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【新刊】ソン・スンチョル『朝鮮通信使、日本と通じる』(東アジア)
1392年から1811年まで、計28回にわたって日本に派遣された朝鮮通信使を素材にし、韓日関係史を振り返る本です。1748年、対馬が朝鮮通信使の宿泊する地域に送った「朝鮮人が好む食べ物」という文書の内容によれば、 「大体の魚を好むが、塩漬けした魚は好まない。熱い料理を嫌い、ほどよい温かさの料理を好む。鶴、コイ、亀のようなものは、以前と異なり、現在は好む人もいる」と当時の文献を参考に書かれています。 著者は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役、1592‐98年)以降の通信使を接待する費用について、幕府の1年間の予算に匹敵する額だったと指摘し、それは朝鮮通信使が釜山を出発し、再び釜山に戻るまでの往復の費用をすべて日本側が負担したためだと書いています。 こうした多大な出費をしてまでも日本が朝鮮通信使を盛大に接待したのは、幕府の力を誇示し、朝鮮が報復のために日本を侵略する恐れをなくそうとする意図が多分に働いていたためだと推察しています。 著者は「最近冷え込んでいる韓日関係については、≪通信≫というキーワードで振り返りながら、友好交隣が必要な理由を明らかにしようと思い、この本を書いた」と語っっています。 しかし、朝鮮日報の、慎亨浚(シン・ヒョンジュン)記者は下記の様なコメントを伝えています。 「日本に人質として連れていかれた訥祇王の弟・未斯欣を倭国から逃がし、自分は殺された朴堤上(パク・チェサン)や、三韓統一の大業を成し遂げつつも「死んでも倭兵から国を守る」と語り、龍になったという文武王の伝説からも分かるように、倭に対する韓国の伝統的な「観念」がそうたやすくも変わるのだろうか。」
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あらすじ
東京湾晴海埠頭の沖合で男性の死体が発見された。検視で首には紐状のものによる圧迫痕、側頭部には擦過打撲傷群を認めたため、所轄の月島東署は殺人事件の可能性が高いと判断。遺体を医大の法医学教室に回すとともに、捜査本部を設置した。指紋照合の結果、被害者は元警視庁巡査部長でジャーナリスト中川一邦と判明。そして司法解剖での所見も頭蓋内損傷及び頸部圧迫による窒息死、殺人を示唆していた。警視庁捜査一課の楠木宗一郎警部補は、一連の経過に不審を抱き、月島東署刑事・菊山エリカ、大都新聞社社会部記者・新城康之らとともに、極秘で事件の再調査を開始した。調べが進むにつれ、楠木らは中川が命をかけてまで追い続けていた衝撃の事実の断片に遭遇する。 それは日本全国を未曾有の大混乱に陥れる重大な機密だった。 追う者と追われる者が錯綜する中、次第に明らかになっていく事件のどす黒く暗い闇。真相の核心にたどり着ついた楠木たちを待ち受けていたのは……!! 元警視庁巡査部長がリアルに描いた本格警察小説。 著者=「臨界点」を書いた理由 元警視庁巡査部長・黒木昭雄
私が現職だったころ、事件現場の聞き込みに回ると、市民からよくこう言われた。 目の前の事件と過去の交通取り締まりが別物だと知ってはいても、とかく人は腹いせを言いたがる。だが、それが治安悪化の始まりなのだ。 検挙率低下の陰には、少なからずこうした「警察アレルギー」が捜査の障壁になっているといってもいい。警視庁を退職し、ジャーナリストに転身した直後の99年秋、神奈川県警の不祥事を皮切りに国民の怒りに火をつける事件が各地で頻発した。 連日のように繰り返される不祥事報道に押され、とうとう「警察刷新会議」なるものが発足した。しかし、国民が期待した「外部監察制度」は警察庁の激しい抵抗にあって立ち消えになる。現状を見る限り刷新会議によって警察が再生したとは言い難い。 むしろ多くを学んだ分、警察の組織的悪事はより一段と巧妙化したとさえいえる。
警視庁警察職員服務規程の第六条にはこう書かれている。 |
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田中宏『在日外国人−法の壁、心の溝』(岩波新書)1995年 『国境を越える労働者』『外国人労働者新時代』を記事にしたので、この本も。。。(^^)。これも基本文献だと思うが、副題の通り、経済ではなく法的整備や人権闘争の経緯を中心に書かれている。 どこかのブログで、「特別永住許可」など剥奪せよという主張を見かけた。多くの国で「国益」を基準に外国人政策がとられているのは、その是非は別として事実なのだが、歴史的経緯にも踏まえた上で議論して欲しい。やや古いが、今こそ読み返すべき本だと思う。
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朝鮮半島には文学が無かったのか? 詩がマイナーな文学の一ジャンルとしてしか存在しないかのように見える現代日本と比べるなら、韓国 では詩は人々の日常の中にしっかりと根を下ろしたメジャーな文学ジャンルです。先日も、コメントにありましたが、韓国では「小説家」より、「詩人」が社会的なステータスが”上”と言い切っても過言ではありません。 書店に行けば、詩集のコーナーが大きな空間を占め、ベストセラーには必ず詩集が入っています。 「韓国人は文学が好きだけど、ハングルは文学に向いていない」と言う話をよく耳にします。 日本には万葉集以来の文学の伝統があるけれど、朝鮮半島には文学がなかったと言われたりします。 「ハングルによる文学がなかった」という意味に解することができるかもしれません。 そういわれるのも、1909年の段階では、朝鮮半島には日本のような国語による近代文学運動はまだ本格的には起きていませんでした。 一方、長らく中華的な世界観、文明観のなかにあり、中華世界の優等生だった朝鮮半島では、文学と言えば、伝統的に漢文によるものでした。 近代化が始まったばかりの時点では、朝鮮語による豊かな文学の伝統に、朝鮮の知識人自身がまだ気づいていなかったからでしょう。 しかし、中華的世界観から、近代西洋的世界観への過渡期にあった開化期の朝鮮半島では、それが非常に見えにくかったのも事実です。 さらに、「文明国=日本」:「未開の国=朝鮮」の図式がかぶさってくると、「あっても、ない、なかった」状態になるのが普通でしょう。 未開の地に「文学」があるわけがないという先入観が、「文学」を語る事すら出来なかったかもしれません。 又、日本が植民地政策の中で、全ての面で日本より劣った国=朝鮮をイメージつけるのに全精力を費やしたのも大きく影響沙汰のも事実でしょう。
それを前提にしてみれば、こんなエピソードもあります。
1871年に、アメリカから熊本洋学校の教師として招かれたL.L.ジェーンズという人物がいました。彼は「長い封建時代の停滞の直後」の熊本に、「何よりも啓蒙への使命感」を胸に抱いてやって来たとされています。その彼が、日本語と日本文化について、こんな言葉を残しています。 「その当時の日本語の印象は非常に形式的で、それによって西洋文明を伝えることは非常に困難であるように思われた。…(中略)…。」 この言語の中に、朝鮮半島の話と同じような事を日本文化にも言えると思います。二千年の歴史を誇る日本文化を語るのに、一冊の聖書の様に、短絡的に比較して物事を語るなんてのは無理な話です。 嫌韓論者が偏った嫌韓本で朝鮮半島の全てを知ったかの様に錯覚したり、李朝末期の朝鮮半島を歩いた西洋人が書いた本をもって国の後進性を述べるのと何ら代わらない視点だといえるでしょう。 封建制が長くつづいた日本の土壌に深くしみついているのは、忠義を重んじる赤穂浪士の物語でしょうか? 『源氏物語』も、私流で見れば、情欲の話を抜きにして、詩とユーモアを語ってる箇所は、どこを見てもありません。 公無渡河歌と言う韓国古典の詩(漢詩)があります。 現代文にすれば 公無渡河 あなた 河を渡らないで 公竟渡河 なのに ついに河に身を投じて 堕河而死 流れにのまれ 死んでしまった 公将奈河 ああ どうしたらいいの あなたはいってしまった。 この詩は、リ チェによれば、韓国の高校の国語の教科書に収められている古朝鮮の詩。(原文は漢詩の形式です)それを彼女は韓国語に置き換えて、曲をつけて歌ってみせた、実に美しい響きの韓国語です。 今の日本で若い女性アーティストが、国語教科書に載っているような古代の詩を歌ってみせるなんて、あまり聞いたことのない話ですが、リ チェのこの試みは、韓国では実に芸術性豊かな試みとして受け取られました。 そこには、韓国と日本の間にある詩に対する意識の違いがあるかも知れません。
韓国は詩の国、そして文人の国。文学者が集める敬意は、日本の比ではありません。それは、「文」を尊ぶ儒教の伝統があってこそのものです。
さらに付け加えるならば、軍事独裁政権のもとでの長きにわたる民主化闘争の間、詩は闘う民衆の声を代弁する文学的営為でもあったのです。
江戸時代、日本を訪れた朝鮮通信使一行が、日本の文人のほとんどが漢文をまともに書けないことに驚き、日本を文化後進国と認識したのも、当時の朝鮮の文人の世界観からすれば、当然のことでした。 朝鮮の開化期、その世界観が音を立てて崩れ落ちていった。日本が力ずくで鎖国状態の朝鮮の門戸をこじ開け、西洋近代が押し寄せてきたこの時代、西洋の知識は「力」であることを朝鮮の人々は思い知らされたのです。西洋からもたらされた近代国民国家観は、「民族」の言葉としての「国語」という概念も朝鮮にもたらしました。朝鮮が中華の世界観の外に引きずり出された時、礼楽は洋楽に取って代わられ、公の文字はハングル(あるいは漢字との混用)に変わり、そして、西洋近代との出会いが日本に言文一致運動をもたらしたように、朝鮮でも言文一致への動きが始まるのです。 朝鮮に押し寄せる日本と西洋列強。それに続く日本による植民地化は、朝鮮に民族意識と国に対する強い思いと、それに裏打ちされた“国語”としての民族の言葉という観念を大きく育て上げます。しかし、それは、植民地という状況のもと、最初から否定される運命を背負っていたのでした。
開化期、外圧によって世界観の転換を強いられた歴史を背景に出発した、民族の言葉朝鮮語とハングルによる韓国の近代文学は、日本を窓口として西洋文学のさまざまな潮流を受け入れ、学びつつ、形作られていきます。
当時、朝鮮からだけでなく、多くの留学生が西洋文明のアジアの窓口である東京を目指しました。たとえば、1905〜1906年には、約8千人の中国人留学生が日本にいました。同時期、欧米に向かった中国人留学生はその10分の一の800名ほど。同じアジアで、距離的にも感覚的にも近く、西洋の言語よりも漢字を含んだ日本語のほうが学びやすく、日本語約されている数多くの西洋の書籍を通して容易に新知識を得られることが、日本留学のメリットだと、当時の中国人知識人は書いています。それは向学心に燃える朝鮮の青年たちにも当てはまることです。 当時の島崎藤村の「新しき言葉はすなわち新しき生涯なり」。と記しています。 1905年には、日本では有名な、上田敏の訳詩集「海潮音」によって、初めてフランスの詩が日本に紹介されています。この時期、朝鮮から留学して来た青年が朝鮮語による文学運動に目覚めたのは当たり前の事だといえでしょう。 植民地朝鮮に産声をあげた朝鮮語による近代文学。それは常に植民地政府が検閲によってはめる厳しい枠との葛藤と闘いを抱え込んでいたのです。いわば、朝鮮の青年たちの感情の解放は、解放されていない民族の悲哀とともにあったといえるでしょう。 最後に、韓国の有名な詩人 キム・オク(金億)は大学留学時代に、反日の詩人、ハン・ヨンウン(韓龍雲)も、半年間の日本留学時に多くの影響を受けたとされています。 先日、韓国の文学はどこからきたのか 白帝社 李 在銑 著
詩で学ぶ朝鮮の心 青丘文化社 大村益夫 著 を読んで、自分の浅い知識をかみ合わせて、週末の時間に書いてましたま。面白くない?内容ですが、文学的な視野でとらえず、その時代と社会とを映し出してみて、自分なりに、今まで見えなかったり、中途半端にしか知らなかった個々の問題が、一つにつながった様にも思えて載せて見ました。 |
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용사마병(ヨン様病) 症状、原因、方法に分けてまとめ
하루 종일 그 사람을 생각하고 (一日中その人のことを考え) 생각하면 할수록 마음이 아프고 괴롭고 아무것도 못하게 되는 것, (考えれば考えるほど心が痛く苦しく何もできなくなること) 그것은 사랑입니다. (それは恋です) 그런 사랑을 한국 연예인들에게 들이고 있는 일본의 아줌마들. (そんな恋を、韓国のタレントに持っている日本のおばさまたち) 드라마는 다 녹화하고 컵이나 수건, 열쇠고리 등 상품을 다 사고 (ドラマは全て録画し、カップやタオル、キーホルダーなどのグッズを買い) 그 사람이 일본에 오면 자기 가족들이나 중요한 일도 잊어버리고 공항까지 나갑니다. (その人が日本に来れば、自分の家族や重要な用事も忘れて空港まで出向きます) 요즘은 그 일만을 위해서 한국에 오는 사람도 굉장히 많습니다. (最近は、そのことだけのために韓国に来る人も多くいます) 그런데 일본 연예인도 있지만 왜 한국 연예인을 (ところで、日本のタレントもいるのに、どうして韓国のタレントを) 이렇게 진심으로 사랑하는 일본의 아줌마가 많을까요? (こんなに心から愛する日本のおばさまが多いのでしょう) 그건 미소 때문입니다. (それは、微笑みのせいです) 한국 연예인은 일본사람에게 없는 미소를 가지고 있습니다. (韓国のタレントは、日本人にはない微笑みを持っています) 그 미소는 부드럽고 친절하고 무엇보다도 순진해 보입니다. (その微笑は、やわらかく親切で、なによりも素直に見えます) 한편 일본남자들은 표정이 없고 아줌마들에게 친절하지 않습니다. (一方、日本の男性は表情がなくおばさまたちに親切ではありません) 게다가 아줌마의 남편들도 자기 아내에게 이제 관심이 없기 때문에 (それに、おばさまたちの夫たちも自分の妻にもう興味がないため) 아줌마들은 다시 한번 연애를 하고 싶다는 생각을 할 것 같습니다. (おばさまたちは、もう一度恋愛をしたいと思うようです) 그러면 남편이 아내에게 사랑을 주는 것이 (それなら、夫が妻への愛を表現することが) 용사마병을 예방, 치료하는 방법입니다. (ヨン様病を予防、治療する方法です) 남편들은 신혼부부였을 때를 기억하도록 하십시오. (夫は新婚夫婦だった時を思い出してください) 식사할 때마다 감사의 마음을 말로 표현하고 (食事をするたびに、感謝の気持ちを言葉で表現し) 이야기할 때는 좀 웃으면서 아내의 눈을 바라보면 좋습니다. (話すときは、少し笑いながら妻の目を見つめればOK) 그리고 남편들은 자기 옷에도 신경을 쓰고 (そして夫は自分の服にも気を使い) 가끔씩 자기 아내에게 선물을 주면 더 좋습니다. (時々、妻にプレゼントをすればさらによいです) 즉 아내가 ‘우리 남편은 멋있다’ 라는 느낌을 가지는 것이 중요합니다. (つまり、妻が「うちのダンナはかっこいい」と思うことが重要なのです) 今日は家内の誕生日 少し点数稼ぎも兼ねて、今更、と思いつつ、形だけはケーキと花を買って渡しました。 丁度、ブログ仲間の”韓国語宿題”から見つけた詩です。 転載元:韓国人のダーリンと結婚しました。☆
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