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人種主義とたたかい、外国人人権法と人種差別撤廃法の実現をめざす全国ワークショップ ・2007


  ?H3>人種主義とたたかい、外国人人権法と人種差別撤廃法の実現をめざす           全国ワークショップ ・2007

■1. 開会/オリエンテーション

■2. 基調講演
      阿部浩巳さん(神奈川大学法科大学院教授)
    「国際人権法と日本の外国人制度ー9.11以降の世界と日本」
■3. 分科会
【分科会A】
「政府の労働力移入政策と日系人、研修制度」
コーディネーター:矢野まなみさん(移住連)
● 報告者
(1)渡辺英俊さん(移住連)
(2)リリアン・テルミ・ハタノさん(甲南女子大学助教授)
(3)鳥井一平さん(全統一)
【分科会B】
「改悪入管法と改悪外登法への対抗軸」
コーディネーター:佐藤信行さん(外キ協)
● 報告者
(1)旗手 明さん(自由人権協会)
(2)鍬本文子さん(大阪外登法問題交流会)
【分科会C】
「地域社会における反差別・人権保障システムを考える」
コーディネーター:丹羽雅雄さん(弁護士)
● 報告者
(1)康由美さん(弁護士)
(2)自治体人権担当者(未定)
(3)郭辰雄さん(コリアNGОセンター)コリア国際学園設立準備委員
【分科会D】
「外国人の子どもの教育の権利をどのようにして守るか」
コーディネーター:師岡康子さん(弁護士)
● 報告者
(1)金光敏さん(コリアNGОセンター)
(2)小島祥美さん(前・可児市教育コーディネーター)
(3)島本篤エルネストさん(神奈川県外教)
■4. 全体会
 各分科会からの報告と提案
 「私たちの共同の課題とは何かー緊急の課題/中長期的な課題」
■5. 共同アピール

■日時
   2007年2月12日(月)午後1時〜
■場所
   大阪市立中央青年センター
■資料代
   1,000円
※プレ企画  「コリアタウンフィールドワーク」
日時:2006年2月11日(日)午後2時
場所:JR大阪環状線鶴橋駅改札集合
費用:1,000円
■事務局
  外国人人権基本法連絡会
全国ワークショップ事務局:
  RINK TEL 06-6910-7103
  コリアNGOセンター TEL 06-6978-7676

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<寄稿>「阪神淡路大震災から12年」に思う  2007/1/17
              イメージ 1
あの日に見た助け合い・地震発生から2度目の日曜日となった95年1月29日、旧正月を控えたこともあり、民団西神戸支部の前では大がかりな炊き出しが行われた

吉成 繁幸(フリー・ジャーナリスト)

多文化共生こそ防災の基本


 阪神淡路大震災からきょう17日で、ちょうど12年になった。犠牲者に深甚なる哀悼の意を表すとともに、いつ襲ってくるか分からない大災害に賢明に対処するためにも、多文化共生社会の実現を早めるべく改めて決意を固めたいものである。というのも、東京都が阪神淡路大震災の発生日前日にあたる16日、定住外国人を対象にした防災訓練を初めて実施したとの報に接し、複雑な思いにとらわれざるを得ないからだ。

外国人問題 敵視が危うさ増幅=対処能力は日常が育む

都が初めての対外国人訓練

 都は大災害が発生した場合、「東京都外国人災害時情報センター」を設置し、被災した外国人が必要とする情報の収集や区市町村の情報提供を支援するとともに、区市町村からの要請に応じて防災(語学)ボランティアを避難所や病院などに派遣する。

 今回はそのマニュアルに即して、ボランティアの参集や外国人との相談対応などの訓練を行った。

 阪神淡路大震災による犠牲者は、被災後の疾病や自殺など関連死を含めて6433人に達した。このうち、外国籍は255人。韓国・朝鮮が148人、中国が48人、ブラジル8人と続く。国籍不明者も40人いた。韓国・朝鮮人が集住する神戸市長田区が激甚被災地であったにせよ、外国人の割合はきわめて高い。

 また、阪神淡路大震災はもちろん、2004年10月に発生した新潟中越地震の際も、外国人が情報から孤立して不安に陥り、言語や生活習慣の違いから日本人との摩擦が生じた。こまごましたトラブルの集積が、大問題に発展する可能性が指摘されてきたところだ。

 阪神淡路級の大地震が東京で発生すれば、被害と混乱はその比ではない。他の自治体に先んじるべき都が、ようやく重い腰をあげたことは評価しつつも、都の外国人に対する基本姿勢を見るにつけ、付け焼刃に過ぎないのではないか、との疑念はやはり残る。石原慎太郎都知事が2000年4月、陸上自衛隊第1師団を前に行った発言を忘れるわけにはいかないのだ。

 「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。もし大きな災害が起こった時には大きな騒擾事件すら想定される。こういうものに対処するためには、みなさんに出動願って、災害の救助だけではなしに、治安の維持も大きな目標として遂行していただきたい」。

 こう訴えた石原知事は実際、同年9月3日、「防災訓練」の名のもとに銀座に装甲車を走らせ、東京上空に軍用ヘリコプターを舞わせ、東京湾に艦艇を浮かべさせた。

 「三国人」呼ばわりはもとより、外国人が騒擾を起こすと決めつけ、治安対象にするこの物騒な言動は、謝罪も撤回もされていない。外国人敵視発言を繰り返して平然とする首長のもとでの、外国人支援訓練がどれほどの効果をもつのか。

確実な対策は日常性の中に

 外国人の不安や日本人との摩擦を取り除く使命をもつボランティアも、ほとんどが被災者になる。大震災発生直後のもっとも肝心な数日間、充分な活動ができる保障はなく、拠点への参集すら危ういと見なければならない。

 日本人・外国人を問わず、最も基本的かつ確実な防災対策は、日常性のなかにこそある。これはすでに、多くの自治体が達した結論でもある。埼玉県・市町村国際政策推進会議多文化共生研究会は、昨年1月にまとめた「在住外国人に係る震災対策について」の報告書で、こう指摘した。

 「多文化共生社会とは、国籍や文化の違いを超えて、お互いを理解し、尊重しながら『共に生きる』社会であり、地域で外国人が孤立化することのない社会であると考える。まさに、多文化社会の実現こそが、最も有効な防災対策といえるのではないだろうか」。

 阪神淡路大震災の外国人犠牲者数は、地震など自然災害は人々を国籍や民族に関係なく襲いかかるという、当たり前の事実をいやというほど示した。家族や身近な人を奪い去り、住居や職場を瓦礫にさせた自然の猛威の前に、ただただ放心し、その後もながく喪失感にさいなまれた被災者。ここにも日本人と外国人の違いはなかった。

 しかし、被災という受動的な側面ばかりでなく、救援・復興という能動的な側面でも、国籍と民族を超えて立ち向かった事実を思い起こしたい。民団をはじめとする在日諸団体も、炊き出しや救護活動に率先した。各地の韓国会館は、韓国の政府・国民から民団に寄せられた救援物資の集積・配布センターとなり、ボランティア活動のサポート拠点にもなった。

 当時、韓信協の最大手組合であった関西興銀は震災直後、当面費用がなくて困っている被災者に国籍を問わず、無担保・返済期限なしで5万円、電話用にと1000円分の小銭を貸し出した。利用者は6000人を超した。並みいる大手金融機関も、これだけ大胆な活動はしていない。

 外国人の心意気が、被災者をどれほど勇気づけたことか。危機を前に発揮された助け合い精神は、「この地で共に生きてきたし、これからも共に生きる」という無意識の意識に支えられていたはずだ。外国人も日本人もお互いを理解・尊重し、大災害に対する危機意識を同じくして、地震国・日本での生活の仕方を不断に確認する作業が欠かせないのである。

(2007.1.17 民団新聞)

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1995年、1月16日、得意先のゴルフコンペは京都の亀岡C.C。降り続いた雪の中、雪かきをして2時間遅れのスタート。車にチェーンを巻いて家にたどり着いたのは夜の11時を過ぎていました。
疲れ果てて、そのままリビングで寝入った明け方の5時46分、あの忌まわしい阪神大震災。中層階に住む私は揺れに飛び起き、奥の部屋で恐怖に泣き叫ぶ子供たちをなだめ、上の階で寝ている母を見に行くと、32インチのTVはベッドの横に2Mくらい飛び、棚の食器類は粉々に飛び散っていました。
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神戸から遠く離れた大阪市内でも、我が家は地震帯が走っている真上だったみたいです。
TVニュースを食い入る様に見つめ一喜一憂していたのを昨日の様に思い出します。
あれから早、12年がたちました。

娘の命の恩人である担当医が年老いた父親と一緒に暮らす住まいが倒壊したとの連絡を受け、翌日には原チャリに救援物資を満載して一路、神戸に向かいました。1時間で到着する距離が4時間、大渋滞で車は、ほとんど動かない状況でした。寒ささえ我慢すれば、お得意のゴキブリ運転で「前に前に、二輪は走る」でした。

しかし、歩道を走り、交通規制を無視し、道端の左右に横たわって毛布をかけられた死体の中を涙を堪えながら走り続けました。

神戸に向かう途中、瓦礫のカケラで何度もパンクしましたが、被災者の方が、自分の事はさておき、救援物資を運ぶ私たちに「水しかないけど飲んでゆきなさい、家のバイクを乗って行きなさい。帰ってくるまでパンクを直しておいてあげるよ。」と、暖かい言葉と眼差しでサポートしてくださいました。
この時「人間ってすごいな〜。この国って、ままだだ捨てたもんじゃ無いな〜。」と感動しました。まさに、この日が私の「ボランティア元年」の始まりでした。

しかし、途方にくれる先生に向かって「がんばってください!」と声をかけるのが精一杯でした。

その日を契機に、翌日からの私はエンジン全開!
被災地神戸の西の端、須磨に住む高校時代の同級生の家屋が全壊、娘さんが24時間ぶりに生き埋め現場か救出されたとTVで報道されていました。それを見て、即座に同窓生に連絡をとり、カンパを募り近くの米屋さんの原チャリ借りて友人と二人で単車を連ねて走りました。夜の気温は3度、単車で費やした時間は片道、8時間でした。
行く前に何人かの友人が「須磨まではまだ、救援物資が届いてない。避難所で取り合いに成るよ、やめたら!」と老婆心か行かない言い訳か、私に注意を促しましたが「昨日、神戸まで行ったけど、人間って、そんな馬鹿じゃないよ」と走り出しました。

清酒の産地、灘では倒壊した清酒の桶からあふれ出した酒の臭い、六甲では埋め立て地盤の泥の悪臭。長田ではゴムの臭いが鼻を刺し、
三宮からは警察官が仁王立ちになって「ここから先は、事故、事件が起こっても責任はとらないよ」と静制止する中を突っ切って走りました。まるで街中がモトクロスコースの様でした。

灘では倒壊の下敷きになって亡くなった人の死体、長田では火災で焼けた死骸は今も目に焼きついています。

へとへとになり到着した時、友人の家族が皆、抱き合って生きてる喜びを、瓦礫の中を予期せぬ?友人が救援物資を持って来てくれた感謝の気持ちを全身で表し喜んでくれました。
その時、ボランティアって、使命感では無く「ただ、喜ぶんでくれる笑顔に出会い、そして、その人たちに力と勇気を与えてもらうんだ」と、自分なりに答えを出せた一瞬でもありました。

お腹はペコペコ、喉はカラカラ、救援物資を50CCのバイクに2m以上積み上げ、長靴、スコップ、防寒着、下着、水の要らないシャンプー、自分たちの食べる食糧を持てくるのを忘れていました。そんな私たちを見て、日に3個のおにぎりとインスタントの味噌汁だけの配給で飢えをしのいでる食事の中から、おにぎりをひとつ、そして温かい味噌汁を私たちに「さー食べて」と笑ってくれた友人の家族と泣きながら食べた味は今も、忘れることは出来ません。

こんな優しい、人間、極限状態になっても人を思いやることが出来るこの社会、そして何度か通う内に、出会った多くの人々、そして、神戸に暮らす身内が身を寄せる東神戸初中級学校には約150人が避難して、そのうち約100人は近所の日本の人でした。建物は倒壊の危険があり、人々は学校のマイクロバスや校庭のテントで夜を過ごしてました。日本人、朝鮮人が協力しあい、分け合い、助け合って、互いの生命を守った姿に感動させられました。間違いなく、関東大震災とは違った新しい光景だったろうと思います。
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そして、週末毎に通院するクリニックの横にある、伊丹市の昆陽池公園では、阪神大震災で亡くなられた6,434人の犠牲を追悼するため、震災発生12時間前の16日午後5時46分から「追悼の集い」がありました。小雨の中、犠牲者と同じ数のろうそくに火がともります。今年も約300人が祈りをささげていました。


'''阪神淡路大震災
 1995年1月17日 5:46、阪神地方六甲山地南側の断層のずれから起こった地震は、阪急電車や阪神高速道路の高架を横倒しにし、数多くの建物を壊滅させました。また、昼までに神戸市内では多くの火災が発生し、大きな被害をもたらしました。圧死・焼死あわせて死者は6400人にのぼります。

関東大震災との違い

地震の直後から、人々はパニックにおちいることなく、隣近所で助け合ってがれきの下に残された人々を掘り出し、飲み水を確保し、乏しい食糧を分け合ってその夜を迎えました。そこはさながら戦場のようでした。

(自衛隊の部隊出動は遅れました。伊丹市の駐屯地からら最初武器を携行して神戸の王子公園に入った部隊は、やがてスコップなどの道具に持ちかえて任務を果たしました。)

翌日から、残されたスーパーや生協に人々は黙々と並んで必要なものを分け合って購入します。政府の対応が遅れ、県や市も十分に機能しない状況の中で、人々はみずからの手で助け合い、その様子を見て、全国からボランティアが駆けつけたのです。小中学校や公園の避難所に設けられたトイレの整備清掃が大切な仕事の一つでした。

この年は、日本の「ボランティア元年」と呼ばれることになりました。

神戸は港町ですから、元来外国人も多く住む国際的な土地柄です。しかし、これまでは、必ずしもそのことがプラスの点として十分認識されてきたとは言えません。被害を受けた朝鮮人も、マスコミ報道は昔のままの「通名」であったため、死傷者の確認や救援活動にも支障が出ました。ドイツ人学校や朝鮮人学校など外国人学校は、校舎が全壊しても「各種学校」扱いのため、元来何の補助金も受けられませんでした。(復興に際しては、多くの人の努力で特別に半額国庫補助が認められ、東神戸初中級学校も1998年に再建を 果たしました。)

日本語のよくわからない外国人は、震災の最初、全く情報が失われ、どれほど心細い思いをしたことでしょう。
現在神戸市は、外国人学校の存在こそ地域の財産 、プラスの点であることをしっかりと位置づけ、7カ国語によるFMラジオ局 も開設され、地域の中からの日本人と朝鮮人の連帯も広く根をおろしはじめています。



なら、何故、1923年の日本人による朝鮮人虐殺はなぜ起こったのでしょうか?

関東大震災は、1923年(大正11年)9月1日正午前、神奈川県沖相模湾海底でのプレートの動きを原因とする大地震が発生しました。

家屋11万戸が倒壊全壊し、東京ではその後、各所で大火災が発生して21万戸が焼失、特に、本所の被服廠跡地に避難していて焼死全滅した3万2千人をふくめ死者行方不明10万5千人を出す大災害となりました。

9月1日が防災記念日とされるのはそのためです。しかし、その日は朝鮮人虐殺の日でもあります。

「東京関東地方大震災惨害実況」
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萱原白洞「東都大震災過眼録(1924)
 後ろ手に縛られて連行される白衣のチョゴリを着た人々が描かれている。
この絵巻は、阪神淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市内の家屋から発見されました。

何が起こったか
帝都東京が壊滅し大混乱におちいった9月1日の夜から、東京周辺では奇妙なうわさがささやかれはじめます。

「朝鮮人が暴動を起こして攻めてくる」「朝鮮人が放火し、井戸に毒を投げ込んでいる」。

翌日、「戒厳令」が布かれ、陸海軍が出動して京浜一帯を制圧、不安にかられた人々は歓呼の声をあげてこれを迎えます。その中で、各所で「朝鮮人狩り」が始まり、警察・軍隊によるもののほか、民間の自警団によって多くの朝鮮人が捕らえられ、殺されました。ほかに、中国人留学生や、日本人の労働運動家河合義虎・平沢計七が殺され、また、無政府主義者として知られていた大杉栄と伊藤野枝、その六歳の甥の三人が憲兵隊に連行され殺害された出来事は、「甘粕事件」として有名です。


なぜ起こったか
大混乱の集団パニック状態の中で人々がとほうもない流言飛語を信じてしまったということもありうることです。しかし、なぜそのようなことが起こったかを考えるためには、「韓国併合」条約は韓国皇帝の申し出を日本の天皇が受けるという形をとっていました、朝鮮側ではもとの皇帝以下誰一人として「武力に屈した」という以外の考えは持っていません。1910年の併合直後から設置が進められていた中国領間島(かんど。中朝国境の北側)の独立軍根拠地には、1919.3.1独立運動と上海での大韓民国臨時政府樹立にともなって、国内から続々と青年たちが結集し、独立軍は、ロシア革命によって生まれたコミンテルン(第3インターナショナル)とも連絡をとりながら 、1920年秋には国内進攻を目指すまでになり、春以来、朝鮮北部国境地帯では衝突が始まります。レキシントンの戦いはもう始まっていたのです。

当時ロシア革命に干渉して「シベリア出兵」中の日本は、まず、沿海州の朝鮮独立運動根拠地を破壊し、次いで、1920年10月、朝鮮駐屯軍、シベリア派遣軍、関東軍が合同して中国領に攻め込みます。これが、日本で「間島出兵」と呼ばれるもので、朝鮮独立軍は青山里の戦いで日本軍と激突し、日本側にも大きな損害を与えました。日本側の司令官は「敵兵力は5,000人にのぼり、機関銃を持っている」と報告しています。

このように、当時の大日本帝国は朝鮮との戦いを必死に続けており、他方、その実状は民衆には全く知らされず、逆に、「大正デモクラシー」の下でのマスコミ(新聞)が書き立てた、日本人に危害を及ぼす「不逞鮮人」のイメージが広められていきます。

1923年9月3日午前8時15分、
内務省警保局長は海軍船橋送信所から全国に無線で「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし…」と打電しました。
意図的に被害・混乱を朝鮮人のせいにし、大日本帝国の権力を誇示しようとしたのがその狙いと言われています。

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https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/72/a2/mig_21fishhead/folder/346836/img_346836_25410607_0?20061216135314

【話題がロシア圏の話と少し違うので、せめて写真だけでも。ホームレス(たぶんアル中&ヤク中)に職務質問するロシア警察官。ロシアでは、公権力に人権無用なひどい連中が多いです。特にモスクワなど大都市圏では、チェチェンなどカフカス地方の民族や中国人などのアジア系民族に対してエゲツナイ対応を取ります。この点日本の方がまだマシですが、今回お伝えする出来事を考えると今後はどうなることやらです。】

今日は、まったく別の話題をお伝えしたく考えていたのですが、急遽変更いたします。

ロシア圏の話題とは、少し違います。

しかし、外国人の妻を持つ身としては、やはり見解として文章を残しておきたく考えたからです。
どうぞご勘弁ください。

先日、ブログ愛読者のラキヤさんから『イラン人一家強制退去』のニュースを教えていただきました。
(ラキヤさんは、セルビアの蒸留酒ラキヤを日本に広めるべく奮闘中。商売の関係で海外にも頻繁に行かれています。ご自身のブログでも様々な面白い写真や話題を紹介されています。ぜひ、ご一読になってみてください。アル中の僕もラキヤをぜひ飲んでみたいです。)

ラキヤさんのブログ 『ラキヤ(蒸留酒)を楽しもう!』はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/hajmo_rakija

さて、イラン人一家のお話に戻ります。
僕もなんだか気になり、ニュースを見たのですが、その内容を知り、驚きました。

この一家は、ご主人のアミネ・カリルさんを筆頭に奥さん、二人の娘さんと言う4人家族です。

報道によると、アミネさんは、イランで洋服店を経営していたそうです。
イラン・イラク戦争を避けて、20年ほど前に来日。
以降、土木作業員などをしながら、生活を続けてきました。

どうやら、旅行者用短期ビザで入国したらしく、出国しないまま日本に滞在していたようです。
つまり、法律上は不法滞在(オーバーステイ)となり、明らかな違反です。

アミネさんは、家族が日本に馴染むうち、
『娘も大きくなったし、いつまでも不法滞在はアカン』と出頭を決意。
しかし、無情にもイランに帰んなさい!って決定が入国管理局および法務省からなされたそうです。

アミネさんの長女は、すでに大学の推薦入試にも合格し、来春入学予定です。

一家も不法滞在と言う犯罪を犯したとは言え、それ以外は何か問題を起こしたわけでもなく、まじめに生きてきたようです。

僕は、人権派でもないし、世の中には、正論が通らないことがままあることはよく分かります。

外国人犯罪の急増は事実ですし、入国管理局がそれに対し、厳しく在日外国人をチェックするのも理解できます。

外国人を妻に持つ身としては、できるだけ入国管理局に協力することが国民の義務とさえ考えています

しかし、今回の決定には、強い疑問を覚えます。

確かに、不法滞在は犯罪です。
しかし、一口に不法滞在と言っても、様々な背景や理由があるでしょう。

アミネさん一家は、戦争中の祖国に帰りたくないと言う事情がありました。
それに彼自身、罪の意識を感じて自分で出頭しています。

『嫁(外国人)と遊園地行ってる間にビザ切れてた!』
なんて国際結婚で時々ある様なアホな不法滞在の理由とは違います。

そんな背景をしっかり把握してあげて杓子定規な判断を下さないことこそ、“美しい国ニッポン”のあるべき姿ではないでしょうか?

仮に、アミネさんが、強制退去になる明らかな理由があれば、きちんと発表して正々堂々追い出せばいいのです。

例えば
『おおーい!皆の衆、こいつは、アルカイダやでー!!アパートで爆弾作っとったど!だから、たたき出すんや!文句あっか?』って。

そうすれば、納得できます。
しかし、それができないのは、『不法滞在=強制退去』と言う杓子定規な判断をしているからではないでしょうか?

僕自身、家内ために入国管理局へ配偶者ビザの発給や更新に行くときは、ものすごく不思議な気分になるときがあります。

たとえば、日本人の配偶者として長期滞在を認める配偶者ビザ。
このビザには、1年ビザ、3年ビザの2種類があります。

家内の場合は、3年ビザです。
しかし、知人の中には、何度更新しても1年ビザしか発給されないケースがあります。

この1年と3年の判断の基準が分かりませんし、入国管理局は、教えてもくれません。

もちろん、入管の審査基準を全部明らかにすることは、不良外人に付け入る隙を与えます。
ですから、審査基準の全面開示には賛成はできません。

それでも、ある程度の目安と言うか指針ぐらいは示してもよいのではないか?と思います。
また、やむを得ない不法滞在に関しては、人道的配慮がもっとあってもよいと思います。

アミネさんの場合、異国で、一家を支え、娘を大学まで行かす事は大変だったはずです。
ここまで来るのは、相当な頑張りがあったに違いありません。

娘さんも日本の大学に入るくらいですから、それなりの学力があるはずです。

はっきり言って、そこいらのボンクラオヤジ(僕含む)やニートより日本のためになります。

そんな人々を日本から追い出すことが日本のためになるのでしょうか?

日本はこれからますます少子化が進むはずです。

移民社会は、極端としても、いずれ外国人を含めた多様な人材を活用しなければ成長を維持できない時代が来ると思います。

そのためにも入国管理局は、杓子定規でなく、
『この人は、立派な日本市民になるか?』
『日本に利益をもたらすような技能や才能があるか?』なんて観点で審査をすべきではないでしょうか?

もちろん、人の資質を見抜くのは難しいです。
しかし、そんなことに挑戦することこそ、これからの法務省のあるべき姿と思うのですが。

転載元転載元: シルクロードから嫁が来た!!

日本国と日本人???

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/29/36/sandy_seattlewalker/folder/1474367/img_1474367_44602826_0?20061212002006

先日ニュースを見ていたら、またしても考えさせられるニュースが報道されていました。

在日イラン人一家の日本滞在の問題です。



このニュースを見ていて、日本という国は国民の定義をどう考えているのかなと考えて見ました。

どうも、日本政府の考えでは、日本人であらざるもの、日本国民の資格なしと考えているようですね。



戦時中、自分たちが強制的につれてきた在日朝鮮人たちは、しぶしぶ、かなり高いハードルを設けて日本にいることを許可している?



このイラン人には、日本で生まれた子供がいるようですね。

美しい国づくりを標榜する安倍内閣の長勢甚遠法相は、退去を命じています???

自国で生まれて、18年間生活してきた子供・家族を海外に追い出す、これが美しい国のすることでしょうか?

卑しくも、法務大臣という要職にある人が、このような人権を無視した発言・行動をとる、信じられませんね。



長女は、日本の大学受験にもパスしているということは、世界でも厳しい日本の受験戦争を日本人と同じレベルでクリアしてきているのですよね。

それ以前に、受験しているということは、日本の教育制度で勉強してきているわけです。



その子供を国外追放?



この子はイランに帰っても言葉も話せないかもしれない・・・



もし日本人の家族がアメリカで子供を産んだら、その子は21歳の時にアメリカと日本の国籍のどちらかを選べます。

ですから、私の知っている日本人の中には、子供をアメリカで産もうとしている人もいます。

そんな状況から考えると、この長勢甚遠法相の考え方は??



これで、日本は国際化を目指すとか・・・



安倍総理が、フィリピンで発表した、東アジア協力のため東アジア首脳会議参加国を中心に今後5年間に毎年6000人の青少年を日本に招待するというスタンスと、どう整合性を取るのでしょうか?

あ、そうか、イランはこの国の中に入っていないから、関係ないのですね(@@)

それとも、

「君たち、日本に学びに来たまえ、金は出してやる、でも、終わったらさっさと帰国するのですよ。

間違っても、結婚を考えたり、子供を作ってはいけない、君たちは日本政府のお金で勉強できるのです。

だから、指示通り、勉強して、帰国して自国の為にがんばりなさい・・・」

とでも言うのでしょうね、きっと。



本当に、美しい国を目指すのなら、お金だけでなく、もっと人に優しい国づくりを目指してほしいと思うのは私だけでしょうか・・・



■ 在留特別許可 イラン人一家の要請認めず 東京入国管理局

 最高裁で国外退去処分が確定した群馬県高崎市在住のイラン人、アミネ・カリルさん(43)一家が、強制退去を猶予される仮放免期限の8日、東京入国管理局に出頭した。入管側は、一家4人が求めていた在留特別許可(在特)を認めないと通告。仮放免期間を来年1月12日まで延長し、パスポートやイランへの航空券を用意したうえで同日に出頭するよう指示した。
 アミネさん一家は妻アクラムさん(39)▽高校3年の長女マリアムさん(18)▽小学4年の二女シャザデさん(10)の4人。この日は、シャザデさんを除く3人が出頭した。一家は00年6月に国外退去処分を受け、同年8月に取り消しを求めて東京地裁に提訴。1審は勝訴したが、2審で敗訴。今年10月10日に最高裁が上告を棄却した。国外退去処分決定後の同19日に在特を求め、法務省に再審情願を提出。その後、2度にわたって仮放免となっていた。これに対し、長勢甚遠法相は5日の閣議後会見で「基本的には(イランに)お帰りいただきたい」と述べるなど、在留を認めない考えを示していた。
 通告を受け、アミネさんは東京地裁で記者会見。「(在特が認められるためには)これ以上何をすればよいのか」と疲れた表情で語った。また、弁護団長の村田敏弁護士は「日本で育った子供たちの人権に対する配慮が全くない、理解出来ない判断だ」と批判した。

転載元転載元: たっきの どんぐり目


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