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事故後、18年目の夏に、御巣鷹に登ってきました。
21年前、事故のTVを食い入るように見てた午前4時前後、<搭乗者名簿があいうえお順で>画面に整列されました。カタカナで書かれた見覚えのある名前、まさか??友人の名前が?問い合わせることも出来ず、、後で判った事ですが、出張で東京に行き、急いで帰る飛行機が事故機でした。事故の翌日には家族で韓国へ墓参りに行く予定だったそうです。事故の数年前、ソウルのホテルの同室で「俺達は、このまま生きるけど、子供達に在日をどう教え、道しるべを示したらいいのかな〜」と二人して朝まで熱く語った思い出を胸に歩きました。
事故の日から、お盆といえば、彼とのの思い出と法要..です。
21年経った今・・・・・。
事故原因の解明に終止符が打たれてしまった事故。
520人もの死者を出したのに、誰も責任を問われなかった事故。
救難救助活動の空白時間への疑問が解けない事故。
遺族は納得していません。
歴史の中で、真実が明らかになる日が来ることを願います。
(『茜雲 総集編』あとがきより)
御巣鷹山墜落事故は、何年経ても、わたしたちの記憶から消えることなく残っています。
事故後の遺体処理をはじめ、多くのひとびとが事故そのものと深くかかわることにもなりました。そして、その誰もが忘れることのできない体験をし、その後の人生観すら変わることになってしまった人も少なくありません。
にもかかわらず、事故処理と遺族への対応の問題、その後、空の安全性は改善され信頼さ
れるに足りるといえるような時代になったのかということに関してみるならば、あれだけの事故
の教訓が今日ほんとうに活かされているのかどうか疑問を感じずにはいられません。
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