

無論、歴史と言うものは、須く複雑で双方の主張の様な単純な判断では完全に説明することは不可能であるのだが、これほど、この昭和10年から終戦までの解釈が割れる歴史と言うものは、事、日本史に於いて存在しない。

何故、この様な真っ向から反する解釈が罷り通るのであろうか? そこには資料史観をストイックに採用する新自由主義史観と傍証の積み重ねで、充分に証明できるとする糾弾派の姿が見て取れるのである。

従軍慰安婦の強制連行について鑑みれば、少なくともその制度を設け、管理したのは国家であることは、それこそ公文書から証明されている。問題は強制連行や騙して連行されたと言う事が事実であるのか、あるいは国家関与はなかったが、現場に於いて行き過ぎがあり、ある意味管理責任だけが問われるのか。それとも全く、その様な事実の存在は無く、彼女たちは、その全てに於いて娼婦と言う事を知った上で売られて来たのか。

ここに幾つかの傍証がある。一つは、少なくとも内務省(警察)の正式な免許を持った女衒は、軍管理の
慰安施設で働く慰安婦の募集はしていないと言う事実がある。この従軍慰安婦の募集を行ったのは、陸海軍の発行した女衒の免許を与えられた特殊な者達によって募集された事は、徳島県警記録や、内務省の記録に存在している。さらに当時の法律によると、売買された娼婦は日本領土から出て営業する事が禁止されている。また満18歳以下の女性の売買は厳に禁止されていた。

しかし、軍の慰安所には、この年齢に満たない少女が売られていた事実も、当時の軍医日誌などにも散見している。つまり国内法を変えずに従軍慰安婦についてのみ、外務省は旅券を発行し、その出国を認め、更には、年齢制限については、本国(日本国内)だけを限定的に縮小解釈することで朝鮮半島や台湾に於いては、軍の募集に関して年齢制限を厳格には制限していなかったと考えられる。

つまり、朝鮮半島や台湾については、当時は日本国内であり、日本国内法によって日本国民であったと言う事を、主張する人がいるが、現にこの様な差別的な法解釈が存在していたと言う事を認めねばならない。

また、反日感情が強い韓国人などの場合、その経験者の証言が偏っている可能性を否定できない事を、主張して、それらの証言を否定しているが、現実にオーストラリア人やオランダ人、などの被害証言も少なからず存在していることを、忘れてはならない。彼女たちは、殆ど強制的に拉致され慰安所に送られたと証言している。

また、傍証であるが、多額の前借金をもらっているのだから、当然、綺麗事の仕事ではない事くらい、想定できたと言う主張もまかり通っているが、昭和16年を境に朝鮮半島で募集された慰安婦に対する前借金について、それまでは200円から300円の相場が、玄人や志願して慰安婦になった者を除くと、
30円から50円にまで減額されている事実も彼女たちの実家などから発見されているし、日本に残された数少ない資料にも残されている。

つまり一般労働者の1か月分の給与適度の前借で娼婦として保護者が売り渡したと言う事になる。しかし当時、釜山などの女郎屋に女衒を通して正式に売った場合、当時の記録を見れば200円から500円と言う相場が残されている。つまり女郎として身売りするのであれば、30円しか前借のない軍を頼るより、むしろ民間の女郎として身売りした方が遙かに条件が良いのである。

このことから、彼女たちの証言にある様に、高級将校の身の回りの世話、つまり女中さんとしての年季奉公と言う虚偽の募集であった可能性の方が高いのではないかと判断できるのである。

また、現金でその対価を支払われたのは、昭和16年当時までで、以降は軍票であった。軍票は現金と同様と言うが、国家補償がなく、戦後紙屑同様となっている。少なくとも現金で支払われていれば、日本が負けたと言っても滅んだわけではなく、将来に於いて換金の可能性があったと言えるが、軍票は戦後紙屑と化している。

これらの傍証を積み重ねた場合、その数は少数であった可能性は否定しないが、強制あるいは騙されて連行された少女も少なからず存在していたと判断しても不合理ではない。

南京虐殺についても同様の事が見られる。南京事件が作られた虚偽の歴史であると断じる人の主張の場合、軍隊の上層部は、その事実を知らなかった、あるいは民間人に対する攻撃などを厳に禁止する旨の
命令が通達されていたなどを証拠としている。しかし、糾弾派の場合、ジョンラーベの日記を含めて、当時、この作戦に従軍した兵士や記者の証言から事実としている。

ドイツ人ジョン、ラーベについては、その人物評が二分している為に、その残した記録や日記を否とする意見も多いが、欧米では一級品の歴史資料として通っているのも事実である。また日本人兵士の証言についても、確かに近視眼的な視野の狭い証言である事は否定しないが、少なくとも彼らの目には、虐殺と映った事実が存在していた事まで否定できないであろう。

さらに、南京市内や郊外には多くの難民の集落があり、この集落に制服を脱ぎ捨てた国民党軍の兵士や更衣兵などが混じっていたために、その集落のせん滅を命じたと言う命令書なども残されている。この命令書は、NHKの特番でその存在が明らかとなっている。その集落に対する攻撃に従軍した元兵士の証言では、女子供の区別なく、全滅させたと述べている。つまりこれを虐殺と言わずに何と言うのであろうか?

中国が主張する、その虐殺による犠牲者30万人から60万人は大げさだとしても、少なくとも数万人程度の虐殺を疑わせる事実があったと考えた方が公正であろうと思う。

また、スパイ容疑や更衣兵と疑われた男の場合、殆ど調べもせずに処刑していると言う事実も、元兵士の証言から明らかと言える。この場合疑いだけでの処置である。

つまり、当時の日本軍は、無理に無理を重ねて中国戦争を戦っていたこともあって、甚大な被害による被害妄想がこの暴挙を促したと言えるのではないか。その為に上層部が意図したこととは別に、現場では、ある種のパニック障害に陥った事で、少しでも疑いがあれば有無を言わさずに処刑、あるいは殲滅したと考えても矛盾しないのである。

これも傍証の積み重ねで充分に判断可能と思われる。歴史判断の場合、刑事裁判の様な疑わしきは、罰せずと言う論法では、その判断ができない事が多いのが事実で、民事裁判の様な傍証の積み重ねで充分に推論可能であり、新しい資料が発見されるまで、その推論を是とする事が歴史判断であろう。

また、日中戦争は歴史の必然であったとする理解に対しては、小生は否とする立場である。関東軍は、この戦争は、1年で決着すると論じて始めながら、現実には、昭和16年までの4年間に及んでも、その終結を計画できないと言う体たらくであった。満州立国からの我が国は、自国の国益のみを八紘一宇などのお題目を立てて、白人によるアジア支配からの解放と綺麗事を主張しながら、その根底には、陸軍の強烈なソ連に対する恐怖感がその事実である。

大義名分を重んじた日本軍に於いて、その詭弁が八紘一宇であり、アジア解放であったことは、この計画そのものが明治時代から面々と作戦されていた事実で明らかである。

太平洋戦争についても同様で、日米開戦は、やはり明治時代から、日本の仮想敵国は米国であり、陸海軍とも、米国と戦うを想定して軍を養って来た結果が、安易な宣戦布告となったと言える。

為政者の責任として。戦争を計画するれば、それを終わらせるを想定しておかなければならないのだが、
現実に近衛首相にしても、東条英機にしても終戦を計画せずに戦争を始めている。このことだけでも
国民意に対する裏切り行為と言える。

つまり、軍部の独走を許した政府の在り方も、決して必然ではなく、時代に流された無計画な為政者の姿がそこに存在しているのである。

この全てを反省せずに60年間、東京裁判のみを、その総括にした結果が、新自由主義史観と言う、自己欺瞞の解釈を生んだとも言えるのである。

東京裁判を否定するのであれば、この近代史を総括する必要があるのだが、それらの生き証人は既に
高齢であり、況や責任者であった者などは既に、鬼籍入っているのが事実である。遅き失したと言える。

資料史観を否定しないが、刑事裁判の様な狭義に於ける史観ではなく、傍証と証言による推察を徹底すべきである。

転載元転載元: 公平と言うこと

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 3月10日が近づきました。そこで今日から三回に分けて、東京大空襲のお話をしましょう。去年、わたしのブログに書いたものを、一部修正して掲載します。

 3月10日は東京大空襲の日です

 私の両親は、大正の生まれの下町育ち。父親が大正元年、母親が大正2年ですから、大正も明治に近い時代の生まれですね。関東大震災も、第2次世界大戦も間近で経験した世代です。その、母親から聞いた話です。

 3月10日が命日だと言う人が、東京の下町では一番多いと言うと驚くかもしれませんが、本当の話です。何故なら、昭和20年の3月10日は、東京大空襲があった日なんですよ。たった一晩 ( 日にちが変わった0時過ぎから未明まで ) で、10万人以上の一般人が、焼け死んだ日だったのです。その悲惨さは、母親の一言一言から知ることが出来ました。そんな日が3月10日だと言うことを、みなさんにも知って欲しいのです。

 当時、母親とその兄弟達は、浅草の生まれた家から、知り合いの家に避難していました。3月10日未明、東京大空襲が始まりました。やがてその火が近所まで広がって来たのです。母親とその兄弟達が一緒に逃げ始めたのですが、その火の勢いははげしいもので、逃げまどうほどに兄弟は、2つのグループにはぐれてしまった程でした。

 周りの家が焼け落ちる中、世田谷の瀬田に居る、父親の妹の家を目指していたときの事です。前を子供を背負ったおかあさんが小走りに逃げていました。追いかけるように私の母親たち兄弟も逃げていた目の前で、背負われた子供が燃え上がったのです。火の粉が付いたからでしょうか、子供の背中が燃え上がったのです。そのくらい、激しい火の勢いだったのです。母親達は素手で子供の火を消したそうです。幸いにも、子供は軽いやけどで済んだのですが、子供の母親は信じられない様子で、立ちつくすままだったとのことでした。やがて、母親達は、兄弟とも合流し、世田谷まで無事に逃げて来られたのです。

 この様な惨劇が3月10日に、あったのです。焼夷弾が何万発も落ちた東京の中心部では、どんな具合だったことでしょう。。戦争は悲惨です。何も関係のない、一般の国民が悲しい思いをしなければいけなくなるのです。広島、長崎の原爆も悲惨ですが、東京でもこんな日があったことを忘れないで欲しいと思います。

 そうでないと、いつの日か戦争の悲惨さを忘れ、私たちの子孫達が戦争を始めてしまうかもしれないのです。戦争しても、何もいいことなんか無いぞ。。そんな事を、私たちの子供達に伝えていかないといけないのです。

 今伝えていかないと、本当に忘れ去られてしまいます。

 5年前、東京にすばらしい資料館ができました。東京大空襲・戦災資料センターです。民間の募金を募ってできた資料館です。運営もボランティアです。今年、5周年を迎え、増築されたようです。

 http://www9.ocn.ne.jp/~sensai/
 
 http://www.ne.jp/asahi/k/m/kusyu/kusyusiryocenter/kusyusiryoucenter.htm

 3月10日の東京大空襲。後世に伝えていかなければいけない、重要な歴史です。

転載元転載元: 日本の将来を変えたいので、ブログを始めました。

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