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【平和憲法を守るのは在日の使命=故 金敬得弁護士の遺言】 在日を見れば日本の今が見える!

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毎年、8月6日と9日が過ぎれば原爆報道がなくなり、人々の関心がうすらぐ昨今、、、

【写真説明】米の初めての原爆実験を伝える新聞報道=1945年8月15日付

第二次世界大戦終了間際、米国はニューメキシコ州で、世界初の原爆実験を実施した。
 マンハッタン計画と呼ばれる原爆開発の国家プロジェクトに乗り出した米国。ナチス・ドイツに核兵器開発を先を越されることに強い危機感を持つ科学者らの進言により始まったとされる。計画で三つの原子爆弾を製造。一つはこの実験で使用。残る二つは広島、長崎に投下され、惨劇をもたらした。
 長崎大原爆後障害医療研究施設の奥村寛教授は「物理学者の実験が多くの人類を不幸にした初めてのケース」と指摘。核保有国は大戦後、増えていった。     2005年7月10日長崎新聞掲載

先日、湯川 秀樹氏の奥様が他界されました。奥様は1970年代のマスコミの取材で「主人が犯した原爆研究の贖罪を私が償います」とのコメントをされてました。

スカパー「朝日ニュースター」(視聴有料)で下記の番組が放送
されますので、お知らせします。両番組を視た感想はいずれ書きたいと思っています。

8/12(土)17:00 - 18:00
それぞれの責任〜原爆と物理学者の戦後〜
原爆の開発に関わった物理学者の戦後を通じて「科学者の責任」に・・・
http://asahi-newstar.com/timetable/tv.php?param=2

ついでですが、靖国問題で高橋哲哉氏が下記のように同じ「朝日ニュースター」番組に登場します。
8/11(金)、00:00-01:00(再)、17:00-18:00(再々)
「戦後は終わらない-4 戦没者慰霊」<ゲスト>高橋哲哉

このシリーズは下記の沖縄関連で終りになります。
8/11(金)、20:00-21:00、8/12(土)、02:00-03:00(再)
「戦後は終わらない-5 オキナワ」<ゲスト>小那覇安剛

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{写真/韓国人原爆犠牲者慰霊碑とレリーフ}
歴史認識の原点回帰
慰霊碑やモニュメントの周囲にさまざまなメッセージが残されていく。 若者たちの平和への願いもその一つ。韓国人原爆犠牲者慰霊碑には、銅版の レリーフが立て掛けてある。「過去を忘れる人は未来を失う」表面や木枠は、かなり黒ずんでいる。 裏返すと、フェルトペンで「三重県大安中学校」とあり、男女六人の名前が 薄く残っていた。「彼らはもう二十二歳になりますよ」―。同中の二之部迪史校長が答えた。 彼らが広島を訪れた一九九四年、在日韓国・朝鮮人の語り部から話を聞いた。 「その話に感動して、ささげる場所を決めたのでしょう」 九九年、慰霊碑は公園外の本川橋西詰めから移設。レリーフも一緒に移動した。 歴史教科諸問題で日韓関係がこじれる今夏、このメッセージの意味は思い。  「中国新聞」
この碑をここに建てたのも、民団の呼びかけで、日本、在日、韓国の多くの人々の寄付で建てられました。この碑自体も、すべて韓国の石でつくられているそうです。長い間、公園の外にあった碑を公園内に移設するのには多くの人々の努力があったからできたのです。死んだ人間にまで「差別」は追いかけてきます。上記の中学校生徒の談話です「日本人も韓国人も同じように苦しんだ。被爆してここで苦しんだのは日本人だけじゃないのに、扱いが…。」
韓国人被爆者は4万人と言われています。
私事ですが、父は当時陸軍の暁部隊所属で護衛艦に乗って呉港を出航し、この原爆雲を背に中国のミンポウに向かったと、生前話してました。私も、小学校の修学旅行で広島に行き、原爆記念館を見学しました。その時、大きなショックを受けたのを今も記憶しています。私は、韓国や他の国からの知り合いが日本に来れば、デズニーランドや富士山に行くより先に、広島につれてゆきます。決して政治的な思いではなく、普通の人間として絶対、この悲惨さを見るべきだと言う信念からです。韓国に被爆者が暮らす地方の小さな地区があります。俗に「原爆村」揶揄されてます。そこに住む被爆者の方の話です。自分が韓国人でありながら韓国人社会から「差別」されると言うる二重の苦しみを味わっている」と言っておられました。日本にいれば、法律で保護されたりもしたが、特に、外国に出てしまったら、法的に、被爆者として治療すら保障されないのが現状です。
彼らに日本へ来て、裁判で原爆患者の認定を勝ち取って、治療する時間も、お金もありません。
最後に先ほどの中学校の生徒さんが取材した被爆者の方のメッセージです。
転載
 『この世で、人間と核は絶対に仲良くなれない。平和記念公園の平和の灯は世界に戦争が無くなった日に消える。2年でも、1年でも、1日でも早く…。戦争をしちゃいけません。そして、差別をしちゃいけません。もっとよい日本にするために、お互いに力を合わせよう』
この慰霊碑の横に、メッセージが置かれています。
 『過去を忘れる人は、未来を失う』

戦後、日本政府は朝鮮人・台湾人の日本国籍を「サンフランシスコ講和条約締結まで」認めると言っておきながら、1947年5月2日、突然「外国人登録令」を発令して
「当分の間、外国人とみなす」と通告し、我々に対して外国人登録に応じるよう強制しました。
強制した、というのは、
これに違反して登録しなければ「国外に退去強制」できるという項目があったからです。
この外国人登録令が発令された
1947年5月2日がどういう日か?そう、日本国憲法の施行の前日です。
翌日からは、新憲法が施行されるので新たな法律を制定するには国会の議決を経なければなりません。
しかし、5月2日までは天皇の名の下で政府が法律を制定できた。勅令というものです
この外国人登録令はまさに最後の勅令でした。
新憲法施行の前日にかけこみでこの外国人登録令を制定した理由は明らかです。日本政府が在日朝鮮・台湾人を「外国人とみなす」措置を何がなんでも実行したかったからです。新憲法は国民の基本的人権を重要な柱としていますので、その施行の前日に在日を「外国人」に戻すということは、我々在日に日本国民としての基本的人権を与えたくなかったのです。
別の言い方をすれば、日本国内に朝鮮・中国系の大量の少数民族を誕生させたくなかったのです。
最終的に1952年4月28日、この外国人登録令を手直しした外国人登録法が公布され、
在日朝鮮・台湾人は「日本国籍を離脱した外国人」となりました。                       
国籍を奪ってはいけない」という国際法の原則を踏みにじって日本政府が在日朝鮮・台湾人に実施した棄民政策。
これをいまだかつて日本政府は我々在日に謝罪していません。
いかにこの国籍剥奪という行為が非常識なものであったかは、ドイツと比較すれば明らかです。戦後、ドイツは旧ナチスが奪ったユダヤ人に対するドイツ国籍を回復し、ポ−ランドなどのドイツ帝国に編入されていた占領地の人々にも国籍選択権を与えました。
数年前、戦前の強制収容所への収容が人権侵害であったと、日系人に対して謝罪と補償をしたアメリカ政府のように、日本政府も旧植民地出身者に対する人権侵害に対して謝罪と補償を行う義務があるはずです。
テレビや雑誌で言いたい放題の右派評論家は、「日本はアジア諸国に謝罪し過ぎだ」と言うでしょうが、少なくとも我々在日対して日本政府が公式に謝罪と補償をしたことは一度もありません。                            
                 

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