ユウジの雑記

哲学にあこがれています。

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最近、アメリカで販売されている、カレッジレベルの教養講座(NHKの講座や放送大学の講座に似ていますがアメリカの大学の単位が認定されるわけではありません。)をDVDで視聴しています。

講座はPhilosophy of Science 科学哲学です。講座にはテキストがありません(この点はNHKや放送大学とは違いますね)。講義のアウトラインの冊子があるだけです。わかりやすいアウトラインですが、やはり講義は英語ですので理解するどころか、ノートテーキングすら難しいです。

リーディングアサイメントに近いリストが載っていますが、持っていない本です(もちろん英語・・・つらいというより不可能)。それに講義の後には、レポートを書くような問題もあります。

そして講義はDVD6枚の36講義あります。「いたれり、つくせりの充実した内容です!」

あぁ!この講座を何週間かければ終わることができるのかしら。

それからもうひとつの講座(西洋哲学史概説)も持っているのですが、こちらはDVD10枚の50講座です。いつ視聴できるのでしょうか?

冬の積読本たち

購入した積読本たち。

1. Spinoza, Bernard Pautrat Éthique Bilingue Latin-Français Éditions du Seuil 2010.

2. Ramond Charles Dicitionnaire Spinoza Ellipses Édition 2007.

3. Ramond Charles Le vocabulaire de Spionoza Ellipses Édition 1999.

4. Gobry Ivan Le vcabulaire grec de la philosophie Ellipses Édition 2010.

5. Cicero, Marcus Tullius Harald Merklin Ueber das hoechste Gut und das groesste Uebel / De finibus bonorum et malorum. Reclam Philipp Jun. (1989/08).

6. Cicero, Marcus Tullius Rackham, H(tr.). De finibus bonorum et malorum with an English translation Loeb Classical Library. Harvard University Press 古書

7. Cicero, Marcus Tullius Karl Bayer Ueber das Schicksal / De fato Artemis & Winkler Verlag; 4., ueberarb. A.版 (2000/12).

8. Ludwig Wittgenstein Tractatus logico-philosophicus / Logisch-philosophische Abhandlung. Suhrkamp Verlag Kg; Neuauflage.版 (2009/06).

9. Honderich, Ted On Determinism And Freedom Edinburgh Univ Pr (2005/4/30).

10. Campbell, Joseph Keim, et al Freedom and Determinism (Topics in Contemporary Philosophy)  The MIT Press; illustrated edition (2004/7/1).

11. Honderich, Ted How Free Are You?: The Determinism Problem Oxford Univ Pr (Txt); 2nd ed. (2002/5/23).

12. ベンジャミン・リベット著 下條 信輔訳『マインド・タイム 脳と意識の時間』岩波書店 (2005/7/28)。

13. Hintikka Jaakko Knowledge and Belief An introduction to the Logic of the Two Notions reprint ed. King’s College Publication 2005.

14. 井頭昌彦著 『多元的自然主義の可能性 哲学と科学の連続性をどうとらえるか』 新曜社 2010。

15. 竹内啓著『偶然とは何か』 岩波新書 岩波書店 2010。

16. 永井均、入不二基義、上野修、青山拓央著 『<私の>の哲学を哲学する』 講談社2010。

17. ロス・ウィリアムデ・イヴィッド著 田島孝、真海邦治訳 『プラトンのイデア論』晢書房1996。

18. リーゼンフーバー、クラウス著 『西洋古代・中世哲学史』平凡社ライブラリー 平凡社2008。

19. 藤田正勝編 田辺元著 『種の起源 田辺元哲学選1』岩波文庫 岩波書店2010。

20. 藤田正勝編 田辺元著 『懺悔道としての哲学 田辺元哲学選2』岩波文庫     岩波書店2010。

21.『理想 倫理学再発見』No. 685 理想社 2010。

22.『思想 10』岩波書店 2010。

23. 哲学会編『想像力・共感』哲学雑誌第125巻第797号 有斐閣 2010。

24. フーコー、ミシェル編集 慎改康之・棚瀬宏平・千條真知子、八幡恵一訳『ピエール・リヴィエール』河出文庫 河出書房新社 2010。

25. 宮城一成、他編集『フロイト全集14 194-15 症例「狼男」メタサイコロジー諸編』岩波書店 2010。

26. Sargeant Winthrop (tr.) , Chapple Christopher (revised) The Bhagavad Gita (Sunny Serires in Cultural Perspectives) State University Of New York Press 1994.

27. 親鸞著『親鸞全集 第一巻教行信証 上』新装版 春秋社 2010。 

28. 武内 義範 (著)教行信証の哲学法蔵館; 新装版版 (2002/11)。

29. 今村 仁司 (著)親鸞と学的精神岩波書店 (2009/11/28)。

30. 石田 慶和 (著)教行信証の思想法蔵館 (2006/01)。

31. 道元著 石井恭二注・現代語訳 『正法眼蔵 1』河出書房新社 1996。

32. 石井恭二著『正法眼蔵の世界』河出文庫 河出書房新社 2010。

33. 南直哉著『『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか』講談社選書メチエ   講談社 2008。

34. 遠藤 嘉基 (著), 松井 利男 (著)古典解釈文法 (和泉選書 (21)) 和泉書院 (1985/01)   古書。

35. 湯沢 幸吉郎 (著)文語文法詳説 (1959年) [古書] 右文書院 (1959)。

36. 加地伸行(二畳住人)著『漢文法基礎 本当にわかる漢文入門』講談社学術文庫 2010。

37. 水野弘元著『増補改訂 パーリ語辞典』春秋社 2005。

1,2,3はスピノザに関する本です。1は『エチカ』のラテン語・フランス語対訳です。2.3はスピノザ用語集です。

4は小さなギリシア語の哲学用語集。

567はキケロの哲学著作です。5と6は『善と悪の究極について』です。5がレクラム文庫のラテン語・ドイツ語対訳で、6はロエブ文庫のラテン語・英語対訳です。この本は岩波書店のキケロ著作集に日本語訳が入っているのですが、絶版です。7はこの前ブログで倫理と道徳に関して出てきた、『運命について』のラテン語・ドイツ語対訳です。

8はみなさんご存知のウィトゲンシュタインの『論理学論考』です。

9,10,11は決定論の本です。12は脳神経学の有名な本です。9,10,11,12,15は因果論を勉強しようと思い(ただ思っているだけ・・・)買いました。14は認識論の自然主義の問題に興味があり買いました。田辺元の主著はなかなか手に入れることができないので、この新刊の文庫を手に入れてうれしいです(うれしいけれど積読です。)。

26はいつかは(23世紀ぐらい?)サンスクリット語を学んだあと読むつもりです。

27〜33は日本仏教のふたりの巨人道元と親鸞の本です。購入した理由は前にブログに書いた長谷川三千子先生の本の影響です。先生はずっと大学のゼミで道元の『正法眼蔵』を読んでいるそうです。わたしも前から読みたかったので(もちろん難解すぎてよめないですが)、いくつか買いました。親鸞の『教行信証』も読みたいな(これも同じく難解ですよね。)と思い関連する本を買いました。28,29,30は『教行信証』を哲学的に読むということで買いました。

34,35,36,37は語学の勉強用です。37は特にサンスクリットを勉強するためにプレッシャーをかけるために買いました(サンスクリットの次はチベット、パーリ 漢文が待っているぞ!)。

この本たちを枕にして冬眠に入る季節になりました。1・2行読むだけで、睡眠効果抜群です。

晩秋の読書

 哲学を勉強しようとして哲学書を読むのですが、自分の能力のせいであまりにも超スローでしか読めず、読んだ箇所も理解を超えていて、晩秋の風に寂しさを感じます。

 ブログの更新などもできないです。

 それで、すこしは気分をかえて哲学以外の本でも読んでみようと思いました。そして読んだ本が長谷川三千子著『日本語の哲学へ』です!・・・えっ、「哲学の本ではないかって?」
まあ、哲学の周辺ぐらいや思想関係なら哲学以外と思いましたので(著者の長谷川先生は、本格的な哲学を論じる本であると確信なさっていると思います。これはわたしの勝手な分類ですので、お許しください。)。

 この話題の本を読んで、久しぶりに興奮して、新鮮に感じました!

 存在論の大問題「ある」について日本語の「もの」と「こと」ということばが存在問題を深く掘り下げることに貢献できるのだと説得的に書かれていました。
 パルメニデス、デカルト、ヘーゲル、ハイデガーを巡りながら、日本語を哲学することと存在論の難問「ある」に迫っていくのは、凄いと思いました。そして「『もの』の意味」と「『こと』の意味」の章には、あぁ!日本語の哲学を哲学していると感動でした。

 しかし、ここからわからなくなるのですが、日本語に近い(系統は証明されていないですが)韓国語(朝鮮語)も、日本語同様、存在論に貢献するのだろうか?
 それから、印欧語族であるサンスクリット語を使用した古代インド哲学(思想)は、西欧の人たち、とくに印欧語族であるギリシア語・ラテン語を使用する者には理解が深いことなり、古代インド哲学も東洋というよりも、西洋思想になるのでしようか。

 もしかして、西洋思想に対比される、仏教の非実体説も古代ギリシア人などに理解されていたかもしれませんね。

 「日本語は存在を考えるのにふさわしい」ということは、この本にも出てくるフンボルトが述べている、各言語が世界認識や概念を規定するという説やこのような考えをもっと強く打ち出した、サピア、ウォーフの言語相対説に近くなるのではないでしょうか。

 そうなると概念を表現するのは言語であるので、世界の見方を規定したり分節する概念枠や概念図式が、ある言語間においては、まったく違うために翻訳不可能性(通約不可能性)になり、お互いのことがまったく理解できないことになる恐れがあるような気がします。
 
 哲学は普遍性をそなえていたのではないでしょうか?どの言語やどの民族でも哲学的問題は同じく議論できるのではないでしょうか。

 ドナルド・デイヴィドソンは概念枠を批判しています。例えばサピアなどの例示するネイティブアメリカンの言語における、世界の見方は、サピアが「英語」で説明している。それは当該言語の独特な世界の見方を英語で説明していることになり、つまり英語という共通の尺度によって説明されているわけです。そうなると、翻訳不可能ではなく、たんなる程度の差ぐらいということになります。

 日本語の独自性や日本語の哲学に興味はあるものの、言語相対主義や文化相対主義をどのように回避するかということを考えないといけないです(概念枠や通約不可能性をどう取り扱うかは野家啓一先生の『科学の解釈学』に説得力のある論議があります。)。
 
 むずかしいですね! でも読書といろいろ考えることができてよかったです。
哲学愛好者のある人のブログを拝見しているのですが、哲学の勉強のために英語・ドイツ語を勉強したいと熱望しているようです。しかし、この方は哲学の勉強(通信・放送大学)の記事がブログにしょうかいされるのですが、哲学のテキスト読解のための語学の勉強は出てこないです。
 わたしと同じように語学のトレーニングを避けている(本当はブログに書かず、着実に訓練しているかもしれません。ごめんなさい。)。
 わかっちゃいるけど・・・。
 ということで、今週からは、サンスクリット週間にしたいと思います。仕事から帰ってきてどれくらいできるかわかりませんけれど、サンスクリット週間でがんばります。今年の目標だったし・・・。
 語学もたいへんです。
ある哲学史の本を拾い読みしていると、道徳と倫理の言葉について書かれている箇所がありました。この本によると、ローマの哲学者キケロはラテン語で哲学の著作したことが、当時は画期的だったそうである。キケロはラテン語では哲学を正しく論じることはできないという者に反対し、ギリシア哲学の用語を、ラテン語に翻訳したり、場合によっては、ラテン語で造語したということである。

有名なMacIntyreのAfter Virtue 2nd edition の38頁に、キケロが彼の著作De Fato(『運命について』)中で、ギリシア語êthikosをラテン語に翻訳するためにmoralisを造語したと書かれている。
ついでにOxford の二つの大きなラテン語辞典にあたると、どちらも、キケロによって作られたことが書いてあった。

そしてインターネットでDe Fatoの原文の該当箇所を見つけて、読んでみあました(ラテン語ですので、時間がかかりました。)。

以下がラテン語原文です。

…. quia pertinet ad mores, quod ηθος illi vocant, nos eam partem philosophiae de morbis appellare solemus, sed decet augentem linguam Latinam nomiare moralem;
De Fato. 1.1. M. Tuillius Cicero. C.F.W. Müler, Leipzig. Teubner 1915.
 

「・・・[その学問は]、ギリシア人がエートス(ηθος;)ということばで呼んでいる倫理的性状にかかわりを持っていますから、哲学のこの部門を、私どもは、<倫理的性状についての学>と名づけるならわしです。けれども、ラテン語の語彙にあらたな追加をおこなって、これを《倫理(学)》と命名するほうが、適切なのです。」『宿命について』水野有庸訳


少しだけ、道徳・倫理に関する歴史知識が得られました。

・・・でも啓蒙の時代からの道徳や倫理(学)の概念の歴史は複雑でしょうね。いつか勉強したいです。

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